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第3部   部門別に見た技術の動向
第12章  医療衛生部門
1  沿革
(1)  医学の進歩

現代までに医学医術が非常な進歩をとげたことは一般に認められるところであり,その発展経過は,自然科学の急速な発達に平行しているということができよう。

生者必滅の宿命を負う人間にとって,医学知識は衣食住以上に切実な問題である。そのゆえか,医学の起源は天文学,数学などとともに最も古いものの1つに数えられている。

紀元前5世紀ヒポクラテスによって古代ギリシヤ医学が創始され,文芸復興期に解剖学の基礎がなり,17世紀に生理学,18世紀には組織病理学が体形化された。ジェンナーの種痘法がうまれたのもこの世紀である。19世紀にいたっては物理学,化学,生物学などの基礎科学の影きよう(とくに光の波動説,顕微鏡の改善,X線の利用化等)をうけて細胞学,遺伝学あるいは微生物学などが誕生して,医学は長足の進歩をみせた。このような経過を経て現代にはいり,さらに実験生理学をはじめとして解剖学,組織学,病理学および細菌学が新たな装いをこらすにいたった。これらの基礎医学の進歩にともなって臨床医学が発達し,一方衛生学より公衆衛生学が分科して,ここに現代医学の体制ができあがったのである。

以上のような欧州医学の発展過程に対して,わが国においてはどうであったろうか。わが国の医学も太古時代にその端を発しているということはさておいて,奈良朝,平安朝,鎌倉,室町,安土,桃山の各時代を通じて韓,唐,宗あるいは明の医術が渡来し,江戸時代初期にはオランダ外科が,その中後期にわたって解剖学,生理学,病理学等の移入が行われた。しかし,当時におけるわが国の受入れ態勢はいまだ十分ではなかった。明治時代にいたりはじめて,欧州に発達した近代医学が英医ウイルスによって移植された。これを契機として,わが国における医学研究が盛んになり,明治12年頃よりは進んでドイツに学ぶ者が多くなった。この結果として日本医学はオランダ医学,英国医学を経て,ドイツ医学をその主軸とすることとなった。大正を過ぎ昭和のはじめにおいて,わが国の医学もようやく国際の列に伍して欧米医学と比肩しうるまでになった。とくに細菌学の領域においては北里,志賀,秦,野口等各博士の名が世界医学史を飾ったのである。

この時代において,わが国においても必然的に臨床分野と公衆衛生学の進歩がうながされたのである。

このようにして戦争時代にはいり,終戦直後にはこの活況も一時停頓するかにみえたが,いち早くアメリカ医学を取り入れることによって,今日ようやく戦前の域に復帰し,さらに前進をつづけている。

なお薬学分野についてみるに,欧州においては「くすり」の形の大部分は16世紀頃に一応完成し,18世紀において近代化学としての薬学の体形ができあがった。しかし,近代医薬品と製薬事業が急速に発展したのはナルカロイドの発見,細菌学の発達,合成化学の進歩に関連して,19世紀においてであるといわれている。一方わが国の「くすり」は長い間漢方薬学の支配下にあったが,16世紀以降スペイン,オランダ,ポルトガル等との交易によって洋薬が渡来し,洋薬と和漢薬の競争状態を呈しつつ明治時代を迎えた。医学の場合と同様に,この時代において,わが国の「くすり」もドイツ薬学による洋薬製造に切りかえられつつ大正,昭和と移行したのである。昭和10年より16.7年にかけて,製薬は質量ともに世界の水準に迫ったが,戦時中における外国との知識の交流の中絶,さらに戦後の混乱のため,製薬事情がいちじるしく悪化した。ために世界の水準にかなり立遅れをみせたが,今日では近年における薬学の非常な進歩にともなって医薬品製造も再び旧に倍する活況を呈するにいたった。

以上,主として欧州およびわが国の医学の推移を展望したのであるが,現代医学および医療技術における特徴は,まずペニシリン,ストレプトマイシン,オーレオマイシン等の抗生物質による化学療法のぼっ興であり,ついでは肺外科,心臓外科,脳外科等のめざましい進歩,あるいは急性伝染病の驚異的な減少であるが,今や放射性同位元素の利用および電子技術の導入による第2の革命が起されようとしているのである。


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