古賀正義氏(中央大学文学部教授)意見発表

【古賀氏】  

 よろしくお願いします。
 おそらく私は、ちょうど2人の発表者の中間ぐらいの位置で研究と実践をしているので、入れていただいているんじゃないかと思います。私には、大変、文部科学省は敷居が高いところで、実は今まで1度も来たことがなく、今日初めて入らせていただきました。本当にありがとうございます。
 私がやっている仕事というのは、実は大変地味な研究活動でございまして、例えば、高校生が教育困難校と呼ばれるような学校を卒業してからどうなったかを、100人ぐらいとにかく5年間追いかけ続けるというような、非常に地道な作業でございます。どうなったかを徹底して調べる。学校ではどうだった。家庭はどうだ、地域ではどうだ、職場ではどうだ。実際に職場にも行ってみたり、場合によっては御家庭にもお邪魔して、とにかくその人の社会的背景を探るという作業でございます。こうしたフィールドワークをずっと繰り返してきたんですけれども、その経験から、例えばひきこもりの御家族を調べてみてくれませんかと東京都から依頼されたり、法務省からですが、少年院の子供たちの調査をしてみませんかとお話があったり、結果として、青少年問題全般の調査にかかわることになっていきました。
 今日お話ししたいことは、ここにたくさん配布資料はあるんですが、20分間ではとても話しきれないことでございますので、今お話ししましたところをポイントにしながら、私なりに「高校に期待したいこと」をお話しさせていただきたいと思います。資料の方はパワーポイントのものを用意しておりますし、それと、こちらでは本田由紀さんが前にお話しされているようなんですが、本田さん編の著作に最近私が書いた論文などをお渡ししていますので、後でまた御覧いただければと思っております。
 まず、問題意識です。私は、今お話ししましたように、非常に「困難な子供たち」の研究をしてきましたので、その調査結果を見てきますと、発表次第の一番目にございますように、「社会的排除」と呼ばれているもの。これはもう宮本先生が御専門ですので、これ以上お話しすべきことではないかもしれないですが、これが非常に深刻化していって、子供たちの置かれている立場がきわめて厳しくなっているという印象を持っております。それでありながら、反面で、「保険化する学歴」と書いたんですが、学歴というものを、よりよい社会的地位を得るためではなく、獲得できる生活を悪くしないためにどんどん取っておきたいという方向になっていて、そういう意味では学歴社会がちっとも消滅しない。ベクトルが変わったのに学歴社会自体は残ってしまったという状態になっているという認識を持っております。
 実は、さっきお話に出ました困難校も、今や東京都ではかなりの大学進学者を出しているわけなんです。東京の場合、高校全体で6割を超える大学進学率と、専門学校も20%近い。つまり8割ぐらいの人が上級学校に行くということで、非常に言葉は悪いんですが、一種のモラトリアム状況が教育に押し寄せてきて、教育モラトリアム化していくという傾向にあるといえます。要するに、「先送り現象」が生じていると私は思っているわけなんです。
 卒業生調査の結果は後でまた見ていただきますし、包摂型社会や排除型社会のこともいろいろお話ししたいことはございますが、要はこういうことです。
 6ページ目あたりにございますが、排除型社会と言われているものでは、一種の「マクドナルド・プロレタリアート」、つまりマクドナルドのお姉さんになるしか仕事がないという厳しい現実の中に、多くの人たちが置かれざるを得なくなっていて、その中で彼らがなかなか十分な仕事を得られず、自分の能力をしっかり形成していないと、いいチャンスも巡ってこない。だから、実際に社会に出てからも自分の能力を育成していかなきゃいけないんだけれども、結局はマクドナルドの非常に単純労働のようなものの中にのみ込まれていくという現実がある。ですから、実は「高校」という場が、今日こういう能力を育て得る極めて最後のとりでになっていると理解しなくてはならなくなってきたというのが、私の認識でございます。
 7ページにも書いたんですが、実は、いろんな問題を抱える人たちのその問題は非常に複合的でして、また、1人で解決しようとじたばたするとますます悪くなる。むしろ、多くの援助を受けながら自分の力を培っていくということがないと、非常に難しくなっている。ですから、地域コミュニティー資源を利用するということがないと、問題が個人に押し寄せて、つぶれていってしまうという現象を見ることが多くなっています。したがって、学校でやはり、いろんなコミュニティー資源を使うための基礎知識を得ていくということが、非常に必要になっているのではないかと私は思います。
 そして、ここにも書きましたけれども、「不利」の感覚が卒業後どんどん強くなっていく子供たちが多くなっている。これを、ちょっと具体的にお話ししていきたいと思っています。ページ飛ばさせていただきますね。
 社会的ひきこもりの事例についても後で詳しく見ていただければいいと思うんですが、実は、ひきこもりの方たちを調査してみても、意外に幼少時からの学習経験はあるんです。例えば私立小中学校受験率が30%ほどもあるという。東京のひきこもり支援団体関連のご家族調査をしますと、そんなに高いんですね。ですけど、こういうところが、社会に出てステップする力となかなかつながっていっていないという現実があります。
 今回の一番のポイント、2の卒業後追跡調査というのを見ていただきたいと思います。ページをくくっていただくと、かなり先になりますが、27ページぐらいから卒業後追跡調査というのがございまして、この結果をお話しさせていただきたいと思います。
 東京のいわゆる教育困難校、非常に底辺の学校の子供たちを5年間追跡してまいりました。宮城の、こちらも非常にフリーター輩出率が高い北部地域。この地域は本州の中ではトップクラスのフリーター輩出率のところなんですが、その2つで追いかけてまいりました。写真で見ていただきますと、高校生のころのこういう非常に純朴な感じが、3年後、こういうふうに変化してまいります。この大きな変化は、特に女子の場合ですが、3年で押し寄せてまいります。今ここに出ている子たちは、いろんなところで働いていました。左の角の子はパチンコ屋さんで働いていますし、その上の子は看護師さんになって准看で働いています。というふうに、多種多様な働き方がございました。
 困難な事例をまず御紹介したいと思います。この表を見ていただきますと、フリーターがどんどん増加する度合いが見ていただけるかと思います。これにありますように、4年ぐらい追いかけてまいりますと、だんだん積み上がっていく。そして、専門学校を出た後も、フリーターになる度合いは高まっていってしまう。つまり、せっかくつけた職能をうまく生かすということはなかなか現実に難しい。しかし、そのことは、職能をつけたことが悪いということじゃないんです。職能をダイレクトに仕事にと思うと、なかなか狭い間口になってしまう。もっと緩やかに職能を考えてみれば仕事はあるんですが、そういうふうになかなかしないんですね。非常に小さく、固く考えてしまいます。まじめなんですね。
 これが、フリーターになった人たち、13名の進路状況です。今、幾つかご紹介しますが、一番上にありますような、Aくんと書いている人は、石油会社の正社員になりまして、その後いろんな職を転々としていくわけなんです。彼に言わせますと、最初についた仕事から10年たった先輩の姿をその場で見たら、ある種の名ばかり正社員で、ちっとも給与も待遇も上がっていかなかったというので離職してしまったということです。そして、転々としていくとどんどん職場が限られていくということになってまいりました。非常に不思議なんですけれども、行くところがないので同じ会社のガソリンスタンドで再びアルバイターとしてまた半年働いてみたりということが起きてきたりして、つまり、正社員で働いていた場所へまた戻ってみたりというようなことが起きて、非常に複雑な職業経緯をたどっていくということになっております。
 先ほど事務次官からお話がありましたように、女子の方がもちろんフリーター率が非常に高くて、そして仕事も多様で、ある種の水商売も入ってくるということになっております。
 例えば1例を挙げますと、これは美容師の見習いに入った人ですが、この人は、離職した後、派遣社員になっていくんです。非常に困窮した父子家庭で、学校で欠席が多かったために就職先がなかなか推薦してもらえずに、結局、美容師見習いの仕事につくんですけれども、15時間勤務というのは厳しい勤務形態で、そこを耐えられずに離職して、派遣になります。しかしその後、女子の場合はパートナーに頼りやすいということで、男性に頼っていって、結果、いわゆる「できちゃった婚」をして、子供も既に持って、そして、非常に過剰なパート労働をすることになっていきます。よい仕事がないもんですから、クラブの客寄せのバイトをして稼ぐというようなこともしています。このような非常に厳しいケースも出てくるということです。
 一方で、例えばオタク型の人も出てまいります。事例2です。こちらは情報処理の専門学校に行った男の子ですが、この子は、学校時代は、非常に成績が悪かったんですが欠席はなく行っていたんです。しかし、専門学校に入ってから、いわゆるオタク世界に入りこんで、働くことの実感や手ごたえがいつまでもつかまらないんですね。そして、アルバイトで経験した職場の理不尽さを、我々のインタビューでずっと長く語るということになっているわけなんです。もちろん実際厳しいということもあるんですが、職場に適応するコミュニケーションのためのいろんなツールや能力が、いまひとつ育成されていかないというケースです。もっと勉強したいから専門学校を留年していると本人はいうんですが、2年、3年と専門学校生をしているという状態になってしまっているんです。
 ちょっと結論的なことをお話ししたいんですけれども、皆さん方のプリントの方を見ていただきたいんです。そこに書いておいたように、調査結果からわかることとして、まず第1に、こういうフリーターの人たちを見ていると、就業する機会へのアクセスの可能性、つまりどんな仕事につけるかの可能性は非常にたまたまのタイミングによっていまして、その可能性が非常に狭いです。そして、2番目に、非常に資格志向が強くて、どんなになっても資格を取ろうとしてまた学校や通信教育などへカムバックしていこうとするんです。ところが、資格を取っても仕事に連動しないケースが非常に多くなっていて、職業を支える能力の広い部分、期待とか意欲とか他人との関係とかというものがなかなか形成されずに、非常に狭いところへ走ってしまっている。それから、最後に、現実的な就業を考えるための、「エクスペクテーション」と呼んでいるんですが、現実を見てこのぐらいなら仕事につけるという期待、エクスペクテーションというものを持つということがなかなか難しくて、理想に走ったり、逆に非常に妙な現実的なものになって暗くなるというようなことが起きてしまっているということです。
 そういう意味でいいますと、新たな就業機会への参入を待てるための「溜め」を形成していくような、つまり「ケイパビリティ」、能力によって活動を広げられる可能性とか範囲を構築していくということが、やっぱり彼らの場合には欠けてしまってきたのではないかという気が、結果を見ていて非常にするわけです。
 これを具体的に言うと、例えば、Aくんっていう先ほどのフリーターだった子は、軽い接客と重い接客という言い方をしています。重い接客とは何かというと、自動車を販売するように売り込みのテクニックとか購入層がアッパーになってくると、非常にコミュニケーションが苦しくなって、どう接していいかわからないと。重い接客という言葉を使っています。こんなふうな、いわばビジネスモラルとかビジネスのためのマナーとかビジネスコミュニケーションなんていうものがどこかで学べたら、こんなに屈折しなくてもよかったという感じの人なんですが、能力はあるんですけれども挫折しがちであるということです。
 先ほどの絶えざる資格志向。ここでも、みな、学習にカムバックして資格を取ろうとしていました。
 それから、ある種の仕事の人たち、例えば准看護師をやったような人たちは、職場でいろいろな「経験知」をためていって、高齢の患者さんから承認されたなんていう嬉しい思いがあると、もっと頑張ろうというようなことがあって、職場の経験知が生かせて、今まで持っていた高校時代の学力が引き出され生かされていくというケースもあります。こういう、職場の経験知が動機づけとうまくかみ合うケースもあるんですね。これは、さっきの重い接客とは好対照で、職場というものが能力を引き出してくれているケースになっているわけです。
 こんなようなことを考えた上で、発表次第の3番目のところをお話ししていきたいと思います。後でご覧いただきたいんですが、「市民性教育」という言葉を取り上げてみたいと思います。今出ておりましたキャリア教育とかそういう職業教育もそうですし、それから、コミュニティーにかかわるためのいろんな権利や義務や責任。例えば、よく言われることなんですけれども、最初に源泉徴収票を見ると、多くの高卒者が、これはなぜ10%引かれているんだと、勝手に取られちゃったんだというので、かなり怒り心頭に発するという現実があったり、あるいは、領収書に名前を書いてと言われたら、藤本さんの藤の字が書けないで、どうやって辞書を引くのかもわからなかったというようなことを語っていたり、と。こういうことが出てまいります。
 つまり、そういう広い市民性を持っていないと、なかなか社会に適用できない。これは今日高校という場でやるしかほかに場所がないのではないかなと。ですから、ある種の子供たちは、実は卒業してからも高校の先生を頼って戻っていってもいる。資格を取りたいという時なんか、戻って、取得のための学校案内を高校でもらったりしています。これは困難校の生徒にとっては不思議なことです。なぜなら、彼らは概して学校が嫌いでしたから。それなのに、なぜか戻って尋ねているという事実を、我々は聞き取りしてきたということです。
 つまり、そうなりますと、この市民性教育、非常に広いテーマですが、ただ大学に行くというだけじゃなくて、こういうシチズンシップの教育にかかわる、つまり広い意味のコミュニティーとのかかわりを育成するような、民主主義社会に参加できるような市民としての能力形成が必要です。参加型民主主義の担い手になれるような資質が必要なんです。キャリア教育というのは重要なその一部をなしていると、私は思っております。それ以外にも、例えば、今お話ししたようなマナー教育とか、それから、いろんな場面で多くの人とかかわるためのコミュニケーション教育とか、こういうものを試みてみるということはあり得るのではないかと思う。
 これについていろんな例がもうすでにございます。今は飛ばしますが、「市民科」、「よのなか科」の試行、あるいは「志教育」と宮城では言っております。いろんなものがございますし、総合学習でもいろんなことがやられてきております。これについては皆さん方、ご専門ですので、もうお話しする必要はないでしょう。ただ、総合学習を見ていての反省点は、これは、私の勝手な見方なんですが、課題が網羅的で、何について特化しているのか、どうも現場の先生たちに充分伝わらずに来たのかなと。もちろん総合学習は重要だと思った上で、私、言っているんですが、進路指導の時間などに転用されるだけになってきちゃったのかなという感じが、子供たちへの聞き取りからはします。
 それから、やっぱり評価がないと子供のモチベーションが上がっていかないのかなとも思います。コミュニケーションの能力が上がってきたよというようなことを示してほしいという子供が結構いたんです。そういうことを働きかけていかないとならないのかなと。
 それから、先ほどもカタリバの方からもお話がありましたが、NPOさんのようなところが構築している実践的なノウハウを、知識とかマナーとか、社会で生きていくためにやはり教えていただいて学校に導入しないと、学校現場だけでは無理があるのかなということも非常に感じております。総合学習だけをやり玉に上げるつもりは全くないんですけれども、やはりこういう大切な課題が市民性教育をやる上でも出てくるのではないかなと。
 この辺については資料を後で見ていただきたいんですが、社会的なスキルを育てる教育が、実はいろいろもう既に、ある市の人間関係プログラムなんかもそうですが、やられております。それから、社会体験学習についてもいろいろやられております。こういうものを整理・統合すると、「市民性教育」が充分やれるのではないか。
 もう時間がないので最後にさせていただきたいんですが、日本の先生の優れたケアリングをベースに。つまり、私、去年、アメリカに1年いたんですが、日本の高校ほど世話を丁寧にしている学校はございません。世界のお手本だと思います。私、高校のビデオを向こうの社会学の学生とか教育の学生に見せましたら、「何て対話的なんだろう」って、みんな驚いておりました。私もそう思います。ですから、それを生かしながら今の課題につなげていくことはできないのかなと。
 発表次第の4のところなんですが、高校ごとのミッションをやはり見える化していかないといけないのではないか。やけ太りの普通科ということでいいのか。ちょっと強い言い方で恐縮なんですが、そういうふうに思っております。つまり、ミッションというのは、やはり正直申しまして、現実的に見て、高校のランクを全く考えないで進学してくださいというのは、保護者の方もあるいは高校生自体も難しい。であれば、その教育要求を入れながら、市民教養の育成を非常に多く配分する高校群と、高等教育への準備教育の配分率の高い高校群に、3パターンぐらいに分けて、市民性教育を入れる度合いを高めたり、やや少な目にしたりということがあっていいのではないか。ですから、私は底辺の学校に調査に行っているので、たくさんカリキュラムに入れてほしいなと思いますが、実際そんなに要らない高校もあるのではないかなと思います。
 こういうふうな形で、普通科というイメージを消さずにやれないかなと。私は、職業科へと一気に行くのは難しいと、これは聞き取りをしても思います。先ほどお話ししたように、狭い職業イメージを持つことに非常に嫌悪感を持つ子供が多いですから、やはりもう少し広い普通科イメージを残しつつ、市民教養の育成をしていくことはできないのかなと。それを高校教育ミッションの見える化と言ったらどうかなと。企業で見える化がはやっておりますので、見える、そして身の丈に合った実践というものを考えてみたらどうか。
 つまり、地域の中で誇ってもらえるような。ちょうどサッカーや野球なんかで地域のクラブが非常に充実してきましたよね。私がフィールドにしています仙台なんかでも、楽天というとチームがつぶれそうだと言ったんですけれども、今は非常に頑張っている。地域に見合うような高校、身の丈に合った実践ということで、ミッションの見える化をしていくということは、やはり今、必要になっているのではないかと私には思えます。その際、市民性の教育をきちっと入れて、カリキュラム化して見ていくということは、今、卒業生の聞き取りをしていると、必要ではないかなと思えてしまうんです。私の思い入れですので、どうぞいろいろ御批判いただきたいと思いますが、そう強く感じます。
 そして、先ほどもお話が出てたんですが、OG、OBの声を大切に、先輩の活動を大切にしていきたい。実は、先ほど見ていただきました困難校の先輩の姿を授業にして、私、やってみております。やってみたんです、高校で。ちょっと最後にそれだけ。
 育て上げネットさんの例とか、これはさっきのカタリバさんとも非常に近い実践です。メンターと言われているような中間段階の若い人を入れながら、タウンニュースの記事にあるようなこういう形でやらせていただきました。これは大学院生が入って、結構長い時間をかけて、先輩はこうなったんだ。その中で、例えば源泉徴収票がわからない、税って何だ、法律って何だ、あるいはまた、社会で生きていく上でのルールって何だっていうようなことを、先輩は困ったという話をしました。そうしたら、わりとちゃんと聞いてくれて、先輩の「経験者モデル」という話になったときには非常に意欲を持って語ってくれました。抽象的な話はなかなか、このランクの場合には厳しいところがあって、具体的な人の像に埋め込みながらやっていくということがあると、聞いてもらえるのかなという実感がございました。
 もちろん、これがいい例かどうかわかりません。私は授業が決してうまくないですので、こういうふうに今日もお話が長引いているので。ですが、一緒にこうやって大学院生も入れながらかかわって、そして具体的な経験談を語り合ってみてまた考えてみるというようなことで、多くの生徒たち、また現場の先生たちも、いろいろ聞いていただけて良いレスポンスもいただいて、とてもよかったのかなと思います。
 最後になりますが、現場の先生たちもこういう話を聞いていただくと、先生方のコミュニケーション能力も培われていくんだなと感じました。現場の先生方も外の社会を十分にご存じの方ばかりじゃないので、先輩や経験者の話をお聞きになりながら、出ていく社会の現実は結構厳しいということを感じてくださって、先生方がこの場に参加してくださるケースも多かったわけです。そういう意味では、こういう現場の声と接することのできるような外の人間が入っていって、あるいはさっきのカタリバの方のように入っていただいて、その声をシンクタンクのように使っていただいて、高校の活性化を図っていただけるとすごくいいのかなと思いました。
 ちなみに、調査をしていると学校がよくなると感じるということも、最後につけ加えておきます。フィールドにたびたび行くと、あるいはフィールドワークをした結果を返しにいくと、また古賀が来てる、ちょっと観察している危ない人が来てる、警戒してちゃんと実践しなきゃとなるらしくて、非常に熱心に進路指導の会議や研修などに出てきてくださったりするようになります。それもおもしろいことだなと。やっぱり外部の人がちょっといてサジェスチョンをしているという気分は、非常に先生方にとっても緊張感を生むんだなと思うことが多かったです。そういうシンクタンクの機能も是非、中間段階のメンターを入れることの有効性と同様、試みてほしいなと思っております。
 ちょっと長くなりました。申し訳ございませんでした。御清聴ありがとうございました。

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