第4章 イノベーション創出に向けた「知」の社会実装

 本章では、科学技術立国実現に向けた取組のうち、研究で得られた「知」を社会実装し、イノベーションを創出するための取組等を紹介します。我が国が抱える課題として、研究開発の成果が現実の課題の解決や社会実装に結びつかない場合があることが指摘されます。このため、例えば、府省連携による分野横断的な取組を、産学官連携で、基礎研究から実用化・事業化までを見据えて一気通貫で推進する戦略的イノベーション創造プログラム(SIP(※1))などを推進しています。また、複雑化する社会課題に対応するため、人文・社会科学と自然科学を含むあらゆる「知」の融合による「総合知」を活用した取組を推進しています。

第1節 研究で得られた「知」を社会実装し、イノベーションを創出するための取組

1 社会課題解決に向けた研究開発や社会実装の推進

(1)ムーンショット型研究開発制度の推進

 ムーンショット型研究開発制度は、超高齢化社会や地球温暖化問題など重要な社会課題に対し、人々を魅了する野心的な目標(ムーンショット目標)を国が設定し、挑戦的な研究開発を推進する国の大型研究プログラムです。全ての目標は「人々の幸福(Human Well-being)」の実現を目指し、掲げられています。将来の社会課題を解決するために、人々の幸福で豊かな暮らしの基盤となる以下の3つの領域から、具体的な9つの目標が決定されました(総合科学技術・イノベーション会議決定(目標1~6:令和2年1月23日、目標8,9:令和3年9月28日)及び健康・医療戦略推進本部決定(目標7:令和2年7月14日))。第1-4-1図に9つのムーンショット目標の概要を示します。

①社会:急進的イノベーションで少子高齢化時代を切り拓く。

[課題:少子高齢化、労働人口減少 等]

(目標1、2、3、7、9が該当)

②環境:地球環境を回復させながら都市文明を発展させる。

[課題:地球温暖化、海洋プラスチック、資源の枯渇、環境保全と食料生産の両立 等]

(目標4、5、8が該当)

③経済:サイエンスとテクノロジーでフロンティアを開拓する。

[課題:Society 5.0実現のための計算需要増大、人類の活動領域拡大 等]

(目標2、3、6、8、9が該当)

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 各目標を達成するために、その目標を俯瞰(ふかん)して統括するPD(プログラムディレクター)を設置し、その下で各研究開発プロジェクトに国内外トップの研究者が取り組むというポートフォリオ(※2)を構築しています。各研究開発プロジェクトには、ステージゲートを設けて柔軟にポートフォリオの見直しを行うことで、将来における社会実装を見据えた派生的な研究成果のスピンアウトを積極的に奨励しています。また、研究開発の評価視点として、「産業界との連携・橋渡しの状況」が含まれており、社会実装に向けた民間資金の獲得等についても目指しています。

 本項目では、各目標のうち令和3年に決定した、目標8と目標9について事例を紹介します。

 本制度では、社会環境の変化等に応じて目標を追加することとしており、新型コロナウイルス感染症の影響による経済社会の変容を想定し、令和2年7月に新たなムーンショット目標の検討を決定しました。

 新たなアイデアを持ち、そのアイデアを具体化するための調査研究を行うための若手研究者を中心とするチームを公募した結果、129件の応募の中から21の検討チームが採択をされ、4名のビジョナリーリーダーの指導・助言の下でこの21のチームにより約半年をかけて将来の社会経済の課題やあるべき姿(ビジョン)が取りまとめられました。この報告書を各報告書の外部専門家の協力の下、ビジョナリーリーダーが最終評価し、以下の2件の目標(目標8、目標9)が選定され、令和3年9月28日に開催された総合科学技術・イノベーション(CSTI)本会議において新たなムーンショット目標として正式に決定されました。

〇ムーンショット目標8:「2050年までに、激甚化しつつある台風や豪雨を制御し極端風水害の脅威から解放された安全安心な社会を実現」

 地球温暖化の進行等により、台風や豪雨などによる極端な風水害が激甚化し、全世界での気象災害等は過去50年間で5倍に増加しており、1970-2019年の死者は200万人超と推定されています。小規模な人工降雨などはこれまでにもありましたが、台風や豪雨などの災害につながるような大きなエネルギーを持つ気象の制御についての研究開発は進んでいませんでした。本目標では、2050年までに激甚化しつつある台風や豪雨の強度・タイミング・発生範囲などを変化させる制御によって、極端風水害による被害を大幅に軽減し、我が国及び国際社会に幅広く便益を得ることを目指しています。

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〇ムーンショット目標9:「2050年までに、こころの安らぎや活力を増大することで、精神的に豊かで躍動的な社会を実現」

 我が国の自殺者数はコロナ禍となった令和2年に増加に転じました。自殺・うつによる社会損失は年間2兆7,000億円という推計もあり、新型コロナウイルス感染症は自殺やうつ病など精神的要素に起因する社会問題を更に深刻化させています。本目標では、こころと深く結びつく要素(文化・伝統・芸術等を含む。)の抽出や測定、こころの変化の機序解明等を通して、こころの安らぎや活力を増大する要素技術を創出し、こころ豊かな状態を叶(かな)える技術を確立します。そして、人文・社会科学と技術の連携等により、コミュニケーションにおいて多様性の受容や感動・感情の共有を可能にし、多様性を重視しつつ、共感性・創造性を格段に高める技術の創出を目指しています。これらを達成することで、2050年までにこころの安らぎや活力を増大し、精神的に豊かで躍動的な社会を実現することを目標としています。

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(2)戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)

 戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)は、総合科学技術・イノベーション会議が、社会的に不可欠で日本の経済・産業競争力にとって重要な課題を決定し、府省連携による分野横断的な取組を、産学官連携で、基礎研究から実用化・事業化までを見据えて一気通貫で推進するプログラムです。

 SIP第1期(平成26年度~平成30年度)では、例えば、災害情報を関係機関で速やかに共有し、関係者がそれに基づいた活動を実施するための基盤的防災情報流通ネットワーク(SIP4D)や、自動運転システムによる安全な走行のために必要となる情報を自動運転車に配信するダイナミックマップなどの社会実装を実現してきました。

 SIP第2期(平成30年度~令和4年度)では、例えば、量子暗号・通信技術を用いて、第三者が絶対に解読できない形で重要データを通信・保管・二次利用する機能の実現を目指す取組や、正確な画像診断・病理診断補助など、AIを最大限活用して医療従事者の負担軽減を図ることでより丁寧な患者対応を目指すAIホスピタルなど、我が国が抱える社会的課題の解決や産業競争力の強化のための12課題に取り組んでいます。

 また、令和5年度から開始予定の次期SIPについては、我が国が目指す将来像(Society 5.0)からバックキャストで検討し、令和3年12月に15の課題候補(ターゲット領域)を決定しています。令和4年度は、プログラムディレクター(PD)候補の下で関係省庁等が連携して、研究開発テーマのフィージビリティスタディ(FS)を実施し、社会実装につなげる計画や体制を整備することとしています。

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SIP第1期研究開発計画概要
URL:https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/sipkenkyukaihatu11kadai.pdf
出典:内閣府

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SIP第2期研究開発計画概要
URL:https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/kenkyugaiyou02.pdf
出典:内閣府

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(3)グリーンイノベーション基金

 「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」(令和3年6月18日)は、「環境と経済の好循環」を作り出す産業政策として、温暖化への対応を成長の機会と捉え、2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会を実現するためのエネルギー需給の絵姿を示すとともに、予算、税、規制改革・標準化、国際連携など、民間企業の取組を後押しするための政策を示しました。このグリーン成長戦略に記載された14の重要分野のうち、特に政策効果が大きく、社会実装までを見据えて長期間の継続支援が必要な領域において、革新的技術の研究開発から社会実装までを継続して支援するべく、令和3年3月、新エネルギー・産業技術総合開発機構に2兆円の「グリーンイノベーション基金」を造成しました。

 本基金においては、研究開発の成果を着実に社会実装へつなげられるよう、社会実装に向けた取組内容やスケジュール等、経営者が長期的な経営課題として粘り強く取り組むことへのコミットメントについて、実施企業等に求めており、それらについて審議会においてモニタリングを行うこととしています。

 現在、審議会での議論等を通じて、洋上風力、水素、燃料アンモニア、カーボンリサイクル、蓄電池などのプロジェクトを組成し、新エネルギー・産業技術総合開発機構による実施者の公募を経て、順次事業を開始しているところです。

 これにより、民間企業の研究開発・設備投資を誘発するとともに、世界で3,500兆円規模の環境・社会・企業統治に関わるESG資金(※3)を国内事業に呼び込み、経済と環境の好循環を生み出すことを目指します。

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2 事業化を目指した研究開発プロジェクトの推進と、企業の取組

(1)スタートアップ支援

 我が国の経済の力強い成長を実現させるためには、イノベーションの担い手であるスタートアップを徹底的に支援し、新たなビジネス、産業の創出を進めるとともに、高い付加価値を生み出す成功モデルを創出する必要があります。

 このため、2022年をスタートアップ創出元年として位置づけ、6月までに5か年計画を設定し、大規模なスタートアップの創出に取り組みます。

 具体的には、上場を果たしたスタートアップが、更に成長していけるよう、資金調達を行いやすくするための上場ルールに見直すなど、スタートアップ・エコシステムを大胆に強化するとともに、地域の中小企業と連携した大学発ベンチャーの創出などにも取り組み、戦後の創業期に次ぐ、日本の「第二創業期」を実現します。

❶ 世界と伍するスタートアップ・エコシステム拠点都市の形成

 近年、GAFA(※4)に代表される巨大IT企業をはじめとして、世界中で、スタートアップが極めて短期間で大企業をしのぐほどに急成長し、産業構造のみならず、都市構造やライフスタイルまでをも変革する大きな潮流となっています。また、先進諸国は、革新的なスタートアップを創出すべく、スタートアップ・エコシステムの形成に戦略的に取り組んでいます。

 我が国においても、世界に羽ばたくスタートアップを創出するスタートアップ・エコシステムの形成とイノベーションによる社会課題解決の実現を目指して、令和元年6月に「Beyond Limits. Unlock Our Potential~世界に伍するスタートアップ・エコシステム拠点形成戦略~」を策定し、令和2年にグローバル拠点都市4拠点(東京、名古屋・浜松、大阪・京都・神戸、福岡)、推進拠点都市4拠点(札幌、仙台、広島、北九州)を選定しました。拠点都市のスタートアップに対して、グローバル市場参入や海外投資家からの投資の呼び込みを促すため「グローバルスタートアップ・アクセラレーションプログラム」を実施する等、政府、政府関係機関、民間サポーターによる集中支援を実施することで、世界に伍するスタートアップ・エコシステム拠点の形成を推進しています。

❷ SBIR制度等による支援

 スタートアップ・中小企業等に対する研究開発補助金等の支出機会の増大を図り、その成果の事業化を支援するため、SBIR制度(Small Business Innovation Research)を推進しています。本制度は、「中小企業等経営強化法」(平成11年法律第18号)から「科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律」(平成20年法律第63号)へ根拠規定を移管し、イノベーション政策として、省庁横断の取組を強化しています。例えば、革新的な研究開発を行う研究開発型スタートアップ等への支出機会の増大を図るため、令和3年度の支出目標額を約537億円に定めました。

 また、公共調達を活用したスタートアップ・中小企業支援策の一つとして、国の省庁及び地方自治体が有する具体的な課題を基に設定されたテーマに対し、スタートアップ・中小企業等が挑戦し、新たな技術や着想を発掘・事業化につなげる取組として「内閣府オープンイノベーションチャレンジ」を実施し、認定した提案に対し、内閣府が準備する外部有識者による助言、国の省庁及び地方自治体との面談の機会を提供しています。

❸ アントレプレナーシップ教育の推進

 スタートアップの創出に当たっては、急激な社会環境の変化を受容し、新たな価値を生み出していく精神である、アントレプレナーシップ(起業家精神)を備えた人材の育成が必要です。我が国はアントレプレナーシップ醸成の裾野を全国に拡大するための取組の一環として、全国の大学生・大学院生を対象とし、オンラインを活用した「全国アントレプレナーシップ人材育成プログラム」を、令和3年度より開始しています。また、科学技術振興機構を通じて、スタートアップ・エコシステム拠点都市において、大学と自治体・産業界との連携によってプラットフォームを構築し、希望する学生がアントレプレナーシップ教育を含む人材育成プログラムを受講することを可能とするための環境整備や、産学官連携による実践的なアントレプレナーシップ教育を含む人材育成プログラムの開発・運用を推進しています。例えば、京都大学が中心となって構築している「京阪神 スタートアップ アカデミア・コアリション」では、京都大学、大阪大学、神戸大学が中心となって他大学の学生も受講可能な教育プログラムを整備するほか、ユニークな起業アイデアを競う場としてのコンテストや高校生等への啓発活動も行っています。

❹ 様々な成長フェーズに応じた支援

 優れた技術シーズを持つ研究開発型スタートアップの成長を促すため、新エネルギー・産業技術総合開発機構を通じて、起業家候補への支援や、起業後初期の研究開発への支援、事業会社との連携に対する支援等、スタートアップの成長フェーズに応じた様々な支援策を講じています。例えば、起業家候補への支援では、技術シーズを基に起業して事業を大きく拡大させたいと考えている起業意識のある研究者等を支援するため、そのビジネスプランに関するコンテストを通じて、ビジネスプランをより良いものとするための助言や投資家とのマッチングの機会を提供しています。さらに、令和3年度補正予算を活用し、地域に眠る技術シーズの活用や、カーボンニュートラルに資するエネルギー・環境分野など、これまで支援が行き届いていなかった分野の強化にも取り組んでいます。

 引き続き、スタートアップの成長やそれによるイノベーションの創出が自律的に繰り返される「スタートアップ・エコシステム」の形成を目指し、様々な施策を講じていきます。

(2)産学官連携の促進

 科学技術・イノベーション創出によって、複雑化する社会課題を解決し、豊かで持続的な社会を実現していくためには、国、地方公共団体、民間企業、大学、研究開発法人の密接な連携が必要です。

 「共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)」は、知と人材の集積拠点である大学等が中心となって、民間企業、地方公共団体など、多様なステークホルダーと共に、未来のありたい社会像(拠点ビジョン)を策定し、その実現に向けた研究開発を推進するとともに、プロジェクト終了後も、持続的に成果を創出する自立した産学官共創拠点の形成を目指すプログラムです。令和3年度は35拠点において、産学官が連携した取組が行われました。例えば、北海道大学を中心とした「こころとカラダのライフデザイン共創拠点」においては、他者と共に自分らしく生きることで地域の少子化の克服に貢献するため、岩見沢市などの自治体、大学、企業等の30を超える機関が参画し、若者のこころとカラダの変化を“若者コホート”として追跡調査するとともに、若者のためのプレコンセプションケア(※5)教材の開発や妊娠しやすさに係る研究等を実施しています。

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 また、民間企業の研究開発費が、新たなイノベーションを起こす起爆剤として、大学等の若手研究者に投資されることを期待して「官民による若手研究者発掘支援事業」が実施され、200人を超える若手研究者を支援しています。本事業は、企業から大学等への投資増に対する誘導策として、大学等の若手研究者と共同研究等を実施する場合に、企業から大学等へ支払われる共同研究費と同額を政府が補助するものです。これにより、企業と大学等の若手研究者間の大型の共同研究につながる“きっかけ”となることを期待しています。また、産業界へのキャリアパス・流動の拡大に資するよう、研究実施場所を大学に限らず、企業等でも可能とするとともに、研究インターンシップやクロスアポイントメント制度など、人材流動化の観点も強化した内容になっています。

 産学融合拠点創出事業「産学融合先導モデル拠点創出プログラム(J-NEXUS(※6))」では、複数の大学と公的研究機関・産業支援機関、そして企業、経済団体、金融機関、ベンチャーキャピタルなどの投資機関、さらに地方自治体などを含めたマルチステークホルダーによるネットワーク創設及びそこから生み出される産学融合の研究開発・事業創出の取組を加速化させるために、現在、北海道、関西、北陸の3拠点の支援を行っています。また、産学融合拠点創出事業「地域オープンイノベーション拠点選抜制度(Jイノベ)」では、国際展開や地域振興の観点から、今後の成長が期待される産学連携・融合の拠点として、全国の大学等から17拠点を選抜しています。

 産学連携においては、大学等における「知」をより広く、深く活用する必要性が増しています。イノベーション創出による新しい価値の創造に貢献していくためには、研究者同士の個人的な連携のみにとどまるべきではなく、大学等と企業が互いを対等なパートナーとして認識し、「組織」対「組織」の連携を深めていくことが重要です。このため、産学連携における現状と課題を理想の状態に転換するための取組として、「産学官連携による共同研究強化のためのガイドライン」を平成28年11月に策定しました。さらに「知」への価値づけや産業界向けの処方箋などを明記した【追補版】を令和2年6月30日に取りまとめています。また、令和4年3月には、本ガイドライン及び追補版の記載内容についての一層の活用と理解を促すため、実務を担う大学や企業等の担当者向けに、具体的な取組事例等を補足するとともに、記載内容へのアクセス性を向上させるため、「ガイドライン検索ツール」としてデータベース化しました。同時に、実効性が高い具体的な手法や解釈を「ガイドラインを理解するためのFAQ(※7)」として整理しました。全ての大学が自らの産学連携戦略を改革するツールとしてこれらを活用し、本格的な産学官連携が一層加速されることを期待しています。

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コラム1-6 誰でもチャレンジできる社会へ、科学技術・イノベーションの可能性 ─ だれでもピアノ ─

 誰でもやりたいことにチャレンジできる。科学技術・イノベーションはこうした社会を実現する1つのステップになるのかもしれません。
 文部科学省と科学技術振興機構(JST)による産官学連携プロジェクトである東京藝術大学COI拠点において開発された「だれでもピアノ®」はその例です。身体に障害を抱える高校生がグランドピアノを弾く姿を見たところから開発は始まったとのことです。障害の有無にかかわらず、誰もが音楽を表現する喜びを感じられる楽器の開発です。

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「感動」を創造する芸術と科学技術による共感覚イノベーション拠点
URL:http://innovation.geidai.ac.jp/
出典:東京藝術大学COI

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東京藝術大学COIライブラリー
URL:https://innovation.geidai.ac.jp/library
出典:東京藝術大学COI

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視覚障害のある奏者と視覚障害のない奏者が、何も見えない暗闇で合奏する様子や、子供たちが作成したペーパークラフトをアニメーション化し、生演奏の音楽に合わせて上映するワークショップ「音と光の動物園」などが紹介されています。
ARTs love ALLプロジェクト
URL:https://artsloveall.geidai.ac.jp/
出典:東京藝術大学社会連携課社会連携係

 こうして生まれた「だれでもピアノ」は、1本指でメロディーを弾くと、そのタイミングやテンポに合わせて、自動で伴奏とペダルが追従します。演奏者一人ひとりに寄り添う楽曲のアレンジと伴奏データの作成には苦労が伴ったとのことですが、完成した「だれでもピアノ」からは、まるで熟練したピアニストのように華麗な演奏が流れます。障害のある一人の高校生のために開発されたピアノが、今では、初心者や子供から高齢者まで、誰もが楽しめる「だれでもピアノ」となりました。
 いつでもどこでも誰でもやりたいことにチャレンジできる。これからもあらゆる人の自己実現を支援する楽器として発展していくことでしょう。

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横浜市役所で、体の不自由な方が、「だれでもピアノ」の支援によりピアニストのような華麗な演奏をしている様子が見られる動画です。
こどもハッシン!プロジェクト
~横浜市役所で「だれでもピアノ」を弾きたい!
URL:https://www.youtube.com/watch?v=0-nWTQBVG2w

(3)具体的取組

❶ オリンピック・パラリンピックを支えた世界一の人工知能による顔認証技術

 2021年(令和3年)7月から9月にかけて開催された東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会において、参加した1万5,000名以上の選手と世界各地から集まったメディアやスタッフを驚くべき正確性で識別し、安全な大会運営を支えていたのが日本電気株式会社(NEC)による、最先端の人工知能を用いた顔認証技術です。

 米国国立標準技術研究所(NIST(※8))による顔認証技術の精度を競い合う権威あるベンチマークテストにおいてNECは5回の世界第1位を獲得しています。この技術はオリンピック・パラリンピック大会史上初めて導入され、会場に約300台のシステムが配備されて実に400万回も利用され、大会のセキュリティ確保に大きく貢献しました。

 カメラで撮影した画像の中から顔の位置を高速・高精度に探し出す顔検出技術、顔の特徴を解析する顔特徴点検出技術、そして誤照合を無くす高精度顔照合技術を融合させ、深層学習によりその精度を高めたことで、変装をしていたり、双子であっても、瞬時に正確に見分けることが出来ます。

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技術の概要に加え、入場管理や顔認証決済など、活用される様々なシーンについて、体験できるイベント情報なども紹介されています。
さまざまなシーンで活用がすすむ顔認証
URL:https://jpn.nec.com/biometrics/face/index.html
出典:日本電気株式会社

 指紋認証等と異なって非接触で判別できることから新型コロナウイルス感染症対策の面でも非常に有用です。羽田・成田の両空港でも令和3年7月から導入され、チェックインから搭乗までを効率的に進めるシステムとして欠かせないものになっており、東京2020大会のレガシーとなっています。

❷ 防災科学技術研究所発ベンチャーへの出資について

 研究開発法人の研究開発成果を活用してイノベーションの創出を図っていくことが重要ですが、そのためには、研究開発法人の成果を基にしたベンチャーの創出を促し、当該ベンチャーを通じて、成果の実用化を図っていくことが有効です。このため、法に規定された研究開発法人は、ベンチャーへの出資が認められています。

 防災科学技術研究所(以下「防災科研」という。)は、地震災害、火山災害、風水害・土砂災害・雪氷災害などの自然災害から国民の生命・財産を守り、安全・安心な社会を実現するための基礎・基盤的な研究開発等を行っています。現実に起こる自然災害から私たちの生命・財産を守るためには、得られた研究開発成果を積極的に社会に実装し、安全・安心な社会の実現を目指していく必要があります。特に、社会全体の防災力を一層向上させるためには、行政が役割を果たすのみならず、民間企業や国民一人ひとりが自ら積極的に防災に取り組む方向へと変えていくことが重要です。このような問題意識の下、防災科研は、新たに認められた出資制度(※9)を活用し、東京海上ホールディングス株式会社・株式会社博報堂・ESRIジャパン株式会社・株式会社サイエンスクラフトとの共同出資により、防災科研発ベンチャー「I-レジリエンス株式会社」(以下「I-レジリエンス」という。)を令和3年11月に設立しました。

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 防災科研は、行政、民間企業や国民一人ひとりが自然災害に対してその生命や財産を守るため、避難などの必要な行動、適切な行動をとることを促し、またその行動を支援するように加工・整理された情報(以下「情報プロダクツ」という。)の創出を目指した研究開発を行っています。I-レジリエンスは、この情報プロダクツを始めとする防災科研の研究開発成果等を活用し、社会のニーズに合わせた新たな防災・減災サービスを提供します。具体的には、①防災ビッグデータを活用したDXソリューションの提供、②意識と行動を変える教育ソリューションの提供、③ライフスタイルを改革するイノベーションの提供の3領域で事業が展開されます。防災科研の研究開発とI-レジリエンスの事業展開等を通じて、自然災害に対し、レジリエントで安全・安心な社会の実現が加速されることが期待されています。

第2節 新型コロナウイルス感染症の克服に向けた取組

1 新型コロナウイルス感染症への対応

 政府は、新型コロナウイルス感染症への対策は危機管理上重大な課題であるとの認識の下、令和2年3月26日に「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(平成24年法律第31号)第15条第1項に基づく政府対策本部を設置し、その後、同月28日及び令和3年11月19日に同本部において決定(令和4年3月17日変更)された「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」に基づいて、国民の命を守るための新型コロナウイルス感染症対策の各施策を、着実に実行しています。特に、新型コロナウイルス感染症に係る治療法開発、ワクチン開発、医療機器開発といった研究開発等を支援しています。

 治療薬開発では、新たに、医療現場や患者への負担の少ない投与方法を実現し、全ての流行株に対して強力な抗ウイルス活性を示す等の候補医薬品を創製する等、研究開発が進展しています。

 新型コロナウイルス感染症のワクチンについては、国内・海外で多数の研究が精力的に行われ、通常より早いペースで開発が進められています。日本でも、ファイザー社、武田薬品工業株式会社/モデルナ社、アストラゼネカ社、武田薬品工業株式会社(ノババックス社)のワクチンが薬事承認されています(令和4年5月10日時点)。また、塩野義製薬株式会社、UMNファーマ社と国立感染症研究所の組換えタンパクワクチン、第一三共株式会社と東京大学医科学研究所のmRNA(※10)ワクチン、KMバイオロジクス株式会社、東京大学医科学研究所、国立感染症研究所、医薬基盤・健康・栄養研究所とMeiji Seikaファルマ株式会社の不活化ワクチン、VLPセラピューティクス社のmRNAワクチンといったワクチン開発についても支援を行っており、この4つのワクチンについては、現在、治験が実施されている状況です。

 また、極小サイズで電力を必要としない新型コロナウイルス肺炎に対応する人工呼吸器の開発や、新型コロナウイルス罹患患者の重症化リスクを早期発見する簡易尿検査システムの開発といった新たな機器や診断法の開発についても支援を実施しました。

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2 コロナ禍において世界の人々の命を救い続けている日本発の医療機器開発

 新型コロナウイルス感染症が広がる中で、その重篤化を迅速に判断するために医療機器「パルスオキシメーター」について、世界的に需要が高まっています。実は、その原理を発明したのが日本の研究者であったことを御存じでしょうか。

 パルスオキシメーターとは、洗濯ばさみのような形状をした「プローブ」を指先に挟み、血液中の酸素飽和濃度を測定できる装置です。新型コロナウイルスによる肺炎、気管支喘息(ぜんそく)、新生児や麻酔中の患者に生じる酸素の不足は致命的な症状を引き起こしますが、採血による酸素状態の測定では常時把握することが困難です。パルスオキシメーターを活用すれば、患者の身体を傷つけることなく、必要な酸素が取り込めているかを連続的に測定し続けることが出来るのです。

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 血液の中で酸素を運搬する赤血球に含まれるヘモグロビンは、酸素と結合した酸素化ヘモグロビンと、結合していない脱酸素化ヘモグロビンで「赤い色の光を吸収する度合い」が異なり、酸素を多く含む血液は鮮やかな赤色になります。昭和47年、日本光電工業株式会社の研究者であった青柳卓雄博士が、患者の皮膚に波長の異なる2種類の光を当て、赤色光の吸収度合いを脈拍と比較することで動脈血中の酸素飽和度を測定できることを発見し、昭和50年にこの原理を用いた製品を発売しました。現在ではこの技術が世界中の医療現場に普及し多くの患者の命を救っています。

 青柳卓雄博士はその先駆的な発明により世界の医療の質向上に多大な貢献をした業績が認められ、2015年(平成27年)には米国電気電子学会(IEEE(※11))が医療分野の技術革新に送る賞である「IEEE Medal for Innovations in Healthcare Technology」を日本人として初めて受賞しました。青柳卓雄博士は、令和2年4月に亡くなりワシントンポスト紙など世界に大きく報じられましたが、世界の医療の歴史に燦然(さんぜん)と輝く発明であるパルスオキシメーターは、これからも無数の人々の命を救い続けるでしょう。

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パルスオキシメーターの原理を発明した青柳卓雄博士の半生と、原理の発見から開発と普及までの歴史について、当時の写真入りで詳しく紹介されています。
青柳卓雄博士とパルスオキシメーター
URL:https://www.nihonkohden.co.jp/information/aoyagi/index.html
出典:日本光電工業株式会社

3 新型コロナ克服に向けた技術開発

(1)新型コロナウイルスの超高感度・世界最速検出技術

 現在、新型コロナウイルスの感染診断は、ウイルスのタンパク質を検出する方法(抗原検査)と、ウイルスリボ核酸(RNA(※12))を増幅して検出する方法(PCR(※13)検査)が主に利用されており、用途に応じて使い分けがされています。

 抗原検査は、5~30分程度の検査時間で迅速かつ簡便にウイルスを検出できますが、短所として、PCR検査と比較すると検出感度が低いことが挙げられます。一方で、PCR検査は、感度が優れていますが、短所として、検査時間がかかる(1~5時間)ため迅速に解析し、診断につなげることが困難であることが挙げられます。そのため、抗原検査の迅速・簡便さと、PCR検査の感度の高さを両立する新しいウイルス検出法の開発が求められてきました。

 理化学研究所開拓研究本部、東京大学先端科学技術研究センター、東京大学大学院理学系研究科、京都大学ウイルス・再生医科学研究所で構成する共同研究グループは、ウイルスRNAを1分子レベルで識別して世界最速の5分以内に検出することを可能にする革新的な新型コロナウイルスの超高感度・世界最速検出技術を開発しました。特定のRNA配列を認識する核酸切断酵素CRISPR-Cas13a(Cas13a)と蛍光性の機能分子の混合液(蛍光レポーター)をバイオセンサーとして利用することで、検体中の標的ウイルスRNAの有無を高感度・高精度・迅速にデジタル検出することを可能にします。今後、消耗品の大量生産や検出装置の小型化により、安価で素早く多種のウイルス感染症を正確に診断できる次世代の感染症診断法となることが期待されています。

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(2)うま味調味料からコロナワクチン?

 うま味とは、食物に含まれるグルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などの成分によってもたらされる味覚のうちの一つです。うま味成分は池田菊苗博士によって世界で初めて発見され、以来その成分を料理で使えるようにしたうま味調味料は世界中で食卓を豊かにしています。そんなうま味調味料の研究をきっかけとし、製造されたシュードウリジンという物質からコロナウイルスワクチンが作られているのは御存じでしょうか。

 新型コロナウイルス感染症の症状の重症化防止、感染拡大の防止を目的として、世界中でワクチン接種が進んでいます。現在我が国で接種が進められている新型コロナウイルス感染症のワクチンはインフルエンザワクチン等で活用されているワクチンとは異なる新たな手法によって作成されるワクチン(mRNAワクチン)です。mRNAは遺伝物質であるDNA(※14)の情報をコピーした物質で、この情報を基に生命の構成要素であるタンパク質が作られます。このため、新型コロナウイルスのmRNAを体内に注射することで新型コロナウイルスのタンパク質の一部が体内で産生され、それに対する抗体などが体内に作られ、ウイルスに対する免疫ができるという仕組みになっています。ただし、体内ではmRNAは速やかに分解されてしまうため、mRNAをそのままワクチンとして使用することはできません。

 そこで、通常のmRNAの構成要素であるウリジンをシュードウリジンに置き換えたmRNAがワクチンとして使用されています。シュードウリジンはウリジンと非常によく似た物質であるため、シュードウリジンに置き換えたmRNAからは通常のmRNAと同じタンパク質が合成されますが、シュードウリジンが取り込まれたmRNAは分解されにくいため、コロナワクチンの接種によりウイルスのタンパク質が十分合成され、免疫を獲得できるのです。

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mRNA合成用原料のシュードウリジン
URL:https://www.yamasa-biochem.com/business/20211012.html

 実はイノシン酸、グアニル酸といったうま味成分はmRNAの成分と同じ核酸に分類される物質です。うま味調味料の研究を行っていたヤマサ醤油株式会社では、様々な核酸の物質を製造してきていますが、その一つのシュードウリジンが現在のコロナワクチンの原料として欠かせないものとなっているのです。うま味調味料とコロナワクチン、一見すると程遠いように見えますが、食卓を豊かにするための研究が、生命を守ることにも役立ったのです。

第3節 経済安全保障

 科学技術・イノベーションが国家間の覇権争いの中核となる中、人工知能や量子など、安全保障にも影響し得る先端的な重要技術が出現し、主要国は、国及び国民の安全保障上の対策として、鍵となる技術の把握や情報収集、技術流出問題への対処、先端的な重要技術の研究開発等を強力に推進しています。安全保障と経済を横断する領域で、国家間の競争が激化しており、我が国の科学技術・イノベーション政策においても、経済安全保障を念頭に置いた対応が必要です。我が国が技術的優位性を高め、国際社会における不可欠性の確保につなげていくためには、国が強力に重要技術の研究開発を進め、育成していくことが必要であり、国及び国民の安全・安心の実現のため、科学技術の多義性を踏まえつつ、総合的な安全保障の基盤となる科学技術力を強化することが必要です。このため、政府としては、以下の取組を進めています。

1 安全・安心に関する新たなシンクタンク機能

 国民生活、社会経済に対する脅威の動向の監視・観測・予測・分析、国内外の研究開発動向把握や、人文・社会科学の知見も踏まえた課題分析を行う取組を充実するため、安全・安心に関する新たなシンクタンク機能の体制を構築し、重点的に開発すべき重要技術等に関する政策に資する提言等を行うこととしています。令和3年度からシンクタンク機能に関する試行事業を実施し、令和5年度の本格的なシンクタンクの立ち上げを目指しています。

2 経済安全保障重要技術育成プログラム

 経済安全保障の確保・維持の観点から、上記シンクタンク機能も活用しながら、人工知能や量子など、中・長期的に我が国が国際社会において確固たる地位を確保し続ける上で不可欠な要素となる先端的な重要技術について、民生利用や公的利用への幅広い活用に向けた強力な支援を行う経済安全保障重要技術育成プログラムを検討しています。

 具体的には、国のニーズ(研究開発のビジョン)を実現する研究開発プロジェクトを実施し、研究成果については民生利用のみならず、成果の活用が見込まれる関係府省庁において公的利用につなげていくことや、国主導による研究成果の社会実装や市場の誘導につなげていくことを重視します。

3 経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律

 安全保障の確保に関する経済施策を総合的かつ効果的に推進するため、基本方針を策定するとともに、安全保障の確保に関する経済施策として、所要の制度(重要物資の安定的な供給の確保、基幹インフラ役務の安定的な提供の確保、先端的な重要技術の開発支援、特許出願の非公開)を創設する法律が、令和4年5月に成立しました。

 先端的な重要技術の開発支援に関する制度については、先端的な重要技術の研究開発の促進とその成果の適切な活用のため、資金支援、官民伴走支援のための協議会設置、調査研究業務の委託(1のシンクタンク機能)等を措置するものです。

 この協議会の枠組みを2の経済安全保障重要技術育成プログラム等において活用することで、これまで困難であった、政府等が保有する研究開発に有用な機微な情報の共有が可能となるなど、適切な情報管理を伴う官民の伴走支援の新しい仕組みが構築され、より効果的に研究開発を行うことが可能となります。

第4節 総合知を活用した科学技術・イノベーション政策の在り方~社会課題解決に向けた「総合知」が必要とされる背景と総合知の活用~

 近年の科学技術の急速な進展は、我々の生活に多くの恩恵をもたらすとともに、人間や社会の在り方自体に大きな影響を与えています。科学技術の進展と人間や社会の在り方は密接不可分の関係となっており、開発された技術や研究の成果は、人間により近いものであるべきとの認識が広まりつつあります。また、複雑化する社会課題の解決を含め、科学技術・イノベーション政策の在り方を検討するためには、自然科学の「知」と人文・社会科学の「知」を総合的に活用することや、人間や社会の望ましい未来像、一人ひとりの多様な幸せ(well-being)の在り方を考えることが必要となっています。

1 なぜ、いま、「総合知」の検討が求められているのか

(1)総合知の位置付け

 令和3年4月から施行された「科学技術・イノベーション基本法」では、従来、対象としていなかった人文・社会科学(人間や社会の在り方を研究対象とするもので、例えば、哲学、社会学、法学などが該当)のみに係るものも法の対象とされ、あわせて、あらゆる分野の知見を総合的に活用して社会課題に対応していくという方針が示されました。これは、科学技術・イノベーション政策が、人文・社会科学と自然科学を含むあらゆる「知」の融合による「総合知」により、人間や社会の総合的理解と課題解決に資する政策となることの必要性とその方向性を指したものです。

 このため、第6期基本計画では、「総合知」に関して、基本的な考え方や、戦略的に推進する方策について令和3年度中に取りまとめることとされており、令和4年3月に「中間とりまとめ」を行いました。

(2)「総合知」が求められる社会的背景

 我が国は、気候変動などの地球規模課題への対応や、レジリエントで安全・安心な社会の構築、少子高齢化、都市の過密と地方の過疎、資源問題といった多岐にわたる社会課題を抱えており、科学技術・イノベーション政策に対し、社会や国民から高い期待が寄せられています。

 また、諸外国においては、コロナ禍における緊急対応のみならず、いわゆるグリーンリカバリーなどの未来産業の創出や、安全保障の視点からの研究開発と大規模投資といった、大きな社会変革が進んでいますが、我が国の研究力やイノベーション力、とりわけ先進技術を社会へ実装する力は十分とはいえず、科学技術やビジネス面での国際競争力が低下しています。さらに、若者世代の自己肯定感の低さなど次代を担う人材に関する課題も浮き彫りになっています。

 こうした課題に対応するため、我が国の科学技術・イノベーション政策は、グローバル課題解決への政策的貢献という視座と、国民の一人ひとりにいかなる恩恵をもたらすのかという国内向けの視座の両方が必要とされています。このため、自然科学のみならず人文・社会科学も含めた多様な「知」の創造と、「総合知」による現存の社会全体の再設計、さらには、これらを担う人材育成が避けては通れない状況となっています。

(3)海外における動向

 世界に目を向けても、複雑化する社会的課題の解決のため、自然科学分野と人文・社会科学分野との学際的連携の重要性が指摘されています。例えば、経済協力開発機構(OECD)では、2020年(令和2年)6月に「トランスディシプリナリー研究(学際共創研究)」の活用による社会的課題解決の取組についての報告書を取りまとめています。この中では、科学技術の進展により急速に社会が変化していく中、多様な関係者が共通の目標を達成するためには、様々な学問分野の研究者と地域住民や企業、行政等の研究者以外の関係者が一体となって学問分野や組織を超えた取組を行うことが重要であることを指摘しています。また、その際、自然科学と人文・社会科学とのより深い統合、科学と社会との密接な関係、研究者以外の関係者を研究プロセスの全ての段階に参加させること等の必要性を指摘しています。

(4)総合知の活用

 このように国内外において、様々な観点から「総合知」の活用が必要とされており、研究や技術開発が、様々な社会課題に対応し「持続可能性と強靭性を備え、国民の安全と安心を確保するとともに、一人ひとりが多様な幸せ(well-being)を実現できる社会」の構築を目的とするものになると考えられます。

 また、科学技術・イノベーションを進める上で、我が国の「強み」として活かせる点(例えば、共同、共有、共創など、我が国が育んできた考え方)も、加味することが必要です。我が国の「強み」を活かして優位性や競争力を高め、国民の安全と安心や一人ひとりのwell-beingの実現に向け、すべてに関わる知を総合的に活用することが必要です。そのような知の体系化の中で、我が国の研究や技術開発、さらに、その成果を基にしたイノベーションにおいて、我が国の「勝ち筋」を見出すことも可能となります。

(5)「総合知」の活用に係る環境整備

 「総合知」の活用に向けては、属する組織の「矩(のり)」を超え、専門領域の枠にとらわれず、多様な知を持ち寄ることが不可欠ですが、それだけでは不十分です。十分に時間をかけて課題(問い)を議論し、多様な「知」を有機的に活用することで、新たな価値や物の見方・捉え方を創造するといった知の活力を生むアプローチが重要です。この「知の活力」を生むこと(アプローチも含む)こそが「総合知」であるとも言え、こうした観点を踏まえ、「総合知」の活用を推進するための環境整備を考える必要があります。

 このため、総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)有識者議員懇談会において、総合知の基本的考えとともに、総合知を活用する人材の育成、育成された人材の活用とキャリアパス(評価)、交流・連携・融合や育成を促進する「場」の構築についての戦略的な推進方策を議論し、「「総合知」の基本的考え方及び戦略的に推進する方策(中間とりまとめ)」が取りまとめられました。「専門知」を疎(おろそ)かにしないことや、“表層”的な文理融合にしないこと、環境整備を段階的に進められるように方策を設計するとともに、時代の潮流に対応できるようにすることなどの留意点も記載されています。総合知の活用のための環境整備を進め、10年後には、我が国の科学技術やイノベーションに携わる人材は、誰もが意識せずに「総合知」を活用する社会になることを目指しています。

2 「知」の融合による社会課題解決の取組事例

 本節では、認知症当事者や発達障害者への支援といった社会課題に対し、「総合知」を活用して取り組み、一人ひとりの多様な幸せ(well-being)の実現を目指す具体的な事例を3つ紹介します。

(1)身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術による社会課題解決への取組

 内閣府のムーンショット型研究開発事業の目標1「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」では、人々が自身の能力を最大限に発揮し、多様な人々の多彩な技能や経験を共有できるサイバネティック・アバター技術を開発しています。開発に当たっては、参画する各研究グループが多様な知を持ち寄り、また研究推進法人によるELSI(※15)等に関する支援体制を活用し、技能や経験を相互に利活用する場合の制度的・倫理的課題を考慮して、人と社会に調和した、身体的な技能や経験を流通する社会基盤を構築することを視野に入れています。災害や感染症等の緊急時に多様な人材で、素早く問題解決できる大規模遠隔互助社会や、障害を乗り越えて社会活動に参画していける遠隔互助社会、技能や経験を互いに提供し合って能力拡張する技能合体流通社会の実現を目指しています。2050年には、この流通が人と人との新たな身体的共創を生み出し、サイバネティック・アバターを通じて誰もが自在な活動や挑戦を行える社会を目指します。

(2)人文・社会科学分野の研究者が中心となって未来社会の構築に能動的に参画する取組

 「人文学・社会科学を軸とした学術知共創プロジェクト」では、未来社会が直面するであろう諸問題(①将来の人口動態を見据えた社会・人間の在り方、②分断社会の超克、③新たな人類社会を形成する価値の創造)の下で、人文・社会科学分野の研究者が中心となって、自然科学分野の研究者はもとより、産業界や市民社会などの多様なステークホルダー(利害関係者)が知見を寄せ合って、研究課題及び研究チームを創り上げていくための環境を構築する取組を進めています。令和3年度は、現在、世界中で建設が進められているスマートシティについて、そもそも「スマートシティ」とは何なのか、それは持続可能な社会を実現する切り札なのか、IT技術者と人文社会学者の視点を交差させ、西洋的価値観に回収されないアジアの人間観・社会観をも参照しつつ討議を行いました。

(3)人文・社会科学、自然科学、ステークホルダーが参画して社会システム構築を目指す取組

 科学技術振興機構 社会技術研究開発センター(RISTEX)では、SDGsを含む社会課題の解決や科学技術のELSIへ対応するため、人文・社会科学及び自然科学の様々な分野の研究者やステークホルダーが参画する研究開発を推進しています。一例として、SDGs達成への貢献を掲げ、「誰一人取り残さない防災」の理念の下、災害時に障害者や高齢者の個々の状態に応じた避難や避難先でのケア(合理的配慮の提供)を目指した研究開発を実施しています。社会学・防災工学・情報学等の研究者と自治体の防災部局や福祉部局、庁外の福祉事業者や社会福祉協議会、地域の自治会、当事者組織やNPOとの協働により、「災害時ケアプラン」を作成できる福祉専門職の育成プログラムとその地域での実働のための協議会を設置するなどの事業モデルを提案しました。令和元年台風第19号等からの課題を教訓とし、高齢者等の避難の実効性確保に向けた、更なる促進方策について検討した内閣府の「令和元年台風第19号等を踏まえた高齢者等の避難に関するサブワーキンググループ」(令和2年6月~12月)において本研究の一部が事例紹介されました。本サブワーキンググループの最終とりまとめ(報告書)の方向性を踏まえ、災害対策基本法等の一部改正(令和3年5月20日施行)が行われ、個別避難計画の作成が市町村の努力義務とされました。

コラム1-7 令和4年度版学習資料「一家に1枚 ガラス ~人類と歩んできた万能材料~」

 国民の皆様が科学技術に触れる機会を増やし、科学技術に関する知識を適切に捉えて柔軟に活用いただくこと等を目的として、毎年4月の科学技術週間に併せ、平成17年度以降毎年学習資料「一家に1枚」を発行しています。「一家に1枚」シリーズ第18作目となる令和4年度版のテーマは「ガラス ~人類と歩んできた万能材料~」です。国連で「国際ガラス年」として採択された2022年(令和4年)に併せて制作しました。私たち人類を文化・芸術・生活・医療・科学・技術全ての分野で支えている材料「ガラス」について、人類の進化や科学の発展の歴史との関わりから最先端の科学技術への貢献まで、幅広い分野での活用事例を紹介しています。
 学習資料「一家に1枚 ガラス ~人類と歩んできた万能材料~」は令和4年3月頃全国の小・中・高等学校、大学、全国の科学館・博物館等に配布したほか、文部科学省のウェブサイトにPDF版データを公開しました。また、紙面の内容をより掘り下げた特設ページも開設しています。

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文部科学省 学習資料「一家に1枚」のページ
https://www.mext.go.jp/stw/series.html

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令和4年度版学習資料「一家に1枚 ガラス~人類と歩んできた万能材料~」特設ページ
https://glass-poster.iyog2022.jp/


  • ※1 Cross-ministerial Strategic Innovation Promotion Program
  • ※2 プロジェクトの構成(組み合わせ)や資源配分等の方針をまとめたマネジメント計画。
  • ※3 ESG投資は、従来の財務情報だけでなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した投資のことを指します。特に、年金基金など大きな資産を超長期で運用する機関投資家を中心に、企業経営のサステナビリティを評価するという概念が普及し、気候変動などを念頭においた長期的なリスクマネジメントや、企業の新たな収益創出の機会(オポチュニティ)を評価するベンチマークとして、国連持続可能な開発目標と合わせて注目されています。
  • ※4 Google, Apple, Facebook(現Meta), Amazonの4社の頭文字を集めた呼称
  • ※5 将来の妊娠を考えながら女性やカップルが自分たちの生活や健康に向き合うこと(国立成育医療研究センターHP)
  • ※6 NEXt University-Society open innovation initiative
  • ※7 Frequently Asked Questions
  • ※8 National Institute of Standards and Technology
  • ※9 従来、防災科研は研究開発成果活用事業者(法人発ベンチャー)への出資や人的・技術的援助を行うことができなかったが、令和3年4月に施行された「科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律(平成20年法律第63号)」により、出資等が可能となった。
  • ※10 messenger ribonucleic acid
  • ※11 Institute of Electrical and Electronics Engineers
  • ※12 Ribonucleic acid
  • ※13 Polymerase Chain Reaction
  • ※14 deoxyribonucleic acid
  • ※15 Ethical, Legal and Social Issues

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科学技術・学術政策局研究開発戦略課

(科学技術・学術政策局研究開発戦略課)