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第1部   科学技術への新たな要請とそれへの対応
第2章  動き出した70年代の科学技術活動
3  新しい科学技術分野の開拓
(2)  ライフサイエンス


これまでの生物学は,生物と物質とは本質的に異なるという概念にもとづき,生態系レベルから細胞レベルまでを生命現象の理解の場として,着実な進歩を遂げてきたが,最近のエレクトロニクスの進歩による各種分析機器の出現と物理・化学的手法の導入により,生命現象や生物機能を,細胞を構成する物質の動きとして分子レベルで解明しようとする学問,いわゆる分子生物学が急速な発展を示し,生命現象や生物機能の多くを物質の動きで系統的に説明できるようになつた。

このように,生命現象や生物機能に関する研究対象が,生体のミクロな物質の世界にまで伸展し,学問が細分化されてくると同時に,一方では,人間も含めた高等生物にみられる知覚,記憶,思考というような高次な現象を理解するには,上述した生物学の知識とともに,生物系の諸科学はもとより物理学,化学のような基礎科学から工学,さらには心理学,社会学など人文科学の知識も必要になつてきた。

この結果,上記のような関連分野に分散し,それぞれ独自の概念と方法論をもつて発展してきた「生命現象と生物機能に関する科学群」は,分子生物学における物質を共通基盤として,共通の法則の解明と方法論の展開ができるようになり,新たな科学技術分野としてライフサイエンスが登場してきた。

このようにして,ライフサイエンスは1960年代の後半に登場してきた科学技術分野であるが,その領域は広く関連する科学分野も多岐にわたつている。

ライフサイエンスの着実な進歩によつて,生体構造および機能について科学的解明が可能になつてくれば,その応用面は広範囲に広がり,現在,直面している諸問題に解決のかぎを与えるだけでなく,さらに次に到来するであろう新しい技術革新の芽となる可能性をひめている。たとえば,がんの治療,新しい有用動植物の育種,環境因子の生体に及ぼす影響の把握など医療,食生活および環境問題における飛躍的な改善および向上が図られ,国民生活に大きく貢献するものと期待がもたれている。

また,生体のもつすぐれた機能,たとえば視覚,触覚,嗅覚,聴覚,運動,情報処理等の諸機能が解明され,これを工学的に再現したり,応用したりすることを目的としたバイオニクスが進歩することによつて,新し産業技術を生み出し,産業活動に対しても大きく寄与するものと期待されている。

こうした意義から,ライフサイエンスは,今後より一層積極的に振興していくことが緊要である。

しかし,ライフサイエンスは,研究領域が広く,また,生命現象の複雑さと研究の困難性のため,現在はまだすべての領域にわたつて十分な知見が得られたとは必ずしもいいがたい段階にあるので,長期的に育成振興を図つていく必要があり,その振興にあたつては,次の諸点に留意しなければならない。

第1に,生物学の知識体系と研究手法を基礎にしたライフサイエンスの重要性が明確になつた今日,分子生物学などライフサイエンスの基礎となる生物学の積極的振興を図らねばならない。

第2に,ライフサイエンスの課題は,その性格上多部門にわたる境界領域的な問題が多いため,問題解決には,自然科学の分野のみならず行動科学など人文・社会科学を含めた多分野の連携が必要である。

第3に,研究開発にあたつては,研究者をはじめ研究に必要な資源を研究目的に応じて,効果的,弾力的,総合的に配分できるような研究体制を確立する必要がある。

ライフサイエンスの振興にあたつては,これらの点に留意しつつ,広範多岐な要請に応えて,外くの技術課題を解決していかなければならないが,これには国および大学における研究機関の果たす役割が大きいことから,当該分野における研究活動の現状を,まずわが国の政府,大学における研究活動について,ついでアメリカにおける研究活動について概述することにする。


(1) わが国における研究活動の現状

これまでのわが国におけるライフサイエンスの研究については,基礎研究を主として大学が,応用研究を国立試験研究機関,民間研究機関等が,それぞれ実施してきており,現在では,生物の遺伝に関する基本問題,発生,分化,がん,免疫,脳機能,その他広範にわたる生物と人間の生命現象に関する解明,生体機能の工学的応用などを目ざして研究が進められている。

そこで,わが国における研究活動を研究投資等の面から眺めてみると,まず,政府におけるライフサイエンスの研究活動は,国立試験研究機関を中心にして特別研究,大型プロジエクト研究および特別研究促進調整費による総合研究や緊急研究によつて鋭意推進されており,46年度のライフサイエンス関連分野の研究費は,6.3億円,研究課題数は29件であつた。

つぎに,各省庁で取り上げているライフサイエンスの研究課題をみると,科学技術庁では,各省庁にまたがる総合研究のテーマとして新方式小型人工腎臓,動力補装具の開発を取り上げ,特別研究促進調整費を配分して,それらの総合的な推進を図つている。このほか,厚生省,農林省,通商産業省などの研究機関においては,それぞれ中心的な課題として血液製剤の開発,蛋白質の資源開発,生体の情報処理機能の解明などをとりあげ,積極的に研究開発を進めている( 第1-6表 )。

さらに,47年度から政府は,ライフサイエンスの研究に対し,一層意欲的に取り組もうとしており,科学技術庁関係では精神的機能の解明および生体機能を工学的に利用する研究や基礎部門である酵素,顆粒の研究(理化学研究所)に長期的に取り組む計画である。

また,農林省では,細胞レベルにおける生命,生物の機構,機能の解明に関して「高等植物における単細胞培養に関する研究」等3テーマを,通商産業省では,バイオニクス総合研究の一環として生体と同じ働らきをする人工素材の開発と応用に関する「生体高分子に関する研究」等2テーマを新しく取り上げようとしている。

第1-6表 国立試験研究機関におけるライフサイエンス の主な研究課題

次に,大学におけるライフサイエンスに関する研究活動をみてみよう。

大学は,生命のメカニズムの解明に主体を置いてライフサイエンスの基礎研究から応用研究までの幅広い分野について,研究を行なつているのが特徴である。

それぞれの研究は,学部,附置研究所,附属病院の生物あるいは生化学,医学等の学科,研究部門,施設等で推進されており,それに必要な経費は主として,教官研究費および文部省科学研究費補助金によつてまかなわれている。

このうち,科学研究費補助金について,ライフサイエンスに関する最近の採択課題数および交付金額の推移を「がん特別研究」,「特定研究」および「総合研究」における関連テーマからみてみると, 第1-26図 のとおりで,昭和4年度以降生命と生物に関する研究課題数および研究費は,毎年着実に増加しており,大学においても,ライフサイエンスの研究活動に対する積極的な姿勢をうかがうことができる。

第1-26図 科学研究費補助金のうち「がん特別研究」「特定研究」「総合研究」における ライフサイエンスに関する最近の採択課題数および交付金額

このほか,産業界においても,ライフサイエンスの分野へ積極的に取り組もうとする動きがでており,化学工業界が中心となつて,食品,医薬・医療,農薬,肥料などの産業部門でライフサイエンスの研究成果の実用化を目ざしている。

以上,政府,大学等における研究活動の現状を述べてきたが,わが国の現在におけるライフサイエンス研究の進め方をみると,

1) 大学においては細分化された学問体系の中でライフサイエンスに関連する諸科学間の有機的な連携が,かならずしも十分でないため,また,その他研究機関においても,取り上げているテーマが細分化し,横の連携が十分にとれていないため,総合的,組織的な研究開発の実施が困難な体制にあること,
2) ライフサイエンスの振興を強力に図つていくため,プロジェクト研究の場合には,綿密に企画調整された研究計画の樹立と,これに基づく研究活動が必要であるが,現状では研究機関は,それぞれ個々に必要とする研究課題と取り組んでおり,必ずしも総合的な観点あるいは計画のもとで研究を実施する形態にはなつていないこと,などの問題が残されている。

したがつて,今後,ライフサイエンスの研究を推進するにあたつては,大学および関係研究機関の施設設備の整備・拡充,研究人材の養成および研究情報のクリアリング体制の整備等を図るとともに,生命現象の本質そのものを追求する生物学と,その成果に基づき生体の資源的利用を目ざす農学および人間の疾病の治療,予防を目的とする医学との三つの分野の一層緊密な協力をはかり,さらに他の自然科学および人文・社会科学との有機的な連携を強化していくことが重要である。


(2) アメリカにおける研究活動の現状

アメリカにおいても,ライフサイエンスはまだ歴史の新らしい科学であり,その対象範囲は必ずしも明確になつていないが,国立科学財団(NSF)では,ライフサイエンスを大別して,生物の起源,進化,組織,機能および相互作用を取り扱う生物学系科学,病気の確認,治療,予防に関する医療系科学および前二者に含まれない境界領域的なライフサイエンスの三区分としている。

連邦政府の予算から,ライフサイエンス関係研究費をみると, 第1-27図 に示すように,1967年まで着実な増加を示し,その後横ばい状態にあつたが,1971年の大統領教書の中で,がん征圧計画,人工臓器の開発,さらに,1972年の同教書で救急医療システムの開発に集中的努力を振向けることが表明されており,今後ライフサイエンス関係の研究費は飛躍的に増加するものと予想される。

第1-27図 連邦政府の研究費の推移

1969年以降の連邦政府によるライフサイエンス関連分野に対する支出研究費を研究分野別にみると 第1-28図 に示すとおりで,医療系科学の比重が大きくなつており,境界領域はあまり大きな地位を占めるに至つていないが,その伸び率はかなり大きい。

ついで,ライフサイエンスの研究人材についてみると,博士号(Ph.D.)を保有する研究者の総数のうち,約25%をライフサイエンスの研究者が占めており,さらにその内訳をみると大学への集中度が高く,民間の比率は低い( 第1-29図 , 第1-30図 参照)。

第1-28図 ライフサンエンスの研究分野別研究費の推移

第1-29図 学問分野別の博士号保有(Ph.D.)の研究者の内訳(1968年)

第1-30図 ライフサイエンスにおける部門別の博士号保有(Ph.D.)研究者の内訳(1968年)


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