第5章 むすびに ~なぜ基礎研究の蓄積と展開が重要なのか~

 詩人、金子みすゞの「星とたんぽぽ」という詩に「見えぬけれどもあるんだよ、/見えぬものでもあるんだよ。」(※1)という一節がある。人類の科学技術、ことに基礎研究の進展に係る取組は「知りたい」という人間の根源的な欲求に導かれつつ、この「見えぬもの」への飽くなき挑戦の歴史であったと言えるのかもしれない。
 第1部では、基礎研究について様々な観点から考察を加え、事例を通じて研究者たちがこの「見えぬもの」の深奥には必ず普遍的な真理が「ある」と信じ、それを必死で追い求め、新たな知のフロンティアを開拓していった営みと、社会に大きな価値をもたらした経緯を概観した。第1部全体を通して、基礎研究の蓄積と展開を考える上で重要と思われる事項を以下に整理する。


  • ※1 『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)

基礎研究の価値

 「なぜ基礎研究は重要なのか」、そもそも「基礎研究とは何か」という問いに関しては、様々な意見があるのかもしれない。第1章で見たように、梶田隆章氏は「基礎研究は、今すぐ私たちの生活に役立つ性格のものではない。やがて人々の生活に役立つという側面と、物事の真理、自然界のより深い理解に近づくことを通して、人類全体の共通の知的財産を構築する側面、その二つがある」と述べている。
 正に、第一の側面として、第2章で見たとおり、基礎研究は決して「役に立たない」営みではなく、研究領域によって研究期間などの状況は大きく異なるものの、科学技術が急速に進展し、分野融合が複雑に起こっている現在においては、かなり短期間の尺度で、私たちの暮らしや社会に大きな影響を与え、私たちが日常的に実感できる価値をもたらす場面が多くなってきている。また、第二の側面として、国際社会において、「人類全体の共通の知的財産の構築」に我が国が積極的に貢献し、世界から尊敬を集め、国民自らが誇りを持てるような国を目指していくという視点は極めて重要である。
 「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という大きな問いへの追求をはじめ、「知りたい」という知的好奇心は人類に与えられた根源的な欲求である。その欲求を実現する方途を社会システムの中にしっかりと確保するとともに、現代社会に生きる我々が大切にする「心の自由な動き」の成果であるとも言える基礎研究に対して敬意を払うような社会を目指すことが、経済的価値とは別の次元で重要であると言える。

基礎研究における研究者の情熱

 今回紹介した研究者たちの姿には、気の遠くなるような地道な試行錯誤にも耐えていく強靭(きょうじん)な執念が感じられた。「人の真似は絶対にしないことを信条にした(大村智氏)」、「「競合他社が実現できない、全く独自のやり方で発明、製品化しなければならない」という厳しいルールを自らに課した(中村修二氏)」などの姿勢は、研究者の矜持(きょうじ)でもある。
 また、彼らは常に「見えぬもの」を追求する情熱を持ち、「見えぬもの」や「表面を見ただけでは分からないもの」にこそ、大きな価値のあるものが潜んでいるという確信の下、研究に邁進(まいしん)していたように見える。また、そこには、常識や先入観に捕われない柔軟な発想により、他の人には「見えぬもの」に向かって、ほかの研究者が不可能、困難とみなした対象や方法にあえて挑戦する姿があった。
 世界的な数学者であった岡潔は、「発見には、それがそうであることの証拠のように、必ず鋭い喜びが伴うものである」(※2)と述べている。今回取り上げた研究者たちにも、日々、「発見の鋭い喜び」を予感しつつ、知的興奮の中で研究に邁進(まいしん)していた姿が伺える。私たちは、基礎研究の成果による社会経済的な恩恵のみならず、このような知的好奇心に動機付けられた基礎研究への研究者の情熱に触れることにより、「ワクワク」した感情や、研究者の「発見の鋭い喜び」の片鱗(へんりん)を感じることができ、未来への前向きな活力を得ることができるのかもしれない。


  • ※2 岡潔『春宵十話』1963年(昭和38年)

基礎研究における失敗を恐れない挑戦

 田中耕一氏が「成功するために実験を失敗する。何かを初めて実験する場合、失敗が多いが、その中に大変新しい展開が隠れている場合がある」と言及しているように、基礎研究の歴史は大部分が失敗の蓄積であったと言って過言ではない。今回の概観の中でも、1年間で1,500回以上の失敗を重ねて、GaNの結晶作成を成し遂げた天野浩氏、いつも財布の中にビニール袋を携え、失敗を繰り返そうともいつか必ず成功することを信じ、採取した物質の分析を続けた大村智氏の例などがあった。
 これらから、失敗を恐れず、独創的な研究領域に挑戦することの大切さや、基礎研究では、挑戦や失敗の連続やその蓄積から見えてくるものこそ成果であることが理解できる。そのためには、挑戦した内容が適切に評価され、それを基に次の研究に再挑戦できる環境を整えていくことが重要である。

基礎研究の時間的視点

 第2章で見たように、基礎研究の中には、成功から臨床研究の開始まで数年という短期間で進展していったiPS細胞の例がある一方、現象が発見されてから実社会で具体的な応用が可能になるまで50年以上を要し、100年以上経過した今日でさえ、その全てを解明したとは言えない超伝導研究の例も存在する。研究の中でも、特に基礎研究は、短期的な成果の有無のみに捕われることなく、息の長い取組を継続していくことが重要なゆえんである。

基礎研究の継承性

 基礎研究は、現在生きている一人の天才によって全てが構築されるような性質のものではなく、先人たちの挑戦、成功、失敗の蓄積、苦闘の上に成り立っているものである。
 例えば、今回の事例で見たように、我が国で発見されたCRISPRと呼ばれる特殊な塩基配列を持つ領域について、当時、その機能解明には至らなかったが、25年後、海外において実を結び、ゲノム編集ツールの開発につながった。基礎研究の広がりは大きく、また、その所期の目的とは異なる分野で大きく花開くこともあり、様々な分野において長期的な視点で育んでいくことが重要である。
 基礎研究は、先人から連綿と続いてきた普遍的な真理や価値を追求する営みであると同時に、未来に託すべき営みであるがゆえに、短期的な状況や一時代の視点のみによって、その灯を消すことは許されず、その努力の継承こそが文化の一部であると言える。

基礎研究とそれを支える技術の相乗関係

 今回、第3章において、基礎研究を支える技術を取り上げたのは、我が国の高度な技術が世界の基礎研究における日々の進展に多大な貢献を果たしている事実を紹介するためでもある。その中で、基礎研究を支える技術もまた、基礎研究によって支えられており、基礎研究の重要性がこの側面からも明らかとなった。
 戦後、我が国の技術(ものづくり)は世界を牽引(けんいん)してきたと言えるが、知識集約型と呼ばれる社会への転換が起こる中、新たな局面を迎えている。高品質な製品の製造とその改良への取組に加え、そのネットワークやプラットフォームと呼ばれる仕組み自体にも俯瞰(ふかん)的な分析を加え、将来への戦略を練ることが求められている。

基礎研究の蓄積と展開の今日的重要性

 デジタル革新と多様な人々の想像・創造力の融合によって、社会課題を解決し、価値を創造する社会を目指すSociety 5.0の推進等に向けて、科学技術が従来とは異なった側面からの新しい意義を帯びる時代に入っている。今後迎えると予想される知識集約型の社会において、多種多様な知をどれだけ糾合できるかによって将来の可能性や選択肢が変わってくるため、卓越した新たな発想を追求し、創造する知的活動である基礎研究の重要性がより一層増すものと考えられる。
 我が国の基礎研究については、今回紹介した事例からも分かるように、今後も大いに期待を抱かせる分野も少なからず存在している。こうした状況を踏まえ、基礎研究による知の蓄積と展開について、政府、大学や国立研究開発法人、産業界等の関係機関・関係者が連携して、オープンイノベーションの促進やエコシステムの実現に向けた取組が行われている。
 以上、第1部で見たとおり、我が国においては、基礎研究の分野でも輝かしい業績が蓄積されている一方、社会経済的に厳しい状況が続く中、我が国の基礎研究に関する世界的な存在感の低下が懸念されており、我が国は大きな岐路に立たされている。
 科学技術の分野において、人類にとっての普遍的な真理や価値を問いつつ、世界のフロントランナーとして知の地平を切り拓(ひら)き、その成果を社会に還元するとともに、課題先進国としての対応を世界に先がけて示していくためにはどうすべきか、国民的な議論と共通認識の醸成が求められている。

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科学技術・学術政策局企画評価課

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-- 登録:令和元年07月 --