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コラム■ナンバー11

米国のクラスターにおける取組

シリコンバレー
 シリコンバレーはサンフランシスコ湾の西側から南端に沿って広がるハイテク産業地域の通称である。シリコンバレーという呼称は、1971年に当時この地に集積が進みつつあった半導体産業の半導体を構成する基本材料であるシリコンにちなんで記者が記事の中で使ったのが最初であり、その歴史は、1939年スタンフォード大学のターマン教授の支援を受け、ヒューレット・パッカード社が設立されたことから始まると言われている。当初は、スタンフォード大学と数社のハイテク企業が存在するだけで、アップル社の社名の由来となったリンゴ畑が広がる田園地帯であったが、1951年には東海岸の大学に対抗するためスタンフォードリサーチパークが設立される等により産業集積が進んだ。シリコンバレーはハイテク産業地であると言っても、その中心的な技術分野とその主役企業が第2次世界大戦後一貫して成長してきたわけではない。50〜60年代は軍需製品、60〜70年代は半導体、70後半〜80年代はパソコン、80後半〜90年代はインターネットと、ほぼ10年ごとに中心となる産業を入れ替えながら発展してきたところに特徴がある。1994年設立のネット・スケープ社など、ベンチャー企業が急成長しており、現在に至るまで世界のハイテク関連産業をリードしている。

オースチン
 テキサス州の州都であるオースチンにおいては、1966年にテキサス大学ビジネススクールの学部長としてこの地に招聘(しょうへい)されたジョージ・コズメツキー氏が早くから起業家精神教育の重要性を説き、州政府や行政、経済界と協力して、企業誘致や支援機関の設立を行い、技術の商業化の研究と専門人材の育成のためのアイシースクエア研究所(1977年)を設立したことで徐々にコンピュータ業界の共同研究機関であるMCC(Micro-Computer Corporation Consortium)、セマテック、IBM、モトローラ等のハイテク企業が集積するようになり、クラスターが形成された。その後、80年代後半のアメリカ経済の不振を背景に、IBMやセマテックなどの企業から解雇された技術者たちのスピンオフが90年代に頻繁に行われるようになるが、コズメツキー氏が中心となり設立したインキュベータのATI(Austin Technology Incubator 1989年)は優秀な技術者を地域につなぎとめるために大きな役割を果たした。本クラスターは核となる企業誘致からクラスターへと発展するまで急成長を遂げているが、自然発生的なクラスターに比べると政策的な支援が加わることでクラスターの発展速度が高められた事例である。

サンディエゴ
 カリフォルニア州サンディエゴにおいては、バイオ関係の企業が数多く集積しバイオクラスターを形成している。サンディエゴには、スクリプス海洋研究所(1903年)やソーク研究所(1960年)等の研究機能が存在していたことに加え、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)があり、スピンオフによるベンチャー企業を多く輩出した。代表例としてハイブリテック(Hybritech)社が挙げられる。1978年にUCSDの研究者によって設立された同社からはスピンオフにより50以上の企業が設立された。これらの起業を支えたのが1985年に設立されたUCSDコネクトという大学を基盤とした組織である。そのプログラムの一例としてSpring-Boardという初期の起業段階から資金調達段階までをカバーし、きめ細かな研修を通じて発想を事業計画まで練り上げることを支援するコースがある。このSpring-Boardプログラムにおいては、300人以上が朝7時から集まり、熱気にあふれ活発な情報交換を行う朝食会が行われており、このような会の存在がサンディエゴの企業家ネットワークに厚みを持たせ、多くのスピンオフを促進していると考えられる。


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