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  総論
第I部  わが国における科学技術の一般動向
第1章  科学と技術の結び付きの強化
II  わが国の現状



1. 新しい技術の開発とその背景

科学と技術の結び付きには,科学と技術自身の研究の方法や対象からくる必然的なものと,生産その他に利用するため計画的に結び付けて開発する面とがあるが,以上に述べてきたようにそのいずれも非常に急テンポに発展しているのが世界のすう勢である。

わが国がこの面で立ちおくれていたことは,昭和33年の白書で指摘した通りである。しかし,最近は「技術貿易の活発化」の章で述べるように輸入した技術もようやく消化され,技術輸出や技術交換が行なわれるようになり,また第II部「研究活動」の章で述べるように民間における研究投資もいちじるしく増大している。

そして戦後世界的に進んだ科学と技術の結び付きの強化が日本ではこの数年に集中的にあらわれてきている。

それらの全体を統計的に扱うことは困難であるし,また非常に多岐にわたるので全体を見通して現状を記述することは困難である。しかし最近のいくつかの事例を通してある程度現状と問題点を明らかにすることができる。
(1) I・N鋼

完全な金属の結晶は,はるかに強いはずであるが,実際は力がかかると結晶中の格子欠陥を中心としてすべり面が発生し,多くのすべり面が成長,集積して塑性変形が起こり,ついに破壊することが格子欠陥等の物性研究から明らかにせられていた。そこでこのすべり面の発達を途中で止めることにより強い金属を造ることができるわけである。I社では微小な窒素化合物を鋼中に分散させ,すべり,面の発達を引き止めてしまうことに成功し,従来の鋼とほとんど変らないコストで非常に強いI・N鋼をつくり,造船に実用化するまでに開発することに成功した。これは格子欠陥という物性論の応用された例であり,すべり面の発達を止めようということは,この方面の世界の多くの研究者が考えていたことであつた。それがわが国で達成された背景には,本多光太郎博士以来,鋼の金属物理の研究が全般的に非常に活発で,その水準が高かつたという事情があり,金属物理の非常に多くの研究手段やデータが利用できるというよい条件に恵まれていたことに注目しなけれぱならない。
(2) ナイロン原料の光合成

塩化ニトロシルを日光の照射により脂肪族炭化水素と反応させられることは前から知られていたが,特定の反応に有効な波長域の選定,均一で安価な光源の開発,反応装置の工夫などによつてT社では,シクロヘキサンから一挙に,ニトロソ化してオキシムを得ることに成功した。この方法で得られるナイロン原料のカプロラクタムは,従来の方法の半分以下のコストとなり,副生硫安も半分以下というすぐれた技術である。これは,熱や温度のような統計平均を介さず,光が直接ミクロの分子に作用する有利さを利用したもので,光と分子の相互作用の科学に基礎をおくものである。この成功については,T社が戦時中からナイロンの開発を行ない,アメリカのナイロン66と異なるナイロン6を独自に開発して来た研究実績の積み重ねがあつたという背景を注目しなければならない。
(3) 波消し船形理論

船のつくる波の抵抗を減らそうという努力は人類の文化とともに古くから試みられ,特にフルード(英)以来90年間水槽試験によつて精力的に試験研究が積まれて来た。しかし船のつくる波そのものを精密に計測し,そのメカニズムを科学的に解析することは東大工学部の乾栄夫氏等によつて世界ではじめて行なわれた。そして,船形がつくる波が,単純な正弦波のどのような合成からなるかが明らかになり,船形と抵抗の関係がはじめて理論づけられた。その結果これ等の正弦波を一つ一つ消すような反位相波をつくるバルブをつけ加えることにより,従来の常識を破つて,造波抵抗のほとんどない船形が可能であることが発見された。これにより,船の抵抗は主として摩擦抵抗だけとなつて一挙に約半減することになり,昭和35年5月,別府航路の「くれない丸」に臨時のバルブを取りつけ,姉妹船「むらさぎ丸」と比較することによつて実証された。近く青函連絡船にも採用されて燃料を節約し,所要時間4時間半を3時間に短縮する計画が進められている。

これは船形設計という技術的目的を一度はなれて,波そのものを解析するという科学的方法が常識の壁を破つて威力を発揮した典型的な例である。しかし同時に,これは大学の工学研究と,造船界の実地試験や実用化のすみやかな連けいの成功したいちじるしい例でもある。

その背景を考えて見るならぱ,第1に明治以来数十年にわたつて,わが国が海軍の要請もあつて国産造船技術の強化に力を注ぎ,伝統的な高い実力と,学界と造船界との強い連けいがあつたこと,第2に最近6年間造船高では世界の首位を占め,高性能の過給器付UEC型舶用ディーゼルエンジンの開発,前述のI・N鋼の開発,超大型タンカーを可能にした信頼性の高い熔接技術の採用など,わが国の造船技術の一般的水準が非常に高く,世界にさきがけて技術の壁を破る研究やその採用に,きわめて意欲的であつたということが注目されねばならない。
(4) エサキ・ダイオード

トランジスタなど半導体素子の性能を向上するためには電子や正孔ができるだけ自由に行動できるように邪魔物のない純粋な単結晶をつくる必要がある。しかし,江崎玲於奈氏は不純物の物性に対する影響を研究する目的で,逆に不純物を多く加えることにより,加えた電圧と逆に電流が流れ,つまり逆の整流が行なわれるというまつたく新しい現象を見出した。そしてこれが量子力学特有のトンネル効果(電子が薄い電圧の壁を突き抜ける現象)によるのであり,従つて,これをスイツチの素子に利用すれば,通常の素子より非常に早く応答する素子ができることが予想された。

昭和32年に行なわれた江崎氏のこの報告は,高速計算機の速度の壁を破ることに努力していたアメリカの研究者から異常な注目を受け,江崎氏自身アメリカに迎えられた。

技術開発からみれば不純物を加えるという一見逆説的な方法が,半導体の性質を明らかにしようとする科学的研究から試みられ,これがまつたく新しい技術開発の道を開いたのである。

しかし,これがわが国でただちに開発されなかつたのは,当時のわが国においては電子計算機の生産開発体制がまだできていなかつたからである。昭和33年の白書は当時の状況を「電子計算機は欧米ではすでぐこ電子工業に相当の地歩を占めているが,わが国は本格的生産態勢にいたらず,すでに中型機の輸入の機運にあるのですみやかに国産体制の確立が必要である。」と指摘している。

これを見れば当時わが国が多少速度はおそくともより安価にゆるい技術的水準で製作されても安定にはたらくパラメトロン計算機の開発や,結晶を使用にたえるほど純化するのに手一ぱいであり,欧米にくらべてより速い計算機開発への意欲と技術的余裕がはるかに弱かつたという背景がうかがわれる。
2. 背景となる一般研究水準の重要性

I「最近の科学と技術との結び付き」で述べた最近の科学と技術の特徴から考えてもまた前述の事例から見ても,今日の科学と技術の結び付きについては,単にある一つの科学の成果と一つの技術がたまたま結び付くというだけのことではない。その背景には研究開発の社会的,経済的意欲や必要というものが重要な役割をはたしているし,またその意欲をそそり,可能性を高めるためにも一般科学技術水準の高さがきわめて重要であるということがわかる。

科学の成果は一つの重要な出発点ではあるが,それだけでは決して技術開発はできない。

もし一般科学技術水準が低ければ,開発までに必要な附帯的問題の解決に利用しうるものが少なく,それらを全部新たに研究開発せねばならないために多大の労力と時間を要し,また開発したもののコストをいちじるしく高いものとしてしまう。その結果,結局は一般技術水準の高い先進国の技術に負けてしまう。科学と技術の全体の水準が高く,研究活動の全体が盛んでなくてはならない理由もまたここにある。

前述のエサキ・ダイオードの例は,このことを実証している。また,T社は独自にナイロン6を開発しながら,繊維を細くする特許その他をアメリカにおさえられ,関連技術でアメリカの技術と提携することがかえつて有利であつたため,技術導入を行なわねばならなかつたのも,この例である。

また一つの研究開発が活発に行なわれていれば,それは他のいろいろな研究開発に多角的に利用されたり促進したりする。たとえば,真空凍結乾燥技術は,新しい技術というのではないが,はじめは生化学の研究室の必要によつて工夫され,ついで血液の乾燥,その他医薬品工業とともに開発され,現在ではさらに大規模なインスタント食品工業を生みだすまでに発展している。つまり生化学の研究活動自身が真空凍結乾燥技術の中間試験の役割も果しているのである。

また,電子の波動性発見の直後から菊地ライン(菊地正士氏により発見された雲母の電子回析により生ずる回析図型)の研究で有名なように,わが国で電子回析の研究が盛んに行なわれ,電子回析装置の試作改良が行なわれて来たことと,非常に広い各分野の研究者の需要とが結び付いて,今日世界市場において,西ドイツと覇を競う電子顕微鏡が生まれたのも,またそれが電子ビーム加工として生産技術にまで発展しようとしているのも,この例と考えられよう。

最近民間各企業において各種の研究活動がきわめて活発化してきたことは,その直接的な成果ばかりでなく研究手段の面でも科学と技術の結び付きの強化に役立つている。

この面でも,わが国においてもようやく科学と技術の結び付きの好ましい基盤が形成されようとしているのである。
3. 多角的な人の結び付きの重要性

科学と技術の結び付きにおいて忘れてはならないのは,科学や技術の研究者もしくは現場の技術者などの人の面での結び付きである。特に技術開発のような面では百聞は一見にしかず,十読は一聞にしかず,といわれ研究者の直接の接触はきわめて重要である。

それは,論文,特許,ノーハウなど科学や技術のでき上つた成果からだけでは得られないそうした成果の生まれるまでのそれに何倍かするような多くの試みや失敗の経験が同時に結合されるからである。一方で失敗した試みが他方の成功と結び付いて有効な結果を生ずる場合があるからである。従つて科学と技術の円滑な結び付きを期するためには,国内の一般技術水準の高さ,科学研究活動の活発さが,ともにある程度全般にわたつて均衡のとれた形で発展していることが非常に重要であると同時に,そうした各分野の人の多角的な結び付きが必要である。

しかるに,わが国では特にこの点で重要な欠点をもつていたように思われる。一つは科学者,技術者が教育される条件にもよるが,またこれらの人々が実際に仕事をする体制や雇用上の問題,あるいは社会全般の横のつながりの稀薄な生活習慣もあつて,この点は非常に根の深い問題の一つである。しかし最近わが国においても科学と技術の結び付けの必要は広く認識され,民間の大企業においても,その企業の技術の基礎となる科学や技術の研究のために中央研究所を設置するものが続々あらわれて来た。これはわが国としでは,はじめてのことであり,従来の一欠陥を補うものとして重要な動向である。特に,これら新しい研究所がそれぞれ特定の目的にそつて,従来別々の所で仕事をしていた研究者を集め,新しい研究者と技術者の結合体をつくり出していることは重要である。大学や国立試験研究機関が主として学問別,分野別の,あるいは師弟の結合になりやすいのに対して,これ等民間企業の研究所は,それぞれの目的によつて基礎的と応用的,あるいは学問的分野としては全くちがつた分野の科学や技術の研究者もしくは現場の技術者を実用上の必要から結び付ける場を作り出している。

さらに,こうした動向が活発化するにつれて研究者の横の移動もかなり行なわれるようになり,わが国の最大の欠点である各専門間とか,大学と民間とかあるいは,科学と技術の間の人的疎遠さが緩和されつつある。科学と技術の最近における非常に多面的な結び付きからみれば現在の動向はまだ非常に不十分であり,各大企業の競争によつてテーマもいちじるしくかたより重複しすぎていて,人材の構成面でも均衡がとれていないように思われる。

しかしこうした動向はわが国ではようやく始まつたばかりである。欧米先進国にくらべれば伝統においても企業の研究所の規模においてもまだはるかに劣つている。それ故,わが国においては,科学技術者の多面的な結び付きと人材交流の気運をさらに強化することを基本的な方向とすべきであろう。これにより上述の人材構成の不均衡もおのずから是正されることが期待されよう。


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