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第3部   政府の施策
第4章  科学技術振興基盤の強化
5  国際協力の推進


国際社会の中で,わが国の地位が高まるとともに,わが国の科学技術に関する国際協力活動はその分野を拡大し,活動内容も充実したものとなつている。

OECDは,科学大臣会議,科学政策委員会,環境委員会,欧州原子力機関(ENEA)などで科学技術関係の諸活動を活発に行ない,先進国間の科学技術協力における貴重な場を提供しているが,わが国もこれらに積極的に参加している。

現在,OECDでは,経済の量的拡大を主眼とした60年代の科学政策を分析し,70年代における新しい科学政策の方向づけを行なうべく活動を展開している。その一環として,1969年末以来,事務総長直属のアドホック・グループが設立され,科学政策の新概念について検討してきたが,1971年4月,「科学,成長および社会一新たな展望」と題するレポートが事務総長に提出された。

また,科学政策委員会が中心となつて準備が進められてきた第4回科学大臣会議は,1971年10月パリにおいて開催され,平泉前科学技術庁長官が議長をつとめた。会議の主題は,「社会のための科学技術」で,今後の科学政策の基本的課題として,社会的要請に基づいた研究開発の重視,社会サービス部門における技術革新の促進,科学技術面における国際協力の緊密化などについて討議が行なわれたほか,わが国から提案したテクノロジー・アセスメントの検討の促進に関する提案が各国の支持を得,今後各国でケーススタディを行なつてその結果を交換することになつた。科学政策委員会は,この1年間主として科学大臣会議の準備を行なつてきたが,そのほか,コンピューター利用,科学技術情報政策,研究開発統計などに関する活動を進めるとともに開発援助委員会(DAC)と共同で作業グループを設置し,開発途上国との科学技術協力の方策について検討を行なつてきている。なお,科学政策委員会は,本年科学技術政策委員会として発展的に改組された。

環境委員会では,水管理研究,大気管理研究,都市問題研究などの各セクター別の専門グループの活動とともに,環境保全に対する科学技術研究についても取組んでいる。

欧州原子力機関(ENEA)に対しては,わが国は,ハルデン計画,中性子データ編集センター,計算機ライブラリーおよび新国際食品照射計画に参加しているほか,1971年に実施された放射性廃棄物の大西洋投棄事業にエスコーティング・オフイサーを派遣した。1971年8月,欧州宇宙研究機構(ESRO)から情報交換および定期会合等を実現するため,公式の書簡交換の提案があつたが,これに対しわが国は,ESRO提案の趣旨に賛成し,書簡の交換については外交ルートを通じて検討していくことになつた。

一方,国連では,開発途上国への援助強化のため1971年7月の第51回経済社会理事会において,政府間常設機構として科学技術適用諮問委員会の設置が決定された。国連貿易開発会議では,第3回会議を1972年4月チリのサンチャゴで開催する予定になつており,開発途上国への技術移転問題が重要なテーマの一つとしてあげられている。また,1972年6月には,国連主催のもとにストックホルムで,「人間環境会議」が開かれる予定になつており,その準備作業が進められている。

国連主催の第4回原子力平和利用国際会議は,国際原子力機関(IAEA)の協力のもとに1971年9月ジュネーブで開催され,論文発表,意見交換,原子力に関する展示会の開催等が行なわれた。わが国からも,平泉前科学技術庁長官(原子力委員長)をはじめとする関係者が参加し,わが国の原子力に関する環境問題,安全性確保等における国際協力の重要性について発言した。

IAEAに対しては,わが国は,総会,理事会など各種会議に代表を派遣して,その活動に積極的に参加するとともに,技術援助の実施,国際原子力情報システム(INIS)への参加などによりIAEAの事業活動に貢献している。また,1971年12月IAEAの原子力発電地域訓練コースがわが国で開催された。さらに核不拡散条約下における保障措置問題については,理事会のもとに委員会をおいて検討が行なわれ,わが国は保障措置を簡素合理化するために数々の提案を行なつた。

宇宙空間平和的利用委員会関係では,まず1971年6月ジュネーブで法律小委員会の第10回会合が開かれ,8年越しの懸案となつていた宇宙損害賠償協定が採択された。また同年7月ニューヨークで科学技術小委員会の第8回会合が開かれ,資源衛星探査グループの設置が決定されたほか,開発途上国への宇宙技術の応用の問題が検討され計画の大網が承認された。

エカフエ関係では産業天然資源委員会が1972年2月バンコックにおいて開催され,産業及び天然資源開発のための手段としての科学技術が検討され,科学技術の適用問題について関係諸国が高い関心を示した。

そのほか,アジア,オセアニア地域におけるエレクトロニクス産業振興方策について検討するため,1971年12月1日〜7日アジア・エレクトロニクス会議の第6回会合がマニラにおいて開催された。

また1970年のマニラの会議で発足が決つたアジア科学協力連合の第1回会議が1972年3月フィリピンで開催される予定でその準備作業が進められている。

アジア太平洋協議会(ASPAC)第2回閣僚会議の決定に基づき1968年4月科学技術サービス登録機関が暫定的にキャンベラに設置されたが,1971年従来のオーストラリアによる運営からASPAC各国の共同事業に移管された。また科学技術庁および通商産業省は,開発途上国の研究開発ニーズの把握のため,アジア経済研究所に委託してアジア各国に調査団を派遣した。

つぎに,二国間協力としては1971年7月わが国において科学協力に関する日米委員会の第11回本会議が,また9月にはアメリカにおいて天然資源の開発利用に関する日米会議(UJNR)の第4回本会議が開催された。UJNRでは,地震研究,牧草種子の育種改良,有毒微生物の研究などにおいて成果をあげているほか,海洋開発の分野で協力活動が進展している。また。環境保全のための科学技術協力については日米公害担当大臣の定期会議が開催された。

1971年11月,ワシントンで開催された日米原子力会議では,濃縮ウランの将来の需給,軽水炉の安全性,高速増殖炉および新型炉の開発ならびに放射性廃棄物の処理について意見交換が行なわれた。また,環境と原子力利用との関係の重要性を認めるとともに,この分野および軽水炉の安全性の分野について緊密に協力を進めることが合意され,さらに日本の将来の動力炉計画のために必要な濃縮ウランの供給量の増加について話し合いを始めることが合意された。

宇宙分野におけるアメリカとの協力としては,1969年に締結された「宇宙開発に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協力に関する交換公文」に基づく協力を進めたほか,1972年打上げ予定のアメリカの資源探査衛星のデータ解析の研究をわが国も分担することとなり,その研究テーマを1971年4月米国NASAあて提出していたが,同年10月4つのテーマが採択された。

1971年9月ドイツ連邦共和国ロイシンク教育科学大臣が来日し,科学技術庁長官と会談し,原子炉安全問題,科学技術ドキュメンテーション,テクノロジー・アセスメントの手法,都市過密問題および汚染問題など両国が当面する諸問題について意見交換を行なつた。

一方,平泉前科学技術庁長官は,前述した第4回原子力平和利用国際会議に出席した後,イギリス,フランスおよびソ連の各国を訪問し,わが国との科学技術協力について意見を交換した。

1971年9月東京で開催された日加原子力会議では,日加協力の現況,ウラン資源問題,動力炉の開発,放射性廃棄物処理等について意見交換が行なわれ,とくに核燃料の開発について今後とも密接な協議を続けていくことが合意された。新型動力炉の開発について意見の一致をみ,また,動力炉・核燃料開発事業団とカナダ原子力公社との間の重水炉開発に関する技術協力のための協定が調印された。

このほかカナダとは日加原子力会議を通じ,原子力分野で協力を行なつているが,一般科学技術の分野でも両国間で活発な協力の機運が盛りあがりつつある。なお,1972年3月にはカナダ側から科学技術調査団が来日した。

ソ連とは,両国政府間で科学技術者の交換を中心とする協力が行なわれている。

オーストラリアとは,1970年7月に,国土開発大臣が訪日し,原子力開発など両国間の協力について関係者と懇談し,1972年2月原子力協定が調印された。また,科学技術会議は,1971年11月初めて南半球に足を伸ばし,オーストラリア,ニュージーランドにおける科学技術活動について実態調査するとともに政策問題について意見交換を行なつた。

このほか,最近わが国には各国から科学技術関係者の訪問があいついでおり,1971年5月にはイタリアから調査団が,また,1971年10月にはルーマニアの国会議員団が来日し,わが国の科学技術行政担当者と懇談した。またスウューデンからは本年科学技術調査団が派遣される予定である。

原子力委員会は,オランダのバレンセン博士,IAEAのエグランド事務局長を招へいし,原子力平和利用の分野における研究協力問題について意見交換を行なつた。


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