検 定 意 見 書
受理番号 12-330 | 学校 高等学校 | 教科 地理歴史 | 種目 日本史B | 学年 |
番号 | 指摘箇所 | 指 摘 事 項 | 指 摘 事 由 | 検定基準 | |
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頁 | 行 | ||||
1 | 表見返 | ![]() |
源頼朝像 | 現在の学説状況に照らして、この像を源頼朝像とするのは断定的に過ぎ、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
2 | 6 − 8 |
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2-(1) | |
3 | 84段目 | 1 − 10 |
これは、『古事記』や『日本書紀』の神功皇后伝承による朝鮮半島出兵を思いおこさせる・・・大和朝廷が統治していたと考えてよいであろう。 | 現在の学説状況に照らして、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
4 | 9上段 | 28 − 29 |
朝鮮半島の南端を拠点とした百済とむすんで・・ | 百済の拠点を「朝鮮半島の南端」とするのは誤りである。 | 3-(1) |
5 | 9上段 | 30 − 1 |
七世紀はじめには唐が隋にかわり、百済、高句麗を滅ぼすなど、周辺諸国を支配下におさめた。 | 唐が百済・高句麗を滅ばしたとするのは不正確である。 | 3-(1) |
6 | 15 | 19 − 20 |
・・、夏王朝を滅ぼした殷王朝ではすでに・・ | 夏王朝の存在について断定に過ぎ、不正確である。 | 3-(1) |
7 | 20史料 | 脚注![]() |
紀元三世紀の三国時代に、陳寿が著した歴史書『三国志』・・ | 誤りである。 | 3-(1) |
8 | 22 | 囲み | コラム「日本の国生み神話」「大宰府」「金沢文庫と足利学校」「赤穂事件と武士道」「商人の富強」「水戸光圀と『大日本史』」「上杉鷹山と藩政改革」「吉田松陰と松下村塾」「中国革命の父孫文と日本」「沖縄の学徒隊」「昭和天皇の全国巡幸」 | これらのコラムは学習指導要領に示す「内容」の(1)ウ「地域社会の歴史と文化について、その地域の自然条件や政治的、経済的な諸条件と関連付けて考察させる。」に照らして不適切である。 | 2-(1) |
9 | 22 | 23 − 25 |
まだ統一のない洛東江下流域の加羅(任那)とよばれた弁韓諸国に拠点をおいたと考えられる。 | 弁韓諸国に広く拠点を置いたと誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
10 | 22史料 | 「朝鮮出兵」中の「百残・□□・新羅を破り・・」 | 現在の学説状況に照らして不正確である。 | 3-(1) | |
11 | 23 | 1 − 3 |
・・好太王(広開土王)の碑文によれば、倭人は、百残(百済)・新羅に対する優越した地位をえるため遠征軍を送り、・・ | 現在の学説状況に照らして断定に過ぎ不正確である。 | 3-(1) |
12 | 23 | 脚注![]() |
「魏志倭人伝」によると、狗邪韓国は倭国の一部であるとされ、・・ | 現在の学説状況に照らして不正確である。 | 3-(1) |
13 | 23 | 脚注![]() |
・・「泰□四年」を東晋の太和四年(三六九)と考えれば、朝鮮出兵の年と一致する。 | 「朝鮮出兵」の実否について断定に過ぎ、不正確である。 | 3-(1) |
14 | 27 | 脚注![]() |
楽浪郡や帯方郡が滅んだあと渡来した漢民族の帰化人には、養蚕業などをもたらしたといわれる秦氏の祖弓月君・・ | 現在の学説状況に照らして「漢民族の帰化人」とするのは不正確である。 | 3-(1) |
15 | 29 | 歴史の探求![]() ![]() ![]() |
学習指導要領に示す「内容の取扱い」の(2)イ「内容の(1)のイの(ア)から(オ)までの中から、生徒の実態等に応じ、二つ程度を選択して主題を設定し」に照らして、選択して学習することができるよう配慮されていない。 | 2-(1) | |
16 | 30 | 11 − 13 |
五一二年には、継体天皇を擁立した大連の大伴金村の意見によって、百済に任那の四つの地域(県)を割譲した。 | 現在の学説状況に照らして「割譲」とするのは不正確である。 | 3-(1) |
17 | 33 | 脚注![]() |
三経義疏は、いずれも聖徳太子が推古天皇に講じられた原稿をまとめたものとされる。なかでも、『法華義疏』は太子の自筆で添削のあともみられる。 | 記述全体が確定した史実であるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
18 | 34 | 右上表 | 絵画 獅子狩文様錦 | 絵画とするのは誤りである。 | 3-(1) |
19 | 39 | 脚注![]() |
このほか、朝廷の諸官司に隷属する品部や雑戸の技能集団があった。賤の人口は、良の一割にも満たなかったと推定される。 | 38頁31行目以下に、「良は・・特殊な技能職を世襲する品部・雑戸からなっていた。」という記述があり、相互に矛盾している。 | 3-(1) |
20 | 41 | 脚注![]() |
・・高松塚古墳は、・・石室内部の天井や壁面に、当時の男女官人の姿、星座、四神(青竜・白虎・朱雀・玄武)などが極彩色で描かれている。 | 朱雀は残されておらず、不正確である。 | 3-(1) |
21 | 42 | 2 − 3 |
こうした国力の充実を背景に、政府は奥羽地方の経営に力をそそぎ、蝦夷を平定した。 | 蝦夷の平定が完了したかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
22 | 43 | 脚注![]() |
・・大伴古麻呂は・・新羅より上位の座を獲得するなど、外交面で活躍した。 | 説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
23 | 48 | 22 − 24 |
結婚形態は、しばらくの間は夫が寝所のある嫁方の家へ通い(妻問婚)、一定期間をへると嫁が夫の家へ移ることが多かった。 | この当時において、「嫁」等の用語が一般的であったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
24 | 51 | 2 − 4 |
・・、蔵人が事務をとる蔵人所は太政官にかわって勢力をもつにいたった。 | 現在の学説状況に照らして不正確である。 | 3-(1) |
25 | 53 | 脚注![]() |
・・円珍は、仁寿三年(八五三)唐の商船に便乗して入唐し、在唐六年間の巡礼記を抄録した『行歴抄』を著した。 | 誤りである。 | 3-(1) |
26 | 55 | 22 − 26 |
班田制を維持することが困難になった政府は、公営田(大宰府など)・勅旨田(皇室)・諸司田(諸官庁)などの直営田を設けて富裕な農民に耕作させ、財源を確保しようとした。 | 公営田・勅旨田を10世紀のこととするのは誤りである。 | 3-(1) |
27 | 63 | 7 − 8 |
結婚は、男が女の家にむかえられて夫婦同居する婿入婚がふつうで、・・ | 男が生涯にわたって女の家に同居していたかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
28 | 65 | 脚注![]() |
持仏院 | 現在一般的とは言い難い。 | 2-(4) |
29 | 66 | 22 | 氏上 | この時代、氏長者が一般的な名称であり不正確である。 | 3-(1) |
30 | 68 | 27 | 信貴山縁起絵詞 | 一般に「信貴山縁起絵巻」であり、不正確である。 | 3-(1) |
31 | 70 | 歴史の探求![]() |
学習指導要領に示す「内容」(1)イ(イ)「日本列島の諸地域における歴史の差異について追究させる」に照らして不十分である。 | 2-(1) | |
32 | 75 | 23 | 承久の変 | 現在の学説状況に照らして一般的とは言い難い。 | 2-(4) |
33 | 77 | 脚注![]() |
一説には、上皇は三代将軍実朝とひそかに連絡をとり、・・・実朝が暗殺されたので、上皇の計画は挫折したという。 | 現在の学説状況に照らして一面的な見解を配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
34 | 78 | 13 | 武家造 | 現在の学説状況に照らして不正確である。 | 3-(1) |
35 | 87 | 上右地図 | 「モンゴルの勢力範囲」中、「高麗」の扱い | 高麗と元の関係について、誤解するおそれのある地図である。 | 3-(2) |
36 | 87 | 28 − 29 |
そして、再度の来襲にそなえ、警固番役を一般の御家人に拡大して制度化した。 | 不正確である。 | 3-(1) |
37 | 90 | 49 | 建武の中興 | 「建武の中興」という用語は、現在一般的とは言い難い。 | 2-(4) |
38 | 91 | 脚注![]() |
長官(頭人)には新田義貞が就任した。 | 不正確である。 | 3-(1) |
39 | 96 | 20 − 24 |
わが国には倭寇の鎮圧を求め、朝貢をうながしてきたが、当時九州にあった南朝の懐良親王は、わが国を属国視する明の無礼をとがめて拒絶した。 | 現在の学説状況に照らして不正確である。 | 3-(1) |
40 | 97 | 14 | 李氏朝鮮 | 表記が適切でない。 | 3-(3) |
41 | 105 | 左上写真 | 「慈照寺銀閣」中、「当初銀箔をおす予定であったところからこの名がある。」 | こうした事実はなく不正確である。 | 3-(1) |
42 | 113上段 | 26 − 28 |
鎖国の結果、日本人の目は内へとむき、海外発展の道は閉ざされたが、独特の文化が育ち、欧米列強の植民地化を防ぐことになった。 | 133頁脚注![]() |
3-(1) |
43 | 119 | 脚注![]() |
なお、太閤とは関白の職を子にゆずった人のことで、・・ | 不正確である。 | 3-(1) |
44 | 122 | 1 − 3 |
とくに、文禄・慶長の役後に朝鮮の陶工がもたらした製陶法の影響は大きかった。 | 朝鮮人陶工について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
45 | 135 | 28 | ・・大名が家臣の子弟を江戸城に預ける(証人)・・ | 誤りである。 | 3-(1) |
46 | 148 | 21 − 22 |
・・武士の身分(旗本株や御家人株)・・ | 不正確である。 | 3-(1) |
47 | 170 | 6 − 9 |
ハリスは、一八五六年のアロー号事件ののち清国がイギリス・フランスに締結させられた一八五八年の天津条約を背景に、通商条約の調印をせまってきた。 | 天津条約を「背景に」とは、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
48 | 177 | 20 − 24 |
新政府は・・また、会津・桑名二藩の宮門警衛を停止して帰国を命じた。 | 二藩の「帰国」は命じておらず、誤りである。 | 3-(1) |
49 | 179 | 23 − 24 |
また、府や県では、年貢の徴収がおこなわれたため、一揆が頻発し、・・ | 一揆の原因について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
50 | 180 | 7 | 藩主と上級公家は華族、 | 公家は上級に限らず、不正確である。 | 3-(1) |
51 | 185 | 脚注![]() |
・・清国の皇帝のみが使う語があるのは違法である、と朝鮮側は主張した。 | 「違法」とするのは不正確である。 | 3-(1) |
52 | 188 | 8 − 12 |
・・明治三年(一八七0)、・・婦人向けの雑誌『女学雑誌』も発刊された。 | 発刊の時期について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
53 | 189 | コラム | 「ベルツのみた文明開化の日本」中の、(トク未亡人編) | 未亡人の名が誤りである。 | 3-(1) |
54 | 191 | 22 − 26 |
明治十三年(一八八0)三月に開催された愛国社第四回大会は、大阪会議で板垣退助が・・国会の開設要求においた。 | 説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
55 | 195 | 脚注![]() |
井上毅は、制定されるべき憲法は・・・『古事記』『日本書紀』をはじめとするわが国の古典の調査研究に精力的に取組んだ | 本文の記述との関連が不明確であり、大日本帝国憲法の成立について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
56 | 199 | 歴史の探求![]() |
「条約改正の動き」は、学習指導要領に示す「内容」(1)イ「我が国の歴史の展開について、時代ごとに区切らない主題を設定し追究する学習を通して」に照らして不適切である。 | 2-(1) | |
57 | 201左上 | 絵説明 | ・・明治時代の国民精神のあり方を記念する作品。 | 説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
58 | 201 | 2 − 7 |
日本も時を移さず派兵したため反乱は鎮圧されたが、・・・わが国の提案が拒否され、対立は深まった。日本は、安全保障の見地から清国の勢力を朝鮮から一掃する決意を固め、・・ | 日清戦争の開戦の経緯について、学説状況に照らして不正確である。 | 3-(1) |
59 | 203 | 脚注![]() |
明治二十八年(一八九五)、日本公使三浦梧楼らは大院君とむすんで閔妃を殺害したが、・・ | 閔妃暗殺に大院君も関与していたかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
60 | 207 | 4 − 26 |
「日韓併合」及び167頁上段29行目〜下段4行目「近代化した日本は、・・・戦火をまじえた。」 | 「日韓併合」及び日本と朝鮮の関係について、全体として実態が理解し難い表現である。 | 3-(2) |
61 | 207 | 脚注![]() |
総督府は臨時土地調査局を設け、明治四十五年(一九一二)に土地調査令を公布し、・・・同時に土地の売買・貸借契約なども文書で確実にできるようになった。 | 土地調査事業の実態について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
62 | 224 | 左上地図 | 「ヴェルサイユ条約後の日本の版図」中の「満州」 | 満州が独立国のように扱われており、誤りである。 | 3-(1) |
63 | 225 | 23 − 33 |
朝鮮では、日韓併合以来、独立運動が根強くひろがっていたが、・・内地と朝鮮の融和につとめ、文治主義の政策をおし進めた。(脚注![]() |
三・一事件及び朝鮮における植民地支配の実態について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
64 | 229 | 脚注![]() |
・・朝鮮人に不穏な動きがあるとする流言がひろがり、自警団などが多数の朝鮮人を殺害した。一方、横浜の警察署長大川常吉は、救いを求めてきた多数の朝鮮人を保護した。 | 関東大震災における、いわゆる朝鮮人の殺害の実態について、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
65 | 234 − 235 |
資料にふれる 絵画資料を読み解く−日本・ベルギー交流史 | 学習指導要領に示す「内容」(1)ア(イ)「博物館などの施設や地域の文化遺産についての関心を高め、文化財保護の重要性について理解させる。」、「内容の取扱い」(2)ア(ア)「作業的、体験的な学習を重視すること。」に照らして不十分である。 | 2-(1) | |
66 | 236 | 39 − 40 |
・・田中内閣は在留邦人保護を目的に山東に派兵したが(第一次山東出兵)、・・ | 目的を在留邦人保護に限定するのは、山東出兵の実態を誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
67 | 237 | 3 − 6 |
・・政府は第二次山東出兵をおこなって済南を警備させたが、五月済南に入城した北伐軍の一部の暴発を機に衝突がおこった(済南事件)。 | 済南事件の実態について、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
68 | 237 | 6 − 8 |
引きつづき北伐軍が北京にせまると、政府は張作霖と蒋介石に対し満州の治安維持の措置を辞さないと通告した。 | 「治安維持の措置」が具体的に何を指すのか説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
69 | 239 | 24 − 28 |
満州では反日運動が激化し在留邦人や権益の被害が続出した。関東軍は、激化する排日・侮日運動に対し、武力で満州を中国からきりはなすことを企図し、・・(脚注![]() |
満州事変の原因について、主に中国側に原因があるかのような記述であり、その実態について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
70 | 239 | 脚注![]() |
・・朝鮮族の入植者と・・ | 朝鮮族とするのは不正確である。 | 3-(1) |
71 | 240 | 6 − 15 |
満州では、かねてから関東軍により、新国家建設が強力に進められていたが、昭和七年(一九三二)三月、日・朝・満・蒙・漢の諸民族の協力(五族協和)を理想にかかげて、・・両国間に日満議定書を締結して、満州国を承認した。(脚注![]() |
満州国の実態について、説明不足で理解し難い表現である。 | 3-(2) |
72 | 244 | 30 − 35 |
昭和八年(一九三三)五月、塘沽停戦協定がむすばれて満州事変は最終的解決に達し、・・・国民政府から切りはなして自立化させようと、冀東防共自治政府を樹立した。 | 満州事変後の日中関係の実態について、誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
73 | 244 | 36 − 39 |
一九三六年(昭和十一)十二月の西安事件を契機に、国民政府も内戦停止、抗日民族統一戦線の形成にふみきった(第二次国共合作)。 | 第二次国共合作の成立の時期について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
74 | 245 | 4 − 6 |
・・七月末、政府は居留民保護のために![]() ![]() |
七月末の動員が、通州事件勃発によるものであるかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
75 | 245 | 側注![]() |
南京陥落の混乱のなか、非戦闘員に多くの犠牲者がでたといわれ、戦後の極東国際軍事裁判で大きな問題とされた(南京事件)。 | 南京事件の実否、主体が不明確であり、実態について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
76 | 246 | 12 − 13 |
昭和十三年(一九三八)には、戦時体制に向けての国民の合意が形成され、・・ | 具体的になにを指しているのか不明確であり、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
77 | 249 − 250 |
27 − 1 |
・・覚書(ハル=ノート)を示し、日本が中国![]() ![]() |
満州の扱いについて、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
78 | 250 | 8 − 12 |
日本は、十二月八日を期して・・マレー沖のイギリス東洋艦隊主力に壊滅的打撃をあたえ、陸軍はマレー半島に上陸した。 | マレー沖海戦が十二月八日におこったように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
79 | 250 | 14 − 15 |
・・戦争の目的として、自存自衛と東亜新秩序の建設をかかげた。 (251頁脚注 ![]() |
本文と脚注との関連が理解し難く、また占領地支配の実態について誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
80 | 251 | 22 − 26 |
一方、朝鮮・台湾の兵役は志願制であったが、戦争末期になって徴兵制が実施されて・・多くの人々が徴用され、日本各地の炭鉱や工場で働いた。(脚注![]() ![]() |
戦時下の植民地支配の実態について、理解し難い表現である。 | 3-(2) |
81 | 254 | 20 − 21 |
・・ポツダム宣言にうたわれていた言論の自由は保障されず、・・ | 戦前の言論統制がそのまま継続したかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
82 | 256 | 上コラム | コラム「東京裁判がのこした問題」 | 極東国際軍事裁判については、さまざまな議論があり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている。 | 2-(4) |
83 | 259 | 3 − 4 |
・・、皇室財産の大部分は国有化されて課税対象となるなど、・・ | 「国有化」された皇室財産が「課税対象」となったかのように誤解するおそれのある表現である。 | 3-(2) |
84 | 265 | 脚注![]() |
・・昭和三十五年(一九六0)には宗教団体を母体とする公明党が結党するなど、・・ | 公明党の結党は昭和39年であり、誤りである。 | 3-(1) |
85 | 265 | 7 − 8 |
新安保条約は参議院での批准をえられないまま六月に自然成立し、・・ | 「参議院での批准」という表現は不正確である。 | 3-(1) |
86 | 265 | 34 − 36 |
・・韓国政府を「朝鮮における唯一の合法的な政府」と認め、・・ | 条約の引用として不正確である。 | 3-(1) |
87 | 267 | 脚注![]() |
・・三分野での統合をめざして、名称をEUと変更した。 | EUはEECの単なる名称変更ではなく、不正確である。 | 3-(1) |
88 | 269 | 47 | ・・小渕首相の病死で森喜朗内閣が成立した。 | 森内閣成立時点では小渕前首相は療養中であり、不正確である。 | 3-(1) |
検定基準の欄には、義務教育諸学校教科用図書検定基準又は高等学校教科用図書検定基準の第2章及び第3章に掲げる項目のうち、該当するものの番号を示す。