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第3部   部門別に見た技術の動向
第11章  通信
1  概説

わが国の電信電話事業は,政府の直営事業として明治2年開始され,その後80余年にわたって国家の力によって発展してきた。また,マルコニーの発明の直後から早くも研究が開始された無線通信技術も,軍の積極的な援助によって発達し,その成果が民間におよぶという過程がとられてきた。電信電話やラジオなどの情報伝達の手段は経済,社会,文化の発達にともない,ますます近代化された形で要求されるようになる。巨大な投資を必要とする通信事業が国家の力によって推進されてきたことは,経済・社会の急速な発展にともなう通信事業の発展に大きな意義をもっているが,その反面,国営事業としての保守的な性格から,先を見越した新技術の開発には積極的ではなかったし,通信機器の生産メーカーも外国技術依存度が高く,また国内需要が安定していたため新しい技術の開発意欲があまりみられなかった。この傾向は電話交換技術についてとくに顕著にみられる。戦後,昭和27年に電信電話事業が公社組織となり,その企業性が強調されるようになったが,また技術の進歩がいちじるしい時期でもあったため,翌28年から開始された第1次電信電話拡充5ヵ年計画では企業における技術の地位が高まり,企業と技術が一本となり,多数の新技術があらわれるようになった。

わが国の通信技術の発展は大正の終り,ラジオ放送の開始までの有線通信の輸入技術時代から,無線技術を主とする国産化の時代を経て,昭和7年の無装荷ケーブル搬送電話方式の発明以後に本格的な国産技術の育成時代が到来したが,第2次大戦の結果,有線通信技術の研究は完全に停止し無線技術の研究のみが軍事技術としてようやく続けられていた状態にあった。このため戦後,通信技術のなかでも,公衆通信技術として重要な役割をになうべき有線通信技術の分野では,諸外国にくらべて相当の遅れがみられた。その後,通信技術の分野でも技術導入が開始され,技術水準の回復とともに新しい技術が続々と登場するようになったが,この技術導入の開始以前に,すでに4号電話機や搬送装置の標準化,超短波中継装置の標準化,超短波移動無線などの技術が,戦後に通信技術分野の研究所として発足した電気通信研究所(通研)を中心として確立されたことは注目されてよい。

わが国の通信施設は用途別には公衆通信系と非公衆通信系に区別され,公衆通信系では,国内通信を日本電信電話公社(電々公社)が,国際通信を国際電信電話株式会社(国際電々)が担当し,非公衆通信系では公共事業から個人用にまでおよんでいるが,両者は特殊なものをのぞき技術的にはなんら区別されるべきものはない。 表3.24 はわが国電気通信施設の現況であり,無線の利用が広い範囲にわたっているのにくらべ有線通信の大半を電々公社が担当し,したがって技術的にもつねに主導的立場にある。

通信技術は,通信方式を決定する方式設計技術と通信設備の生産技術の調和により進歩する。

表3.24 わが国電気通信施設の用途別現況

戦前から今日にいたるまで,わが国では新しい方式の開発を欧米のように生産メーカーが行わず,すべて使用者側が事業計画のなかで実施し,必要な調査,研究を行い,生産者側がその仕様に基いて必要なケーブルや機器を生産し,ふたたび事業体のなかで完成してゆくという開発方式がとられてきた。

これは相当の研究投資を必要とする新しい方式が,事業の一部として行われるというわが国通信技術の開発方式の特長である。

以下戦後の通信技術の進歩を,通信サービスの需要の増大に対して,よりスピードのある,より確実な通信を,より広範囲に,しかもできるだけ経済的に実施する技術;限られた電波を有効に利用する技術;通信技術のさらに広い応用面への動向;国際化しつつある技術の動向の4点から展望しよう。


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