第4章 AIの多様な研究分野での活用が切り拓く新たな科学

 AI技術の進展とともに、高性能な計算資源の開発・普及や研究データの公開・共有を背景に、高度なAI技術を、バイオテクノロジー分野や材料科学分野など様々な分野の科学研究で活用する取組が、「AI for Science」や「AI in Science」等と称されながら、展開されてきており、科学的な課題の解明の加速や研究の生産性の向上等への期待が急速に高まっています。

 先駆けとなった事例の一つが、2018年のGoogle DeepMind社の機械学習モデル「AlphaFold」によるタンパク質の立体構造の高精度な予測です(第1節参照)。

 また、情報科学分野以外の分野での、AIや機械学習の用語に言及した論文数も増加しています(第1-4-1図)

 このような中、OECDは、2023年6月、「科学におけるAI:課題、機会、研究の未来」と題した報告書を発表(※1)しています。EUも、2023年6月、科学におけるAIの活用戦略について主任科学顧問グループに諮問(※2)するとともに、2023年12月には調査分析報告書も発表し(※3)、戦略的な取組の必要性を指摘しています。また、米国科学工学医学アカデミーは、2023年10月、国内外の産学官のリーダーを集めて「科学的発見のためのAI」に関する国際ワークショップを開催し(※4)、今後の対応方策について議論を行いました。

 我が国においても、文部科学省「情報統合型物質・材料開発イニシアティブ(平成27年度(2015年度)~令和元年度(2019年度))」にて物質・材料研究機構が機械学習を用いた新物質の設計に成功(※5)するなど、研究開発におけるAIの活用が始まっていますが、昨今のAI技術の更なる進展を受け、令和6年(2024年)4月から理化学研究所において科学研究向けAI基盤モデルの開発・共用(TRIP-AGIS)(※6)が開始される(第2節参照)など、「AI for Science」の取組が加速されようとしています。

 このように、科学研究における高度なAIの活用に関心が高まり、科学研究のパラダイムシフトを目指した研究が国内外で加速される中、Nature誌が行ったアンケート調査(※7)では、多くの研究者がAIを研究のツールとして活用することの重要性が今後も大きくなるだろうと期待を示すと同時に、AIツールの誤用や悪用等についての懸念も示しています。AIが持つ特性や制約などに伴う信頼性や安全性に関する課題は、科学研究でのAIの活用においても共通の課題となっており、責任ある利用が求められています。

 本章では、こうした状況を踏まえ、高度なAIの研究開発における活用について、国内外の具体的な取組を紹介しながら、その影響や課題を説明します。

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第1節 多様な科学分野における高度なAIの活用(AI for Science)

 科学研究におけるAIの活用の仕方も、その分野や目的に応じて多様化・高度化してきているとともに、用いる基盤モデル等も更に進展してきています。一般に科学研究とは、仮説を立て、その仮説を実験や観測等を通じて検証することで進められますが、この一連のプロセスの中で、高度なAIを、研究・観測データの分析、仮説の生成・推論、予測、研究の自律化等に活用することが期待されており、様々な研究が進められてきています(※8)。

 本節では、国内外の主な取組事例を紹介します。

コラム1-4 ノーベル・チューリング・チャレンジ(Nobel Turing Challenge)(※9、※10)

 平成28年(2016年)に、株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所の北野所長により提唱された「2050年までに、ノーベル賞級かそれ以上の科学的発見を高度に自律的に行うAIを開発する」ことを目標に掲げたチャレンジです。これは、チャレンジとクエスチョンで構成され、ノーベル賞級の科学的発見を行うAIの開発がチャレンジで、そのAIが人間と見分けがつかないように振る舞うのか(チューリングテストをパスするのか?)、それとも全く違う知性となるのかがクエスチョンです。科学的発見のプロセスの自律化に向けた様々な技術等について、これまで数回にわたり、英国、日本、米国、スウェーデンなどで国際ワークショップを開催するなどしながら、議論や挑戦が続けられています。また同目標は、国際的な目標にもなりつつあり、英国のアラン・チューリング研究所では、提唱者の北野所長も招へいして、「The Turing AI Scientist Grand Challengeプロジェクト」を2021年1月に開始しています。また、シンガポール政府も本格的な取組を始め2024年7月には国際会議を主催すると同時に、研究プロジェクトを立ち上げる予定です。

1-1.AIを活用した科学データの改良や情報の抽出

膨大な科学データの分析に高度なAIを活用することで、従来の伝統的な研究方法では見逃されがちな情報や関連性を明らかにし、新しい発見や革新的な洞察をもたらす可能性が期待されています。

●宇宙観測データのノイズ除去

 情報・システム研究機構統計数理研究所と自然科学研究機構国立天文台の研究チームは、令和3年(2021年)、深層学習技術(敵対的生成ネットワーク)を活用して、実際の銀河データから暗黒物質地図を作成する際に生じるノイズを除去することで、これまでノイズに埋もれていた暗黒物質の地図を描くことに成功しました(※11)。AIの活用により、これまで観測だけでは難しかった暗黒物質の低密度領域を調査できるようになることで、暗黒物質の候補と考えられている素粒子の質量や、暗黒物質同士の間に働く力に関する情報を得られる可能性があり、宇宙の謎の解明が加速されることが期待されています。

●超音波画像診断支援

 理化学研究所AIPセンターのがん探索医療研究チームは、令和4年(2022年)、超音波検査にAI技術を適用する際のAIの判定根拠を可視化し、検査者の診断を支援する新技術を開発しました(※12)。産婦人科をはじめ幅広い医学領域において、更に多くのAIを活用した超音波画像診断支援技術が導入されると予想される中、本技術により、臨床現場で医療従事者及び患者がAI搭載医療機器をより信頼して利用できるようになることが期待されています。

1-2.AIを活用したシミュレーションの高度化・高速化

 深層学習技術等を用いて、膨大な科学データから立体構造や候補物質等を予測するモデルを作成し、特定プロセスを効率化、迅速化する取組も加速しています。

●タンパク質の立体構造の予測

 既に発見されたタンパク質は2億種類以上あると言われていますが、その働きを理解して、病気に対処したり新薬を開発したりするためには、立体構造を知ることが重要です。X線結晶構造解析、低温電子顕微鏡、核磁気共鳴などの実験的手法により行われてきていますが、時間とコストが課題となっています。そのような中、Google DeepMind社が開発した、タンパク質の立体構造の予測を行う機械学習モデルのAlphaFoldが、2018年に開催されたタンパク質構造予測の国際コンペティションCASP(※13)13で1位を獲得し、2020年のCASP14では、改良されたAlphaFold2で、更に飛躍的に高い精度を示しました。その後、2021年7月にソースコードが公開され、2022年7月には既知のタンパク質の配列約2億種類に対する構造予測が行われたことがGoogle DeepMind社から発表されました(※14)。変異や他のタンパク質との相互作用による形状変化には対応していないことなどが同モデルの課題として指摘されてはいますが、構造予測分野の研究の進め方に大きな変革がもたらされました。

●タンパク質の構造変化の予測

 タンパク質の広範囲な構造変化を予測するためには、最初に構造の割合を推定し、次に構造の時間変化を正確に推定する必要があります。令和5年(2023年)、富士通株式会社と理化学研究所は、独自の生成AI技術「DeepTwin」と、スーパーコンピュータ「富岳(ふがく)」で処理した大規模な画像データを活用することで、「タンパク質の立体構造の多様な形態と割合を正確に推定する生成AI技術」と「タンパク質の立体構造の低次元特徴量を基に構造変化を予測する技術」という新たな技術を開発し、これにより標的タンパク質の構造変化の予測を従来の1日から2時間に短縮することを可能としました(※15)(第1-4-2図)

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●原子レベルのシミュレーションの高速化

 広範な分野における新材料開発では、多様な元素に対応するのみならず、材料特性を左右する物質の原子構造、密度や結合状態といった性質をより正確に予測できることが重要ですが、これまで、材料の電子状態を調べるためには、時間のかかるシミュレーション計算が必要でした。株式会社Preferred Networksは、ENEOS株式会社との共同研究により、材料探索のための汎用的な原子シミュレーションを実現する深層学習技術を組み込んだ汎用原子レベルシミュレータ「Matlantis」を開発し、令和4年(2022年)よりサービスの提供を開始しています(※16)。従来の物理シミュレータに深層学習技術を組み込むことで、計算スピードを従来の数万倍に高速化するとともに、領域を限定しない様々な物質への適用を可能にしました。

●望ましい特性を持つ材料や反応の発見

 材料分野においては、高性能の電池材料や超伝導材料の探索など特定の性質を持つ新しい材料の効率的な発見や、材料の物理的・化学的性質や反応特性の予測へのAIの活用に関する研究開発が進められています。

 例えば、物質・材料研究機構では、令和5年(2023年)9月、AIとの協働で耐熱合金の強度を向上させることに成功したことを発表しました(※17)。ニッケル・アルミニウム合金の熱処理の条件パターンの数は、約35億通りと非常に膨大になりますが、膨大な組合せから最適パターンを効率的に探索するAIアルゴリズムを用いて、従来法より優れた110通りのパターンが発見されました。この結果を研究者が更に分析し、AIが発見したパターンよりも更に合金の高温強度を向上できる熱処理法を設計しました。AIのみの探索結果よりも性能が向上しており、AIと研究者の協働モデルとも言えます。

●気象予測

 近年、世界各地で異常気象が頻発化・激甚化している中、より迅速で正確な予測がますます重要となっています。2023年(令和5年)11月、Google DeepMind社は、10日間の天気予報を、前例のない精度で1分以内に提供することが可能なAIモデル「GraphCast」を発表しました(※18)。従来の天気予報では、物理方程式やアルゴリズムに基づく数値予報モデルが用いられていますが、その設計には時間がかかるとともに、正確な予測には高度な専門知識と大規模な計算資源が必要となります。このGraphCastでは、深層学習技術を用いて、物理方程式の代わりに、数十年にわたる過去の気象データを用いて、現在から未来の地球の天気の変化を支配する因果関係のモデルを学習させています。既に、同モデルのオープンソースも公開されており、サイクロンの進路や洪水リスクなどをより高精度に予測することで、警報や対応策の改善につながることが期待されています。

●フュージョンエネルギーのプラズマ挙動予測

 磁場閉じ込め方式によるフュージョンエネルギーの実現には、長い時間にわたって1億度を超える超高温プラズマを制御することが必要となりますが、その複雑な挙動を予測して制御することが挑戦的な課題となっています。このため、量子科学技術研究開発機構那珂フュージョン科学技術研究所や、自然科学研究機構核融合科学研究所などでは、機械学習を活用し、プラズマ密度・温度挙動の予測(※19)や、放射崩壊に至るプラズマの変化(※20)に関する研究が行われています。また、Google DeepMind社は2022年(令和4年)2月、スイス連邦工科大学との共同研究により、深層強化学習技術を用いて、トカマク型核融合炉内で、超高温で不安定なプラズマ状態を安定的に維持するための、自律的に磁気コイルを制御するアルゴリズムを開発したと発表しています(※21)。フュージョンエネルギーの実現に向けて、高度なAIの更なる寄与が期待されています。

●流体科学シミュレーションの短縮化

 自動車の車体の設計などでは、燃費性能向上の観点から、車体が受ける空気抵抗等を調べるための流体シミュレーション(CFD(※22))が行われていますが、複雑な流体現象の解析には多くの計算時間や大量のデータが必要となります。株式会社アラヤが開発した「NeumaticAI」は、AIとCFDのハイブリッドにより、設計サイクルの総合的な時間の短縮化を実現しています(※23)。活用できるCFD技術は最大限活用し、AIがCFDにおいて担う箇所を最小限にとどめているため、少量の学習データでの高い汎化性と信頼性を備えた解析が期待されています(第1-4-3図)

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1-3.AIを活用したリアルタイムでの予測や制御

 掃除や料理といった家事から移乗支援などの介護まで人間と同じように行うことのできるロボットの開発は、現在のロボティクスでは非常に難しく、AIを活用することで、環境に応じて予測を行いながら、人間と同様に複数のタスクをこなす技術の開発が期待されています。例えば、ムーンショット目標3「2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現」の中で、早稲田大学の菅野重樹教授、尾形哲也教授らの研究チームは、深層学習技術を応用し、リアルタイムで高次元の感覚と運動の変化を予測しながら、予測誤差を最小化する技術(深層予測学習技術)を活用した世界最高水準の人共存型スマートロボット(AIREC)による人間の手作業、主に家事の支援の実現に向けた研究開発を進めています。

1-4.AIを活用した科学的仮説の生成や推論

 AIを活用した大規模なデータからの仮説の生成や探索によって、人間の認知限界やバイアスを超えた科学的発見につながることへの関心も高まっています。

 我が国においては、令和4年(2022年)、京都大学の橋本幸士教授らによる「『学習物理学』の創成-機械学習と物理学の融合新領域による基礎物理学の変革」が、科学研究費助成事業(科研費)の「学術変革領域研究(A)」の一つとして採択され、複数の大学や研究所の研究者の参画を得ながら、新法則の発見、新物質の開拓といった基礎物理学の重要な課題に、機械学習の手法を物理学と融合することで挑戦する研究が進められています(※24)。

1-5.AIを活用した実験・研究室の自律化

 AIの科学での活用は、AIとロボット技術を組み合わせることで、研究実験の一部又は全部を自動化するという新たな進展をもたらしています。ロボットによる高速な化合物スクリーニングや、自動化された実験のセットアップだけでなく、ロボットが過去の研究データや論文からの情報を活用して新しい研究の設計を最適化しながら、センサーや高度な計測装置からのデータをリアルタイムで収集・分析し、仮説の評価・検証を行うなど、自律的な実験・研究の実現に向けた取組も始められています(第1-4-4表)

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 東京工業大学では、無機固体物質において世界で初めてとなる、全自動で自律的に物質探索を行うシステム(自律物質探索ロボットシステム)を令和2年(2020年)に開発しました(※25)。本ロボットシステムの利用により、人間が介在することなく最適な物性値を有する薄膜を従来の10倍程度の実験効率で作製することができます(第1-4-5図)

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 また、理化学研究所と大阪大学の共同研究グループでは、「植物」という規格化されていない対象の特徴をサンプルごとに認識しながら、ロボットアームの動作を自動的に生成し、きめ細かで多様な実験条件に柔軟に対応できる自律性を付与することで、人間が介在しない自律実験を遂行するAIシステムを令和5年(2023年)に開発しました(※26)(第1-4-6図)

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 このような研究開発は、既に産業でも利用され始めています。中外製薬株式会社では、ラボオートメーションやデジタル技術の活用により、創薬実験の効率化に取り組んでいます。抗体創薬では、ロボティクスの活用により、数百から数千の抗体の作り出し、網羅的なデータ収集を通じて、抗体の多面的な最適化を実現しています。さらに、自社開発されたAIを用いた「MALEXA®」は、得られた膨大なデータを学習することによって、研究員が考えるよりも優れた性質を持つ抗体配列のデザインを可能としています(第1-4-7図)。令和5年(2023年)に中外ライフサイエンスパーク横浜を本格稼働させていますが、本研究所では低分子と抗体という二つの異なるモダリティに対応するスクリーニングシステムや、抗体遺伝子クローニング(同じ遺伝子型となる細胞集団を作製すること)の自動化システムなど、多種多様な自動化システムが動いており、新規の創薬モダリティ(創薬技術の方法・手段を包括したカテゴリー)である中分子の実験自動化にも取り組んでいます。

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 このような研究の自動化・自律化により、研究者は実験における単純作業の繰り返しから解放され、創造的な仕事に取り組む時間を増やすことができ、また、大量の研究データを解析することにより、新たな発見や科学の課題解明につながることが期待されています。

 さらに、研究活動の在り方そのもののパラダイムシフトを目指して、文部科学省は令和6年度(2024年度)戦略目標に「自律駆動による研究革新」を掲げ、今後、AI、シミュレーション、ロボット、データ、各研究分野別の知見を融合させ、情報が不足した中でも適切に処理して自律的に研究プロセスを駆動させる方法論や、その活用環境の創出等に関する研究課題を公募・支援していくこととしています。

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コラム1-5 ムーンショット目標3
「人と融和して知の創造・越境をするAIロボット」

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プロジェクトマネージャー 牛久祥孝氏
オムロン サイニックエックス株式会社 リサーチバイスプレジデント

 ムーンショット目標3でAIロボットのプロジェクトを率いていらっしゃる、牛久プロジェクトマネージャーにお話を伺いました。

 イノベーションにおいて、持続的な性能向上には演繹(えんえき)的思考が、パラダイムの破壊には帰納的思考と創発による知の創造や、分野を回遊する知の越境が必要です。本研究では2030年までに、研究者の思考を論文から理解するAIを構築した後、人と対話しながら主張→実験→解析→記述のループを回して研究できるAIロボットを開発してまいります。2050年には研究者とAIが融和し、ノーベル賞級の研究成果を生み出す世界を目指しています。
 我々はもとより、人と機械の融和を実現するAIやロボットの研究を進めております。その中で、研究開発に従事する人々がより創造的な仕事を楽しむことができるように、研究の仮説発見や実験の作業などを理解して補助できるAI/ロボットを研究してまいりました。具体的なロボットの研究としては、材料の粉体を量り取って粉砕しながら混ぜるロボットや、人の言語指示と視覚データからシンボリックプランニングを実行するロボットがあります。AIとしては、観測されたデータから法則を発見する関数同定問題や材料の物性推定、新材料の生成等を行えるものを開発してきました。
 令和5年(2023年)1月から始まったムーンショットプロジェクトとしては、まず文献理解に注力しました。既存の論文の中で、論文ごとの冒頭の貢献の主張と実験結果の関係性を理解し、複数の論文をまとめて要約的に理解するとともに、論文から実験を再現するようなAIの研究開発に取り組みました。今後はAIサイエンティストがより広範な実験を自動実行しながら新規仮説を人間の研究者と共に生み出せるような技術に昇華してまいりたいと考えております。同目標3の原田香奈子プロジェクトマネージャーとも連携し、マテリアルズやバイオなど広範な領域でAIロボット駆動による科学のパラダイムシフトを目指してまいります。

第2節 次世代AIの更なる活用に向けた基盤モデルやアルゴリズムの開発

 前節で見てきたように、高度なAIの科学研究での活用は、研究開発の高速化や新しい発見の促進、研究の質の向上など、様々な面で大きな変化がもたらされてきていますが、進展し続けるAIの更なる活用に向けて、基盤モデルやアルゴリズムの開発も進められています。

 理化学研究所では、特定科学分野(ドメイン)指向の科学研究向けのAI基盤モデルの開発(第1-4-9図)を令和6年(2024年)4月から本格化しています。同月には、文部科学省と米国エネルギー省との間で事業取決めを改訂し、AI for Scienceでの協力枠組みを新たに設けるとともに、理化学研究所と米国アルゴンヌ国立研究所が覚書を締結し、日米が連携してAI for Scienceに取り組んでいくこととしています。

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 また、文部科学省が設定した戦略目標「『バイオDX』による科学的発見の追究」の下、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業では、令和3年度(2021年度)から研究領域「データ駆動・AI駆動を中心としたデジタルトランスフォーメーションによる生命科学研究の革新」で公募を行い、これまで計17件の研究課題を採択・支援してきています(※28)。

●量子AI

 AIで可能となってきていることを、量子コンピュータで取り組むといった量子AIや量子機械学習と呼ばれる分野の研究が加速してきています。平成30年(2018年)、大阪大学の御手洗光祐准教授が藤井啓祐教授らと共に量子コンピュータと古典コンピュータを併用するアルゴリズムの中で機械学習を活用する「量子回路学習」というアルゴリズムを発表し、注目を集めています(※29)。

●生物学的情報を処理する大規模言語モデル

 大規模言語モデルは、自然言語だけでなく、アミノ酸配列などの情報を大量に学習させることにより、生命科学分野などでも活用され始めています。例えば、タンパク質を構成する各アミノ酸を「単語」、タンパク質の一次配列を「文章」とみなして、「文章」の特徴表現と文章の生成確率関数を学習する深層学習モデルである「タンパク質言語モデル(Protein Language Models)」の研究が加速しています(※30)。

 例えば、Meta社が2022年に開発した、ESM2は、トランスフォーマーベースで、150億パラメータを持つ巨大なモデルであり(※31)、これまでGoogle DeepMind社のAlphaFold2(第4章第1節参照)等で必要であった、似た配列の情報(MSA(※32))の入力が不要なことから、タンパク質立体構造予測ツールとしての活用が急速に進められています(※33)。

 また、九州大学生体防御医学研究所高深度オミクスサイエンスセンターでは、株式会社BlueMemeとの共同研究により、量子AIを活用して、バイオメディカル領域の膨大な生物学的データを学習させたバイオメディカル領域の言語モデルの開発を令和5年(2023年)4月から開始しました(※34)。このような大規模言語モデルは、疾患原因探索や薬剤設計において活用できるツールの一つとなることが期待されています。

第3節 AI for Scienceの課題と挑戦

 第1節で見てきたように、科学研究での高度なAIの更なる活用により、新しい仮説や視点がもたらされ、人間が考慮・実験しきれない範囲や条件の下での研究探索が可能になることで、新しい発見やブレークスルーが期待されるなど、研究の高速化・効率化だけでなく、科学そのものの変革につながる可能性も期待されていますが、同時に、科学、そして研究者の在り方についても問われるようになってきています。高度なAIにより、実験やシミュレーションの効率化・高速化、研究活動の自動化・自律化が可能となる中、研究者はAIをツールとして活用しながら、課題の設定や研究のデザイン等により専念していくことが重要となるでしょう。

 また、AIが持つ特性や制約などに伴う信頼性や安全性に関する課題は、科学研究でのAIの活用においても共通の課題であり、さらに、研究データの共有や研究の再現性に関する課題、論文や特許等に関する課題も指摘されています。今後の更なる技術の進展とともに、新たなリスクが顕在化し、更なる対応が必要となることも考えられます。対策技術の開発とともに、国際的な枠組みの整備等についても議論や検討が進められる中、技術の進展やリスクをモニタリングしながら、迅速かつ柔軟に調整可能なガバナンスや対応が求められています。

 本節では、科学研究での高度なAIの活用に伴う課題、それらの解決に向けた取組などを説明します。

(1)研究データの共有とオープンサイエンス

 科学研究でのAIの活用には、研究プロセス全般で生まれる研究データの公開・共有が重要になります。政府では、「公的資金による研究データの管理・利活用に関する基本的な考え方(※35)」に基づき、取組の具体化や周知を行うとともに、全国的な研究データ基盤(NII Research Data Cloud)の構築・高度化・実装、研究データ基盤の構築・活用に資する環境の整備を行う研究DXの中核機関群の支援、大学における研究データマネジメントに係る体制・ルール整備の支援などを実施しています。

 また、情報・システム研究機構国立情報学研究所は、オープンサイエンスの実現に向け、大学の研究データを適切に管理しつつ利活用を加速するため、秘密計算を用いた安全なデータ分析基盤に関する研究を進めており、また令和5年(2023年)1月には、NTTと共同で、データを暗号化したまま一度も元に戻さずに、世界初のAI4大カテゴリの主要なアルゴリズムによる学習・推論が可能な秘密計算AIソフトウェアを利用できるトライアルの提供を、大学に対し開始しました(※36)。

(2)研究の再現性に関する課題

 研究でのAIの活用により、実験の条件や手順、結果の解析方法を一貫して自動化することで、再現性の問題を緩和する可能性が期待されています。一方で、研究の再現性を保つためには、AIのモデルや学習済みデータの透明性を確保することも重要です(※37)。これに関連して、大学や研究機関等において、生成AIを研究で活用する際のガイドライン等が整備されてきています。また、AIの研究においては、モデルのアーキテクチャや学習済みのモデルを公開することが、再現性の確保や他の研究者との共有を促進するために推奨されることが増えてきました。

(3)研究論文の投稿ルール等への影響

 AIが研究に与える影響は大きく、論文執筆や論文の投稿ルール等にも変化をもたらしています。例えば、AIモデルは、論文の草案やセクションを自動的に生成することは可能です。また、文献の引用の欠落や統計的な誤りを指摘するなど、論文の品質チェックやプルーフリーディングを支援することができます。AIモデルにより文書を執筆することはできますが、Springer Nature社やElsevier社等の科学ジャーナル出版社はAIモデルが著者になることを認めていません(※38)。その背景にある主な懸念は、著者に求められる責任の問題です。AIモデルは必ずしも内容に対して責任を負うものではありません。AIモデルの使用を認めている場合、論文内にAIの使用について適切に記載するよう求めています。また、AIモデルによって作成された画像は、論文に使用すべきではないとも述べています。他方で、適切な開示が行われていれば、著者がAIモデルを使用して論文の言語と簡潔さを改善することを認めています。これにより、英語を母国語としない我が国の研究者にとっては、研究論文の特定の情報を検索する際に非常に役立ち、論文執筆に費やす時間を大幅に短縮することができます。

 もう一つの懸念は、プロンプト(ユーザーが入力する指示や質問)で提供される情報の機密性に関するものです。ほとんどのAIモデルが、プロンプトに含まれる情報を保存し、これらをAIモデルのトレーニング材料として使用するためです。Elsevier社では、編集者に、投稿された論文の原稿は機密文書として扱い、生成AIツールにアップロードしないように指示しています(※39)。また、NSFも、研究費申請課題の情報をAIモデルにアップロードしないよう評価者及び申請者に向けた通知を2023年12月に出しています(※40)。

(4)AIと著作権等の知的財産権に関する問題と対応

 また、AIが自律的に発明を行った場合、その発明に係る権利や利益の帰属は誰にあるのか、という問題も浮上しています。AIを活用した発明のプロセスはブラックボックス化されていることが多いため、特許出願時にその発明がどのように行われたのかを詳細に説明することが難しい場合があります。

 生成AIと著作権については、AI戦略会議が令和5年(2023年)5月にまとめた「AIに関する暫定的な論点整理」においても論点の一つとして挙げられ、同年7月から、文化審議会著作権分科会法制度小委員会において、クリエイター等の権利者の懸念の払拭や、AIの開発・サービス提供等を行う事業者やAI利用者の著作権侵害リスクの最小化の観点から論点整理が行われました。そして、令和6年(2024年)3月、「AIと著作権に関する考え方について」が取りまとめられ、「開発・学習段階」では、著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない場合は原則として著作権者の許諾なく利用することが可能としている著作権法第30条の4がどの範囲で適用されるのか(どういった場合に同条ただし書の「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」に当たるのか等)、また「生成・利用段階」では、著作権侵害の要件である類似性(※41)及び依拠性(※42)に関して、AI生成物と、生成AIの開発に用いられた既存の著作物との関係で依拠性をどう考えるのか等について、現行の著作権法における考え方の整理・明確化が行われています。今後、社会に分かりやすい形での周知・啓発を行うほか、著作権侵害等に関する判例・裁判例をはじめとした具体的な事例の蓄積、AIやこれに関連する技術の発展、諸外国における検討状況の進展等を踏まえながら引き続き議論を行っていくこととされています。

 また、特許については、米国特許商標庁や欧州特許庁をはじめとし、多くの国・地域の特許庁は、人間以外を発明者として認めない、という立場を取っており、我が国の特許庁からは令和3年(2021年)7月、「発明者の表示は、自然人に限られるものと解しており、願書等に記載する発明者の欄において自然人ではないと認められる記載、例えば人工知能(AI)等を含む機械を発明者として記載することは認めていません(※43)」と発表されています。


  • ※1 OECD “Artificial Intelligence in Science: Challenges, Opportunities and the Future of Research”
    https://www.oecd.org/publications/artificial-intelligence-in-science-a8d820bd-en.htm
  • ※2 European Commission “Scoping Paper : Successful and timely uptake of Artificial Intelligence in science in the EU”
    https://research-and-innovation.ec.europa.eu/system/files/2023-07/Scoping_paper_AI.pdf
  • ※3 European Commission “Harnessing the potential of Artificial Intelligence in science to boost Europe's global competitiveness”
    https://research-and-innovation.ec.europa.eu/news/all-research-and-innovation-news/harnessing-potential-artificial-intelligence-science-boost-europes-global-competitiveness-2023-12-13_en
  • ※4 The National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine “AI for Scientific Discovery - A Workshop”
    https://www.nationalacademies.org/event/40455_10-2023_ai-for-scientific-discovery-a-workshop
  • ※5 物質・材料研究機構 情報統合型物質・材料開発イニシアティブ「機械学習により熱流を制御するナノ構造物質の最適設計に成功」
    https://www.nims.go.jp/MII-I/news/d53p8f000000639k.html
  • ※6 理化学研究所「科学研究基盤モデル開発プログラム」
    https://www.riken.jp/research/labs/trip/agis/
  • ※7 Van Noorden, R., Perkel, J.M., (2023), “AI and science: what 1,600 researchers think”, Nature 621, 672-675.
    https://www.nature.com/articles/d41586-023-02980-0
  • ※8 Wang, H., et al., (2023), “Scientific discovery in the age of artificial intelligence”, Nature 620, 47-60.
    https://www.nature.com/articles/s41586-023-06221-2
    科学技術振興機構研究開発戦略センター(2023)「人工知能研究の新潮流2~基盤モデル・生成AIのインパクト~」
    同(2024)「次世代AIモデルの研究開発」
  • ※9 Kitano, H., (2016), “Artificial Intelligence to Win the Nobel Prize and Beyond: Creating the Engine for Scientific Discovery”, AI Magazine 37, 39-49.
    https://doi.org/10.1609/AImag.v37i1.2642
  • ※10 Kitano, H., (2021), “Nobel Turing Challenge: creating the engine for scientific discovery”, npj Systems Biology and Applications 7, 29.
    https://doi.org/10.1038/s41540-021-00189-3
  • ※11 情報・システム研究機構統計数理研究所「埋もれた暗黒物質の地図を掘り起こす ─観測・シミュレーション・人工知能のタッグで描くクリアな宇宙─」
    https://www.ism.ac.jp/ura/press/ISM2021-06/pr0702.pdf
  • ※12 理化学研究所「説明可能AIを用いた超音波画像診断支援-胎児心臓超音波スクリーニングへの臨床応用に期待-」
    https://www.riken.jp/press/2022/20220322_2/index.html
  • ※13 Critical Assessment of Protein Structure Prediction
  • ※14 Google DeepMind社 “AlphaFold reveals the structure of the protein universe”
    https://deepmind.google/discover/blog/alphafold-reveals-the-structure-of-the-protein-universe/
  • ※15 富士通株式会社「富士通と理化学研究所、独自の生成AIに基づく創薬技術を開発」
    https://pr.fujitsu.com/jp/news/2023/10/10-1.html
  • ※16 株式会社Preferred Computational Chemistry「MatlantisTMのコア技術と仕組み」
    https://matlantis.com/ja/product
  • ※17 物質・材料研究機構「AIと材料研究者のコラボで耐熱材料を強くする ~AIの一見奇抜な『手』から納得の熱処理法を考案~」
    https://www.nims.go.jp/news/press/2023/09/202309250.html
  • ※18 Google DeepMind社 “GraphCast: AI model for faster and more accurate global weather forecasting”
    https://deepmind.google/discover/blog/graphcast-ai-model-for-faster-and-more-accurate-global-weather-forecasting/
  • ※19 量子科学技術研究開発機構「量子科学技術でつくる未来 核融合発電 第15回 AIで高速・高精度化」
    https://www.qst.go.jp/site/fusion/nks-rensai-15.html
  • ※20 自然科学研究機構核融合科学研究所「プラズマの崩壊発生を予知し、崩壊に向かうプラズマの変化を捉える」
    https://www-lhd.nifs.ac.jp/pub/Science/Paper_PFR16-2402010.html
  • ※21 Google DeepMind社 “Accelerating fusion science through learned plasma control”
    https://deepmind.google/discover/blog/accelerating-fusion-science-through-learned-plasma-control
    Degrave, J., et al., (2022), “Magnetic control of tokamak plasmas through deep reinforcement learning”, Nature 602, 414-419.
    https://www.nature.com/articles/s41586-021-04301-9
  • ※22 Computational Fluid Dynamics
  • ※23 株式会社アラヤ「NeumaticAI CFDとAIのハイブリッド技術 高信頼かつ高速な空力特性予測ソリューション」
    https://www.araya.org/service/neumaticai/
  • ※24 MLPhys「学術変革領域研究(A) 学習物理学の創成」(文部科学省科学研究費補助金)
    https://mlphys.scphys.kyoto-u.ac.jp/about/
  • ※25 東京工業大学「自律的に物質探索を進めるロボットシステムを開発 物質・材料研究開発の進め方について革新を起こす」
    https://www.titech.ac.jp/news/2020/048276
    東京大学大学院理学系研究科一杉研(固体化学研究室)
    https://solid-state-chemistry.jp/index
  • ※26 理化学研究所「周りを見て考えて手を動かす自動実験ロボ-実験環境を認識しロボットを動かす生成系AIの開発-」
    https://www.riken.jp/press/2023/20231225_1/index.html
  • ※27 科学技術振興機構研究開発戦略センター(2024)「次世代AIモデルの研究開発」
  • ※28 科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業CREST「[バイオDX]データ駆動・AI駆動を中心としたデジタルトランスフォーメーションによる生命科学研究の革新」
    https://www.jst.go.jp/kisoken/crest/research_area/ongoing/bunya2021-3.html
  • ※29 Research at Osaka University「量子コンピュータの実用化は2030年?アルゴリズムが『夢のデバイス』を加速する」
    https://resou.osaka-u.ac.jp/ja/story/2023/nl89_research02
  • ※30 山口 秀輝、齋藤 裕(2023)「タンパク質の言語モデル」JSBi Bioinformatics Review 4(1)、52-67.
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsbibr/4/1/4_jsbibr.2023.1/_html/-char/ja
  • ※31 Meta社 “ESM Metagenomic Atlas: The first view of the ‘dark matter' of the protein universe”
    https://ai.meta.com/blog/protein-folding-esmfold-metagenomics/
    ESM Atlas社 “about”
    https://esmatlas.com/about
  • ※32 Multiple Sequence Alignment
  • ※33 Lin, Z., et al., (2023), “Evolutionary-scale prediction of atomic-level protein structure with a language model”, Science 379, 1123-1130.
    https://www.science.org/doi/10.1126/science.ade2574
  • ※34 九州大学「BlueMemeと九州大学、量子AIを用いた大規模言語モデル構築のための共同研究を開始」
    https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/notices/view/2483/
  • ※35 統合イノベーション戦略推進会議(令和3年4月)「公的資金による研究データの管理・利活用に関する基本的な考え方」
    https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kokusaiopen/sanko1.pdf
  • ※36 情報・システム研究機構国立情報学研究所「NIIとNTT、秘密計算システムの大学向けトライアルを開始 ~世界初の『AI 4大カテゴリの主要なアルゴリズムによる学習・推論が可能な秘密計算AIソフトウェア』を提供~」
    https://www.nii.ac.jp/news/release/2023/0123.html
  • ※37 Ball, P., (2023), “Is AI leading to a reproducibility crisis in science?”, Nature 624, 22-25.
    https://www.nature.com/articles/d41586-023-03817-6
  • ※38 Springer Nature社 “Nature Portofolio/Editorial Policies/Artificial Intelligence (AI)”
    https://www.nature.com/nature-portfolio/editorial-policies/ai
  • ※39 Elsevier社 “Elsevier Policies/Policies - Publishing ethics”
    https://www.elsevier.com/about/policies-and-standards/publishing-ethics
  • ※40 NSF “Notice to research community: Use of generative artificial intelligence technology in the NSF merit review process”
    https://new.nsf.gov/news/notice-to-the-research-community-on-ai
  • ※41 後発の作品が既存の著作物と同一、又は類似していること。
  • ※42 既存の著作物に依拠して複製等がされたこと。
  • ※43 特許庁「発明者等の表示について」
    https://www.jpo.go.jp/system/process/shutugan/hatsumei.html

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