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第2部   科学技術発展の基盤
第7章  普及活動
2  日常生活への普及
(1)  科学を考える機会と普及上の問題


人々が,科学的な生活や考え方を,自分のものにしようとする契機は何からうまれるのであろうか。

実際の生活体験

主として科学技術の発達によって完成された電気機具,化学製品,医薬品などの新しい生活物資が,わが国民生活のなかに数多くとり入れられるようになった。また交通通信機関の発達など,生活環境の中での科学技術の恩恵は増し,人々は,直接の日常体験を通じ,科学技術について考える機会が多くなった。科学技術の生産面での進歩発達が,日常生産の環境を通して,人々に科学を考えさせる1つの契機を作っているわけである。

しかし生活環境における科学技術の恩恵は,必ずしも一般的になっていないことに,この場合の問題がある。たとえば,家庭電化の先駆をなしたものであり,それをとり入れること自体が家事労働の形をかえ,新しい生活様式をもちこむ電気洗濯機についてみても,国民生活白書によれば昭和32年4月には全国平均30%の普及率でしかない。その普及をさまたげている要因の大きなものとして,世帯の所得と見合わないという経済上の問題があげられる。

理,数科教育

ところが,経済以外の要因が普及に影きょうしていることがある。

電気洗濯機を買った家庭に購入動機をたずねると,次のどちらかを答えられることが多い。1つは,主婦など家事を担当する者自身あるいは家族が,つらい家事労働を正当に評価している場合で,とにかく家事労働を楽にしたいという気持である。他の1つは,店の仕事や育児,共かせぎのために,幾分でも仕事を軽くしようとする切実な動機である。そしていずれにしろこれらの動機には現実の生活を分析し評価する知性の力が背景となっている。このような動機のほかに,過剰な宣伝による流行で,隣が買ったからという見栄が動機となっていることがある。この場合でも,結局は家事労働は楽になるが,それが直ちに生活の全般的な改善とは結びつかない。

いかに科学技術をもととする生活上の恩恵が与えられようとも,人々に自分で考える習慣がなけれぱ,それが日常生活に科学的な様式を導くものとはならず,次の新しい科学技術をうみ出す国民的な基盤とはならないと言うことができる。そこで,知性をそだて,自分で考える習慣を養う理,数科教育のいっそうの強化が望まれるし,他方,流行や見栄をあおりたてる新聞やラジオ,テレビ,映画,雑誌などマスコミの一般的風潮も検討を要することであろう。

知識の交流

ある個人が新しい生活様式をとり入れようとしても,家族の一部の反対で許されない例をみうける。過重労働に対するゆがめられた美徳意識や「科学的」という新しいものに対する不安や不信は,まだまだ多くの家庭に残されている。機械いじりのすきな子供に対して,「それではいい学校にも入れないし,いい職にもつけないぞ」と,子供の知性の動きに圧力をかける親も決して少くはない。反対に,ある農村に大工場が建設された時の調査で,地域出身工員が自分の子供に対する希望の職業として,給料が高く,自分達を指揮する技術者をあげたものが一番多かったという事例や,人工衛星があがったとたん,ある学級の子供の理科系志望が圧倒的になったという例は,科学者や技術者に対する社会評価の現実を示すものである。さらに,長い間経済的,精神的圧迫をうけた結果,非合理な習慣の中に埋れていたり,神,仏などに逃避し切って,科学などには触れようとしない場合もある。このような古い習慣,あるいは誤った観念はどちかというと現状では都市よりも農村に多く,同じ都市でも世帯主の仕事が思考的なものより,肉体的,労務的な家庭に多いと言われる。

農村やこれらの家庭では,経済的な理由により科学技術の恩恵からとり残され,高い教育をうける機会が少かったばかりでなく,とくに環境的に知的な活動をすることが少ないうえに,新聞やラジオ,テレビ,図書,映画等のマスコミの発達やその利用が未熟など,知識の交流が乏しいのが特色である。しかし一般的にわが国では,実社会の現場において科学技術を勉強しようとする集りが発達しているとはいえない。またマスコミの発達はいちじるしいが,その科学性については問題が少くないし,科学技術と接触できる展覧会や恒久的な展示施設,その他はごく稀である。


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