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第3章
教育の目標・内容と社会・済の発展
2 わが国の教育目標・内容の史的展開
(3) 教科内容―道徳教育を中心として―


教科内容は社会・経済の発展と深い関係をもつて発展しているが,教科内容の移り変わりは,主要教材である教科書を通じて最も具体的にこれを知ることができる。そこで,初等学校の教科書を中心として,教科内容の考察を行なうことにする。


a 教科書と教授法

明治初年の教育課程は外国のものを採用し,教科書も外国のものを翻訳するか紹介したものをそのまま用いた。内容は知識・技能を尊重し,実利主義的・功利主義的なものであったが,表現は翻訳調のものが多かった。

たとえば,明治6年(1873)の「小学読本」巻1の中にある「此猫を見よ。寝床の上に居れり。これはよき猫にあらず。寝床の上に乗れり。汝は猫を追ひ退くるや……………………の一文は外国教科書の生硬な直訳であり,内容的にもいかにも無意味であった一例である。

翻訳教科書が当時の実情に合わないことから,教科書の研究が行なわれたり,文部省編集や民間発行の教科書が出るようになった。

当時,どの教科書を使用するかは学校の自由であったが,明治19年(1886)から文部大臣による検定制度を採用した。近代国家として統一し急速に発展しようとしていた当時は,国民教育の基礎水準をある程度全国的に維持することが必要であって,それを教科書の検定によって果たそうとしたものである。

日清戦争後,わが国の社会・経済が飛躍的発展をとげると,国民の教育水準をさらに向上させることが国家統一の上からいっても強く要請されてくる。そのため,教科書の検定制度を文部省みずから著作する教科書国定制度に改めることが議論され,明治37年(1904)から国定教科書が発行されることになった。これ以後,わが国は,国定教科書による全国統一的な教育が行なわれることになった。この国定教科書制度は,終戦の時まで継続しているが,その間にあって,教科書の内容に4回の改訂が加えられている。この改訂の方向は,社会の進展に応ずる内容の充実向上と忠孝の倫理に基づく国民思想の統一をはかることであった。

戦後は,戦時中の教科書が廃止され,昭和24年(1949)から新たに文部大臣の検定する教科書が使用されるようになった。

戦前は,小学校教則綱領や小学校令施行規則等において,各教科の内容・程度・教授法等が具体的に定められており,教師は検定教科書または国定教科書を用いて,その線に沿って教授するたてまえがとられていた。

教科書は不可欠や教材であり,これを中心とするいわゆる系統的な注入的とうや学習に重点がおかれていた。

戦後は教育の民主化の方向において教授法も改革され,児童の興味・生活・経験等に基礎をおく児童中心の教授法が採用された。教材には,教科書ばかりではなく,新しい多様な視聴覚教材が広く活用され,生徒の経験や行動を通じて知識をは握することに重点がおかれるようになった。しかし,最近では,基礎学力の向上という観点から,生活学習・経験学習にも検討が加えられ,系統的な学習によって教育効果をあげ,生徒の能力を高めようとする動きもみられるようになった。


b 終戦までの教科内容

修身

明治初年に欧米から取り入れた教育内容が一般に行なわれていた時には,伝統的思想はそのかげにかくれていだが,その主知主義の行き過ぎや道徳軽視の風潮に対する批判と反省が起るとともに,伝統的儒教倫理が重視されるようになった。明治11年(1878)に明治天皇が示された「数学大旨」は仁義忠孝の道を明らかにして,実学とともに道徳教育が教育の根木になることを示した。これ以後,教科のなかで修身が重視され,それ以前の西洋道徳に,儒教的倫理が新たに注入されてきた。ついで従来の翻訳教科書の使用が禁止されたり(明治13年-1880),道徳教育の基本を示した「幼学綱要」(明治15年-1882)が出されると,論語・孝経等儒教的倫理がさらに強調された。明治維新以来,国民全体の思想を統一する規範的なものが必要であり,それが徳川時代から素地のある儒教道徳となって現われたものである。

明治23年(1890)に教育勅語が発布され,修身教育は,この勅語の趣旨に基づくべきことが決定された。検定教科書として発行された修身教科書は,教育勅語の趣旨である忠義・孝悌・友愛・仁慈等を徳目としており込むとともに,日清戦争の影響もあって忠の面が強調された。日清戦争後明治33年(1900)ごろからは,歴史上の人物も多く扱われろようになり,勤勉・恭倹・節倹・養生・謙遜等の徳目が教えられている。これらの徳目は近代資本主義発展期における重要な倫理であって,国の発展にとって必要な勤勉・倹約・健康の精神を国民に植え付けるのに役立った。

明治37年(1904)から修身は国定教科書になったが,扱われている内容を,個人・家庭・学校・社会・国家・国際社会に分類してみると,各時代を通じて個人・社会・国家に関することが多い。時代別にみると,個人に関することは,明治37年のものがもっとも多く,昭和16年(1941)からの戦時下がもっとも少なくなっている。国家に関することはその逆で,古い時代ほど少なく,昭和になるにつれて増加している。近代社会の発展過程において,初めまず個人の完成に力が注がれ,やがて国家のなかの個人という点を強調するようになったことを示している。大正末期から昭和初期にかけては,第1次世界大戦後の世界的なデモクラシーの風潮や社会思想運動を反映して,社会に関することが一時増加している。

次に,修身の国定教科書の中で扱われている主要な徳目について,それが扱われた課の数を掲げてみると,わが国の社会・経済の発展という観点から考えて,勤勉・倹約・勉学・公益・規律・自律自営・勇気等の徳目の多いことが注目される。特にわが国の経済の急速な成長は,明治末年以来15〜20%という高い貯蓄率に依存しているといわれていることから考えて,浪費を戒め,貯蓄を美徳とするモラルの果たした役割は大きいものがある。

表21 修身教科書で扱われた徳目

道徳の徳目は,主として歴史上の人物を通して教えられているが,どのような人物がどのような徳目と関連して扱われているかについて,人物が登場する課の数と徳目とによって示そう。

表22 修身教科書で扱われた人物

この表に掲げた人物以外に,忠義の徳目で楠木正成,勇気の徳目で木口小平・佐久間艇長,忍耐の徳目でコロンブス等が,比較的多く扱われている。

明治天皇は,わが国の発展の基礎を作った天皇であり,二宮金次郎は勤倹と刻苦勉励により成功した人であり,上杉鷹山は経済道徳合一主義で産業を盛んにした人であり,豊臣秀吉は立身出世の典型的なタイプである。

これらの人物の言行は国民のかがみとして尊敬され,勤勉な習性を身につけさせるのに役だっている。なお修身教科書で扱われる人物についてもう一つ注目される点は,道徳のモデルとして掲げられた人物が,特定の階層に限られず,広く国民各層から出ていることである。成功する人物が,その能力と努力とによって国民の各層から出現することを示すことによって,生徒に希望と勇気とを与えている。

国語

明治の初めから中期にかけて,国語の教科は「読書」と称しており,これは国語教育を行なうとともに,道徳・歴史・地理・理科等の内容をも教授する役目をもっていた。この傾向はその後も続いており,国定教科書についてみると,豊臣秀吉・楠木正成など,修身教科書にのっている人物が多く扱われている。

明治33年(1900)にこそれ以前作文といわれていたものが綴方に変わった。これは教科書の模範文を手本として文章を作るやり方をとっていたものを,生徒の日常見聞することを中心に,自由に発表する方法へと改めたものであり,この頃から言文一致の方向へ進んだといわれている。また,尋常小学校で使用する漢字数を約1,200字に制限する規定を設けているが,これは明治41年(1908)まで行なわれた。

また,国語の国定教科書のページ数をみると,次表のように本文・さし絵とも年々増加しており,時代とともに充実してきたことを物語っている。


歴史・地理

歴史においては明治の初期から中期にかけては史実を平板に述べたものであり,範囲も広く万国史を扱っていたが,漸次国史が重視され,万国史が廃されるとともに,天皇の治績が多く扱われ,国体・国家を力説するようになった 。

地理においては,明治10年代の教科書では郷土から出発する見方をとったため,日本全土にまで視野が届かなかった。国定教科書になってからは,まず日本全国を扱うようになり,大正にはいってからは外国も教えるようになった。郷土の地理から,日本全土の地理,そして世界の地理へと視野を広げて行くことがわかる。ことに大正から昭和の中ごろまでの国定教科書では,昭和後期のそれよりも,外国地理を詳細に扱っており,第1次世界大戦後の国際協調の思想が反映している。

歴史・地理の教育が年々充実されたことは,国定教科書のページ数の増大傾向によっても知ることができる。


理科・数学

理科においては,明治初期は翻釈教科書を使い,わが国の自然と関係のない内容が多かった。

明治20年ごろから,自然現象・自然相互,自然と人間の関係を総合的に扱うようになった。その教育も知識中心から時代とともに実験・観察が行なわれるようになった。特に第1次世界大戦後,理科の重要性が認識され,理科教育が振興され,実験主義による教授が徹底した。教科書の分量も,明治43年の50ページから大正7年84ページに増加し,教授内容が豊富になっていることを示している。

明治の初期から中期にかけての数学の内容は,教師を標準として構成され,生徒の発達段階への考慮がふじゅうぶんであった。内容も理論算術に重きがおかれ,生徒にはやや負担が大きかつた。明治後期から,いわゆる商業型数学が行なわれるようになり,大正になるとメートル法が取り入れられるとともに,図やグラフが多くなり,昭和になると具体的な生活問題が用いられるようになった。


C 戦後の傾向

戦後は,まずアメリカ占領軍によって日本社会民主化が意図された。特に教育は,日本の民主化推進の上で重要な役割を果たすものと考えられ,教育制度上の改革とともに教育内容においても根本的な改訂が加えられた。まず,戦争中の軍国主義,極端な国家主義,神道主義的な教育内容が排除された。教育課程では,修身・歴史・地理が廃止されて新たに社会科が設けられた。教授法においては,従前は教科書の内容を注入的に教授する方式がとられていたが,戦後は教科書を教材として利用しながら,児童の興味・関心・生活経験を尊重し,地域の特殊性を考慮して指導する方式をとるようになった。このような改革によって,民主主義社会で必要な教養と人格を身につけた人間の育成を目ざした。この点を終戦直後の国語教科書(昭和22年国定教科書)の中に現われる道徳的内容についてみると,戦前に比べて個人・社会・国際社会に関することが増加し,国家に関することがいちじるしく減少し,社会の中における個人の人格の完成を重視していることがわかる。道徳的内容においても,幸福や理想を目ざして共同社会の一員として働く自覚をもたせ,普遍的な国際,性をもった人格を形成しようとしている。

わが国が自立する段階になって,新しい角度から教育内容に対して検討が加えられ,昭和26年と33年に小・中学校の教育課程の改訂が行なわれた。33年の改訂の主眼点は,第1に,学力の向上を図るために,まず,国語,算数の基礎学力の充実を行なったことである。第2に科学技術教育の向上を図るために,算数・理科の内容を充実させ,技術家庭科を新設したことである。第3にわが国の国家や社会の生活の健全な発展のために基本的なことがらを,生徒が自覚し実践するようになることを目ざし,道徳教育を重視して特別に道徳教育の時間を設けたことである。


d 外国の教育内容

初等教育の国語教科書を中心に各国の教育内容を概観してみる。一般に,西欧、アメリカ合衆国、ソ連等の先進国の教科書の内容は,比較的程度が高く,東南アジア、南米等の低開発国のそれは,程度が低いといわれている。わが国の教科書の内容は,程度の高いほうに属している。

算数,理科では,西欧のそれはドリルを重視し,知識注入の傾向がみられる。ソ連も鍛練主義の内容であるが,なお実生活との結びつきを考慮している点が異なつている。わが国やアメリカ合衆国のものは,生徒の関心や生活経験を重視してきたが,最近においては,新しい角度からとうやの面をとらえ,両者の長所を生かそうとする傾向がみられる。

社会・国語の内容では,西欧のそれは文化史的・文化主義的な傾向があり,アメリカ合衆国のそれは,日常の社会生活を題材にしたものが多い。

ソ連等共産圏のそれは唯物史観に基づくとともに政治的色彩が強く,文化的な面や個人生活の面は軽いという傾向がみられる。アジア、中近東、南米等の新興国のそれは,国民の啓発と国家意識の高揚が意図されている。

教科書の内容や教科書に登場する人物を通じて,各国の学校教育における人間像にふれてみる。

アメリカ合衆国についてみると,第1に,建国以来のフロンティアスピリットをあげることができる。教科書には,コロンブスやダニエルプーン(代表的開拓者)が多く扱われ,自主独立と勇気をもつた強い人間が描かれている。第2は資本主義精神である。教科書には,働いて金をもうけるための努力や,職業を天分とする勤勉を扱ったり,生存競争に耐え抜く精神を教えるためのスポーツ選手の奮闘を掲げている。第3は科学技術の重視である。エジソンなどの科学者がしばしば登揚し,科学技術を重視する精神を高揚している。この傾向は,人工衛星をめぐる米ソの競争から,ますます強くなるものと思われる。

ソ連では共産主義的,生産技術的な人間の育成を目ざしている。共産主義的な面は,共産主義の理論や社会階級・民族団結等を教科書に盛り込んだり,レーニンを多く扱うことによって教えられている。生産技術的な面は,科学の基礎知識を重視するとともに学校と工場・農場とを連係して実際の生産技術を習得させ,また,多くの科学者・技術者を教材として扱うことによって教えている。

西欧諸国の教科書では,ワット・ガリレイ・カクストン等の科学者,シェクスピア・ダンテ・ダビンチ等の芸術家,マルコポーロ・リビングストン・クック等の探検家や,キリスト・マリアが扱われており,高い知性と幅広い教養を身につけさせ,同時にキリスト教倫理に基づく人格を完成することが意図されている。

アジアや南米等の諸国は,近年先進国の支配から独立した国が多いためか,建国の指導者や英雄を多く取り上げ,民族独立思想と愛国心の注入が図られている。その中にあって,タイの教科書で,わが国の明治時代のように,孝行・勤勉・節倹の倫理と国内産業育成の必要を強調していること,および,インドの教科書で,人間平等の思想と勤労の重要性を説いていることが注目される。

以上教科内容は,社会の発展に応じ,あるいは社会の発展を推進しながら変容してきている。教科内容が社会の進展の速度に遅れるならば,教育投資の効果はじゅうぶんあがらないことはいうまでもない。その意味では,教科内容は社会・経済の発展にとつて重要な役割を果しているわけである。教科内容の検討は,社会の要請に即応し,さらには社会の進展に先がけるという点に考慮を払いながら,行なわれなければならない。


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