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1部  研究活動と研究投資
第2章  総合分野における研究
2  原子力
(1)  原子力開発の推移


原子核エネルギーの平和的利用は,今日原子力発電,ラジオアイソトープ,原子力船などの各分野で活溌な進展をとげつつあり,核融合についても,基礎的な研究がすすめられている。

これらのうちでも,とくに原子力発電は,新しいエネルギ―源として,その経済性の向上にともない,,エネルギー政策上重要な位置を占めつつあるので,ここでは,主として原子力発電とその基礎となる,原子炉の問題について述べることにしたい。

1955年(昭和30年)の第1回原子力平和利用会議(通称ジュネーブ会議)当時には原子力発電が在来型発電に間もなく対抗できるというイメージにもとづいて,諸国で大規模な原子力発電計画が打出された。これはスエズ動乱による石油供給不安等のためもあつた。

わが国においても当時の世界情勢を反映して,その少し前から原子力問題が大きくクローズ,アップされてきたが,昭和29年(1954)初の原子力予算が計上され,原子力利用準備調査会が発足した。昭和30年には財団法人原子力研究所が設立され,またその年の12月原子力基本法が制定された。昭和31年1月には原子力委員会が設立されるに至り,さらに特殊法人日本原子力研究所がつくられ,前記の財団法人原子力研究所はこれに吸収された。

その後原子燃料公社(31年),放射線医学総合研究所(32年)が設立され,国立試験研究機関における原子力研究の推進,民間企業における原子力研究開発の助成等が行なわれはしめた。一方民間企業においても,次々といくつかの原子力産業グループが形成されていつた。また昭和32年11月には日本原子力発電株式会社が発足し,同年12月には「発電用原子炉開発長期計画」が原子力委員会により決定された。

しかし,第2回ジュネーブ会議(1958年,昭和33年)においては,原子力発電に対する評価は前会議の場合とかなり変り,当分の間,原子力発電は実験期にあるという空気になつた。これは発電所建設までの種々の問題が新たにあらわれ,コストも当初予定ほど下がらず,さらに他のエネルギー源事情の見通しが変化したことなどのためである。そして,各国とも前会議当時の大規模な原子力発電計画を次々に縮小し,あるいは内容を変更するに至つた。

このような情勢の変化にもとづき,原子力委員会は,前述の発電用原子炉開発長期計画を改訂し,昭和36年2月に新しい長期計画を決定した。この長期計画では前期10年を研究の段階とし,後期10年,すなわち,1970年から本格的開発を行ない,1980年までに600〜850万KWの原子力発電所を設置する見通しである。以来,わが国の原子力開発は,この線にそつて進められてきた。

昭和39年(1964)9月には第3回ジューネーブ会議が開かれ,原子力発電を主題として討議が行なわれた。会議開催の時点において,世界における電気出力4万KW以上の発電用原子炉は,アメリカ,イギリス,ソ連,フランス,イタリアなどで30数基完成し,その総発電容量は400万KWになつている。これらの炉型は,大部分実証ずみ炉で,発電コストについては在来火力発電と競合しうる段階に達したという報告が多く出されている。しかし,発電所の建設には各国の政治的,経済的,地理的条件等が異るので,発電コストについては種々問題があつて一致した結論には到達していないようである。他方,各国とも新型転換炉や高速増殖炉の将来性に期待を寄せているので,これらの炉の開発をどのようなウエイトでどのような方向で進めて行くかが,各国の原子力政策にとつて重要な問題になつている。一般に,先進諸国は将来の開発目標を高速増殖炉におき,それが実用化するまでの間新型転換炉を開発する方針のようで,各種の重水減速型,高温ガス冷却型等の新型転換炉の開発が進められている。

高速増殖炉については,熱料,材料,炉の安全性等の面において解決すべき技術上の問題点が多くあり,各国とも実用化の目標を1970年代末ないしは1980年代末ごろにおいて,研究開発を進めている。

なおアメリカにおける特殊核物質の民有化法の成立(1964年8月)は,世界各国における核燃料政策に大きな影響を及ぼすものと考えられる。


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