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第1章   教育機会の拡大
5  高等教育
(4)  高等教育の問題点


最近における高等教育の普及はめざましいものがあるが,一方において昭和43年から昭和44年にかけての大学紛争を契機に各方面から大学について多くの問題点が指摘されるようになつた。

大学紛争は,さまざまな政治的,社会的要因と関連があり,過激派学生の主張も政治問題に関するものが多いので,紛争の問題点の中には,高等教育制度自体の問題とは―応区別して考えるべきものもあるが,大学自体の教育研究体制や管理運営体制にも問題があり,それが紛争の契機となり,あるいは紛争の解決を困難にしたことも否めない。

すなわち,紛争の契機となつたのは,教育課程の改善,授業料値上げ反対,学生会館,学寮の自主管理,大学の管理運営への学生参加,学生処分撤回等の要求であり,それに安保体制破棄,ベトナム戦争反対等の政治的問題を交じえて過激派学生による授業放棄や施設の封鎖,占拠,教員の軟禁,つるし上げ等の行動が展開され大学を混乱に落し入れた。これに対する大学当局の措置が適切でなかつたり,また,一般学生や若手教員のうちにもこのような問題が所在することに共感を示すものが少なくなかつたため,紛争が長期化した場合が多い。

紛争が最も多発した昭和44年10月には,紛争校は国立大学41枝,公立大学7校,私立大学29校に達し,私立大学よりも比較的教育条件のよい国立大学において多く発生しており,また,紛争期間の長かつたのは,歴史や伝統の古い大規模の大学に多い。このことは,教員組織や施設設備の充実状況よりもむしろ教育研究のあり方に問題のあること,歴史の古い大規模な大学では全学的なまとまりがとりにくく,したがつて臨機の措置もとれないことなど,改善を要するいろいろな問題があることを示している。

図21  昭和44年度における問題校数の推移

大学紛争は,―時過激化,長期化の―途をたどつたが,これに対する世論の批判は高まり,昭和44年8月には「大学の運営に関する臨時措置法」も施行されるにいたつた。その後,多くの大学において,主義主張のいかんを問わず暴力はいつさい認めないとの姿勢をとるようになり,大学自らの努力だけでできない場合には警察力によつてでも暴力を排除するという措置がとられ,ようやく紛争は鎮静化した。

しかしながら,このような大学紛争の過程において,指摘された問題点を解決するためには,高等教育の多様化,大衆化に応じた教育課程,教育方法の改善あるいは大学の大規模化に応じた管理運営の改善等について今後いつそうの努力が必要である。

なお,アメリカ合衆国,フランス,西ドイツ等においても近時大学紛争がしばしば起こっており,いろいろと過激な行動が繰り返された。紛争の原因は,それぞれの国情や高等教育制度の伝統によつて異なつているが,そこには若い世代の現行体制に対する批判ないし反対という共通点がみられる。このような事態に対する各国の政府や高等教育関係者の対応のしかたは,国によつて異なつているが,高等教育制度に関する基本法の制定,新しい教育研究組織の創設,管理運営方式の改革など,さまざまな努力が重ねられている。


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