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第3章
教育の目標・内容と社会・済の発展
2 わが国の教育目標・内容の史的展開
(1) 教育目標


明治の開国とともにわが国は激しい外圧をしりぞけて,まず独立国家としての生存を遂げる必要から,近代国家としての内容の充実に全力を注がなければならなかつた。そのために近代的な社会的,経済的な諸制度や新しい生産方式を,政府の指導のもとに意欲的に取り入れた。教育についてもその制度や内容において,外国のそれを採用し,教育が日本の発展の一翼をになうことになった。

当時の教育目標は,教育によって列強に比肩しうるわが国の国力を培養することを目ざしていた。このため,国民一般に対しては普通教育を施して,国民全体の資質の向上を図るとともに,国家社会の指導者の養成に対しては,当時から高度の教育を与える体制をもって出発したのである。

しかし,外国から直輸入の教育内容は,実用的,功利的ではあったが,当時のわが国の実情にそわず,教育の目標はじゅうぶんには達成されないうらみがあった。

明治10年代の後半ごろになると,維新後の混乱もしだいにおさまり,社会的,経済的な発展もみられ,試行錯誤を続けた教育もしだいに制度的に整備され,教育は徐々に国民の間に普及してきた。明治19年(1886)には,国民全般に対する教育の徹底を期し,義務教育制度が施行され・修身・国語・算数等を中心とする近代学校の教科構成の基本型が完成された。それと同時に国家の発展のためには,国民思想の統一と合理的な経済生活が要請され,儒教倫理を基礎とする道徳教育が強化され,忠孝と勤倹のモラルが強調された。

明治初年以来のこのような努力の成果は,明治20年代の後半からしだいに現われ,国民所得が飛躍的に増加するとともに,日清・日露の戦争に耐えうるだけの国力を備えることができた。それにともなって,軽工業から重工業部門への発展がはじまり,教育に対する新たな期待も増大した。そこで国民全般の教育水準向上のために義務教育年限を6年に延長し,技能者・技術者の養成のための実業学校・専門学校を整備して,国家社会の発展に必要な人材の養成に努めた。

大正時代の中ごろからは,第1次世界大戦の影響をうけて経済的には好景気を維持し,思想的にはデモクラシーと自由の風潮が流入されたが,大正の末から昭和初期にかけては,経済界は恐慌と慢性的不況にたえず悩まされた。このような時代にあっては,教育の面でも前時代に比べて特に発展的な変化はみられない。

ついで昭和6年(1931)の満州事変から戦時態勢にはいり,国家至上主義のもとに教育は戦時下の国民の養成に努めることになった。

戦後は,日本の民主化を教育が推進する役割を演じ,民主的平和的な国家社会の形成者としての人間の形成がその目標とされた。最近に至り,技術革新を軸とする経済成長や社会発展に対応する人材や,新しい国際社会に対処しうる人材の開発と養成が求められ,教育は積極的にその要求に答えようとしている。このような歴史的発展とすう勢について,以下教育内容の発展を示すいくつかの要素に即して,教育の質的発展のあとをたどってみたい。


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