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Home > 生涯学習・学校教育 > 小・中・高校教育に関すること > 教科書 > 教科書検定結果 > 高等学校歴史教科書に関する検定結果(平成18年度) > 検定意見書 | ![]() |
検定意見書
受理番号 18-92 | 学校 高等学校 | 教科 地理歴史 | 種目 日本史B | 学年 |
番号 | 指摘箇所 | 指摘事項 | 指摘事由 | 検定基準 | |
---|---|---|---|---|---|
頁 | 行 | ||||
1 | 表見返 | 上野(こうづけ) | 誤りである。 | 3-(1) | |
2 | 口絵![]() |
関白藤原道長 | 誤りである。 | 3-(1) | |
3 | 14 | 17 | 秦(前221〜前207) | 秦の滅亡年が誤りである。 | 3-(1) |
4 | 22 | 8〜9 | 夫が妻の家に通う妻問い婚が行なわれた。 | 古墳時代の婚姻形態について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
5 | 26 | 年表 | 702 粟田真人らを遣唐使に任命 | 年次が誤りである。 | 3-(1) |
6 | 29 | 脚注4 | この詔は後世につくられたものと考えられている。 | この詔について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
7 | 41 | 11〜12 | 朝廷は、715(霊亀元)年、浮浪や逃亡した農民を本籍地にもどすことなく、浮浪・逃亡先で戸籍にのせて | 戸籍にはのせておらず、不正確である。 | 3-(1) |
8 | 45 | 脚注1 | 藤原仲麻呂も太師という官職をもうけた。 | 新たな官職をもうけたように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
9 | 57 | 19 | 源氏出身の有力公卿で左大臣の源高明が | 源高明の出自について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
10 | 59 | 脚注3 | 天皇の私邸である内裏 | 内裏について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
11 | 63 | 19〜20 | 祈年祭や新嘗祭が宮中の節会として | 祈年祭は節会ではなく誤りである。 | 3-(1) |
12 | 67 | 4 | 現在の青森県北津軽郡浦村十三 | 誤りである。 | 3-(1) |
13 | 75 | 10〜15 | 天皇家や摂関家の内部で・・天皇家では・・摂関家では・・・対立した。後白河天皇が即位すると・・対立関係が生まれ、中央政界を二分するほどになった。 | 保元の乱について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
14 | 75〜76 | 20〜6 | 乱後、後白河上皇が配分した恩賞に不満をもった義朝は・・清盛の反撃にあい・・(平治の乱)・・平治の乱は、武士団の対立が原因で・・武家政権樹立への道が開かれることになった。 | 平治の乱について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
15 | 75 | 脚注2 | 彼らは「南都北嶺」といわれた。 | 僧兵が南都北嶺であるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
16 | 76 | 上絵 | 後白河上皇の御所(三条院) | 誤りである。 | 3-(1) |
17 | 77 | 脚注3 | 公卿や上皇までが参加するほどであった。 | 上皇まで含めることは不正確である。 | 3-(1) |
18 | 79 | 脚注2 | 尾張の渥美や三河の常滑 | 誤りである。 | 3-(1) |
19 | 93 | 12〜13 | 武士の家族は、夫婦・子、夫の両親、それに夫の兄弟姉妹らが同居していることも多かった。 | 武士の家族の形態について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
20 | 93 | 13〜14 | 相続は、血縁にもとづいて嫡子が父からうけつぐのが一般的であった。 | 武士の家の相続について説明不足で理解しがたい表現である。 | 3-(2) |
21 | 95 | 脚注3 | 旧暦の7月15日の盂蘭盆会は祖霊を祭る祭礼として貴族社会に広まり・・郡や荘園の鎮守社で行なわれた。 | 本文と適切に関連付けて扱われていない。 | 2-(10) |
22 | 96 | 10〜11 | 日蓮は・・広まった。 | 主語と述語の関係が不適切であり、理解しがたい表現である。 | 3-(2) |
23 | 112 | 19〜21 | 攻めこみ(応永の外寇)、交易は一時中断したが・・交易が再開されることとなった。 | この間も交易は行われており不正確である。 | 3-(1) |
24 | 113 | 脚注5 | 癸亥約条は対馬の宗貞盛との間でむすばれたが、・・朝鮮に服属しているものと考えていたためである。 | 癸亥約条について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
25 | 116 | 下史料 | ![]() |
地名が不正確である。 | 3-(1) |
26 | 122 | 13 | 京都と鎌倉に五山・十刹の制をととのえ | 十刹について不正確である。 | 3-(1) |
27 | 124 | 写真説明 | 「![]() |
不正確である。 | 3-(1) |
28 | 141 | 上史料 | 「検知の強行」中、「なできりに申付くべき候」 | 誤りである。 | 3-(1) |
29 | 143 | 脚注2 | 義兵は、郷土防衛のために立ちあがった民兵で、・・両班身分(地主階級)が中心であった。 | 義兵と両班との関係について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
30 | 148 | 12〜15 | これには・・違反した大名はとりつぶすことなどがさだめられ、 | 武家諸法度について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
31 | 154 | 17〜18 | 当時のおもな職業をあらわす士農工商を利用して人びとを四民に分けた。 | 説明不足で理解しがたい表現である。 | 3-(2) |
32 | 155 | 10〜11 | 権威をまもるための無礼討ち(切捨御免)が義務とされた。 | 無礼討ちについて誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
33 | 157 | 脚注1 | 商人は商人司のもとで支配され、 | 江戸時代の商人について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
34 | 166 | 上図説明 | 幕府は琉球の国王や王子に独特の風俗での参府を強制し、 | 国王は参府しておらず不正確である。 | 3-(1) |
35 | 223 | 7〜9 | 阿部正弘は・・慣例をやぶって朝廷にペリー来航を伝え、 | 193ページ脚注4には「幕府は朝廷にこの事件を報告した。これは、朝廷が政治への発言を行なうきっかけとなった。」とあり、相互に矛盾している。 | 3-(1) |
36 | 231 | 10〜11 | 尊攘派への報復をねらっていたイギリス・・・は、この機会をとらえて四国連合艦隊を編制し、 | 四国連合艦隊の編制が、幕府による長州征討を直接の契機とするかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
37 | 244 | 写真説明 | アメリカ間の定期船 | 説明不足で理解しがたい表現である。 | 3-(2) |
38 | 254 | 9〜10 | 1882(明治15)年、国王高宗の父大院君は軍隊の一部を動かして日本公使館を包囲し、 | 大院君が事件の首謀者であるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
39 | 259 | 脚注1 | 天皇のもつ統帥権を補弼(助けること)する権能を帷幄上奏権といった。 | 帷幄上奏権について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
40 | 262 | 4〜5 | 天津条約により日本も朝鮮に出兵したため | 天津条約によるという記述は不正確である。 | 3-(1) |
41 | 265〜266 | 15〜3 | 開国以来、アメリカへの重要な輸出品であった生糸の生産は、・・1894年ころに簡易な器械製糸による小工場生産が・・発展した。 | 器械製糸生産の発展の時期について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
42 | 277 | 14 | 近代文化は明治文化ともよばれているが、 | 近代文化と明治文化との関係について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
43 | 279 | 9〜10 | 学科は、植民地経営にとって不可欠な日本語を台湾で強制する必要もあって、日本語の文法づくりがすすみ、 | 日本語の文法づくりが、この時期主として植民地経営のために進んだかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
44 | 290 | 12〜13 | 石井-ランシング協定も・・・1923年に破棄された。 | 石井-ランシング協定の失効について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
45 | 293 | 15〜18 | 京城(ソウル)に集った宗教指導者らが独立を宣言し、「独立万歳」をさけぶデモ行進を行なった。 | 宗教指導者はデモ行進をおこなっておらず、不正確である。 | 3-(1) |
46 | 294 | 23〜24 | 米と砂糖という二つの商品作物をもっていた台湾とは異なり、米以外に商品作物のなかった朝鮮では、 | 台湾と朝鮮との違いについて、説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
47 | 295 | 脚注5 | 矯日共済会 | 誤りである。 | 3-(1) |
48 | 296 | 24〜25 | 農民労働党が結成されたが分裂し、翌1926年 | 農民労働党は即日禁止されており、誤りである。 | 3-(1) |
49 | 297 | 13 | 治安警察法(→p.269![]() |
参照頁の注の番号が誤りである。 | 3-(1) |
50 | 298 | 14〜17 | また、あまった現役将校を中等学校や・・若者を戦争に動員する体制がつくられた。 | この時期にそうした体制が完成したかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
51 | 298 | 20 | そして、加藤内閣以後、後継首班は元老が指名したが、 | 元老による後継首班の指名が、加藤内閣から始まったように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
52 | 305〜306 | 21〜1 | 列強の手先となって内戦をくりかえしていた軍閥 | 軍閥について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
53 | 307 | 19〜20 | 国際社会の批判をあびるという事件がおこった。 | 張作霖爆殺事件について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
54 | 309 | 脚注3 | 金の輸出を禁止して兌換を停止したため、日銀券は事実上兌換紙幣でなくなった。 | このページの本文では金輸出禁止について触れられておらず、相互の関連が不適切である。 | 2-(9) |
55 | 318 | 1 | 日中全面戦争 | この名称が一般的であるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
56 | 319 | 7 | 国家改造をめざす東条英機らの統制派が皇道派を一掃して、 | 二・二六事件後の状況について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
57 | 321 | 1 | 仏印(フランス領インドシナ、いまのヴェトナム) | 不正確である。 | 3-(1) |
58 | 329 | 2〜3 | 日米戦を想定した仏印南部への進駐が行なわれた。 | 南部仏印進駐について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
59 | 336 | 6〜7 | 戦死者は日本側で約18万8000人、 | 犠牲者全員が戦闘に参加したかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
60 | 336 | 7〜9 | さらに日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて | 沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
61 | 339 | 脚注3 | また、連行などによって日本に在住していた人びとも、・・多くの人びとが日本に残留することとなった。 | 在日韓国・朝鮮人の人びとの出自について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
62 | 356 | 26 | 中国や韓国・北朝鮮との国交回復はなお実現できなかった。 | 「国交回復」とするのは不正確である。 | 3-(1) |
63 | 372 | 写真説明 | ニクソン大統領は・・1979年に中国と国交正常化を実現した。 | 不正確である。 | 3-(1) |
64 | 380 | 16〜17 | さらに1989(平成元)年のマルタ島での米ソ首脳会談では、戦略核兵器の全廃が確認された。 | マルタ会談の内容として不正確である。 | 3-(1) |
65 | 381 | 脚注4 | 1981年のポーランドの自主労組「連帯」の運動などに、ソ連は軍隊をもって介入した。 | 誤りである。 | 3-(1) |
66 | 382 | 脚注2 | 国連平和維持軍(PKF)は自衛のために軽火器の | 陸上自衛隊のカンボジア派遣について、PKFであるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
67 | 383 | 年表 | 512 大伴金村、伽耶4県を百済に割譲 | 現在の学説状況に照らして不正確である。 | 3-(1) |
検定基準の欄には、義務教育諸学校教科用図書検定基準又は高等学校教科用図書検定基準の第2章及び第3章に掲げる項目のうち、該当するものの番号を示す。 |
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