学校教育の情報化に関する懇談会(第5回) 議事概要

議事概要

1 日時

平成22年6月9日(水曜日)16時~18時

2 場所

ゆうぽうと 重陽の間

3 委員出席者(敬称略)

 天野一、新井紀子、安西祐一郎、五十嵐俊子、市川寛、馬野耕至、大路幹生、小城武彦、陰山英男、國定勇人、重木昭信、関口和一、玉置崇、千葉薫、中村伊知哉、西野和典、野中陽一、堀田龍也、宮澤賀津雄

4 文部科学省出席者

 坂田文部科学事務次官、清水文部科学審議官、山中官房長、板東生涯学習政策局長、川上審議官(生涯学習政策局担当)、德久審議官(初等中等教育局担当)、前川審議官(初等中等教育局担当)、戸渡審議官(文化庁)、安間教育研究情報センター長、齋藤参事官(学習情報政策担当)、増子情報政策室長

5 議事概要

齋藤参事官より、資料1(熟議における意見の概要)及び資料3(これまでの主な意見)に基づき、説明。

【西野委員】
 これまでの議論は、教員のICT活用指導力やデジタル教科書の導入が中心であったように思うが、もう一つ教育の情報化で重要なのは、児童生徒のICT活用能力の育成であると思う。単なるICT活用能力だけではなく、広く言えば情報教育であるが、例えば情報モラルの問題、情報的な物の見方や考え方を育成することが大事であると思う。
 欧米諸国、韓国、オーストラリアでは、小学校から、情報教育の時間が必修として週に1、2時間程度あり、中学校も高校も継続して行われている。ところが、日本では、今のところ、各教科の中に情報教育を埋め込んでいく、総合的な学習の時間でやっていくということになっており、体系的な情報教育がなかなかできていない現実があると思う。先生によって情報教育をやる時間の差があったり、学校でも差があったりするのではないかと思う。21世紀型スキルや情報教育を主に担当する教科がないといけないのではないか。それが、高校の情報科ではなく、小学校から始まるといいのではないか。
 子どもに情報機器を与えても、放っておいたら携帯でメールやゲームしかしないので、うまく情報機器を活用する資質を小学校から身に付けていく必要がある。中学校でも、技術・家庭の技術で情報分野を行う時間はあるが、3年間でわずか1単位ぐらいで、ほとんど情報をやらないまま高校や社会に巣立っていく状況である。さらに、新しい学習指導要領では、若干その時間が減るのではないかとも言われている。
 高校の普通教科の「情報」の中には、例えば情報的な物の見方、考え方ということで、情報システム、情報をいかに創造するか、モデル化やシミュレーション、情報システム的な考え方など、いわゆる情報基礎力と言われる、情報フルエンシー、コンピテーショナルシンキング、欧米では社会人基礎力として求められていることがカリキュラムとしてはあるが、それが高校の現場ではきちんと教えられていない。なぜなら、教えられる先生が非常に少ないからである。私は、情報工学部においてこの8年間で200人ぐらいの学生に情報の教免を付与すべく養成をしたが、情報の教免を取った200人の学生のうち、情報の正規教員として採用された学生はまだ1人もいない。高校で専門的に情報を教える教員が少ないため、8割くらいは数学や理科の先生が兼担で情報を教えているが、この先生は自分が分かることしか教えることができない。
 したがって、情報の中身をきちんと教えることができる、若い専門的な知識や方法を持った人を採用するべき。福岡県では、まだ1人も情報で採用していない。どんどん若い学生の雇用を増やすと同時に、現職の先生方の再研修を積極的に長期間に行う体制をとってほしい。今、小・中学校を含めて、高校の情報教育をきちんとできるような教員の教育に充てられる時間や労力等はあると思うが、予算的な措置も含めてやっていくことをぜひ検討してほしい。

【堀田委員】
 児童生徒のICT活用に関し、21世紀型スキルが重要だということは、非常に賛成している。それをきちんと身に付けさせるためにも、小学校段階からそのための教科や領域等を教育課程に設置すべきだという意見を前回提出した。現行の学習指導要領にもこのような内容は書かれているが、子供たちの姿を見ると十分に育っていない。諸外国等を見ても、永続的に教科「情報」を小学校に置くかは別として、一時的に10年ぐらい置く例はあるので、一定の時期、「情報」にフォーカスして、子どもたちに何を教えるべきかという教育内容の精査をしなくてはいけない、「情報」に関する中核的な教科や領域等をつくるべきであると思う。
 そこでは、操作スキルではなく活用スキルを教えるので、何らかの文脈がないと意味がない。各教科には従来教えている内容があり、それが系統性を持っているのだから、小・中学校の段階で、一旦新たに特別な教科や領域等をつくり、各教科や、教科横断的な文脈を保った形で、ICTの基本的操作スキルのトレーニングや、ICTを活用した問題解決の体験をさまざまなかたちでやらせるべきではないか。
 先生が教室で子どもたちに授業を教えることは、次の時代になっても変わらないと思う。教室に多様な子どもたちがいて、多様な意見を引き出しながら、それをまとめて何かを教えていくことは、けっして画一的ではないと思う。しかし、残念ながら、今のところ、多様な子供の多様な意見をうまく拾い上げて共有化する装置が教室にはない。
 したがって、教員のICT活用としては、教室で様々な子どもたちの様々な考え方が共有できるような仕組み、具体的に言えば、大きなディスプレイなどで子どもたちが紙に書いたものきちんと映すことができるような仕組み、場合によっては何らかの小型デバイスを使って情報が共有できるような仕組みをうまく整備することを提言してはどうか。これは、児童生徒がICT活用のスキルを身につけることに加え、既存の教科の学力の向上にも、場合によってはしつけにもきちんと効いていくものだと思う。

【野中委員】
 西野先生、堀田先生の意見に賛成する。21世紀型スキルの育成を中核に置いた教育課程について考えれば、現行の高校情報科の充実が欠かせず、その前段階の小中高で一貫した体系的なカリキュラムを作らないとうまく浸透していかないと思う。
 そのような分野を学習するときには、デジタル教科書の使用が一番の早道だと思う。これを現行の全ての教科で一度に行い、新しい21世紀型スキルと従来の教科の目標の達成を同時展開するには無理があると思う。
 そのため、小学校ではあまりない例ではあるが、情報に関する専任教員の配置やその人材育成、それらをサポートする人材といった周到な環境整備、条件整備をしながら進めていくのが望ましいと思う。

【新井委員】
 まず、教科として独立した高校情報科の現状とその失敗部分に十分に目を向ける必要があると思う。情報を活用するために情報科を切り出した結果、多くの場合、具体的な対象がないコンピュータの活用の授業やJPEGとGIFの画像の保存の仕方はどのように違うかといった知識の暗記の授業が広く行われている現状がある。情報端末は、日進月歩でユーザーインターフェースが大変よくなっており、その使い方を教えなければなかなか使いこなせないという事態は、非常に短くなっていると思う。
 本来であれば、具体的対象があり教科横断的であるという観点から、総合学習が一番ふさわしかった。総合学習がそれを目指したときには、使い方が難しかったといったタイムラグがあったと思うが、それがよかったし、現在も算数や国語の時間に適切に使えることが、本来的な情報活用能力や情報モラル教育につながるはずである。
 21世紀型スキルの批判的思考力、問題解決能力、コミュニケーション力、プロジェクト力に関しては、多くの教科の先生が、各科目で一生懸命育ててきた能力である、多くの科目がそれに取り組んできたにも関わらず、一科目でそれを担うことは非常に不自然なことではないかと考えるのではないか。
 情報は、日々の暮らし、目的、それを活用してよいことが起こるといったことと分けるのは困難なので、別途に科目を立てることは、考える側としてはそのような聖域をつくるのはやりやすいことではあるが、そうではなく、もっと本質的な教育の中にICT活用を入れることが本丸だと思う。

【重木委員】
 20世紀では、日本でも様々な分野でコンピュータ化が進み、世界に伍してやってきたが、21世紀に入る頃からどのような分野にコンピュータを使って適用していくのがいいかというアイデアの発想で日本は負けるようになってきて、それが国力の低下にもつながっているのではないかと認識している。総務省等の統計を見ても、インフラやブロードバンド整備は世界一であるが、それを利活用する点では随分遅れをとっており、技術的な解決能力は日本も高いものを持っているが、社会にどのようにICTを適用して役立てていくかについて発想できるような人材を育てていかないとつらいだろう。
 そのような人材を育てることを考えれば、初等教育から教科を独立させたほうがいいのかという議論はあると思うが、例えば農業、自動車の交通制御、酒造の温度管理といった、1次産業から3次産業まで、ありとあらゆる分野にコンピュータが幅広く具体的な適用が行われている。情報と社会という切り口もあるとは思うが、どちらかと言えば、技術的なリテラシーを身に付けることを中心に教えている部分もあるのではないか。
 小学校から一貫した流れを汲んだときに、日進月歩で変わる技術の表層を教えても、ほとんど何の意味合いもなさないと思う。世の中のあらゆる分野で情報をどのように役立てていくのかということを教科として独立できるのであれば、独立させたほうがいいと思う。具体的な適用がないと考えられないということで、あらゆる教科に埋め込んでも、それを教えられる先生を再教育することができるのかが、今課題としてあるのではないか。様々な専門家が事例を紹介する形で教えるというアイデアも一案なのではないか。

【新井委員】
 例えば数学の先生がIT技術を身につけるのと、情報科出身、情報を勉強した学生が経済や国語を身につけるのと、どちらが身に付けやすいかと言えば、圧倒的に前者だと思う。教科の組みかえは、必要だと思う。例えば、高校で生徒に社会科の中心は何かと聞けば必ず歴史と返ってくるが、大学や社会人になれば、経済や法律のボリュームが大きくなってきて、大きなギャップが生じている。高校での今日的なICTを使った社会科の授業について考えれば、ここ10年以上経済の先生方が中心になってやっている、東証が提供する株式の「クエスト」のようなものを使いながら、実際に株を取引し、自分で経済がどのように動いていくかを見る授業のようなものなのではないか。

【五十嵐委員】
 子どもたちの情報活用能力を育成することはとても大事である。同時に、教科を教えるのに、教科の基礎基本と教科を深めるためにICTを使って、教師だけではなく、子供自身が使って学びを深めることもとても大事で、両輪をなしている。
 スキル的な情報教育部分については、小学校であれば、教科はないので、6年間を通して、例えば総合的な学習の時間で、いろいろな活動をする前提において、少し系統的に、体系的にやっているのが現状である。情報モラルについては、これが今回新しく盛り込まれた道徳の時間に指導をしながら、これは心の部分、どのように使うのかについては学級指導の部分と、いろいろなところにまたがってやっているのが現状であり、それでうまくいっている学校もあると思う。ただ、あまりにもばらばらしているので、きちんと体系化をして教科をつくるということは、すごく興味深い意見だと思う。
 知識基盤社会に向かって、子どもたちに大事な知識を伝達しなければならないことは変わらないと思う。これからは新しい未知のものに向かって、子どもたちが判断して学びを深め、つくり上げていくためには、自分の考えだけではなく、ほかの違う考えの人からも学んでいけるようなコミュニケーションを使った協働学習がどうしても必要になる。
 それを実現するために、ICTは非常に効果的である。我が校では、理科で、物の温まり方について勉強するとき、実験だけではなく、子どもたちが暖房は上にあればいいのか、下にあればいいのかを予想して実験方法を考える。この辺にある程度創意工夫があり、実験結果も動画に撮って記録をまとめる。それぞれのグループが違うことをやり、どういった結果が出たかについてお互いに交換し合い、コミュニケーションを図っていくという、まさに空気の対流をつくり上げていった。このようなICTの活用は、究極的には教科を深めることが前提になるので、理科教育であれば、理科教育の専門の分野で、教員養成段階で学んでいないとできないと思う。教員はもともとそういう素質があるので、一度教わればいろいろな工夫ができる。
 理科、算数、国語、数学といった教科で、ICTの可能性について教えているか、教科教育の中でICTはどのような扱いになっているのかによって、授業の質が、全体がすごく変わってくると思う。スキルはあくまでも手段であり、これからの21世紀の社会をつくっていく、知を創造していく子どもたちにどのような授業展開ができるかが最終的な目標だと思うので、教員養成の教科教育のやり方に検討すべきところがあるのではないかと考える。

【西野委員】
 「熟議カケアイ」を見ると、ある小学校の先生が子どもたちにマインドマップを書かせており、すばらしいと思った。そのような先生がいる小学校ではすばらしいICT活用がなされていると思うが、小学校によっていろいろ差があるのではないか。
 総合的な学習の時間で必ず情報教育をやらなければいけないわけではないので、情報科を設定し、情報教育を行う時間を保障する方法がいいのではないか。
 21世紀型スキルは、情報の時間だけではなく、すべての教科で養成されており、また、そうすべきものであると思うが、中心を担う科目があり、そこに専門の先生が配置され、その先生の影響が各教科にフィードバックされ、各教科でICTスキルや情報の考え方が広がっていくことがあるべき姿なのではないか。

【堀田委員】
 子どもたちにどのような力を身に付けさせるべきかについては、大体合意できていると思う。問題は、それをどのようにして身に付けさせていくのかということ。
 それには、理想形を描いてそれを実施すればいいのか、理想形は分かるがなかなか実現できていない現実があるので、暫定的な方策を考えるのかという考え方があると思う。
 私は、暫定的に教科や領域等を特設すべきであると提言しているが、それが理想であると言っているわけではない。理想は各教科の中で育成されることだと思うが、中高では専門性の高い教科の専門家が専科として授業をするが、小学校では1人の先生がいろいろなことを教える。例えば、社会科や理科でグラフを読んだり書いたりできるのは、算数で教えているからであるように、現行でも、いずれかの教科を中核で教え、そこで学んだ結果を各教科で発展させる形になっている。ICTの活用スキルの育成を考える場合にも、一旦そのような中核となる教科や領域等を意識するようなこと、例えば、みんながキーボード入力でき、それを使って文章を書き、プレゼンすることを順序立ててできるような教科や領域等をきちんとつくることが必要。それが必要なくなったときにその教科や領域等をなくせばいいと思う。

【陰山委員】
  ICTがうまくいかない最大の理由は、財政的な問題であると思う。昨年度スクール・ニューディールが行われたが、私が教育委員をしている大阪府では、結局市町村によって差が出てしまった。これは、一般財源化され、最終的な責任者が分からないことによるものだと思う。しかも、ICTには非常に多くの予算がかかる、国策として、国の責任において、文科大臣というよりは内閣総理大臣の名のもと予算措置するということにしないと、いざ実践となると自らの首を苦しめることになるのではないか。
 学校現場では、この10年少々の間に、生活科、英語科、総合的な学習と広がってきているが、一方で、学校5日制で全体の授業時間は減っているので、薄く広くなってきている。児童の特性として、絞られた内容を繰り返すことには非常に強くジャンプアップできるが、生活体験は乏しいので、薄く広くというのはなかなか厳しい。その特性を踏まえれば、指導に関して、教科を特設するか、教材化して各教科に埋めていくかはおのずと決まってくるので、システム化をぜひともお願いしたい。
 一貫性も重要。高校で情報科をやっても、実質的に大学入試に影響することはまずないと思う。高校情報科での学習は、大学の学びにどの程度活用されるのか。人材が育っていないという企業現場からの声は、かなり深刻に受けとめなければならない。全体として義務教育段階から大学教育までの一貫性が担保されていない中で、それぞれ条件が違い、各段階でそれぞれのことが行われているので、これに費用をかけても仕方がないと財政から言われれば、非常に心もとない。したがって、システム化と一貫性について、財政をきちんと押さえてやってほしい。

【安西座長】
 教科「情報」を設置するのであれば、また新しく科目が並ぶという問題が出てくる。情報の利活用に関しては、子供たち一人一人で非常にスキルが違うので、それを教室で教えることにどのような意義があるのか疑問に感じている。

【堀田委員】
 文字が書ける能力も本を読める量もみんな違う。特にできていない子にきちんとできるようにさせることが義務教育の役割だと思う。

【安西座長】
 「資料6 三宅委員提出資料」によれば、できる子とできない子に対して同じ目標を置いて教育をすることはもうやめたほうがいいのではないかとあり、特に情報科教育についてはそれが言えるのではないかと思った。

【野中委員】
 それは、現行の教科に関しては違うということか。

【安西座長】
 教科「情報」を設置し、今の教室での学習が主体の教育方法になると、一般の科目よりも、子供のスキルの分布、興味の分布も非常に広くなるのではないか。

【野中委員】
 議論を聞いていて、一人一人が知識を構成する構成主義的な学力観に基づく教育は、すべての教科で、基礎基本も含めて全部やると理解していたが、それは違うということか。

【安西座長】
 どちらが正しくてどちらが間違っているという問題ではないと思う。特に高校の教科「情報」の現状は情報リテラシーを教えることに傾いているように思えるのだが、情報科の問題は、それよりも、子どもたちが総合的にどのような力を持っていけるか、そのために技術よりも情報という考え方がどのように役立っているかが主体なのではないかと思っている。

【堀田委員】
 小学校では子どもたちの能力はみんな違い、教室でそれぞれの違いをうまく活かしながら先生が教えているという現実を考えれば、情報に関することも教室で教えることを止めるということはおそらく無理で、他の教科等と同様に、新設した教科や領域等として何らかのことができるのではないかと考えている。

【重木委員】
 情報教育に関し、高校情報科のイメージに引きずられて、技術的なことを教えたり、リテラシーを教えることを念頭に描きがちだが、初等教育で情報教育をやるとすれば、本を読むこと、人から話を聞くことも情報の取得になると思う。それをどのように蓄積し、分析し、まとめて発表するのかという情報処理の仕方の一連の流れを、IT技術を使うかどうかを別にして、まず教えなければいけないのではないか。
 IT技術は、それを使えばより効率的にできるというだけの話であり、高校や大学では飛躍的に力を発揮してくるものだと思うが、小学校段階では、基礎的な情報の扱い方の概念を教える必要があると思う。すでにいろいろな教科で教えているのかもしれないが、まとまった学問分野としてもあまり整理されていないので、きちんとまとめて教えなければいけないものだと思う。

【新井委員】
 重木委員のご指摘に共感する。一方で、例えば来年度から情報の時間を設置する場合、教えられるのは実践を経た方のみであり、教科を設置したからできる性質のものではないように思う。例えば、教育センターで研修をすれば、研修を受けた先生は教えられるが、本質的な部分については、教員養成や学校の教える科目全体のコンセプトのところからやらなければならないと思う。

【重木委員】
 そのとおりだと思う。カリキュラムとメソッドを確立しないと、自分でメソッドまで考えて教えるように言われても、教員も大変当惑するのではないか。メソッドが確立できていないのであれば、その確立からやる必要がある。

【安西座長】

 文脈抜きでそのようなスキルを教えることができるのかどうかは、長年の学問的な課題であり、なかなか深い話だと思う。

【陰山委員】

 小学校段階で情報教育をやった経験から言えば、子どもたちの情報活用能力は意外と早く伸びる。子どもたちの情報リテラシーはあっという間に伸びていく面があるので、わりと簡単に決着できる問題だと思う。それがうまくいかない原因は、古かったり、システムがうまく機能しないことにより、パソコンが動かないこと。それを解決するためには、財政的な問題が非常に大きい。
 新しい学習指導要領では、タイピングに対応するため、ローマ字の学習を早めている。小学校の2、3年生は、大人よりもはるかに速くタイピングでき、中学、高校へ行っても、様々なリテラシーの土台となってくると思う。そのような実証的なものを踏まえれば、子どもたちの情報リテラシーの育成はかなりスムーズにいくのではないかと考えており、それを置いて中学校、高校段階の議論をしていることが、問題を難しくしているのではないかと思う。

【関口委員】
 陰山委員の意見に非常に同感する。情報リテラシー教育がとりあえずパソコンを使える能力だとすれば、教えなくても覚える子は覚えるのではないかと考えており、一番のポイントは、接触時間だと思う。学校の教室の中でできる子とできない子がいるとすれば、それはおそらく家庭における環境が影響しており、それが教室でふぞろいな形として出てくるのだと思う。だとすれば、小学校段階から、身の回りにコンピュータを置いてあげることが一番大事なのではないか、そこで予算や財政の話になってくるのだと思う。今はネットにつなげれば自分で調べることもでき、ネットにつながっているパソコンを置いておけば、ほとんどのことが自分でできるようになる。
 しかし、学校現場では、お金をかけたものだからということで、3時から5時には先生がコンピュータルームのかぎを閉めて帰ってしまい、放課後、コンピュータが家庭にない子どもがそれになれ親しむことができない。数が足りない問題もあるが、コンピュータを使わせていない現実のほうが大きな問題だと思う。
 カナダのハイスクールでは、新入生の段階では、家庭の状況を考慮して学校が対応し、高学年になると、学校が毎月生徒からお金を集めて卒業するまでに1人1台持てるようにする。学校にWi-Fiが飛んでいるので、授業の傍ら、日本で電子辞書を調べるのと同じような感覚で、どの教科でも使えるようになっている。日本ではコンピュータ教育として切り離してやっていること自体がおかしいのではないか。
 保護者は、受験科目にないパソコンや携帯電話は邪魔でやらせるべきものではなく、電子辞書ならOKと思っているようだが、外の世界につながったネット端末こそ本当の意味での辞書。それを早い段階から身近に置いて自由に使わせ、分からないことがあれば友達や先生に聞いて教わっていけばいいと思う。

【西野委員】
 情報の内容は、コンピュータ・リテラシーの部分と、それ以外の高校の情報科でやっているような情報特有のいろいろな概念、考え方、能力の部分ときちんと分けて考える必要があると思う。コンピュータ・リテラシーに関しては、できる子はできるが、コンピュータをさわろうとしない生徒もいれば、できない生徒もいる。したがって、時間を確保して、学んでもらうことが必要である。一方で、高校の教育課程で定められているような内容に関しては、専門の教員が配置され、中身を教えていくことが必要である。

【中村委員】
 デジタル教科書に関し、熟議サイトを見たところ、非常に前向きで建設的な意見が多く意を強くしている一方で、指摘されている課題についてはトライアルを重ねて改善していけば解決できると感じた。導入して検証して改善するプロセスが大事で、早く手をつけていく必要があると思う。政府として政策パッケージをきちんと作り上げることを決めていくことが大事であると考える。 5月27日、デジタル教科書教材協議会の設立準備会を開催し、実質的な活動をスタートした。資料2中に書いてあるような、デジタル教科書に求められる機能や普及促進策の検討を進めることとしており、そこで、デジタルならではの教材コンテンツを開発すること、現場でのトライヤルを企画・実施すること、民間として学校をサポートする仕組みを用意することが民間サイドとしても非常に重要であろうという議論が行われたので、紹介と報告をしておく。民間の協議会としても受け皿づくりを急ぎたいと考えている。

【馬野委員】
 デジタル教科書については、導入ありきではなく、慎重な検討が必要であり、拙速な導入には反対という立場である。しかし、学校でIT機器を活用するための情報基盤に関しては早急に進めるべきであると考えている。デジタル教科書に限らず、ネットワークにつながるデバイス、校務支援システムを機能させるためにしっかりとしたIT基盤を整備することが最優先されるべき。基盤が整備されるまでの間は、デジタル教科書などが子供たちの心身に与える影響としてどんなことが考えられるのか、特に健康面では、小学校の頃から電子デバイスのディスプレイを毎日長時間見続けると目に悪影響があるのかどうか、電子教科書を使うと本当に教育効果や学習効果が上がるのか、効果が上がるのはどんな教科や分野なのか、前回新井先生から示されたマルチメディアコンテンツを搭載したデジタル教科書は論理的な思考の低下を助長するのではないかという懸念といった点を慎重かつ十分に検証することが必要。また、デジタル教科書用のコンテンツや教育方法の研究、開発、導入する場合に必要となる法制面の課題の整理、検討を並行して進めていくのが現実的なのではないか。
 1980年代の臨教審でも、情報化は個性化や国際化と並ぶ主要な検討テーマであった。また、21世紀目前に、政府が策定したミレニアム・プロジェクトにおいても教育の情報化が柱として打ち出され、その中で、校内LANの整備が目玉政策として盛り込まれた。ミレニアム・プロジェクトからもう10年経っており、すでに校内LANは整備されたと思っていたが、100%整備が終わった韓国やシンガポールの後塵を拝するという結果になっており、驚いている。
 なぜこのような事態に陥ったかと言えば、教育の情報化の整備面における国民の危機感の欠如や危機意識の低下といったものがあったのではないかと思うが、校内LANなどの学校のICT基盤の整備が遅れた直接の原因は、予算措置のあり方にあると思う。地域主権が叫ばれる中、ひもつき補助金から一括交付金へというのが政府の基本方針のようであるが、学校のICT基盤の整備に関しては、地域差なく早期に完了させるために、地方自治体に委ねるのではなく、国が主導して進めるべきではないかと考える。
 今年1月、韓国政府は、小学校、中学、高校に無線LAN環境を構築する計画を発表し、光州広域市の一部の学校において無線LANシステムの構築が始まったと聞いたことがある。将来、日本の学校が情報携帯端末を使ったデバイスを使うことになれば、当然無線LANが必要になるので、すべての学校に無線LANを導入するというように目標水準を引き上げた計画を練り直し、早急に着手すべきであると考える。

【安西座長】
 子どもたちの学びのあり方から入って考えれば、ワイヤレスLANは当然の考え方であるが、ほとんどその議論がなされてきていないことが不思議である。

【玉置委員】
 学校現場で子どもたちと接した経験から言えば、パソコンとの接触時間が長くなるからといって、子どもたちが学びを構築していくようにはならないのではないか。パソコンを与えれば、子どもたちがそれに触る時間は長くなるとは思うが、自ら学びを構築するのかは疑問。すぐれた教育のプログラムがあり、学び方をきちんと教えることが必要。大学生はかなり前からパソコンを使っていると思うが、大学生はそのような学びをしているのか。子どもたちがコンピュータに触れることで学び方が自然に身に付いた事例があれば、教えていただきたい。

【関口委員】
 今はコンピュータの使い方を教えるのに時間がとられているが、本来先生がやらなければいけないのは、学びをどうするかという部分。先生には、発想の部分をお願いしたい。

【新井委員】
 校務の情報化に関し、現在、多くの都道府県教育委員会において、主に県立学校を中心とした教育・学習・校務情報のやりとりや学校間での情報共有のために構築された学校間ネットワークが導入されている。校務情報や児童生徒の個人情報の外部漏えいを避けるため専用回線となっているが、各教育委員会にはそのコストが過度の負担となっており、帯域の拡張を妨げている。例えば、24Mbpsの回線に100校以上の学校がぶら下がっており、資料1「熟議における意見の概要」中にも、「勤務している学校の回線は、40人で一斉にインターネットにアクセスさせて測ったら、1台あたり0.2~0.5Mbpsだった。1人1台の導入を実現させるには、インターネット接続環境の整備が必要ではないか。」との意見がある。回線を太くすることは技術的に難しいわけではないが、専用回線を買うお金があまりに高額で、教育委員会が帯域を増やせない、議会が了承しない状態となっている。専用回線主義を終了しなければ、1人1台パソコンが実現しても、校内で回すことはできるかもしれないが、インターネットを使うことはできない。
 教育に関する情報を、高機密情報と低機密情報に分類し、低機密情報に関しては適切な暗号化処理のもと公衆ネットワークに出してもいいといったガイドラインを文科省が示さなければ、各教育委員会は動けない。そこが一番大きな隘路になっていると思う。
 成績表、出欠、健康調査等の管理の情報化が望まれているが、この情報は教育委員会または学校ごとで独自に考案されたものが使われているので、統一するのに大きな困難を伴う。クラウド化、SaaS化してほしいという意見もあるが、カスタマイズしたらSaaSの意味がない。カスタマイズを禁止しなければ人件費が削減できずクラウドの効果が出ないので統一する必要があるが、そこまでできるのかは問題。現在、PDFで発行している指導要録の入力インターフェースまでをクラウド化し、そこから先は独自にデスクトップパソコン上で帳票をつくるといった解決の方法もあると思う。
 これまでの10年間の教育の情報化では、先導的な試みや実践が重要だったと思うが、多くの学校で最低限のインフラ整備が整った現在では、費用対効果とサステナビリティーが重要となる。先生方が2年、3年ごとに学校を異動したり、区を越えて異動しても、サステインできるのか。サステナビリティーと学校間格差や地域間格差の是正が、今後5年間の教育情報基盤整備の重要なポイントになってくると思う。
 これまでは、各ベンダーによるクローズドなソフトウエアの林立により共通化が妨げられ、費用対効果が極めて低かったことが問題。また、一部の教員のみが精通している複雑なソフトウエアや特殊な目的のためにカスタマイズを重ねたローカルなソフトウエアがあり、持続可能性に非常に問題があった。したがって、学校ホームページ、緊急連絡網、バーチャルPTA、学校評価アンケート、児童生徒の学習成果公開、学校の施設予約といったどの学校も共通して使うと考えられる機能はオープン化し、パッケージソフトウエアとしてSaaS提供をして、カスタマイズはしないようにし、最低限のものを学校間格差なく提供するとともに、費用対効果を出してサステインできる状態にするべきではないかと思う。

【重木委員】
 昔は専用回線で安全性を保つという考え方が主流であったが、今では、インターネット上に特殊な仕掛けをして、バーチャルな形で専用回線と同じようなネットワークをつくり、セキュリティーと費用的な問題を解決した事例があるので、このような事例を参考にしながらセキュリティーと費用削減を両立させる道を模索したほうがいいのではないか。
 成績帳票の統一の問題に関し、記載項目が学校によって全く違うのであれば、統一はかなり難しい作業になると思うが、項目は似ているけれども打ち出し方や表現が違うだけであれば、簡単なソフトウエアの仕組みでできると思う。

【関口委員】
 予算の使い方や枠組みにも問題があるのではないか。日本では、物品購入には予算がつくが、通信費、保守、メンテナンスになると極めてハードルが高くなる。学校の先生が一番嫌がっているのは、パソコンを勝手に使わせるのは構わないが、故障した場合にそれを賄うための費用が出てこないことにある。
 アメリカで学校の情報化が非常に進んだ例を紹介すれば、90年代中頃、サン・マイクロシステムズのジョン・ゲイジというエバンジェリストが、NetDayを実施した。これは、コンピュータ・リテラシーのある父親に対し、週末学校に来て、校内LANを自由に張り、余っているパソコンを家から持ってきて学校に置いてほしいと依頼したところ、学校の備品がほとんどお金をかけずにそろった。当時まだ高額であった接続費用については、連邦政府が持っている電話のユニバーサルファンドのようなものを学校をつなぐためのネット通信に充てることにしたところ、一気に学校の情報化が進み、アメリカの情報化が広がった。
 一方で、日本の場合、企業が新しいパソコンを買い換える際に学校に中古パソコンの寄附を申し出ても、学校は、教育委員会の了解や市議会の決議にかけなければいけないのが面倒くさいという理由で受けない。そして新品を購入すれば、業者から非常に高いものを買わされることになる。子どもが使うコンピュータは中古で構わず、高い費用はむしろ通信費に充てるべきなのにも関わらず、端末を買って終わってしまっていることが最大の問題であると考える。

【堀田委員】
 帳票の統一が難しいからこそ、国として提案したい。多くの学校現場の帳票は、文部科学省の指定あるいは教育委員会が決めているが、それは書式ではなく様式であり、その出力の形態を変えなくても納得できる範囲だと思うので、きちんと提案することにより、コストダウンが図れるのではないか。公簿については様式を統一し、学校の裁量で発行する通知表や学校だよりについては自由にすればいいと思う。

【國定委員】
 財政のスキームに関し、小中学校はほとんど市町村立なので、IT機器を入れる実施主体は市町村になる。どの市町村も満遍なくほぼ同程度の水準でIT機器を取り入れようとすれば、地財措置では絶対に実現できない。地財措置は何のためにお金がついているのか全く分からないため、市町村長にとって何のインセンティブにもならない。究極のアプローチは、細かくいろいろなものを認め、IT機器を先導的に導入するために補助率を上げることである。
 IT機器関係の財政スキームは補助金スキームにならざるを得ない。国土交通省の社会資本整備総合交付金のように、基幹事業のメニューがかなり細分化されてどれもピックアップできるようにし、かつ提案事業という形で市町村が独自にやりたいことについても概ね40%程度の補助率がつくスキームは、かなり市町村には喜ばれると思う。
 コンテンツに関しては、国が統一的に調達して、市町村や学校はユーザーの立場になるほうが望ましいと思う。なぜなら、今の市町村はすべからく電算システムで電算コストが肥大化しているので、新たなシステムやコンテンツを付加することに非常に抵抗感を持つからである。IT機器を整備したがコンテンツ導入が進まないのは仕方のないことだと言わざるを得ない状況なので、そこを克服するためには、国が一元的に調達して市町村に配付することが最も短期間で行き届く方法ではないか。
 専用回線に関しては、今の市町村は大体専用回線をそろえているので、さらにどれだけ通信量が増えたとしても、あまり大した問題ではないと思う。

【五十嵐委員】
 一番大事なのは、市町村がちゃんとビジョンを持つことだと思う。日野市は、市長の理解により、平成18年度からICT活用教育を始めた。市長がやるからには全校一斉にやる、日本一のICT活用教育をやると宣言されたことを受け、1人1台の情報端末や校務支援はもちろんのこと、授業で子供の学びを深めること、校務の情報化、広報の3つをビジョンに掲げ、日野市の小中全25校が共通の思いでやってきた。
 校務支援については、企業と協力しながら一緒に内容を開発した。教務主任たちと話し合いを重ねていくうちに標準に寄り添おうということになり、みんなの共通のもとに機能ができ上がった。東京都内でもそれを導入する自治体が増えており、徐々に浸透してきている。
 異動で転出した教員が困る話を聞くので、基本的にどの自治体もきちんとそろえること、足りない機能があったとしてもどこでも統一性があることはとても大事だと思う。また、小規模の教育委員会では、財政的にこのようなことはとても無理なので、国にはそのような自治体を支える仕組みが必要。小規模で財政が厳しい自治体にこそ、クラウドコミュニティーの仕組み等を検討すべき。

【陰山委員】
 シンガポールで開催された各国のICTの交流会に参加し、校務支援を国が先導していないことについて発表すると、非常にばかにされた。システムができていることがアジアにおいても共通認識になっており、カルチャーショックを受けた。
 文科省において校務支援を積極的に進めてほしい。そのような実情が国民的に認識されていないのが問題であり、議会に変なかたちで返ってきていることを感じる。
 校務支援に関しては、各学校に委ねられている通知表を電子処理しても構わないと文科省から発信してほしい。公立小学校での校長時代、通知表の電子化を始め、付近の学校にも広まりかけたが、インクや手書きでないと駄目だと禁止した学校もあった。通知表は概ね全教職員が関わるものなので、電子化するだけでも先生方の校務支援のリテラシーはかなり上がると思う。できるところから現場に指示をお願いしたい。

【市川委員】
 我々が作るソフトの中での一番の売り上げはウェブ配信しているもので、学校からは年間利用料というかたちで徴収されている。昔は形あるものに対してお金を払う傾向があったが、最近は少し変わってきたように思う。
 国策として提案してほしいことが2つある。1つ目は、スクール・ニューディールの続きを今年もやっていただきたい。電子黒板やデジタルテレビが学校の現場に導入されたことで先生方のICT活用への意欲が上がり、たくさんの会社からデジタル教科書が出るということで現場が盛り上がりを見せている。この懇談会から、この動きをできるだけ進めてほしいという提案をお願いしたい。
 2つ目は、教科「情報」を小中から教科化してほしい。日本の学力の低下、子どもたちに関わるネット絡みの問題は、学校と学校外でのICTに関わる大きなギャップに起因するのではないか。学校外では、子どもたちはゲームや携帯電話で快感と利便性が進み過ぎている一方で、学校ではその部分が遅れていたのだと思う。その部分を補うためには、教科を設置することが必要。スキルやスキルに伴ったマナーやモラルなど、テーマは山積みである。問題は、その時間がないこと、それを指導できる人材がまだいないということなので、早急に大学等も含めて人材育成に努めてほしいという提案をお願いしたい。

【野中委員】
 ICT基盤に関し、国で一括にインフラ整備を実施することについては賛成。しかし、スクール・ニューディールにおいても、何台入ったかが問題ではなく、それが継続して活用できるような形で入っているかが非常に重要。持続可能なものにするためには、ある地域で実証してうまくいったから全国展開というのではなく、普及型の実証をしなければならない。持続可能性があることを実証するという段階をぜひ踏んでいただきたい。
 持続可能性に関しては、子どもが1人1台情報端末を持つ場合に子どもの学びが本当に継続するのか、普通教室にICT環境を整備した場合に先生がストレスなく授業で活用し続けられるのかについては、長期にわたる実証が必要だと思う。また、目標と成果が多様であるという位置づけであれば、その成果をどう評価するのかということは非常に重要だと思う。日本ではこれまで目標に対しての到達で評価をしてきたが、目標も成果も多様な場合の実証の仕方はまだ行われていないので、ぜひ検討してほしい。

【西野委員】
 高校の情報科、小学校、中学校でコンピュータ・リテラシーをやっていない子どもがいるのでやらなければならないが、高校の情報科のメインは、学習指導要領上、コンピュータの仕組み、ネットワークの仕組み、アルゴリズム、モデル型シミュレーション、データベースといった専門的な内容である。しかし、それを教えることができる先生が今の段階では少ないことが一番問題である。
 コンピュータ・リテラシーだけであれば、『できるシリーズ』のようなものを与えればできるのかもしれないが、情報の内容をきちんと教えていくためには、小中高一貫のカリキュラムをつくる必要があるのではないか。

【中村委員】
  ICTと青少年の問題に関し、私が関わっている団体に、青少年がインターネットや携帯を安心して使える環境を整備するための産学連携組織として昨年設立された「安心ネットづくり促進協議会」がある。昨日開催された今年度の総会において今年度の方針を確認したところ、この問題は非常に国民の関心が高まっており、行政の対応も厚くなっているので、学校、各家庭、産業界での対応がそれぞれ進み始めたが、学校と家庭と産業界の間の連携、情報共有が非常に不十分だという議論になった。社会全体での普及啓発に力を入れなければいけないという認識である。
 学校の情報化も同様に、家庭や地域との連携を重視し、社会全体の理解を高めていくための普及啓発活動に力を入れることが重要ではないか。さらに言えば、これは社会全体の情報化を促す取り組みの1つでもある。医療や行政分野の情報化などの施策と連動させつつ進めるべき点もあると思うので、政府としては、IT政策、知財政策、科学技術政策等との連携も進めていただきたい。

【堀田委員】
 一旦小学校から教科や領域等をつくるべきではないかと提案した趣旨は、21世紀型のスキルを身につけるための教科や領域等をつくるということ。子どもたちが情報をどのように取り扱うかについても、小学校段階からきちんと教えるべきだと思う。それは文脈つきで教えることであるが、社会、理科、算数にもあるとすると今と変わらないので、とりたてて教科や領域等を作って教えることが必要ではないか。その一部にコンピュータのリテラシーも含まれると思う。例えば、小学校で教える九九、漢字の書き取り、筆算のように、確実に習得させるような指導内容があり、これらの習得がその後の高次な考え方を支えるような学校段階、発達段階がある。それを踏まえれば、応用ができるようになるための基礎的な経験について再度整理し、それをとりたててきちんと教えておく必要があると思う。これが新しい教科や領域等を設置しようという趣旨であり、教育内容のイメージである。
 本懇談会のメッセージが、今の学校はだめだからこのようにするという形で発信されるのはまずい。学校現場は非常に頑張っており、学習指導要領にもすでにここで議論されているようなことが書かれているので、それを踏まえていることを明示的に示すべき。

【新井委員】
 イギリスでは、情報は、ネットだけではなく本にも含まれており、それは学校では図書室にあるという考え方で、図書館には学校司書のようなネットワークや図書館情報に関わる人がいる。日本でも、図書館情報や司書の教育課程ではそのようなことをやっている。子どもたちが理科や総合学習や社会の時間に調べ物をする際には、図書室にいっぱい端末がある、またはパソコン教室と図書室が一体型になっていて、そこには情報を調べ方やまとめ方についてアドバイスしてくれる人がいるような在り方が、小学校で情報が定着する上で自然なのではないか。
 クラブ活動やPTA活動といった教科以外の部分をよりICT化して、生活の中にITがある状態をつくり出すことができないだろうか。

【小城委員】
 スキルも大事であるが、インターネットとどう付き合うかという観点を教育に入れてほしい。自分自身を振り返ってみれば、文章を理解することは習ったが、本というメディアとどうつき合うかについて学校で習った記憶がない。例えば、本には当たりも外れもあること、本は読む部分が一部でいいことが意外と知られていない。企業でも、調べ物をして、ウィキペディアを全部張りつけたり、インターネットのコピーをそのまま束ねたりしてしまう人もいる。したがって、メディアからどのように情報を取り出し、どのように加工し、どのように自分の知りたいことを追求するのかについて考える、メディアとの付き合い方を教育でやってほしい。その点でも、図書館の役割も非常に大事だと思う。

【安西座長】
 子どもたちのネットワーク環境の悲惨さにも関連してくると思う。

【千葉委員】
 私は、有害情報に関する教育の講師やe-ネットキャラバンの講師を行っている。以前は小学校や中学校での講義が多かったが、今では約8割が高等学校からの依頼。また、以前は保護者と教師が一緒に学ぶことが多かったが、去年からは教師だけのケースが非常に多い。最近の高校では、事件が起こって初めて、先生方が対処方法を分からないといって講習を依頼してくるケースがほとんどである。
 秋田県でも、昨年から有害情報の講師を育てる取組を行っているが、1人も育っていない。高校の先生方は有害情報についてまだ全然理解いないこと、有害情報を教えられる人がいないこともあり、ここで時間をとって議論をしていきたい。

【五十嵐委員】
 懇談会でたくさんの外国の情報を紹介してもらったが、国内でも地道に頑張っている自治体や学校がいっぱいある。すでに20年前、今議論している21世紀の学びの姿に近い授業をしていたところもあるので、ぜひ国内の頑張っている学校の実践や事例も取り上げてほしい。
 学会で研究している方たちの見解も幅広く吸い取る必要があると思う。

【宮澤委員】
 学校種によっても違い、地域によっても格差がある中で、国全体のことを問うているので、現場の先生方に対する懇談会での議論の伝え方には工夫が必要。

【陰山委員】
 どのような能力を情報リテラシーとして必要としているのか。小学校、中学校、高校の段階は、大学卒業レベルからある程度おろされてくれば、どのような能力を情報リテラシーとして必要としているのか目途がつくと思うが、情報リテラシーの定義が各々でバラバラな印象を持った。国民的情報リテラシーとは何か、ビジネスのレベルはどうなのか、通常の生活における情報リテラシーはどういうものなのかをはっきりさせていけば、目途がつくのではないか。

お問合せ先

初等中等教育局情報教育・外国語教育課

(初等中等教育局情報教育・外国語教育課)

-- 登録:平成23年03月 --