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第3部   部門別に見た技術の動向
第1章  農林水産業
3.  生産者
(2)  科学技術への態度


農林漁民の科学技術に対する態度をみてみよう。たとえば,こういう事実がある。

農閑期には,各地で,品評会,共進会,農業祭などが,年中行事のように開かれ,水稲品種がほ場展示,される。その見学にくる農民は,何種類か展示された水稲の,穂や分けつの状態をたんねんにみてまわり,最後には1品種づつ穂を掌に握ってしごいてみる。みずからの視覚と触覚から,展示されていた水稲品種のなかで,一番よかったと思われる穂を,こっそりぬきとって持って帰って得意になっている。長い経験からえた視覚と触覚とで,「いい品種」ときめつけると,その品種名が何であり,その品種の特性がどういうものであるかを説明した展示板や,ラベルの説明書など問題ではないのである。まして,その品種が自分の村,自分の経営耕地のなかで,試験場でみたのと同じ結果がでるとは限らないことなど,思ってもみないのである。

掌でさわってみて判断する

ある農民は,村の薬屋で売っている「豊産源」というものをつかまされる。

自分の村が火山灰地帯であるということと,新聞か雑誌からえた,マンガンは火山灰土によく,葉緑素をふやすという科学知識の断片をもとにして,マンガンがもとになっているという豊産源は,自分の耕地でよい結果をもたらすにちがいないという結論をひきだしたからである。マンガンが,果して自分の耕地で必要なのか,どのくらい必要なのかは,まったく考えてもみない。村の「科学者」といわれ「いも先生」として,村の人々が尊敬している彼の物の考え方は,一見科学的にみえて,このように非科学的なのである。

農民は,非科学的で,感覚的であるがゆえに,科学技術に対して驚嘆し,魂を奪われてしまう。「草が薬でとれる」ということは,まさに,農民には驚きである。そして魔可不思議な威力をもつ2・4-Dという新しい技術をもちこんだその普及員に,多くの農民は全ぷくの信頼をよせ;普及員にいわれると,何でもそのまゝ受け入れてしまう。なまじっか自分の知恵をだすより,普及員のいうとおりやっておれば,まちがいないというわけである。科学や技術に対する農民の態度は,霊験あらたかな科学技術を,うやうやしく普及員からさずけてもらおうということであり,普及員は,どっさり仕込んだ新しい技術を,威厳をこめてさずけようという態度をとる。

科学技術に対するこのような態度,わからんことがあれば普及員にきけばよいという態度は,ますます,農民自身の基礎学力を低下させる。

ある県の,農事研究会の幹部達を集めての講習会の席上で,ある講師が「石灰チッソ1俵が,ここの農協ではいくらであり,硫安1俵はいくらである。両方の肥料のチッソ成分が20%とすると,チッソ成分1貫匁にしてどちらがどれだけ安いか,あるいは高いか」という設問で,答案をかかせた。このような,小学校生徒でもできそうな,かけ算と割り算を,しかも農民が日頃,使いすぎるほど使い,買いすぎるほど買っている肥料という身近なもので計算させたのに,100人近い受講者のなかで,正しい解答ができたのは,1〜2名にすぎなかった。農事研究会の幹部ともなれば,30〜40代の農家経営の中心人物であり,村の生産力のトップに立ちそうな人々である。それでいてこうである。あるいは義務教育終了後,あまりにも空白期間が長いから,こういう結果になったのだともいえよう。あるいは,新しい学制のもとで教育を受けていないからこういう結果になったのだともいえよう。

この反論を否定する事実もある。ある村の普及員が,中学校を卒業したばかりで,青年学級に出席した子ども達に試みてえた結果は同じであった。さらにその普及員は,その村が2化メイ虫の被害に悩やまされていることを頭に入れて,2化メイ虫がいつ頃発生し,いつごろが最盛期で,いつ頃なくなるかという設問を加えた。その結果は,満点なしという結果である。子ども達は,トンボやチョウが昆虫であることを教わり,カイコの一生も教わったかも知れないしかし,村の生産を阻害している2化メイ虫の一生や,分類を,何も教わらなかったからに違いないのである。

理科教育の欠陥は,教科書中心で,実験,実習がともなっていないことが指摘されている。しかし,都市部の中小学校はともかく,農山漁村の中小学校での理科の実験施設は,必ずしも満足すべきものではない。そんななかでは,依然として,教科書中心の理科教育が行われ,養蚕はやらないが,2化メイ虫の被害に困惑している村で,カイコの一生は教わっても,2化メイ虫の一生は教わらないであろう。中学校や,小学校に,理科の実験施設がなくても校外一面のタンボを実験室にして,2化メイ虫の一生を教育しいている教師もいる。

このような感覚的で,経験的な態度,そして科学技術の魔力のトリコになる心理,基礎労力の不足は,農山漁村の社会構造なり,生産構造が要因になっているとしても,この条件のなかで,まだまだ,農林漁民の科学的態度の成長は可能である。科学的な農林漁民が形成されれば,そのなかから,いろいの条件の枠をつき破る可能性もうまれてくるもあろうと思われる。そして,その萠芽は,すでに一部の教師,普及員等の活動のなかから,めばえつゝある。


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