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第1部   21世紀の教育改革
  序章 戦後の教育改革を振り返って
第3節  安定成長下の教育改革
1  教育の質的改善向上


 昭和48年10月の第1次石油危機を,日本の企業は「減量経営」で乗り越え,以後日本経済は「安定成長」と言われる時代に入りました。しかし,その後も国の財政は好転せず,昭和53年度以後はゼロシーリング(予算の概算要求枠を前年度比ゼロとすること)を経験することとなりました。

 このような新しい経済・財政条件下にあって,「四六答申」の具体的施策として,特に教育の質的改善が図られました。

 例えば,昭和49年の人材確保法によって教員給与の画期的改善と優れた教員確保の条件が整えられました。また,現職教員の研修・研鑽の機会を確保するための大学院と初等教育教員の養成を行うための学部を有し,学校教育に関する実践的な教育研究を推進することを目的とした新構想の教育大学(兵庫教育大学,上越教育大学,鳴門教育大学)が設置されました。

 昭和50年には,私立学校振興助成法により私立学校に対する経常費助成を行い,同時に安易な学生の増加を抑制しました。また高等教育懇談会報告書が高等教育の計画的整備を提言するなど,高等教育の量から質への転換を図りました。

 一方,昭和51年に,専修学校専門課程(専門学校)が新たな高等教育機関として位置付けられました。

 昭和56年には,広く社会人などに大学教育の機会を提供するとともに,放送を利用することにより既存の大学の教育内容・方法の改善に資することを期待して検討が行われてきた放送大学が,10年以上の準備を経て,特殊法人として発足しました。

 しかし,高度成長期における大学等への進学率の急速な上昇は,進学需要の高い伸びを背景に,「過度の受験競争」に多くの子どもや親がかかわるという事態を出現させ,大学入試の改善や受験競争の緩和が課題となりました。

 このため,新しい大学入学者選抜方法として,国公立大学共通第一次試験が昭和54年1月に初めて実施され,以後,大学が個別に行う第二次試験との組合せによる選抜方法の多様化が進みました。さらに,学部に基礎を置かない新しい形態の大学院設置など,大学制度の多様化が行われました。


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