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第5章
主要国の教育改革とわが国の教育
1 主要国における教育改革の方向


第二次世界大戦後わが国はいち早く教育改革を行なったが,ソ連・中華人民共和国等の社会主義国家もまた改革に着手し,一方,イギリス・西ドイツ・フランスなどの古いヨーロッパ的伝統を受け継ぐ国々にもその動きが見えていた。

イギリスは1944年「パトラー教育法」を制定し,ソ連は1956年義務教育・中等教育にわたる教育改革を決定し,一部実施にうつしたが,じゅうぶんに所期の効果をあげえないと考え,再改革を断行し,1959年9月からいわゆるフルシチョフ教育改革が実施にうつされた。

フランスは1947年の「ランジーヴアン改革案」以降,中等教育段階の改革を中心とする計画が重ねられてきたが,ドゴール政権の出現によって実を結ぶことになり,1959年1月に改革案の決定をみた。西ドイツも多年連邦の統一的な学校制度を懸案としてきたが,1953年その機運が熟して,「ドイツ教育制度委員会」が組織され,1959年4月には初等・中等教育段階についての「改革案」が公表された。自主分権の伝統を重んじていたアメリ力合衆国も,1958年「アメリカ合衆国防衛教育法」を制定して,科学技術者の養成のため連邦が教育行政に関与するように改めた。

これら各国の教育改革の内容は,その実際の国情や制度を反映して,必ずしも同じものではないが,その要点をあげれば次のようである。


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