玉川大学 教職大学院教授 坂野慎二氏インタビュー概要

1.実施日 

平成22年11月24日(水曜日)

2.インタビュー対象者 

玉川大学 教職大学院教授 坂野慎二 氏

3.概要

(高校教育の入口の問題点について)

 高校入学に際し、生徒募集を県全域で考えるのか、学区割で考えるのかが第一段階となる。区割りの中の学校がそれぞれどのような生徒を育てるかについて、明確なビジョンをもつことが必要である。

(高校教育のプロセスの問題点について)

 なんのために教育を行うかということについて、提示できていない。結局、偏差値以外の枠組みは提示されておらず、輪切りの状態になってしまっている。高校教育のプロセスにおいて、そのままランキングに即した教育を行うという方向性、また、多様な選択肢を明示するという方向性の二つが考えられる。

(入口とプロセスのセットで考えなければならない点について)

 人口の疎である地域においては、自宅から通えるということを基本原則とすると、そこに自分の望む選択肢がない生徒が出てきてしまう。つまり、都市部においては多様な選択肢が保証されるが、地方では、自宅から通うことを前提とすると、同様のサービスを提供できないという状況が生じる。しかし、都市部と同様の配置をすることは、公私のバランスなどを考えると、不可能である。そこで、この居住地での差について合理的な説明が必要になってくるが、それはできていない。
 そうなると、自宅から通うことを基本原則から外し、生徒が遠方に動くことを前提とするしかない。多くの不満は出るであろうが、それでもその方向で進めていかないと効率的な学校教育は期待できない。北海道ではすでにその方向性ができている。
 一つの学校の中で多様な選択肢を設けようとすると、中途半端なものとなってしまう。したがって、学校に役割を持たせ、それを全県でどう配置していくかということについて検討しなければならない。いわゆる進学校はそのままでよいだろう。大変なのは、進路多様型の学校である。やりやすくするためには、目的ごとに学校を分けるという発想になる。その際には、目指す進路以外のところは十分なケアはできないということを明示する必要がある。逆に、例えば就職を目標にするのであれば、社会に出て役に立つ人間を確実に作りますよという形でやっていかないと、その学校でがんばろうという生徒は入学して来ない。がんばる気のない生徒が増えると、学校が荒れてしまう。
 学校選択に当たって、偏差値以外の要素は現実的にはなかなか出てこない。したがって、輪切りはどうしてもできてしまう。そのため、いわゆる上位の学校に入ることのできなかった生徒の受け皿を作ることが必要になる。自宅から通える範囲に大学受験を目指すことのできる学校が必要である。
 また、公私の問題も生じる。生徒数が減少する中で公私の割合を維持し、私立も公立同様に定員を減らしてくださいということになると、私立は立ちゆかない。学校配置計画の中に私立も組み込んでいくことが求められる。
 専門高校の先行きは厳しい。高卒生の進路動向を見てみても、就職率は18%くらいであり、生徒数の割合もそのくらいになるはずだが、それに対して過剰になっている。また、普通科に行けないからという理由の不本意入学も少なくない。もちろん、専門高校に進学して初めてわかるその良さというものはあるが、生徒の出口との関係で考えると、需要が大きいとはいえない。効率的な学校配置、学校運営ということを考えたとき、教員採用計画を見直し、縮小すべきであろう。総合産業学校のような形で複数学科をもつ一定以上の規模の学校とするのがよいのではないか。そのとき、自宅からは通えないということは前提になるだろう。
 自宅から通うことができるということの転換点ではないか。真ん中40%位の生徒は家から通えることを保証するが、上位及び下位の30%は、自宅から通うことには対応できないという形にした方が合理的であろう。学校規模が小さくなると質が下がる。生徒指導で手がかかる学校については規模が小さくなると目が行き届くということはあるかもしれないが、部活などが不調になる。その学校のOBからは反対の声が上がるかもしれないが、保護者や教員からは支持されるのではないか。

(学校の統廃合と特色づくりについて)

 統廃合に当たり、ただ学校数を減らすのではなく、特色をもたせるようにして進めているのが東京都や神奈川県である。神奈川の場合は、交通の便のいいところを廃止して売却、その売却益を新しい学校づくりに使っている。結果的に通いづらい高校が増えて公立離れにつながるという悪循環ができてしまっている。地方の場合、広い範囲から生徒募集ができるよう、交通の便のいいところの学校を残すべきである。以前は多くの地域に学校を作り、自宅から通えるようにというニーズに応えていた。これからは、ある程度集約した方が規模も保証できるし、かえって手厚くサービスができる。
 そこで、県として統廃合を進めるに当たってのビジョンを明確に出していくことが必要である。それをはっきりやっているのは東京都くらいであろう。基準を明確にし、その上で配置計画を示さないと、しこりがのこる。メリットとデメリットをはっきりさせて、特色を出すようにしてやるしかないだろう。

(高校教育の出口の問題点について)

 国策として、人材開発をどう形成するかということについてのビジョンが文部科学省においてもない点が課題である。その帰結として、県にもそれがない。
 出口とは、高校卒業時のものではなく、社会人になったときの人材配置計画である。どのような産業分野でどのような人材が必要なのか、戦略的に考えることが必要であるが、国がそれを提示し、わかりやすく説明していないことが問題である。
 地方において人材開発を考えるとき、三つの方向性が考えられる。一つは、国際的に活躍できるような人材を多く輩出することに主眼を置くという方向性。これは、有名大学への進学率は高くなるということはあるかもしれないが、地元には定着しない、人口が減少するというリスクを抱えることになる。二つめは、県単位にとどまる人材を育成するという方向性。地方で雇用を保証する必要性が生じるが、それができなければこれは成り立たない。三つめは、何も考えずに生徒に任せてしまうという方向性。一つめ又は二つめの方向性が示せない場合、結果として三つめの方向性となってしまう。
 韓国やシンガポールは国策として、一つめの方向性で行くということを明確に示している。今、文科省ではキャリア教育の重視ということを進めているが、人材配置計画の視点が完全に抜けている。また、都道府県のレベルにおいても、自分たちはこう位置付けますというものがないといけない。
 その点、東京都は明確にやっている。進学支援重点校を明確に位置付けている。しかし、わかりやすいのは確かだが、トップだけ考え、それ以外の層のことを十分には考えていない。
 地方では、その部分を大切にしなければいけない。地元に残って地元を盛り上げ、場合によってはその人たちが雇用を作ってくれるという人材育成をどのように進めていくかについてビジョンをもたなければならない。それが、今の専門高校にできるかということについては、検討が必要である。また、地元への定着を考える際、地元大学の収容定員の確保も必要になる。
 ドイツには企業で訓練しながら学校に行くという職業訓練のデュアルシステムがあるが、そのレベルの雇用がドイツの中で必要なくなってきている今日、制度的に危うくなっている。その状況は日本でも同様で、地方においては、雇用まで考えて学校の在り方を考えなければならない。
 そういう意味では、学校教育だけにとどまる問題ではない。韓国などは人的資源省を置いているが、日本はそこが遅れている。例えば1億2千万人の中で国際社会において貢献できる人材が10%必要だとして、これがすべて東京の人間でいいかというと、そういうわけにはいかない。国全体で構想しなければならない。ただし、各地域の部分については各地域の仕事になる。それぞれの就業構造を考え、そのために必要な人材をどのように育てるかということをパッケージで進めることが必要である。
 ビジョンがあって初めて内容は決まってくる。ビジョンに即したゴールについては確実に保証しなければならない。

(全体を通して)

 全員が納得のいく形での改革は無理であろう。ある程度割り切って、理を示すしかないのではないか。
 都道府県レベルでいえば、例えば、学校再編整備計画と教員人事配置計画などはリンクしていないとおかしいが、縦割りになってしまっている。全体的な視点が必要である。

(以上)

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初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室

(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)

-- 登録:平成23年03月 --