ここからサイトの主なメニューです
平成18年12月12日大臣会見概要

平成18年12月12日
9時16分〜9時38分
参議院議員食堂

大臣)
 今日の閣議では、「19年度予算編成において、18年度当初予算の国債発行減額を上回る過去最高の減額を達成して、財政再建、財政改革の道筋を大幅に進めたい」と、総理から強い意向の表明がありました。それを受けて財務大臣から、「各閣僚のご協力をお願いしたい」という発言がありました。それ以外特段のことはありません。

記者)
 ゆとり教育についてですが、特別委員会でも色々議論されていますし、教育再生会議でも、ゆとり教育を見直すべきだという意見で一致したようですが、大臣のご所見をお願いいたします。

大臣)
 ゆとり教育については、基礎をマスターした上で、さらに、応用その他について十分勉強をしてもらうということから、総合的な学習の時間というものが出来たわけですから、基礎がしっかりできているかどうかでしょう。教育再生会議がどういう見直しを提言しようとしておられるのか分かりませんが、まず基礎学力がどの程度できているか、特に義務教育については、来年、全国一斉の学力調査をしますので、それをよく見て、ゆとり教育が当初意図したとおりに運用されていないということであれば、見直していかなければなりません。しかし、見直しという言葉について、ゆとり教育や総合的な学習の時間そのものを無くしてしまうという意味なのか、運用の中身をしっかりと見直そうという意味なのか。ここのところも教育再生会議とよく話してみないといけないと思います。合宿討議をやったという話ですが、安倍総理も私もその場には出ておりません。山谷首相補佐官が私に会いたいと言っておられますから、そのご報告もあるだろうと思いますし、よく話を聞いてみたいと思います。
 それから、教育再生会議の内容について、ある社の報道がありましたので、事実関係を正しく皆さんにお話をしておきたいと思います。
 教育再生会議の渡邉委員が、「山谷首相補佐官から、閣議決定があるのでその範囲の中でというようなことを言われた。それであれば、教育再生会議の意味があまり無いのではないだろうか。閣議決定を超えて議論してもいいのでしょうか」ということを発言されました。それで、総理から話をすると最後の答えになってしまうので、私が引き取って、「法律でも、改正の必要があれば国会で行うし、閣議決定があったからと言って、それを超えて発言されてもかまわないです。そういう前提で話していただかなければ、教育再生会議に集まっていらっしゃる皆さんにも失礼なことです。ご自由に発言なさったらいいんです。ただし、皆さんが仰っていることが、すぐにできるというわけではありません。まず、総理が必要かどうかをご判断になり、私にも相談があり、その中で我々が必要だと思うものは、国会の審議・議決を経て法律改正が行われる、あるいは閣議決定が行われるという運びになりますよ」という、極めて常識的なプロセスの説明をして、何人かの方が私の意見に同調されました。ですから、「規制改革・民間開放推進3ヵ年計画」のことについて、山谷首相補佐官と私との間で論争があったなどということは、一切ありません。山谷首相補佐官からは、「伊吹大臣から、きちんと事情を説明していただいて本当にありがとうございます。助かりました」というご発言があり、多くの委員の方々も、「それはそうですね。閣議決定や法律の範囲内で審議するというのでは、我々は何のために集まっているのか分かりません」ということを仰っていました。
 色々な方から取材をして記事を書かれることはよくあることですが、私の名前を引用される時は、必ず私に確認を取ってください。事実はこうだということを、説明する義務が私にはありますから。読む方に誤解を与えてはいけませんので。このことはよろしくお願いします。

記者)
 ゆとり教育について、運用面での見直しが必要かもしれないとのことですが、その場合には、例えば国語や算数などのいわゆる基礎学力について、授業時間を増やしていくということも念頭に置かれるのですか。

大臣)
 そういうことよりも、ゆとり教育という名のもとに、何が行われているかです。基礎の学力が十分でなければ補わなければいけないけれども、本来、基礎学力を応用するという観点から、ゆとり教育という言葉が生まれていると思いますので、そのとおりの運用がされているかどうかということです。

記者)
 今の話と関連して、未履修の問題で、東京都の教育委員会が、総合的な学習の時間や理科、国語の時間について、他の都道府県では未履修とみているような事例について、拡大解釈して容認をしている問題はご存知でしょうか。

大臣)
 今日、数社で報道がなされていることは私も存じています。総合的な学習の時間というのは、かなり幅広い解釈の範囲があります。ですから、どういう運用をしていたのか。報道によれば、受験科目にそれを充てていたということですが、基礎学力的な英語、国語、数学、理科その他の科目を、どういうふうに、応用という形で運用していたのかどうなのか。事実関係をよく調べるように今朝指示したところです。
 それから理科についても。この理科総合等という概念の中に、物理等というものが、どういうふうにからまっているのかをしっかりと押さえておかないと、この場でにわかに未履修だとかどうだとか、断定するのは難しいと思います。
 法律によって文部科学省が定めた学習指導要領と教育委員会の解釈は、色々食い違ったりということが、この前からずっと問題になっています。このようなことが次々起こるということに対して、行政上どう措置するのかを、根本的に考えないといけません。解釈上許されるとか、許されないとかということをやっていると、結局グレーゾーンみたいなところがたくさん出てきます。グレーゾーンをうまく使ったものが、高校卒業の趣旨にかなうかどうかは別として、大学受験には有利になるというのは、やはりアンフェアな社会で、そう美しい国だとは私は思えません。ですから、今回報道されたことは、個別の現象として受け止めて、君が代日の丸については、あれほど厳しく独自の指導をしておられる教育委員会が、このことについては随分裁量の範囲が広い指導をされるということですが、これが即座に未履修だとか違法だとかという前に、私の気持ちとしては、文部科学省が統一的に指示を出せるような体制であって欲しいと思います。

記者)
 事実関係を調べるように指示されたというのは、総合的な学習の時間の扱いについてもですか。

大臣)
 これは非常にグレーゾーンみたいなところで、私の立場では、にわかに必修逃れだとか、未履修だという結論は非常に出しにくい分野です。

記者)
 要するに、ここまで問題が出てきているにもかかわらず、未履修の定義についての統一的な指示を、文部科学省がきちんとしていなかったという部分があるのでは。

大臣)
 「きちんとしていなかった」ではないでしょう。現実問題としては、きちんと指示しても未履修は出てくるわけですから。この前のように、世界史の未履修についてはそうでした。ましてや、こういうものについては、どのような法律や通達でも、一切重箱の隅まできちんとしたものが出るということは、在り得ないわけです。しかし、大体考えている基本線は守ってもらえるように、指導できる権限が欲しいと思います。

記者)
 国会でもその話はよく出ておりまして、大臣も、あまり行き過ぎると、国家統制になるのでバランスが大事だということをいつも仰っていますが、お話を伺っていますと、やはりもう少し権限を強める方に傾かなければいけないということですか。

大臣)
 まあ、難しいところでしょうね。何事も長所と短所は裏腹ですから。地方分権を進めるということをやりすぎると、全国統一ということは守りにくくなるし、全国統一ということばかり強調すると、地方分権の流れは止まってしまうし。どの辺で常識的なバランスを取っていくかということではないですか。ですから、国会の審議というのは、非常に大切なもので、国民の代表が色々な角度から色々な意見を言うわけですから、私は与野党を含めて、全ての意見を大切に聞いています。また、メディアの、例えば社説や解説なども一つの国民の意見だから、色々そういうものを斟酌した上で、教育基本法について国会の判断が出れば、作業を進めたいとは思っています。

記者)
 その関連で、先ほどから総合的な学習の時間について言及をされていますが、総合学習で、ずっと受験勉強をやっていて単位が認定されると、そもそも総合的な学習の時間、つまり自由化した授業自体がおかしいという話になりませんか。

大臣)
 そうではないでしょう。総合的な学習の時間で受験対策をやっているという断定の上で質問しておられますね。そうなっているかどうかを、今調べさせています。つまり、総合的な学習の時間というのは、色々なものを、現実に適応できるとか、応用とかいうことを学ばせるために作ったわけです。結果的に受験にプラスになるような運用があったかもわかりませんが、それが総合的な学習の時間の枠の中で、カリキュラムの組み方などをうまく工夫してやっていたのであれば、違法ではありません。皆さんの立場では、ある程度断定的な記事を書くことができるかもしれませんが、私の立場では、現実はどうだったのかを、聞かないといけません。その上で、今仰ったようなことなのか、そうではないのかを判断したいと思います。ただ、私の立場からすると、もう少しはっきりと、文部科学省の考え方を示せるような権限が欲しいという気がします。

記者)
 昨日、大臣は外国人特派員協会で講演をされましたが、そこで、小学校での英語教育の必修化に関連して、中学校での英語教育の方法を見直した方が良いのではないかと仰ったと思いますが。

大臣)
 昨日は、一つは外国人の方から、日本人の英語力、特にオーラルコミュニケーションがまったく駄目で、北朝鮮レベルだという話がありました。また、日本の方から、諸外国でも二、三カ国語を自由に話せる人が多いという話がありました。よく、私が英語教育に非常に反対しているというようなトーンで話している人もいて、私の真意がよく伝わってないから、私が申し上げたのは、「小学校の学習指導要領には、日本の文化と歴史、日本の文化と伝統をよく理解して、進んで国際感覚を養うということが書かれているだけなんです。外国語教育をしなさいということは、一言も書かれていません。こんにちはという言葉は、good dayという言葉もあれば、ニイハオという言葉もある、Guten Tagという言葉もあれば、Bonjourという言葉もある。色々な言葉があって、色々な文化がある。そういう意味での外国語に触れるということは、小学校でやったらいい。しかし、英語をどうマスターしていくかについては、中学校でブッキッシュな(堅苦しい)、アルファベットを教えるという教育だけでいいのか、あるいはもう少しコミュニケーションを重視したような教育に変えた方がいいのか。そういうことは考えたらいいでしょう」ということです。

記者)
 特に、中学校と高校での英語教育の制度の在り方について、仰ったのでしょうか。

大臣)
 いやいや、そういうことを言ったわけではありません。教え方、メソッド(方法)について申し上げました。

(了)

(大臣官房総務課広報室)


ページの先頭へ   文部科学省ホームページのトップへ