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 子どもと私と   第4回 

 

服部 祥子(はっとり さちこ)さん
大阪人間科学大学教授

プロフィール
1940年生
精神医学専攻
2001年より大阪人間科学大学教授

「今子どもの心をはぐくむ」

   「子どもと私と」第4回は,文部科学省の「幼稚園における道徳性を培う活動等の充実に関する調査研究委託」の調査研究地域である東京都大田区で10/28に実施された研究発表会における大阪人間科学大学教授服部祥子さんの講演の一部を紹介します。

   私は,夫の仕事の都合で,家族全員でロシア(当時はソビエト連邦)に2度,アメリカに1度,通算8年間生活をしました。最初にロシアで生活した時は,上の娘が2歳,下の娘が0歳でした。上の娘は現地の幼稚園に通うことになったのですが,そこには,1クラスに2人の担任の教師がいました。そのうちの一人のリューバという教師は,とても人間的な人で,怒るときは涙を流して怒り,うれしいときはうれしさをいっぱいに表現する人でした。ロシアの幼稚園は,夕方5時から好きな時間に子どもたちを迎えに行くことができるので,遅くになるにつれだんだんと子どもが減ってくるのですが,そうするとポケットからある時はりんご,ある時は堅パン,あめ玉など取り出して与えてくれたりもしていました。子どもたちととても自然体で接する事のできる人で,娘もリューバがとても大好きでしたので,「お願いだから遅く迎えに来て」といわれたものです。

    もう一人の教師は,元々が数学の教師だったものですから,3歳児に「円とはどういう性質ものか答えなさい」などとまじめな顔で質問をして,その原理についてとうとうと説明したりする人で,リューバとは対照的に子どもたちに冷静な態度でしつけていくというタイプの人でした。二人の教師がバランス良く子どもたちに接していたからよかったのだと思います。

   娘がロシアの幼稚園に初めて登園した時のことです。娘は,まさか,母親に置いて行かれるとは思っていなかったようで,不安がって大層泣きました。その時,リューバは私と娘とに何かを話しかけ,娘を抱いて部屋に連れて行ってしまいました。娘はロシア語を話せませんし,朝,泣いていた状態で別れたので,夕方になって,とても心配しながら娘を迎えに行きました。幼稚園に着いて,リューバに通訳を通じて「娘は,ロシア語も話せないし,幼稚園に慣れることができるでしょうか」ということを尋ねると,リューバは,「慣れるかですって。当然です。ここは彼女の家なのですから。赤ん坊が生まれたとき,その子が家に慣れるかどうか心配する人なんていないでしょう」と答えてくれました。確かに母親は子どもが生まれたときに,この子は私と性格が合うかしら,私の家に合うかしらなんて考えません。それと同じで,たとえロシア語が満足に話せない外国人の子どもでも,幼稚園で生活することは子どもにとっては家で過ごすことと同じことであると,他の子どもたちと同様に当たり前のこととして受け入れてくれるロシアの幼稚園に感動しました。

   数年後,再びロシアに住むことになった娘たちは,思春期を迎え,日本やアメリカでの生活に慣れていたため,ロシアの学校生活が合わず,ロシアという国も好きにはなれなかったようですが,リューバと過ごした幼稚園時代は,懐かしく楽しい記憶として,今でも残っているようです。

   幼稚園の教師は,日々子どもたちと接する中で,何をしたら正しいか正しくないかだけで子どもたちを見ていくだけでなく,子どもたちをしっかり受け止め,自然に子どもたちにとけ込んでいくことが大切だと思います。そうすれば,たとえ子どもたちが成長する過程で,自分の存在意義について悩むようなことがあったとしても,それを乗り越えることができます。幼い頃の記憶を掘り起こし,いろいろな思い出が埋まっていれば,自分がかけがえのない存在であるということに気付き,自分が生きてきた意味を悟るようになります。普段は忘れていても昔の写真などを見た時によみがえってくる思い出もあります。自分の中に火種を持っている子どもはその火種を見つけると,生き生きとしてくるのです。

   日本には「育ての親」という言葉がありますが,家庭だけで子どもを育てるのではなく,幼稚園の教師や地域の大人たちが「育ての親」となって,子どもたちとかかわっていくことも,大切なことなのだと思います。