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第1部   21世紀の教育改革
第8章  諸外国における教育改革
第1節  教育改革の世界的潮流
1  教育改革をめぐる各国の動き



(1) 1980年代に始まる教育改革

 欧米諸国や我が国を含むアジアの国々において,子どもたちの未来や国の行く末を左右する重要課題と認識されている教育改革,それは期せずして,1980年代の半ばから一斉に始まりました。

 アメリカ合衆国(以下「アメリカ」)では1983年に教育の危機的状況を訴えた連邦報告書「危機に立つ国家」が発表され,これをきっかけに全国的な教育改革運動が起こりました。連合王国(以下「イギリス」)ではサッチャー首相の保守党政府による改革が1988年の「教育改革法」にまとめられ,フランスでもミッテラン大統領の下で「新教育基本法」(ジョスパン法)が制定され,その後の教育改革を方向付けました。ドイツでは少し遅れて1990年代から高等教育を中心に改革が行われています。

 アジアの国々については,まず,我が国において1984年に臨時教育審議会が設置され,明治以来の第三の改革が論議されるようになりました。中国では1985年に共産党が「教育体制改革に関する決定」を発表し,現代化を目指す「改革・開放」政策の柱としました。また韓国でも1985年に大統領の諮問機関「教育改革審議会」が設置され,幅広い改革案を取りまとめました。

 これらの教育改革の動きは,その後も様々な展開をたどりながら,現在へとつながっており,アメリカ大統領選挙やイギリスの総選挙などでは選挙の主要な争点となるほど,大きな政策課題となっています。イギリスのブレア首相は,1997年の総選挙において「政策の最重要課題は教育,教育,教育」と訴え,2001年1月に新大統領に就任したブッシュ・アメリカ大統領は,就任直後,他の政策に先駆けて教育改革の新方針を発表しています。


(2) サミットにおける初の教育討議

 1999年6月にドイツのケルンで開催された主要国首脳会議(ケルン・サミット)で教育が主要テーマとして初めて取り上げられ,また翌年4月には同会議において教育問題に係るフォローアップの実施が提言されたことを踏まえて東京でG8教育大臣会合が開催されたのも,各国においてこうした教育改革への積極的な取組があったからにほかなりません。と同時にそれらの改革課題が各国共通のものとなっていることを示しています。

 サミットで採択された「ケルン憲章」は,知識社会の到来を認め,人々が必要な知識や資格を身に付けることができる「生涯学習社会」の重要性を指摘しました。また,東京で開催された教育大臣会合は,この理念の下に,遠隔教育や情報通信技術の活用を強調するとともに,変容する社会における教育課題として,学力向上や社会性の涵養などを指摘しました。

アメリカ連邦教育省長官諮問委員会『危機に立つ国家』


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