学校教育の情報化に関する懇談会(第4回) 議事概要

議事概要

1 日時

平成22年5月27日(木曜日)16時30分から18時30分

2 場所

部科学省東館3階講堂

3 委員出席者(敬称略)

 新井紀子、安西祐一郎、市川寛、馬野耕至、大路幹生、小城武彦、重木昭伸、関口和一、玉置崇、千葉薫、西野和典、野中陽一、堀田龍也、三宅なほみ、宮澤賀津雄、若井田正文

4 文部科学省出席者

 鈴木文部科学副大臣、坂田文部科学事務次官、森口文部科学審議官、山中官房長、板東生涯学習政策局長、川上審議官(生涯学習政策局担当)、前川審議官(初等中等教育局担当)、戸渡審議官(文化庁)、齋藤参事官(学習情報政策担当)、増子情報政策室長、安間国立教育政策研究所教育研究情報センター長

5 議事概要

(1)鈴木副大臣挨拶
 本日は、21世紀にふさわしい学校や学びとは何か、その際に教員は何を期待されていくかを議論していただきたい。また、5月14日から「熟議カケアイ」というサイトにおいて、ICTを活用した21世紀にふさわしい学校や学びとはどうあるべきかについて、教育現場にかかわるさまざまな立場の方からの意見募集・意見交換を行っている。今朝までに約270件からご意見を寄せていただいている。31日までの意見は、次回の懇談会に示したい。

(2)齋藤参事官より、資料1(論点)及び資料2(これまでの主な意見)に基づき、説明。また、欠席した委員から提出された資料を紹介。

【馬野委員】
 21世紀にふさわしい学校や学びについて議論するにあたり、現在、教育行政を進めるに当たって人材育成の目標としている、21世紀の新しい日本人像について、鈴木副大臣からお考えを紹介いただきたい。

【鈴木副大臣】
 文部科学省、あるいは中教審としては、従来「生きる力」ということがキーワードになってきた。国がいわゆる望ましい教育像を示すというのは、戦後60年間、さまざまな議論があったところだが、例えば、新成長戦略の議論の中では、「生きる力」を少しブレークダウンし、力を入れていきたいことについて、3つのカテゴリーを提示させていただいた。
 すなわち、第1のカテゴリーは、人類社会に新しい付加価値を創造できるチームの一員を担える人材である。例えば、研究開発、文化、スポーツ、あるいはグローバルな経営、国際的なNGO活動等のいろいろな分野の中で、グローバルコミュニティに対して、新しい付加価値の創造をコラボレーティブに担える人材である。
 第2のカテゴリーは、日本でこれまで培ってきた多くの価値を、アジア、中東、アフリカ等、異文化の方々とともに、まさにコラボレィトして展開をしていける人材である。
 第3のカテゴリーは、我が国の国内情勢や社会的ニーズを踏まえ、医療、介護、保育、教育などソーシャルヒューマンサービス、つまり立場や世代を超えたコミュニケーションをきちんとできる人材である。
 私は、これら3つの分類をしながら、もちろん、どれかに当てはまるということではないが、イメージとして、そうしたものをうまくかけ合わせながら人材育成をしていきたいと考えている。これまでの富国強兵、物質文明偏重主義、工業立国を担う人材育成を卒業し、まさに健康、長寿といった、多様なそれぞれの人生をみんなで支え合って豊かにしていく日本人をつくっていく。こうした助け合い貢献するコミュニティは、グローバルコミュニティの場合もあり、アジアコミュニティの場合もあり、地域の世代を超えたコミュニティの場合もあるが、クリエィティブでコラボレィティブな人材を総合的に養成していくことに、全力を尽くしていきたい。

【新井委員】
 日本数学会の教育委員長の立場として述べると、21世紀を担う人材をどのようにつくるかという話において、新しい価値創成と協働がキーワードになってくると考えている。その上で算数・数学を考えたときに、どういう人間を私たちが育てたいと思っているかについて資料3として提出した。
 論理力を培う上で重要であるのは、子どもたち一人ひとりが、算数・数学のよい問題に触れ、それを読解し、ノートや計算紙に図や式を書きながら、試行錯誤をしながら解いていくという活動自体である。
 また、コミュニケーション能力、つまりグローバルな、論理的な表現能力を育成するためには、算数・数学の論理的な証明等に代表されるような、みずから批評的に吟味し、整え、クラスの全員と共有し、ほかの考え方と見比べながら、問題の把握の仕方や多様性、それぞれのよさについて触れることが必要である。
 これらのことを実現する上で、ネットワークを備えた情報機器はメリットをもたらすだろう。また、場合によって、動画による解説を加えることで、イラストや静止画では理解し難かった単元のハードルが下がり得るという教育効果も理解している。
 しかしながら、児童・生徒に配布する形でのデジタル教科書、その上で教材等をコンテンツ化、マルチメディアコンテンツが搭載されているタイプのデジタル教科書に関しては、次のような懸念を持っている。
 動画等による問題の解説が豊富になることによって、問題文、つまりテキストとして書いてある問題文から、自力で問題設定をイメージし、問題を解く力というのが弱まるのではないか。現在の情報工学の技術では、自由記述、例えば証明として書かれたものの正しさをチェックをしたり、生徒の論理性を正しく計測するような方法は見出されていない。したがって、現状でマルチメディアコンテンツを登載した電子教科書を配布することは、繰り返しドリルを中心とした自学自習コンテンツとなる。あるいは動画による解説が載ってしまう。私どもの研究によれば、繰り返しドリルをやることでは論理的思考力は育成することが困難で、そこには完成性があまりない。択一式、あるいは数値入力式のドリルを中心に登載されたデジタル教科書が検定教科書として配布された場合、立式や証明がより軽視されてしまい、21世紀型の新しい価値創造を生むようなタイプの論理的思考力が一層低下するのではないか。現状で最もユーザーフレンドリーと考えられているような入力端末が、現状のノートや計算用紙と同程度に児童・生徒にとって入力がしやすいのか、算数・数学のイマジネーションの範囲を限定しないのか、という研究が十分ではない。
 算数・数学等のコンテンツは、すべてをマルチメディアコンテンツ化できるわけではない。高度な抽象性がその特質であり、抽象概念をとらえて、それを現実問題に当てはめることができるメタ認知を育てることが算数・数学の大きな使命であるが、それを1つのマルチメディアコンテンツの絵に落とし込んでしまうことで、その一般性を著しく損ねるおそれがあるのではないか。
 児童・生徒がマルチメディアコンテンツになれ過ぎてしまうことによって、高度な段階、抽象性の高い段階、例えば、実数や関数に進んだときに、抽象的なコンテンツを理解することに対して、今まで以上に高い心理的なハードルを感じることになるのではないか。計算ドリルやパターン学習は即効性があるので、短期的には、あたかも学力が上がったような錯覚に陥る。しかし、そのことを繰り返しても、本質的な学力がつくというわけではない。21世紀に必要な学力はどういうものかということを整理しながら、情報機器を導入するのであれば、どういうシーンで、どういうものが、どういう能力を支えることになり得るのか、どういうものに対しては副作用があり得るのかということを、まず研究することが重要ではないか。

【三宅委員】
 21世紀にふさわしい学びを可能とする観点から、情報基盤が21世紀型のスキルを学習者につけるために大事になってくるのは、学習者がどういうプロセスで学んでいっているのかという記録がきちんととれて、それ自体を研究者、教える人間、学んでいる人間自体が振り返りの材料にしたり、次の発展の材料にしたりすることができることにおいてである。これを視野に入れて考えていくと、かなりしっかりしたIT基盤が必要ということになる。

【鈴木副大臣】
 ICTを入れることの最大のメリットの1つは、それぞれの子どもにカスタマイズできる学びと協働学習、その学習の履歴を教員が個別把握をし、構成を振り返りながら、さらに再構成できることにあると思っている。昨日、コミュニケーション教育推進会議を、平田オリザ座長のもとで立ち上げた。現在のICTはソリッドな2次元のディスプレイが技術的限界であり、有効性と限界の両方を有する。コミュニケーション推進会議のもとで、292校の学校に、演劇のプロが行き、ただ見せるだけではなくて、まさに身体位置を感じながら、心の部分も考えながら、ワークショップを行う。ある意味では、本会議とコミュニケーション教育推進会議は車の両輪である。

【玉置委員】
 中学の授業で、図形のおもしろさを感じさせるため、星型の先の5つの角度を合わせると何度になるかという問題を扱う。180度という答えはゴールであるが、実は一番学び合わなくてはならないのは、どうやってそれを導いたかをお互いに出し合っていくことである。補助線を引くとできる、というだけの学びではなくて、なぜそこへ補助線を引く気になったのかまで学び合うことが、ほんとうの学び方である。
 学びたい人間がみずから求めていくときに、ほんとうにその学びが生じる。わかった子どもが説明しても、ほんとうの学び合いは生じていない。情報通信技術を使って、上手に教室内のネットワークを使って、活性化できれば、これからの子どもたちとって大事な力をつけていくことができると思う。

【小城委員】
 大学の卒業生はみな、答えが1つあるという大きな前提を持っており、早く答えにたどり着くことを争ってしまう思考体系が強い。実社会で答えは1つではない。同じ問いでも、事情、時、会社により全く答えが変わる。その中で、根気よく、あきらめずに解を求めていくという姿勢が大変弱い。企業はこれを現場で教えなければいけないのだが、もっと早くから日本の教育界においてこれをやってもらえると、企業の力になる。
 まさに福沢諭吉が言ったように、一身独立して国独立するというように、みずから問題意識を持って、みずから課題設定をし、あきらめずに探すような力をぜひつけてほしい。
 図書館は、みずから課題を持ったときに行く現場である。学生・生徒が自分で何か課題を持ったときに、自分の足で調べに行って、問題意識を持って調べるときに、すぐ解はないかもしれないが、さまざまな文献を探りながら答えを探していくような習慣、学ぶ姿勢を、できれば初等教育のうちから早く身につけてほしい。そのためには、ICTを使った図書館のあり方について、物もプリントされた本かもしれないが、ICTを使って、もう少し若いうちから能動的に自分で課題を設定し、学んでいくような習慣をつけることも、ぜひ考えていただきたい。

【若井田委員】
 世田谷区は構造改革特区に認定され、「哲学」と「表現」という教科を独自に設定した。これらの教科は、深く考え、それを自己表現することをねらいとしている。
 そのときの教員の役割は、教材を通しながら問題提起し、子どもたちが一人ひとりで自分たちの考えを自分たちで育んでいくのを支援し、自分の言葉で表現することを導き出すことである。1つの教室の中で多様な意見があるということが、豊かな社会をつくっていくもとになる。教員には、多様な意見を導いて、その豊かさを子どもたちに実感させながら、話し合いを通したり、また再び調べることなどを通して考えを深めさせ、そしてまた自分の言葉で表現させるという役割を担っていただきたい。
 それを通して、深く考える力、プレゼンテーション能力も含む表現力、友人たちと話し合うコミュニケーション能力、問題解決能力を育てたい。その時々において必要な情報機器等は、もちろん子どもたちも使っていくわけであり、その支えとして、情報利活用能力も必要である。
 このためには、教員が考え、表現し、そして多様な意見の中で議論し、再び自分の考え方を深めるという経験をしていないと、どうしても1つの知識を伝達する方向の授業型に戻ってしまう。教員には、やはりそうした授業を構成するための基礎力が必要であると思う。
 表現という教科書には、コマーシャルの魅力、コマーシャルの秘密という学習内容があるが、テレビのコマーシャルを自分たちで分析した後で、学校のコマーシャルをつくるものである。これから入学する小学生向けのコマーシャル、それから保護者向けのコマーシャル、地域の方々向けのコマーシャル、全国の不特定多数向けのコマーシャルというグループに分かれて、学校のコマーシャルをつくる。基本的に60秒以内でデジタルカメラを使って映像をつくることになるが、多くの子どもたちは、プレゼンテーションソフトを使って、パソコンを使ってプレゼンテーションする。そのときに、子どもたちは自分の学校のよさを再発見して、非常に感激する。授業、教育のねらいや内容によって、機器やコンテンツなどを選ぶことのできる力は、教員にとっても非常に必要であろう。

【重木委員】
 目的を明確化せずに導入に向けて突っ込んでしまうと途中で、一体何を目的として、費用対効果はどうなっているのかというトラブルが起きやすい。教育現場でICTを最大限利用していくことは、使い方によっては非常に効果を生むと思うが、果たして校務の軽減をして教員の負担を軽くするのか、教育効果を上げるために使うのか、教育効果を上げるとしたら、反復型の練習のために使うのか、あるいはコラボレーションのためのツールとして使うのか、あるいは論理的思考を養う目的で使うのかによって、使われる機器、教材も随分違ってくるかもしれない。
 ICT化すれば必ず効果を上げるわけでもない。わかりやすい本、難しくて初学者にはとても手に負えない本等があるように、コンテンツをきちんと選ばないと望んでいる教育効果が得られないので、どういう機器を選ぶかということ以上に、どういうコンテンツを整備すべきかということのノウハウ、経験をためていくことが非常に大事である。
 コンピューター機器を使いこなすリテラシーを求めるというよりも、情報を入手するためには、インタビューという方法、本を読むという方法、インターネットで探すという方法もある。これらの手段の1つとして勉強して、情報の取得、蓄積、分析、自分で意見を発表していくようなコミュニケーションの方法まで含めた広い意味での情報教育を早い段階から行うことによって、他の教科の思考力を養うことの助けにもなるのではないか。
 情報化が進展したからというよりも、社会全体が工業化の次の段階に差しかかっているという意味で、情報の占める割合がどんどん増えているのではないか。それはコンピューターという狭い意味の情報とか、通信ということだけではなくて、いろいろな意味の価値が情報から生み出されてくる時代に移りつつあるのではないか。

【野中委員】
 情報活用能力については臨教審の時代から言われてきており、学習指導要領にいろいろな形で反映されてきている。問題は、それが実現していないことである。例えば現行の教科「情報」が高校にできた。そこで学んだ学生が大学等に来て情報活用能力を発揮してきちんとできているかということが問題であり、現実的にできていないことをどうするかという議論をしないと、新しい21世紀型学力ということを強調しても変わらないのではないか。
 例えば小学校では、次の学習指導要領が来年からスタートする。従来の総合的な学習の中で強調されているのは探求的な学習である。例えば探求的な学習の指導要領の解説を読むと、そこで探求的に学ぶときにICTがどういうふうに活用できるかという話も書かれている。しかしながら、これらが実現していない。だから、それを何とかするという議論がない限り、先には進めないと思う。
 スキルを身につけた上でそれを活用してどんどんそれを応用していくというところのベースを小学校段階からしっかり教えるべき。総合的な学習の時間、もしそれが難しいということであれば、そこを特化した学習を教科として設置すべき。

【三宅委員】
 メタ認知は、自分がやっていることについて見直して、それを伸ばすことができるという意味であるが、メタ認知の対象にしっかりしたコンテンツについて考えているプロセスがないと、振り返る対象自体がないことになる。
 メタ認知だけを教えるというのは今まで随分試みられているが、うまくいかない。
 情報を探索するというスキルだけを、何を探索したらいいのかわからないという状態で身につけることもできない。何をきちんと教えたいのか、どういうスキルを身につけたいのか、どういう領域で、どういうコンテンツが豊富なところでやるのかということを考えないと、うまくいかない。そういう意味でも、ネットワークが、教材を支える基盤として大事になる。

【西野委員】
 大学生はグループディスカッションが非常に下手である。ほとんどの高校では、例えばグループディスカッションは行われておらず、例えば課題解決的な考える力を育成するようなことも行われていないのではないか。企業からは、例えばクリティカルシンキング、問題解決力、コミュニケーション力等々求められているが、大学で大変苦労している。中学校から高校にかけて、このような21世紀型のスキルを育成する内容、それを実施する方法を実施できる教員の資質が、非常に大事である。もちろん各教科でそうした力を育成するようにするということと同時に、教科「情報」でしっかりとそうした力を育成することが必要である。また、先生方をサポートする人材の育成、教員養成のあり方を詰めていく必要がある。

【新井委員】
 古代ギリシャでは各ポリスが分散していて、中央集権でないために、それぞれ利害も対立し、信じている神様も違うので、話し合うコミュニケーションが洗練され、ユークリッド的な幾何学が生まれた。これは、現在の国際社会にそっくりである。論理で話さないと通じない状態に、再び直面をしている。
 ディスカッション、協調学習によって、何が正しいかをお互いに表現し合って、吟味し合うような授業を、教員がモデレーター、マスターとして見て、この吟味を支援していくスキルとは、大変高いスキルが求められているということではないか。
 みんな違って、みんないいという話で終わるのではなく、吟味、レフェリーも必要だ。例えば0.9999・・・が1と等しいかどうかという話であれば、教員が実数は何かとわかっていないと無理である。電子黒板によって、教えやすい、提示しやすい教材がたくさん出ることによって、先生方の教えるスキルはどうなるのか、教える力は低下するのではないか等について、真剣に考えなければならない。

【玉置委員】
 学校はトライ・アンド・エラーが実はなかなか許されない。例えば総合的学習で、子供たちにテーマを決めさせる。テーマを大体1時間ぐらいで決めないとやれないが、しばらく調べたらおもしろくなかったので、もう一度このテーマを考えてみようというようなゆとりがない。これからはクリエィティブな考えを持つ子供たちを育てていくべきなのではないかと教員は思いつつ、現実にいろいろな問題、いろいろな教科を抱えているので、もう少し整理をしていかないと、さらに負荷される、というようなイメージを持たれてしまうのではないか。

【関口委員】
 21世紀にふさわしい学校や学びが求められるのは、日本の国際競争力が、90年代半ば以降に著しく落ちているということに起因するのではないか。
 例えばPISA、IMDのランキング等、諸外国の調査を見ても、90年代半ばまでは日本の教育水準が非常に高かった。その理由として、例えば数学の教育、それから、知識を詰め込んだり、いろいろなものを早く計算したりする能力が、当時の工業時代の産業構造にぴったりと一致していた。それで日本の競争力も高く、教育の水準も高いということが言われてきたが、90年代後半以降のインターネットの普及に伴って、情報化時代がほんとうの意味でやってきたといったときに、新しいソフトウエア、コンテンツ等をクリエイトしていく能力が、国として、あるいはその国を構成している個人として備わっていなければいけないという状況がやってきているのではないか。
 工業化時代の教育の仕組みやあり方に少し疑問が提示されているのではないか。農業時代、工業時代の教育のあり方、特に日本のように単一民族でやっている中で行われたことは、知識の詰め込みと、先生という一番偉い人を頂点としたピラミッド構造である。これを身体で学ぶとか、あるいは科目の時間割ということで、時間で管理するというものを体で覚えさせるとか、あるいは集団で何かをやり遂げるという、まさに工業製品のつくり方そのものが、ある意味で時代にマッチしてきていないのではないか。
 これからは、創造性、国際力、コミュニケーション能力になってくると思う。また、説得をするという交渉力も大事になってきている。まさにそういう部分を補ってくるのがICTであり、授業が終わっても、インターネット、バーチャルな空間を通じて自分の関心をとことん突き詰められるような学習体験をどのように提供するかも大事である。
 日本が植民地化されずに、明治維新という形で独立を保てた背景には、寺子屋教育があったと言われている。読み・書き・そろばんは、今の時代では、読みは、情報を吸収する能力であり、英語を中心とする語学力である。書きは、自分を表現する力であり、これこそまさにICT、インターネットを使ったプレゼンテーション能力である。最後のそろばんは、まさにコンピューターそのものであり、そのようなICTのツールを活用していろいろなことをシミュレーションする能力である。
 今の情報化時代に見合った形で、国際競争を勝っていける人づくりを行うべき。韓国、フィンランド、シンガポールでも行っているが、日本の議論では、国際競争力という面での危機意識が欠けているのではないか。

【大路委員】
 資料5のNHKクリエイティブライブラリーは、NHKが過去に撮りためた映像素材である。自然、生き物、世界の風景等の映像を動画で配信しており、無料で使用し、全く自由にダウンロードできる。実際それを使ってミュージッククリップなどをつくったり、自分でミニストーリーをつくったり、その作品をまた投稿していただくこともでき、全国の学校の児童生徒が見て、批評し合ったりできる仕掛けになっている。英語版を作れば、外国の子どもたちともこれでコミュニケーションができるだろう。また、戦争証言サイトを新しくリニューアルしているが、太平洋戦争のときの証言を生の声で、今年、300までまとめる予定である。
 デジタル教科書といった場合に、数学は、何も問題があって答えがでるというものではないと思うし、コンテンツそのものはまだ開発途上であって良いコンテンツが出れば、良い教育につながるのではないか。

【宮澤委員】
 現行の教育の課題として、学力の格差がある。学習に十分に成功していない生徒をどれだけ引き上げるかということも、ICTを使う意義ではないか。ロサンゼルスでは、学校で電子カルテのようなシステムを運用している。具体的には、低学年でどこができなかったということを記録させる。上位学年の先生がこれを見る等の利用をしている。なお、ロサンゼルスの事例として、どのような教科を通して具体的にどういう形で力をつけていくか、小学校のねらい、中学校のねらいを一覧にすることにより、小・中・高校の連携を図っている。

【野中委員】
 論理的思考力や問題解決能力を教科の中で育成することは、現行の学習指導要領においても行われている。平成21年3月に作成した「教育の情報化に関する手引」では、現行の学習指導要領の中から各教科の記述から、情報教育やICT活用に関するものを抜き出して整理されている。
 ところが、それを体系的に先生方が意識化して指導しているわけではない。子どもの底上げもしつつ、いろいろな力もつけていかなければならない。さらに、従来やっていた授業のスキルに加えて、ICTを入れて活用して高次の学力を育成する。これらは、相当な負荷である。
 例えば英国では、2000年にICTという教科をつくった。指導要領改定でこれを中に戻そうとしているが、こうした取組は、先生の負荷を下げ、そこで定着したものが他の教科にも生きていくことになるのではないか。知識、技能の活用を図る基礎、基本のところで、ICT活用がいまだ定着をしていないのに、それを児童に使わせることを、先生がほんとうに今のままで指導できるか疑問。世界的なカリキュラムの流れからは、最終的には、教科の中に埋め込むべきと思うが、その前段階で何かできることはないかを考える必要がある。

【玉置委員】
 初めからデジタル教科書ではなく、委員会活動、クラブ活動のツールなど、日常的にコミュニケーションの経験をさせるために、情報端末を子供たちに与えるところから入っていってはどうか。

【関口委員】
 教員にITのリテラシー教育を頼むことは、まさに工業化時代の上から下に教えるという発想のあらわれではないか。情報通信技術は、一人一人が自分で使いこなすものである。最近は、新しい情報端末は放っておいてもつながっている。子どもは、家庭では既に体験済みなので、それを使うこと自体を教えることはほとんど必要ない。
 この国では学力イコール試験でいい点を取る力と置きかえられているところがあるが、むしろ問題解決能力である。問題を解決するときには、先生という先輩に相談するのもよし、それ以外に、インターネットの端末を使ってそこから解決方法を見出し、そういう問題を解決して新しいものをクリエイトしていく能力を一人一人が身につけなくてはいけない。
 諸外国では、学校の中に先生でない人たちを補助的な先生として呼び入れて、使い方の指導に当たってもらったり、あるいは校内LAN環境を整えたりということを外部の人に頼んでいる。他方、日本では教職員免許を持っていない人を教室の中に入れることについてはなかなか認めようとしないのではないか。先生の負担を減らしつつ、そういう学びの機会を与えることは十分に可能ではないか。

【新井委員】
 茨城県の竹島小学校では、子供たちが給食の写真を撮って、メニュー、よかった点などをホームページに公開をし、それを親が見て投票している。
 理科で、冬の間に生物がどのようにしているかを調べるために、一人ひとりデジタルカメラを持ち、撮り、その場からパソコンに送るなどし、これをきちんとした文章で公開し、保護者も学習内容を見ることができる。そういう自立的な学び、協調学習を支援する方策は幾らでもあると思う。

【千葉委員】
 携帯電話は、中学校、高校のほとんどで持ち込み禁止であるが、オープンな形で、先生がしっかり情報のやりとりを教えてくれるような形で使える環境が整えば、むしろ正しい形で携帯電話にかわるものができてくるのではないか。

【市川委員】
 コミュニケーションについては、スキル、リテラシーと同時に、モラル、マインド、マナーを同時に教えていかなくてはいけない。総合的な学習の時間でICTを活用したことをもう少し重点的にここで提言していくか、あるいは情報を、小・中から具体的に義務的な教科として取り込んでいってもらう事も考えられるのではないか。

【野中委員】
  国に求められる役割は、グッドプラクティスを見ていくだけでなくて、それがすべての学校で実現できるように条件整備を行うことである。そこを、きちんと突き詰めていただきたい。

【三宅委員】
 対話を学習場面に持ち込むことによって、学力の低い人たちが飛躍的に伸びる授業ができるという実例、データ、研究報告がかなりたくさん出されているので、そうしたものをきちんと検証していくことも、条件整備に含まれるのではないか。

【安西座長】
 学校教育の情報化に関する懇談会は、ただ情報機器を入れるということとは全く違う。創造力、コミュニケーション能力、コラボレーションの力、あるいは表現力等々が、今の時代、子供たちが身につけていくべきことだということが述べられたのではないか。また、教員のスキルとしては、かなり高度なスキルが求められるとの意見もあった。

【関口委員】
 携帯という、これほど先進的な情報ツールを、日本では、遊びの道具にしか使っていないことは問題であり、学習のツールにうまく変えてくるアプリケーションがつくれたら非常にいいと思う。議論の対象として欲しい。

【鈴木副大臣】
 私は、情報社会とは「情けに報いる社会」と考えており、ICTと使い分けているつもりである。また、現在、教職員集団の質と数の議論をしており、三位一体である。臨教審のときから21世紀を見据えて何をしなければいけないかという議論はあったが、なかなかできてこなかった。それは教員の育成、あるいは、それを受けとめる側の社会において、21世紀ポスト近代というものがどういうものかということについて共有が十分にされていなかったのではないか。教員は100万人いるが、この10年間でその3分の1に当たる30万人が入れかわる。新しいコンセプトに基づいて教員養成というものもやっていくことが可能だ。
 私は、専門免許状制度というものを、3つぐらいの分野で中堅教員に出していくことも考えられると思っている。
 1つめは、いかによい学校、コミュニティーをつくっていくかという、学校経営のプロとして教員生活の後半を頑張っていこうという人に、大体35歳ぐらいでサバティカルのような時間をつくり、もう1回、自分の今までやってきたことを振り返り、これからに必要なことを身につけていくものである。2つめが教科指導、3つめが生活・進路指導である。
 例えば専門免許状で、仮に「情報」というものを学び直した方は、少なくとも学校に帰ったら、学校コミュニティー全体の情報化のリーダー、あるいはプロデューサー、編集者、ディレクターになっていただきたい。こういう方を一人ずつ、3万校に送り込み、あるいは学び直すチャンスにしてもらいたい。こうしたことも、この10年ぐらいのスパンにおいて同時並行で考えていきたい。
 私は、すべての人たちに対話という能力、経験等を身につけていただきたいと思う。そのときに使うランゲージは様々であり、数学のランゲージ、プログラム言語、ケミカルというランゲージ、論理言語、感性言語まである。英語には英語の言語、音楽には音楽の言語というものがあって、その両方の言語をちゃんとマスターしている人たちが、初めて感性言語によって対話ができる。まさにコミュニケーションの中で、多様性を認め合いながらコラボレーションができ、一つのものをクリエイトすることになっていく。
 子どもたちが多種多彩な言語を一つ一つ獲得していく。これはまさに対話の中で身につけていくということしかない。コミュニティーの中でしか対話というものはできず、時間と空間を超えたコミュニケーションを可能にするICTにより、ある特定のランゲージやインタレストでテーマコミュニティーを構成できる。その中に若い人たちをインボルブする中で、新しい人材をともに育んでいけるのではないか。

(以上)

お問合せ先

初等中等教育局情報教育・外国語教育課

(初等中等教育局情報教育・外国語教育課)

-- 登録:平成23年03月 --