検 定 意 見 書
受理番号 14-69 | 学校 高等学校 | 教科 地理歴史 | 種目 日本史B | 学年 |
番号 | 指摘箇所 | 指 摘 事 項 | 指 摘 事 由 | 検定基準 | |
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頁 | 行 | ||||
1 | 5 − 11 |
歴史の考察 「資料をよむ」「資料にふれる」 |
学習指導要領に示す「内容の取扱い」の(2)のアの(ア)「作業的、体験的な学習を重視すること」に照らして、扱いが不適切である。 | 2-(1) | |
2 | 6 | 13 | 尋尊の日記『大乗院日記目録』 | 尋尊の日記ではなく、誤りである。 | 3-(1) |
3 | 10 | 5 | 国立歴史民族博物館(大阪府) | 誤りである。 | 3-(1) |
4 | 10 | 25 | 8月15日 | 誤りである。 | 3-(1) |
5 | 43 | 脚注![]() |
・・而るに倭、辛卯の年(391年)を以て、来たりて海を渡り、百残□□□羅を破り、・・ | 現在の学説状況に照らして不正確である。 | 3-(1) |
6 | 51 | 図 | 凡例「512年、百済へ割譲した加羅の4県」(巻末年表1も含む) | 現在の学説状況に照らして不正確である。 | 3-(1) |
7 | 74 | 脚注![]() |
天皇の命令を太政官を通じてくだすと、手続きが煩雑で機密ももれやすいため、側近である蔵人に政務を取り扱わせた。 | 太政官の機能について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
8 | 99 | 表 | 「おもな美術作品」中の「源氏物語絵巻(藤原隆能)」 | 現在の学説状況に照らして、この絵の作者を藤原隆能とするのは断定に過ぎ、不正確である。 | 3-(1) |
9 | 106 | 14 − 15 |
幕府は、鎌倉殿頼朝に名簿をささげて臣従を誓った東国の御家人たちを中心とする武家政権であった。 | 多くの武士が名簿をささげることを実際に行ったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
10 | 107 | 図 | 系図中の「泰頼」・「経頼」 | 誤りである。 | 3-(1) |
11 | 119 | 14 − 15 |
・・浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗・臨済宗・曹洞宗は、戦国時代から江戸初期に独立の宗派として公認された。 | 145頁の記述との関連において、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
12 | 123 | 左図 | 地図中の高麗の扱い | 元と高麗との関係について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
13 | 123 | 10 − 11 |
元は高麗を攻め、執拗に抵抗する高麗武臣の崔氏政権を倒してこれを服属させ、 | 崔氏政権を倒したの元ではなく、不正確である。 | 3-(1) |
14 | 148 | 7 − 11 |
一方、力のおとろえた公家は・・東常縁は『古今和歌集』の秘伝をさずける古今伝授をはじめた。 | 東常縁が公家であるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
15 | 163 | 14 | ・・1591(天正19)年、身分統制令により武士が町人・百姓となったり・・ | 現在の学説状況に照らして、「武士」とするのは不正確である。 | 3-(1) |
16 | 164 | 14 | 貨幣制度については金座・銀座を設け、・・ | この時期に既に金座・銀座が確立していたかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
17 | 172 | 18 − 19 |
幕府直轄都市には城代(大坂・駿府)や遠国奉行(京都・大坂・伏見・奈良・堺・長崎・山田・日光)をおき、・・ | 同頁の『江戸幕府職制表』の記述との間に齟齬がみられ、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
18 | 220 | 13 − 14 |
・・1840(天保11)年、アヘン戦争で清国がイギリスに敗北したという情報が幕府にもたらされた。 | 1840年にアヘン戦争が終結したかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
19 | 232 | 脚注![]() |
1842年に清国と、香港の割譲や上海など5港の開港や治外法権を内容とする南京条約をむすび・・ | 治外法権が南京条約に含まれるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
20 | 249 | 脚注![]() |
しかし、日本がそうした字を使うことは、当時の朝鮮の国教である朱子学の儀礼体系では受け入れられないものだった。 | 説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
21 | 258 | 脚注![]() |
1877年に大久保が暗殺されて以後 | 1877年は誤りである。 | 3-(1) |
22 | 273 | 図 | 日本軍進路 | 図中に凡例にある日本軍進路が記されておらず、相互の関連が不適切である。 | 2-(9) |
23 | 297 | 19 − 20 |
ヨーロッパでは、長く続いてきたイギリス・ロシア・フランスの三国協商と、・・ | 三国協商は20世紀なってから成立したものであり、「長く続いてきた」とするのは不正確である。 | 3-(1) |
24 | 310 | 写真 | 原敬内閣が誕生した時の政友会幹部たち | 説明文にある人々の多くが政友会幹部であるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
25 | 314 | 13 − 15 |
・・緊急勅令を出すことで事態に対処しようとしたが、そのことをはかった枢密院と政友会がこれを否定したために・・ | 政友会にも枢密院と同様の権限があるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
26 | 321 | 脚注![]() |
アジア太平洋戦争 | アジア太平洋戦争という用語は、現在一般的とは言い難い。 | 2-(4) |
27 | 325 | 脚注![]() |
鮎川義介(あゆかわよしすけ) | 誤りである。 | 3-(1) |
28 | 359 | 8 − 9 |
・・国交を樹立した。 | 不正確である。 | 3-(1) |
29 | 364 | 脚注![]() |
全野党共闘を方針としてきた社会党は、1980年1月、政権協議の対象から共産党をのぞくことを公明党と合意し・・、70年代にひろがった革新の潮流が後退する契機となった。 | 革新の後退はこれ以前からおこっており、後退の原因について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
30 | 365 | 脚注![]() |
1982年に歴史教科書の検定で、中国への「侵略」を「進出」と書き直させたことから、・・ | 不正確である。 | 3-(1) |
31 | 367 | 8 | 皇太子明仁 | 日本国および日本国民統合の象徴としての天皇の地位について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
32 | 367 | 10 − 12 |
海外からは・・天皇の重態・死去のさいの日本人の過度の謹慎に強い疑問と批判が出された。 | 海外の状況について、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
33 | 370 | 3 − 4 |
・・日本はアメリカに対し130億ドルの戦費支出をおこなった(湾岸戦争)。 | アメリカのみではなく、不正確である。 | 3-(1) |
34 | 371 | 13 | 「構造改革」 | 372頁2行目にも「構造改革」とあり、双方の関係について理解し難い表現である。 | 3-(2) |
35 | 371 | 22 − 23 |
小渕首相急死のあと、2000(平成12)年4月に森喜朗内閣(自民・公明・保守連立)が成立したが | 小渕首相の死去と森内閣成立の前後関係が不正確である。 | 3-(1) |
36 | 373 | 3 − 6 |
その背景には、侵略戦争の責任を明確にしない日本政府の・・それは歴史認識をめぐる日本とアジアの対立としてもあらわれている。 | 日本政府の姿勢および歴史認識について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
37 | 375 | 9 | アジア最大の軍事支出を続けている・・ | 説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
検定基準の欄には、義務教育諸学校教科用図書検定基準又は高等学校教科用図書検定基準の第2章及び第3章に掲げる項目のうち、該当するものの番号を示す。