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第3部   部門別に見た技術の動向
第12章  医療衛生部門
1  沿革
(2)  衛生行政の変せん

わが国において衛生行政が軌道にのりはじめたのは,明治政府が西洋医術採用の方針を明らかにしたことによるといわれている。すなわち,明治8年に,総合的衛生行政の起りである医制 * が東京,京都,大阪3府に布告された。その後,時代の機運に即応して衛生行政も発展してきたが,その最初の試練は明治10〜12年のコレラ大流行であって,その防あつのために当時の医学医術のすべてを結集して最大の努力が傾注された。この焦眉の防疫に集中された精力は,その後わが国の細菌学の研究にひきつがれ,同時に急性伝染病の診療技術にも大いに貢けんしたが,一方環境衛生の改善にまでは手を伸ばすにいたらなかった。

明治末期において近代国家の体制を整えたわが国は,公衆衛生の面でも新しい段階にはいったのである。すなわち,国民保健に対する一般の関心も高まり施策の重点は結核対策に置かれ,また保健所設置という画期的な措置もとられて大正から昭和へと移行した。昭和7年より同20年にわたる戦時体制下にあっては,国民体力の向上と福祉の増進が強調され,いわゆる健民政策がとられて結核および母子衛生対策が公衆衛生施策の中心であった。したがって,癌,卒中などの特定疾病については,医療分野ではすでに関心がもたれてはいたが,その予防のための研究は初歩的段階をでないまま戦時を経過したのである。

戦後,労働の過重と生活程度の切下げによる健康状態の悪化,医薬品や衛生資材の不足,あるいは医療施設の荒廃などのため,国民の衛生状況は危機に追いこまれた。この窮状打開のため,真に科学技術を基盤とした公衆衛生対策の強力な推進が要請され,幾多の曲折はあったが,今日ようやく国民の社会保障と医療体制が前進し,環境衛生の改善,予防薬品の増産,試験研究機関の整備などについても,世界水準を目標とした努力がつづけられているのである。


*衛生行政機構の確立,西洋医学による医学教育の実施,医師免許制度,近代薬局の制度等


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