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 子どもと私と   第9回インタビュー 

 

写真:佐々木優子さん

佐々木   優子(ささき   ゆうこ)さん
声優


プロフィール
1982年   テレビ局附属の養成所を卒業後,プロダクションに所属
2001年   フリーとして現在に至る
洋画の吹き替え(メグ・ライアン役など)アニメーション(『ちびまる子ちゃん』おばあちゃん役など)のほか,幼稚園教材映画のナレーションなどを行う。
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「一度は反対してみる」

Q   どのような子ども時代を過ごされたのですか?

   幼稚園には3年間通っていました。お庭が広く、とても環境が良いところでした。園長先生がとてもよい先生でおりがみやあやとり、紐遊びを良く教わったりして、祖母と似てるなと思った記憶があります。
   一方、祖母の薦めで幼稚園の頃から子役の劇団に入り、小学校の1年生まで通っていました。しかし、父も母も子役の仕事には大反対で小学校に入学して半年経たないうちに「学校があるのだから」とやめさせられました。しかし、当時は、お稽古ごとをする程度だったのであまり面白くないと思っていました。小学校1年生の時に何人かで給食当番をしていて、私のやることがなくなってしまい、せっかく前に出てクラスのみんなもこちらを見ているのに何もしないのはもったいない気がして、恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになり、何を思ったか突然横にあった水が入っているバケツを頭からかぶったことがありました。その時は、とても恥ずかしかったのですが、人前に出る「快感と恐怖」を感じて自分はこのような事が好きなんだなとも思いました。このことは、幼稚園に通っていた時に培われたのか自分が本来もっていたものかはわからないのですが、今の私はその頃の事が素養としてあるかなと思います。
   小学校5年生か6年生の頃にクラスの同じ班の人に口をきいてもらえなくなって、暗い気持ちで下を向いて歩いていた時期がありました。そんなある日、向こうから来た乳母車に乗っていた赤ちゃんがにこっと笑いかけてくれたのです。たったそれだけのことなのですが、その時は、自分が嫌いで嫌いでもう自分を消してしまいたいくらい嫌いになっていたのですが、自分が自分を嫌いになってしまったら、だれが自分を好きになってくれるんだろうと思って、自分だけでも自分を好きになろうと思ったのです。それが中学校に入って演劇部に入り、お芝居をやるきっかけになったのだと思います。


Q   声優のお仕事を始められたきっかけは?

   最初は舞台をやりたくて役者になりたかったのですが、高等学校を卒業して、進路を決める時に両親に大反対されまして、大学を受けるか、劇団を受けるか、プロダクションを受けるか悩んだ時に、まず父親からは、「食べていけなければだめだ。二十歳までは面倒をみるがそれ以降は援助はしない」と言われました。普段仲の良い両親がケンカをしてまで、真剣に私の進路を考えてくれている姿を見て、私も真剣に考えましたし、その事がなければ、きっと親のすねをかじって、趣味の延長でお芝居をする程度だったと思います。結局、劇団とテレビ局に附属した養成所と両方受かったのですが、現実的にお仕事がつながりそうなテレビ局の養成所を選びました。私がテレビ局の養成所を受けた時は第二期の声優ブームの頃で養成所でも声優コースの第一期募集していて、私は、演技コースと声優コースの両方を受講することになりました。声優業という仕事も役者がやっていく仕事になるのではないかなと思っていたのです。声優科というのは、1年たったら卒業試験をすることになっていたのですが、その中で二人選ばれたうちの一人になって、よく現場に連れていってもらい見学をしていました。平行してエキストラのアルバイトもやっていましたが、エキストラの仕事は台詞はないし、本当に人間扱いされなかったり、存在感がまったくなく「ここで仕事してるのになんでこんなに虚しいんだろう」と感じていました。その時に声優の現場を見学しに行った先で「一言だけやってみろ」とミュージカル映画の高校生の役なのですが、本当に初めて、とても小さな口が開くのに合わせて「ハーイハーイ」とやらせてもらったのです。声優の現場ではたった一言でも、合うまであわせなくてはならないし、カットはしないで必要としてくれる。その事にやりがいを感じました。そのうちにもう一本仕事をもらい、その仕事でも出演する場面は、一言ですが、でもその一言がないと映画は、成り立たないし、たった一言でも必要とされている。きちんとした仕事として、ギャラをもらう仕事としてこの仕事はあるんだとその時実感して、この世界でがんばれば、いずれこの仕事で食べていけるかなと現実的に考えたのです。そう考えられるのは、父のおかげだと思いますし、父の厳しい意見があったのでこの歳まで続けられる事になったと思います。


Q   佐々木さんは、いつも前向きでいらしゃいますよね。

   実は、以前、体調を崩した時期がありまして、半年間は仕事も休業しておりました。その時に自分がこれっきりで死んでしまうのではと思い、やり残したことはないか考えたのですね。自分でやりたい芝居があったので台本を書いて、これを実現するまでは、死ねないという気持ちで自分の作品を自主公演したことがあるんです。その時は、制作から役者をそろえたりまで、全部やりました。1年間準備のために動きまわってたら、すっかり元気になりました。


Q   幼稚園の教材映画のナレーターを担当された感想はいかがでしたか?

   これまで何本か教材映画のお仕事をさせていただいていますが、毎回感動します。すごいなと思うのは、子ども社会といっても大人とまったく同じ社会ですよね。駆け引きや、我慢することもあります。大人だけが我慢してるのかと思ったらそうではないですし、いろんな裏がわかっていたりします。自分も子役の頃に「泣いてください」と言われて、すぐ泣いたりすると、大人たちが「すごいね。君たち、すごいね。」と感動していたのですが、子役同士では、「こんな簡単な事であんなに喜んで」と話していたことをはっきり覚えています。だから、今の子ども達も同じで全部わかっていて、全部見えているのではないかと思います。それと、その時期にしか出来ないことなのか、大人がただ出来なくなってるのか、ケンカをして、自分の言いたいことを言って、なおかつ、謝りあったら、すごく良い本当の友達になれますよね。そのことをとても羨ましく思います。映画に出てくる子ども達に教わることがたくさんあって、いろいろなことに対して子どもたちは、みんな敏感だなと思います。


Q   今後、もっとやってみたいことなどはありますか?

   現在、洋画の映画のお仕事では、ヒロインばかりやらせてもらっていますのでこれからは3枚目や悪女などをやりたいです。その他には、舞台のプロデュースを知り合いと企画したりしてるのでそちらにも力を入れてやっていきたいなと思っています。


写真:佐々木 優子さんQ   子育てをしている人たちへのメッセージをお願いします。

   私自身は、子どもをもったことがないので子育ての苦労も知らないですし、偉そうに言えることはないですが、私と同世代の親御さん達は、自由に自分が好きなことをして、自分本位で育ってきた方々が多いと思います。そうすると子供も自由にさせたいと思うでしょうが、それは逆に子どもの事を本当に思っているのではないかもしれない。社会に出た時に苦労するのは本人なのですから、思春期になって、進路を決める時に何でも好きなことをしなさいというのではなくて、まずは「やめなさい」と一度は反対してみて、それでもやりたいかと悟すほうが良いと思います。その最初の壁になれるのは親しかいないのですから。子どもが選んだのが、どんな仕事でも、真剣に社会の事を教えてあげたり、社会の厳しさをかいまみせたりすることが親御さんの責任なのではないかと思います。一番最初に壁になってあげる勇気も親には必要なのではないでしょうか。私は父に進路について反対された時に自分の将来について、真剣に考えましたし、その事があって今の私がいると思っています。