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第3部   部門別に見た技術の動向
第1章  農林水産業
3.  生産者
(3)  農山漁村の科学教育


毎年,中学を卒業し,義務教育だけで農山漁村に残り農林水産業に就業している子ども達は,卒業者のほぼ1〜2割を占める。たいていの教師は,これらの子ども達には馬鹿が多いという。あるいは,知能指数が低いという。そしてたいていの教師は,高校入学希望者や,他の産業に就職して村からでるか,村に残っても農業には帰らない人々の面倒を,主としてみてゆく。中学校3年になると,村に残って農業に就業する子ども達は,こんな気風の学校のなかで,劣等感をもったまま卒業してゆく。そしてすぐ,ほ場にでるのである。こんな子ども達をまちうけているのは村の公民館であり,青年学級であり,普及員である。

図3・19 中学校卒業者の動向

青年学級の教師として教壇に立つのは,中小学校の先生が多い。在学中は,就職もしなければ,高校へもゆかないので,面倒をみてくれなかった先生達である。そして,こゝでも,教科書中心の学校教育の延長が,夜,公民館で行われる。農業技術の教育には,学校教師にかわって,新顔の普及員たちが現われる。旧制中学卒業程度が7割もしめる普及員の行う教育もまた,教科書中心で子ども達は退屈と疲労を覚えるだけである。

青年学級を通じて,公民館を覚えた子ども達は,公民館の図書室にも出入する。しかし,たいていの公民館は,図書室とは名ばかりである。図書室らしい体裁を整えている公民館で,技術についての図書を探してみても,普及員や,教師や,兄貴分の農事研究会の青年達には読めそうな本はあっても,子ども達の興味をひくような,読めそうな図書はない。図書室の利用は子ども達に無理であっても,農事研究会にでも入っているような30才前の青年達は,図書室を利用しているかというと,必ずしもそうではない。せいぜい,ベスト・セラーズの小説の類が利用されているにすぎない。彼等は技術の図書など興味がないようである。興味をひくような,技術図書が少いからであろう。ある出版社がこの盲点を発見して,10冊の農村向図書をシリーズとして発行した。図書室らしい図書室のある公民館では,しばしば,このシリーズの本が,2,3冊整備されている。しかし,その出版社は,そのシリーズ本の11冊目をだしていない。理由はわからないが,恐らく商業ベースにのらないと判断したからであろう。農山漁村における,公民館を中心にする科学教育が,こんな現況のなかにあって,新しい試みがなされていないわけではない。中学校から劣等感をもったまま,農村社会にほうりだされた子ども達に温かい眼をむけて,日々のダベリ会,夏のキャンプ等,グループ活動を通じて,子ども達の胸に科学技術の根をおろす,下ごしらえをしている教師や普及員もいる。昼間,青年学級員の耕地を,青年達といっしよにまわって,土壤や植物の測定や調査をやり,夜,公民館にその資料をもちよって,討論することを通じて,青年学級での農業技術教育をやっている普及員や,教師もいる。そして,そんな青年学級や,農事研究会の青年のなかから,自分で肥料計算もやれる力をもった者がでてきている。

あるグループでは,昼間土壤の断面をみてまわり,夜それについて討論している。

それだけではない。ミチウリン会という,ルイセンコの生物学,遺伝学を学びつつ,作物の接木雑種,低温処理等の研究をしている集団が,ひところ,農村をふうびしたことがある。ミチウリン会そのものは,イネやムギの低温処理はよる増収技術を学ぶための集団であり,いわゆる篤農家の技術を中心にした増収技術を学ぼうとする集団と,何らの差異は認められない。それゆえに,現在では,ほとんど消滅してしまつている。しかし,ミチウリン会のなかで普及員や教師の指導をうけず,自分達の耕地を対象に,新しい実験を自分の力で試みてきたものがあるということは,科学技術を身につけてゆくうえに大変役立つていることを高く評価してよい。このような人達の間には,さきに例示したような感覚的,非科学的態度は,次第に影をうすめつゝある。自分達の発意で,自分でやってみて,その結果を科学的に分析し,理論化し,その結論を翌年の栽培に実践し,その実践から再び分析し,理論化して,科学技術の体得に努力している人々が,わずかではあるがうまれつつある。


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