中原徹氏(大阪府立和泉高等学校長)意見発表

【中原氏】

 大阪府立和泉高校の校長をしております中原と申します。岸和田という一地方の校長がこういう貴重な機会をいただけるということで、本日は一切オブラートに包まずに、私の思いの丈をお話しさせていただきますので、時に生意気な発言もあるかと思いますけれども、国を思っての発言ということで、お許しいただければと思います。では、座って失礼いたします。
 私が民間人校長になりまして1年半が過ぎようとしています。39歳のときに就任いたしまして、今41歳でございます。そもそもどうして校長になったのかという、そこの原点が、今の私の教育施策すべての出発点でありますので、そこのお話をさせていただきたいと思います。私は早稲田大学の法学部を出まして、その後、日本の司法試験に受かり、東京永和法律事務所という法律事務所に約2年間おりました。あこがれの国際弁護士の道を歩み始めて、最初は本当に期待に胸を膨らませていました。プロ野球選手を高校球児が見るように、いろいろな国際弁護士のスター選手といわれる人に会いました。
 ところが、残念ながら、日本人同士のときはやはり知識もあるし、堂々としているし、すごく格好いいなというふうに思ったのですけれども、それがアメリカのビジネスマンが来たり、アメリカ人の弁護士が来たり、イギリス人の会社のトップが来たり、そういう交渉になると急に頼りない感じがしました。夜の銀座での堂々とした態度とは裏腹に、非常に頼りなく見えて、「あれっ」と思うようになって、自分はこの先30年日本で弁護士を続けてこういうふうになっていくのかと思うと、少し寂しい思いがいたしましたとともに、では、本当のアメリカの弁護士というのはどのぐらいすごいのか、あるいはすごくないのかということがどうしても見たくなってしまって、留学を考え、約2年で事務所をやめて、無職になり、ミシガン大学というアメリカのロースクールに入り直しました。その後、ニューヨークとカリフォルニアの弁護士資格を取りつつ、800人ぐらいの弁護士を抱える米国法律事務所のロサンゼルス・オフィスでアメリカの弁護士として勤務しまして、結局10年ぐらい働いて、晩年はパートナー、共同経営者にもならせていただきました。わざわざ留学してまで見つけようとした答え、すなわち、アメリカ人の弁護士はそんなにすごいのかという問いに対しては、あえて日本頑張れという気持ちも込めて言わせていただくと、「大したことなかった」というのが私の実感です。
 私が一応曲がりなりにも向こうで共同経営者ということになれたということも(米国は大したことはないということの)1つの証拠にもなるかと思うのですが、ロースクールに入ってアメリカ人と議論したり、授業中の発言を聞いたり、勉強会をやってみたりすると、私は既にプロだったというアドバンテージはあったにせよ、頭の中で考えていることは絶対負けていない、と強く感じました。(米国人は)日本人が到達できる深い論点の1つ、2つ手前の論点をギャーギャーやるわけです。そんな手前の論点の長所短所は分かっていて、その次の話を日本人だったらするのに、その手前のところで自説をギャーギャー強調しているだけで、中身としては大したことはない。
 しかし、プレゼン力というか、相手に意見を聞かせる勢いと技術というか、そういうところにはやはり長けていると強く感じました。この思いは結局10年米国で弁護士をしても変わりませんでした。私が米国にいる間、ロサンゼルスにちょっと変わった日本人弁護士がいるということで、ハーバードやスタンフォードに留学に来ていた高級官僚だとか、商社マン、銀行員、弁護士、医者らがロサンゼルスの私のところに立ち寄ってきてくれたりするのですが、あるいは、日系企業のトップの方、バリバリのビジネスマンの方と一緒にお仕事もさせていただきましたけれども、私が日本で弁護士になりたてのころに国際弁護士を見たときのようなエリートの印象とやはり変わらないのです。
 日本では、それこそ東大を出て、英語も各省庁、あるいは商社、銀行の中ではかなりできるというエリートのエースがハーバードだったり、スタンフォードに来ていると思うのですが、では、その中で、そのアメリカ人と対等ないし彼らからちょっと疎ましく思われるぐらいに頭角を現している人がいるかというと、なかなかいなくて、むしろそこで学んだことを日本に持って帰って、箔をつけるといったら変ですけれども、それを日本で自慢するために今は頑張ろうとじっと耐えている人が多いのです。試験は何とかいい点数をとらなければいけないということで、ほとんどアメリカ人とのディスカッションにも参加せず、日々翻訳を中心とする勉強をして、ノートを集めて、先輩から試験対策を聞いて、そういうことをしていくというのを見て、その人たちもやればできるのに、私なんかよりも優秀な人がどんどん来ているのにと思わざるを得ませんでした。どうしても最初の気構えの部分で、「欧米、特にアメリカ人を国の代表としてぎゃふんと言わせて日本に帰ってやろう、そして、日本に帰って、後輩たちに、おれができるんだから、みんなもっとできる」というようなことを言ってやりたいという、そういうメンタリティーがある人がすごく少ないというのにだんだん腹が立ってきたのです。同時にアメリカ人にも腹が立って、どうしてこんなに大したことないことしか考えていないのに、こんなに威張っているのかと思い出しました。
 何で我々はアメリカ人にそんなに威張られなければいけないんだということがすごく膨らんできてしまって、日系企業を助けるという弁護士としての仕事も本当に幸せだったと同時に、それ以上に何かできないかということで、土曜日だけに補習をする在ロサンゼルスの日本語補習校(日本の文部科学省の指導要領に沿った教育をする、小学生が中心の「あさひ学園」という学校です。文科省さんからも人の配置ということでサポートをいただいています)の理事長をボランティアでさせていただくようになりました。しかし、ボランティアだけでは物足りず、やはり本国に帰って何かやりたいなという思いが強まったところに、たまたま早稲田大学の法学部の1年生のときに体育の授業で一緒になった、当時政治経済学部の1年生だった、今の大阪の橋下知事が首長を務める大阪で民間人校長の話があるのを聞きました。橋下知事とは、体育の時間で、大学1年生のときに週1回だけ一緒だったという、クラスも違うし、私は関西弁もしゃべれないし、お互いに性格も合わないということだったのですが、たまたま同じ年に司法試験に受かったという縁もありました。彼が一定の権限を持つ首長を務める大阪の高校に飛び込んだら何か少しでも大阪や日本のお役に立てることができるのではないかという思いで応募いたしまして、今日に至っています。
 ですから、私がやりたいことというのは、「国際社会で勝負できる若者の育成」に尽きます。ということで、すべての考えがここからスタートしているのですけれども、まず、岸和田の和泉高校に赴任して、大阪府の教育委員会だったり、それからいろいろな教育関係者の方にお会いして、それから保護者の方もそうです、生徒もそうです。やはり危機感といいますか、国際社会における日本の立ち位置ということをそもそもあまり考える人がいない。近隣の学校と比較し、うちの学校の方がちょっと成績がいいだとか、隣の子よりもいい学校に行っただとか、就職が同期生よりも早くいいところに決まっただとか、そういうことに終始しているということを強く感じました。今でもそういった危機感については伝えなければいけないということで苦労していますけれども。特に高校ということになると、義務教育は終わっていますので、やはり頂点は、関西で言えば京大、東京で言えば東大、早稲田、慶應など、残念ながら、そこに入れてしまえば、高校の教育者としてはおしまいという、西京高校さんは違いますけれども、そうでない進学校というのがやはりすごく多くて。
 ただ、私の原点というのは、仮に東大、京大に入って、しかもその中で英語が得意ですということで出てきた代表選手が世界で通用していないというふうに思ったところにありますので、世界で通用する形で東大、京大に入ってもらって、どんどん勝負していってもらいたいというふうに考えています。
 去年私は上海の平均的な学力の中学校(日本の高校にあたります)に行ってきましたが、オールイングリッシュで英語をやって、中国の先生が、完璧な発音ではないですけれども、よどみのない英語をしゃべり、その先生の英語の冗談を理解し、私が行ったときには、火星に165年以内に人類は移住できるはずだ、B4用紙1枚ぐらいにびっちりそう書かれた英語の論文を、高校生が読める程度の論文ですけれども、それをぱっとその時間内に渡して、5分で読めと。それをグループになって何段階のステップを踏めば火星に行けるかどうか。この筆者は何と言っているかまとめろ。そして君らの意見を述べろということを英語でしなさいという授業を中程度の習熟度の学校がやっていました。
 それをちょっと見てびっくりしてしまって、これは大阪でも幾つか英語の特色ということで府が力を入れている学校があるのですけれども、そうした学校のレベルをはるかに超えています。日本では、帰国子女でない限り、なかなかそのレベル、上海の中程度の高校生にも至らないというのが去年の12月の私の印象です。
 ですから、上海はこの10年ぐらいで、韓国もそうですけれども、トップダウンでぐっと英語教育を動かした結果、日本から見るととんでもないレベルに到達してしまっている。これが10年、20年たったときに、国を支えていくトップが、例えば大きな首脳会議があったときに、全世界の首脳、トップは英語をそのまま使うのに、日本のトップだけが隣に通訳を入れておいて、出遅れてしまう。特に私はビジネスの交渉をずっとしてきましたけれども、意外と大きな突破口になるというのは公式な会議ではなくて、食事をしたり、ちょっとした休憩時間に世間話をしたときであると思いまます。そうなったときに、1人で話せない、あるいは海外に出ていないから話題がつながらない。例えば、私はハーバードを出ました。ハーバードではこんな人がいましたね。その教授だったら、私も知っているよなんていうことが、中国人と日本人の間でもつながる。そんなところからちょっとした信頼関係ができてきたりということがビジネスの世界でもありましたので、そういう意味では、そのうちリーダーが相手にされなくなって、日本企業であっても、トップに、それこそ中国人がなってしまうという、今、楽天もファーストリテイリングも英語を公用語と言っていますけれども、パナソニックも大量に幹部候補生を中国からとろうというような話も報道されていますが、本当にそれが現実のものになって、日本国内であってもリーダーに日本人が立てなくなるという、そんなことがあるのではないかということを懸念しています。
 ですから、先ほど少し触れましたが、学校においても社会においても、常に競争の矛先は国内の中で止まると、商社だったら、同一会社内の営業第何課の中で自分は早く課長になったとか、あいつはどこどこに飛ばされたけれども、おれは生き残っているとか、そんなことに終始している間に、それこそ諸外国、日本を飲み込もうとする国からすると、非常に競争しやすい、飲み込みやすい相手になってしまうのではないかというような思いを持っております。
 世界基準で通用する若者を育成するためにおまえは何をしたいのだと私が聞かれれば、これは端的に言ったら、「日本のいいところは残して、悪いところは改善する」、そういうことだと思っています。
 まず、日本のいいところ。受験地獄というふうに、少し大げさに書きましたけれども、私の世代も割と受験地獄の世代で、とにかく必死にいろいろな知識を詰め込みました。去年ノーベル賞をとられた日本人の方も、私は受験地獄の支持者だというふうにおっしゃっていましたけれども、私も支持者です。アメリカに行ったときに、やはりよりどころになるのは、司法試験の勉強もそうだったのですが、豊富な知識であり、私はたまたま世界史も受験で選択していましたから、そういった世界の歴史ということもほかの外国人に比べてもそんなに負けている感じはしないと思い、大いに受験勉強に対して感謝しました。ですから、豊富な知識であったり、あるいは日本の大学入試に受かる、これは相当高い事務処理能力が要求されますから、それが証明されるのですごくいいものだと思っています。それから、自己マネジメントをして、膨大な量の勉強量をどうやって体を壊さずに、精神的にも安定させながらこなしていくか。そういうマネジメント能力、勤勉さという意味でも、日本の受験に私は賛成であり、今の高校でもそこから逃げるなというふうに指導しています。
 それから、話がちょっと教育とずれるかもしれませんが、他人への気配り、思いやり、今回の震災でも日本人は列を崩さずに並んで順番を待っているという、これは自分さえよければいいということではないという他人への思いやりの表れだと思うのです。思いやりは裏目に出ると、自分さえよければいいという人に食い物にされてしまうという結果になりますが、相手に気を配れるということは相手の気持ちが分かるということも意味します。私もアメリカにいたときに、私はアメリカ人の気持ちが分かるような気がしていましたけれども、向こうはまず私の考えていることは分かっていないと思います。ですから、そういう意味で、向こうの手の内、気持ちが何となく読めるという能力を日本人は持っているのではないかということで、これはこれで残すべき非常にすばらしい文化というか、考え方であると思います。ですから、うちの学校でも他人への思いやりを欠いた行為に関しては徹底的にしつこく指導し、厳しい罰をもって臨むようにしています。
 肝心の改善点なんですけれども、国際社会で競争するということに主眼を置けば、何だかんだ言いながら、やはり英語力だろうと思います。今日本の若者が外に出ない。少し増えたみたいですけれども、ハーバードに日本人が行かないなどという話もありますが、経済的な理由であったり、メンタリティーという理由もあるのかもしれないけれども、やはり英語力。私は早稲田大学の法学部時代に民法の鎌田薫教授という、私の恩師に当たる教授に習ったんですけれども、彼はその後早稲田のロースクールのトップになられ、今年から早稲田の総長をなさっています。去年彼にお会いしたときに、早稲田大学のロースクールも米国のトップロースクールと交換留学をして、1年留学したら、それをクレジット(単位)としてトランスファー(移転)できるということをやっているのだというお話を伺いました。しかし、実際には向こう(米国)から来るばかりでうち(早稲田)から出ていかないんだというようなお話を伺い、「先生何故ですか?」と尋ねましたら、「簡単だ、学生がTOEFL、iBTの100点をとれないんだよ・・・」という話を聞きまして、やはり英語力なんだという思いを強めました。
 ここでいう英語力の強化というレベルは、日本人の中で、日本の会社だったり、お役所のお金で留学させてもらえるために内部で抜きん出る程度の低い英語力のレベルではなくて、それこそアメリカ人なりが、何かこの日本人は手強いこと言うな、こいつ説得力のあること言うなと疎ましく思うぐらいの英語力、そういうレベルの英語力の強化を念頭に置いています。
 そして2番目の改善点がアウトプットする力。知識を入れても、なかなかそれを相手に伝えられない。しかも宗教、文化、言語の違う人間に伝える。これが日本人には苦手なのではないかというふうに思っています。
 3番目は日本国民であることの誇りであったり、自信を取り戻すこと。これも留学に日本人が、特に男子が堂々と出ていかないというところの原因の1つかなと思います。
 では、上述の3つの改善点についての私なりの考えなのですが、まず英語力。私が留学したときは、中国、韓国、台湾、皆英語が下手くそでした。日本人と韓国人、この辺がビリを競っていて。当時であれば、15年ぐらい前ですか、まだ、「いや、我々はアジア人だから英語ができないんだ」ということで、ある意味の言葉のバリアを張れたと思っています。ですから、そのときにその4カ国が共同して英語をあえて使うのをやめようというふうにしたら、「経済の世界でも政治の世界でも、とにかく通訳を連れてこないと、その国の言葉を話さないと、あそこのエリアは入れない」、そんなようなことができた時代だったと思うのです。しかし、先ほどもお話しましたように、韓国も今、TOEFLのiBTだろうが、何だろうがものともしない。下手すると、中学生ぐらいのスコアなんかを見ると、ドイツやオランダとそんなに引けをとらないのですという話もTOEFLを専門にしている業者から聞きました。先週、山中局長が和泉高校に来られたときに、私は台湾の高校を訪れていたのですけれども、そこは国際教育のモデル校で、とにかく英語を強化するという目的のもと、トップクラスの生徒を抱えています。私が接した台湾の高校生は高校1年生ですけれども、「あなたはそのままアメリカの高校に入っても何の遜色もない」というような英語力で、しかも帰国子女ではありませんでした。日本でそういう高校1年生というのはおそらく1人もいないのではないかというぐらいのレベルを見せつけられました。
 このように、周辺諸国が英語を喋ってきてしまっていますから、好きとか嫌いとか、まずは国語力だとか、そういうことを言っていられない状況になってきていると思っています。英語を強化しようと言うと、まずは国語力だとか、話す中身がなかったらだめだという、割とそういう安直な批判を受けることもあるのですが、小中高大と10年英語を勉強して、これは全員が必須でやっているわけですから、それを10年やって、仮に東大、京大、早稲田、慶應を出たって、要するに英語を使えるレベルには至らない。であるならば、英語をやめてほかのことをやるならばまだしも、どうせ10年やるのだったら、もっとその中身を濃くしたいというのが私の考えで、ですから、理科や数学の時間をとってまで英語をどんどん増やせということではありません。
 今、戦後65年たちましたけれども、残念ながら、英語教育はほとんど変わっていないと思います。少なくとも私が20年以上前、高校を卒業した時点の高校生の英語力というのは、はっきり言って今の高校生の英語力と変わっていないと思います。ですから、これ以上の失敗はない。どんなに新しいことをやって、仮に大失敗に終わったって、どうせしゃべれない、どうせ使えないという、言い方はすごく悪いですけれども、そういう状況ですから、思い切ったことをやったらいいのではないかというふうに思っています。
 例えば、今大阪府で「使える英語プロジェクト」という取組が始まっていますけれども、何をやるかというと、結局大学教授を呼んできてしまう。こんなことを言ったら本当に生意気な発言になってしまいますが、いや、先ほどから生意気な発言は連発しているのですが、65年間大学教授等に頼って、要するに失敗してきたひとつの元凶になった人たちにまたお願いしても同じことをされるのがやはり落ちになってしまうと思いますので、例えばそこは帰国子女を上手に使うなどの突破口が必要だと思います。例えばカジュアルな英語だったら、帰国子女を上手に使うだとか、外国人を積極的に取り入れる。そういったことをしたらいいのではないかと思います。
 私は英語にはアカデミックとカジュアルな両輪があると思っていまして、アカデミックな英語はいわゆる金になる、仕事がもらえる英語。カジュアルな英語はネットワーク、友達ができる英語です。アカデミックな方の対策として、今、英語超人という名前で、「教科書を使うのをやめよう、今までの既存の教科書をやめて、TOEFLで点をとることをやろう。」という授業を新設しています。なぜTOEICではだめかというと、TOEICにはやはり話すテストがない。TOEICは割りと簡単に点を取れます。先日もアメリカの外資系の会社に入った人が言っていましたけれども、人事担当が900点以上とっている応募者が来たから、アメリカ人の幹部も迎えて、喜んで英語で面接をやろうとしたら、面接が成立しない。「何だこのTOEICというものは?」という話になったそうですが、それもそのはず、TOEICには話す試験がないので面接が成立しないのは当然です。だから、やはりTOEICはだめではないのか。韓国と日本にだけ対して、お金儲けのためにETS(Educational Testing Service)がやっているという分析もあるくらいです。TOEFLをやれば、非常に大変なんですけれども、アメリカの大学が「うちで勉強してもいいですよ、大学生活が送れますよ」と認定してくれるということですから、これ以上の国際基準に合致する、評価してもらえる分かりやすいテストはないのではないか。勿論、TOEFLばかりやって日本の大学入試に対応できないというのでは生徒がかわいそうですから、TOEFLが入試にも役立つことを確認する必要があります。これは大分うちの高校の英語の教員にも検討してもらったのですが、「TOEFLができるようになれば、iBTで80近く行けば、京大だろうか、東大だろうが、大学入試はへっちゃらだよ。センター試験なんか満点とる可能性がある」ということを言ってくれたので、「来年からもTOEFLを高校1年生からやっていこう」ということになりました。私は橋下知事あるいは府教育委員会にも同じことを言っています。知事のTOEFL発言は思いつきのように見えるかも知れませんが、TOEFLの有用性を踏まえてのことだと思います。
 小学校における英語教育のカギは「音」。小学校の英語教育が始まりますが、この間JETプログラムのALTを束ねている組合のトップのアメリカ人と話をしました。日本の子供はとにかく音が分からないから、読めないし聞けない。だから、中学校の文法をちょっと易しくしたようなことを小学校からやらせるのではなくて、とにかく正しい音だけ聞かせて欲しい、言わせて欲しいという話になりました。これは私も同感であります。
 ちょっと時間がなくなってきてしまいましたので、少し急いでいきますが、次の改善点はアウトプット。日本に久しぶりに帰ってきて感じたのですが、意見が違うと人格まで否定しかねない雰囲気があります。意見が違うからこの人の人格を責めるということは誤りです。アメリカはとにかく意見の違いを恐れない国だと思うのですが、日本人は非常にそれを怖がるなという気がしています。そんなこともあって、議論が上手くできないがために、考えだったり技術はすごいものがあっても、でもなかなかそれを海外に宣伝、あるいは説得できない。沈黙は金などということも言われています。今、和泉高校では、ロジカルシンキングだったり、クリティカルシンキングの基本的な考え方を学ばせています。要するに、言葉が下手くそ、議論が下手くそという人は、気が弱いというよりも、頭の中が論理的に整理されていないから、感覚でしゃべってしまうから伝えられないのではないかということで、論理的思考ということを1年生からまず勉強させて、その後小論文を書かせたり、ディベートをやらせたりということをしています。
 例えば、アメリカ人などは以下のような考え方に慣れています。Aという事実があるからBが導かれて、BがあるからCが導かれる。したがって、Cが理由なんだという場合にはAが攻撃されたらCは成り立たないわけです。ところが、A、B、Cという併存する3つの理由があれば、Aが倒れても、B、Cが残る。そういう考え方(チャート)が(アメリカの)学校によっては教室に張ってあったりするんです。小学生が、そういうABCがつながってCという理由を導いているのか、併存している理由なのかというのを分かっている。論理と言えばインド人などもすごく論理的思考が得意だと思っています。アメリカには、小学生のときから、ショウ・アンド・テルという授業があります。家から自分の好きなものを持ってきて、なぜ好きなのかを説明しなさいというプレゼンテーションの授業です。この授業において順番の取り合いで、しゃべりたい、しゃべりたいと子供らが集まってくるアメリカと、だれが前に来ますかと言うと、皆下を向いてしまうという日本との違いは大きいと思います。来年からは1年生、2年生でもそういう論理的な思考を学ぶという時間を増やすつもりです。現在は1年生にだけ論理を教えていますが、あえて国、英、数等の貴重な時間に影響を与えてまでも2年生でもそれをやっていこうというふうに考えています。
 あとは、「変人のすすめ」と書きましたけれども、日本の中ではちょっと突拍子もないぐらいのことを考えていかないと、世界の人はなかなか振り向いてくれないということで、既成概念を破壊するような想像力というものを鍛えたいということで、想像力を鍛える授業や企画も実施しています。
 3番目の改善である「日本人としての誇りと自信」。小さいころから留学などの国際交流をさせることが重要だと思っています。去年も上海に生徒を連れていったり、イギリスの高校とお互いにホームステイを10日間ずつさせ合うという短期留学プログラムを立ち上げました。イギリスに春に行ってきましたので、秋にイギリスの女の子が10人ぐらいうちの高校に短期で留学に来ます。他にアメリカから長期留学生が1人来ています。本当は今年中に10人ぐらい長期留学生を連れてきたかったのですけれども、残念なことに震災の影響もあって、今1人しか来ていませんが、これも増やしていこうと思います。
 それから、修学旅行でも「日本人としての誇りと自信」を養いたいと思います。来年の話で、まだ企画中なのですが、台湾の高校生とパラオの高校生とうちの高校生でパラオに行って手作りのイベントを実施してもらおうと思っています。初日は全体で海をきれいにしたりするエコロジー活動をして、2日目にはパラオの国立競技場に屋外ステージをつくって、エコロジーのメッセージを英語で発信したり、アジアが結びつく重要さを英語で発信したり、ダンスしたり、音楽を奏でたりということを子供たちに全部企画させて、子供たちに進行させてということを考えています。とにかく自分の力で外国人と、「言葉も違う、文化も違うけれども、何かがやれたじゃないか」、そういう達成感を子供たちに積み重ねさせてあげたいというふうに思っています。
 それから、歴史認識というのを書きましたが、やはり私は自虐史観というものがいまだに支配しているというふうに思っています。歴史の教科書を見ても、確かにアジアの諸国に対して悪いことをしてきたということだけが記載されています。本当に彼らに謝っても謝り切れないという側面があるのも分かるのですが、パラオなんかに行きましたら、「アメリカが占領したおかげで大迷惑だ。そのまま日本に統治していて欲しかった」ということを政府の関係者も言いますし、インドネシア、台湾なんかの人に会っても、割と肯定的に日本の歴史を見ている。つまりすべての情報をテーブルに乗せて生徒に見せて来なかったというところがあると思っています。ですから、去年「平和と国防を考える」という企画を実施しました。「平和」の部門では、私が長崎の浦上天主堂に行って、実際に被爆を受けた人に私がインタビューして、その映像を生徒に見せて、これは希望者だけですけれども、被爆の恐ろしさ、平和を実現するための交渉が武力行使に発展するとこんなことになってしまうんだということ学んでもらいました。それを見た人だけに私が弁護士として憲法9条のさまざまな解釈を講義し、「国防」の部門では、「平和」の授業の後に、有志の生徒が自衛隊の訓練に参加して、自衛隊員の話を聞きました。
 さらに、今年「トロピカルデー」という企画を実施しました。NHKの番組で、ハワイ王国の国王がアメリカに併合される前に、日本の明治天皇に会いに来て、ハワイ、アジア連合で欧米に対峙しないかという提案を出し、政略結婚までしたんですけれども、結局その提案を明治天皇が断って、その後すぐにハワイ王国がアメリカに併合されてしまったという内容を描いた番組がありました。そんな知られざる歴史を描く番組を全校生徒に見せました。
 こういったことをしてきた1年半でした。
 ご静聴ありがとうございました。

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