ここからサイトの主なメニューです
前(節)へ  次(節)へ
1部  研究活動と研究投資
第2章  総合分野における研究
4  エレクトロニクス
(3)  わが国の電子計算機


わが国の電子計算機の研究開発は主として大学,国立試験研究機関を中心に行なわれ,電気メーカー,通信機メーカーが試作にのり出したのは昭和32年頃である。政府においても同32年(1957年)電子工業振興臨時措置法を制定し,電子計算機産業の振興が国の政策として取り上げられるに至つた。また33年には,科学技術庁長官の諮問機関として,電子技術審議会が設置され,電子計算機もその中の一つの重要項目として審議の対象に取り上げられた。

昭和33年に最初の商用計算機が出てから約5年間は,小型計算機の習作から中型へと次第に充実していつた時期といえる。35年頃から国産機もようやく信頼性のあるものができるようになり,入出力装置として磁気テープ,ラインプリンタが使えるようになつて,事務処理の分野にも需要が開けてきた。

4,000〜10,000語のコアメモリも使用できるようになり,大型化がはじまつた。そして昭和38年頃から高速大型機が出現する。また外国の計算機製造者および周辺機器製造者と技術提携を結び混血機(外国機を国内製造者で製作したもの)の出現もめだつようになつてきた。

最近発表された各社の機種をみると,わが国計算機工業のさしあたつての目標であつたIBM 7090/94,7040/44級に匹敵するものもできるようになつたことがわかる。

部品等については,固体回路も出はじめているが,計算機にはごく一部に試作的に使われている程度である。磁性薄膜記憶装置には多くの研究成果が積み上げられた。

ソフトウエアに関しては,最近の国産機のソフトウエアも大分進歩して,コンパイラもいくつか完成しているが,アメリカなどにくらべるとまだまだ不十分であるといわれている。国産機のコンパイラは主としてFORT-RANのコピーで,各社それぞれの名前がついている。コンパイラ製作にはかなり高度の数学的素養のある技術者が必要であるにもかかわらず,わが国ではそうした技術者の待遇があまりよくないといわれており,そうしたこともわが国のソフトウエアの開発がおくれている一因をなすものといわれている。

現在,わが国の電子計算機も機械本体については,ようやく大型計算機もできるようになつたという段階であろう。しかしソフトウエア,保守のシステム,サービス等ではアメリカに大分おくれているといわれている。最近は貿易自由化により外国機の売込み攻勢も激しく,国内市場の推移も楽観をゆるさない。政府は,電子工業,とくに電子計算機の国際競争力を強化するため,種々の政策をとつてきているが,昭和39年電子工業審議会に対し,「電子計算機工業の国際競争力を早急に強化するための対策」について諮問した。

これに対し,電子工業審議査は電子計算機政策部会を設け,国産電子計算機の問題点に関して調査をはじめ,40年4月にその中間報告が出された。それによると,1)昭和40年から42年にかけての機種交代期後においても国内の電子計算機の過半が国産機によつて占められ,2)さらに,この国産機の60%程度を国内で開発された機種が占めることを目標として,3)機種交代期においては輸入制限を存続するとともに,日本電子計算機(株)による現行レンタル体制の基本を維持する。また43年以後においては日本電子計算機(株)の取扱機種を国内開発のものに限ることを目標としている。


前(節)へ  次(節)へ

ページの先頭へ   文部科学省ホームページのトップへ