ここからサイトの主なメニューです
前(節)へ  次(節)へ
1部   初等中等教育の課題と展望
第1章  時代の進展と教育の質の向上
第1節  初等中等教育の歩み
2  教育機会の拡大


新しい学校教育制度は,極めて困難な状況下で準備不足のまま発足したものであったが,義務教育については30年代前半までの間にほぼ定着し,全国的に一定水準の教育機会が確保されるようになった。高等学校教育の規模も30年代,40年代を通じて急速に拡大していった。

以下においては,戦後学校教育の機会がどのようにして拡大されてきたか,国の施策を中心に概観してみよう。

(1)  6・3制義務教育定着のための諸施策

昭和30年代初めまでの間は,まず,我が国学校教育の根幹たる6・3制義務教育の定着のため様々な施策が講じられた。

戦後,教員の給与費の確保は極めて重大な問題であり,戦後のインフレともあいまって,地方財政に大きな圧迫を加える要因の一つであった。各都道府県間の教員給与の不均衡も著しかった。

このような中で,給与費の国庫負担の確立を求める運動が活発化し,昭和27年には「義務教育費国庫負担法」が制定された。これにより,一時途絶えていた義務教育費の国庫負担制度が復活し,義務教育職員の給与費の2分の1と教材費の一部の国庫負担が実施された。

また,当時,給与費節減のため,教職員定数の引締めなどもしばしばみられた。その原因は,地方財政が非常に窮乏していたこととともに,法令上学級編制や教職員定数の明確な標準が定められていないという事情もあった。

義務教育諸学校の学級編制と教職員定数の基準に関して,法律上明確な標準を示すとともに,その法定標準に対して的確な財政上の措置をとるため,昭和33年に「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」(いわゆる「義務標準法」)が制定された。これにより,小学校,中学校ともに1学級50人が標準とされ,いわゆる「すし詰め学級」の解消が計画的に進められた。

新学制発足の際,十分な施設の対策を立てることなく義務教育年限を延長したため,その後の校舎建築に係る財政問題は深刻であった。特に新制中学校については母体となる旧制の学校がなく,制度発足当初は施設不足が最大の問題であり,いわゆる「青空教室」や2部授業などの不正常授業もしばしばみられた。国も学校施設整備のための経費を予算に計上し施設の確保に努めたが,戦後の財政事情の中で極めて不安定な状況であった。

このような混乱の時期を経て,昭和28年以降は施設費国庫補助についての立法化が逐次図られ,財源も確保された。33年には義務教育諸学校の校舎,体育館等の建物建築費に対する各種の国庫負担制度が「義務教育諸学校施設費国庫負担法」等に基づく国庫負担制度として統合され,現行制度の根幹が確立された。これらの国庫補助制度の下に,公立学校施設の計画的な整備が進められた。

1-1-3  在学者数の推移

このほかにも戦後教育の理念である教育の機会均等を保障し,6・3制義務教育を充実するため,経済的条件により就学困難な児童生徒に対する就学援助の措置,へき地教育の振興のための措置,心身障害児の就学奨励等特殊教育の振興のための措置などが独立回復後に次々と講じられた。

(2)経済の高度成長と高等学校教育の拡大

戦後復興期を終え,経済の高度成長に伴い,我が国の教育は急速な量的拡大を続け,新たな発展を遂げた。特に高等学校教育の規模は著しく拡大した。

昭和23年,新制高等学校が誕生し,義務教育修了者に対して広く高等学校教育の機会が提供されることとなったが,その多くは旧制の中等学校を母体としたものであり,連合国軍最高司令部の主張により採用された学区制,男女共学制,総合制の原則の下に整備が進められた。一部では実情を無視して総合制や学区制が実施され混乱が生じたため,これら三つの原則については,独立回復後は地方の実情等をも踏まえて逐次是正が行われた。

昭和30年代は,入学該当年齢人口が著しく増加する時期であったにもかかわらず,それを上回るペースで高等学校への進学率の上昇がみられた。これは,高等学校教育に対する国民の極めて強い熱意を背景に,国や都道府県などが一体となって必要な財政措置等を講じ,教育機会の拡大を図ったことによる。33年の「義務標準法」の制定に続き,36年には,急増が見込まれる生徒の受入体制の整備等を目的として, 「公立高等学校の設置,適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律」(いわゆる「高校標準法」)が制定された。

このようにして昭和50年代までの間に我が国の高等学校教育は量的拡大を続け,進学率も90%を超えるまでに至った。それに伴い高等学校に在学する生徒の多様化も進み,近年では多種のコース設定や生徒の選択

1-1-4  義務教育就学率の推移

履修の幅の拡大など生徒の能力・適性等に応じた指導のための新しい試みが種々行われている。

高等学校には,全日制の課程のほか,主として勤労青少年に対し広く高等学校教育を受ける機会を保障するため,定時制の課程と通信制の課程が設けられている。

定時制の課程については,昭和27年には生徒数が約57万人に達してピークとなり,全生徒数の23%を占めるに至った。その後,全日制の課程への進学率の上昇に伴い生徒数は減少傾向にあるが,63年においてもなお約15万人の生徒が在籍している。また,高等学校の通信教育は,戦後次第に内容が改善充実され,30年代初めには通信教育のみでの卒業や,ラジオ・テレビによる学習が可能となるなど,履修上の弾力化措置が講じ

1-1-5  高等学校在学者数・進学率の推移

られた。36年には,通信制課程が独立の課程として位置付けられた。

これらの課程における教育の振興を図るため,昭和28年には,「高等学校の定時制教育及び通信教育振興法」が制定され,さらに夜間給食に対する国の補助や担当教員に対する手当支給などの措置が引き続いて行われた。

高等学校における職業教育は,新制高等学校発足に当たっての学区制,総合制の導入などの影響もあって,単独の職業高等学校の設置などが困難な状況となり一時不振であったが,昭和26年に「産業教育振興法」が制定され,戦後の職業教育発展の契機となった。

昭和30年代には,科学技術振興,中堅産業人育成といった要請にこたえて,おりからの高校生急増期に工業高校の新増設が積極的に行われ,また, 「農業基本法」の制定を契機に農業自営者の養成確保のため農業高校の拡充整備が図られた。これらに対しては,国も積極的な財政援助を行った。40年代に入り,高校教育の規模が拡大すると,社会的要請をも考慮して,職業教育の多様化が進み,職業教育関係の学科の種類は多数に上った。

1-1-6  学科別生徒数の構成の推移

なお,職業教育関係の学科に在学する者の割合は,生徒や保護者の普通科志向などの影響で40年代以降漸減傾向にあり,戦後40%台で推移していた比率が現在では25%程度になっている。

(3)特殊教育及び幼稚園教育の拡充

1) 特殊教育の拡充心身に障害のある者に対しては,その障害の状態や発達段階等に応じてより良い教育環境を整え,特別な配慮の下に適切な教育を行うことが必要である。
1-1-7  特殊教育諸学校の学校数及び在学者数の推移

昭和22年の学校教育法の制定によって,特殊教育諸学校と特殊学級とから成る特殊教育の制度が発足し,盲学校と聾学校の小学部・中学部については昭和23年から学年進行により義務制とされ,心身に障害のある児童生徒に対しても健常児と同じように教育の機会が保障されることとなった。 昭和29年には「盲学校,聾学校及び養護学校への就学奨励に関する法律」が制定され,これらの学校へ児童生徒を就学させている保護者の経済的負担の軽減を図るために必要な財政的援助が行われるようになり,就学率の向上が図られた。さらに,当初義務制の実施が見送られていた養護学校については,31年の「公立養護学校整備特別措置法」の制定により,施設費,教職員給与費,教材費等について,既に義務制とされていた盲学校,聾学校の場合と同様に国庫補助への道が開かれるなと,その整備が促進され,54年に養護学校の小学部・中学部の義務制が実施されることとなった。 特殊教育諸学校については,その目的を踏まえた独自の学習指導要領が制定されるとともに,上に述べたもののほかにも学級編制・教職員・施設等の教育条件について手厚い措置が講じられ,その充実が図られてきている。
2) 幼稚園教育の拡充幼稚園は,昭和22年の学校教育法の制定により,幼児を保育し,適当な環境を与えてその心身の発達を助長することを目的とし,満3歳から小学校就学の始期に達するまでの幼児を対象とする学校として位置付けられた。 昭和23年には「保育要領-幼児教育の手びき」が刊行され,保育内容の基準が示された。これは,31年に「幼稚園教育要領」として改訂され,39年と今回の改訂を経て,保育内容,方法の一層の充実が図られている。
1-1-8  幼児教育の普及状況(昭和62年度・5歳児)

幼稚園の教員は,昭和24年の教育職員免許法の制定により,従来の「保姆」の名称を改めて小・中・高等学校と同じく教諭,助教諭とされ,さらに,免許状の取得条件もこれらの学校の教員の場合と同様とされて資格の明確化が図られた。 また,昭和31年には,幼稚園の学級編制,施設,設備等の基準として「幼稚園設置基準」が制足され,必要な施設,設備の整備が図られた。39年からは,2次にわたり「幼稚園教育振興計画」が策定され,同計画に基づき57年当初までに幼稚園に就園を希望するすべての4,5歳児を就園させることを目標に幼稚園の計画的整備が図られた。 昭和47年からは,幼稚園に幼児を通園させている保護者の経済的負担を軽減するため,入園料,保育料を減免する幼稚園就園奨励費補助制度が設けられ,幼稚園教育の普及充実が図られている。

(4)量的拡大から質的充実へ

昭和20年代後半から30年代を通じ教育条件の整備が種々図られるとともに,我が国の初等中等教育は著しい量的拡大を遂げ,教育の機会均等が大きく促進された。

しかしながら,量的拡大が続く一方で,学校教育には質の面で様々な問題が生じるようになった。加えて,経済の高度成長や科学技術の進歩など戦後20年の社会の変化は著しく,これらに対し,学校教育は新たな対応を求められるようになった。

昭和40年代は,このような状況の中で,将来の学校教育の在り方をめぐり,盛んに議論が行われた時期であった。

昭和42年,中央教育審議会は,文部大臣から「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」諮問を受け,4年にわたって審議を重ねた結果,46年に答申を行った。この答申では,初等中等教育改革の根本問題として,1)教育内容の精選と発達段階・個人の特性に応じた指導、2)長期的・計画的な教育施策の推進,3)優れた教員確保のための抜本的・総合的施策の推進の3点を挙げている。さらにこれらを前提に,初等中等教育改革の基本構想として,人間の発達過程に応じた学校体系の開発,学校段階の特質に応じた教育課程の改善,個人の特性に応じた教育方法の改善,特殊教育の積極的な拡充整備,教員の養成確保とその地位の向上のための施策,教育改革のための研究推進措置などについて提言を行っている。40年代後半から50年代前半にかけては,このいわゆる「46答申」を受け,教育課程の改訂,養護学校教育の義務制実施,教職員定数の改善,教員の処遇改善等種々の施策が講じられた。

昭和40年代末には我が国は第1次石油危機に見舞われ,安定成長の時代へと移行したが,その後も産業構造のソフト化,情報化,国際化,社会の成熟化,生涯学習社会への移行など社会・経済の変化は著しく,我が国の教育は更に新たな転換を迫られることとなり,50年代後半の教育改革論議へとつながっていく。


前(節)へ  次(節)へ

ページの先頭へ   文部科学省ホームページのトップへ