東京都立武蔵丘高等学校長 谷島昭氏 インタビュー概要

1.実施日

平成22年11月29日(月曜日)

2.インタビュー対象者

東京都立武蔵丘高等学校長 谷島昭 氏

3.概要

(学校の取組について)

・武蔵丘高校は創立70周年の中堅校である。一時期、進路の実績や入学選抜の倍率が低迷した時期があるが、この数年、体制や制度を整えて学校改革に着手し、「友とのきずな」「利他の志」「大学進学への道」を重視して急速に力を回復しつつある。
・今年度は、「学力向上開拓推進校」「部活動推進指定校」の同時指定を受けてスタートし、平成23年度からは東京都の「重点支援校」「土曜授業実施校」の指定を受けている。

(授業料無償化について)

・授業料の実質無償化により、生徒に付加価値つけられるかどうか、学校の社会的な責任が増したと思う。その社会的責任を果たす上で、今後はその付加価値の量と質が問われる。各家庭の経済状況の如何にかかわらず、学力向上と進路実現を図り、実質的な平等に近づけるかが学校の課題だ。
・武蔵丘高校では、公教育の公平性、平等性を大事にする視点を踏まえ、生徒一人ひとりに考えられる最大の付加価値をつけられるように支え導き、予備校に頼らずに国公立やMARCHレベル以上の大学(専門学校や就職はもちろん)できる「中堅上位の進学校」創りを目指している。
・また、学力や大学受験だけでなく、その礎として、生徒の全人的な成長にも大きな力を注いでいる。
・以上のような教育を展開すること、学校教育の量的質的な充実を図ることが、授業料無償化が抱える負の面を補完することにつながると考える。
・授業料以外の諸経費が積立てられず、修学旅行に行けるかどうかが危ぶまれる生徒さえいる。学校だけでは対応できない問題もある。

(教育を評価する上での指標~自然科学・脳科学に基づく座標軸の設定)

・生徒につける付加価値の問題を含め、高校教育が抱える課題を考えるとき、そもそも教育の現状を総合的かつ客観的に評価するための「ものさし」(指標)が確立されていない。
・従前の「教育論」は論者によって立ち位置が様々であり、客観性に乏しい。できるだけ教育をニュートラルに評価し、課題を発見して解決策を見出すには、優れた客観性を有する自然科学、とくに脳科学の有効性が高い。
・そうした中で出会った「地球生命の〈本来-適応-自己解体モデル〉」(国際科学振興財団主席研究員 大橋 力先生)は、学校教育にも応用できる貴重な指標と言える。
・このモデルは、次のように要約できる。
・生物には、その種類が進化によって誕生した場所、例えば深海魚なら深海というように「本来の環境」があり、それに合わせて遺伝子が設計されている。生存に最適な本来の環境の中では、生物は「本来のプログラム」により、環境とのズレによるストレスを感じることなく、あるがままに生きることができる。本来を離れて適応が必要な環境領域に入ると、眠っていた「適応のプログラム」が読みだされて生存が図られる。しかし、環境との不適合が生むストレスと適応のためのコストがかかる。さらに適応不能な領域に入るとハイストレスにより「自己解体のプログラム」が起動し、自分の体を自分で解体(消化)して次の生命の材料として環境に還元する。
・また、人間をはじめとする、行動の選択肢が多様な高等動物の脳には、最適な本来の環境からあまり離れないように「情動と感性」による制御回路が組み込まれている。遺伝子にプリセットされた本来の環境や行動に近づくほど快感が増し、遠ざかるほど不快感が増す。すなわち、脳の中の、快感や喜びなどが導く「報酬系」(アメ)と、不利益や罰によって抑える「懲罰系」(ムチ)とによって高等生物の行動が最適化されるようになっている。ところが一線を越えて適応不能領域に入ると、情動と感性の位相が逆転し、自己解体が進むほど快感が高まるようにセットされていると解釈できる。
・生きていくことはすなわち「適応」で、「適応」は良いことというのが一般的だが、どうもそうではないらしい。地球生命には「適応」の前に、遺伝子に約束された「本来の環境」があり、そこに近いほど快適に生きられる。このモデルは、身体だけでなく社会行動や躾などの心の問題、さらに学校や教育についても、遺伝子の「本来」からどれだけ離れているのか、あるいは「本来」と「適応」のどちらを志向しているのか、という科学的な基準からの検証を可能にする画期的な視座と言える。
※詳細は、武蔵丘高等学校創立70周年記念誌「教育本来の姿をめざして~最新の科学の成果を糧とする教育試論~」、及びその参考文献をご参照いただきたい。東京都立武蔵丘高校WebサイトURL://musashigaoka-h.metro.tokyo.jpでも閲覧可。

(本来志向の教育~全方位型の活性を育む全人教育)

・本来志向の教育を進め、生徒の付加価値を高める上で、人の育て方はとても重要だ。人の育て方は、以下のように3つにモデル化できでる。(1)エッフェル塔方式 (2)ピラミッド方式 (3)火山列島方式
・(1)エッフェル塔方式は、幼い頃から脇目も振らせず一つのことに力を集中させ、特定の専門分野の力だけを伸ばそうというやり方だ。一見効率がよく、限られた労力で高さを出せるが、単機能ゆえに他の分野への応用が効きにくく、流行が過ぎたタレントのように時代や社会が変わって需要が減ると、「人材のスクラップ化」が進まざるを得ない。
・(2)ピラミッド方式は、広く土台を固め、少しずつ面積を小さくしながら積み上げていくやり方だ。底面積が広いほど高さを出せ、高さだけを追求しない分、時間はかかり大器晩成型となる。この安定度は抜群で、かつては日本の得意技だった。能楽が良い例で、シテ方を演じるのは、謡や大鼓、小鼓、ワキ方などが全てできるようになってからのことだ。
・こうした気風が社会に伝統として活きているうちは、エッフェル塔方式の弊害は中和されてきたが、今やそれも限界だ。
・武蔵丘高校は、限られた機能だけに光を当てるのではなく、人が本来もっている多様な活性をあまねく引き出し、人としてバランスのとれた全方位型の活性、すなわち裾野の広い富士山のような人格を育んでいきたい。
・そのためには、「言語脳」と「非言語脳」をバランスよく鍛えることも大事だ。教育を文字や数字など記号化された情報の処理を担う「言語脳機能」も鍛え抜き、大学進学に対応する。それとともに真善美を追求するみずみずしい感性や、ひらめき、互いに心通わせ気配りできる「非言語脳機能」の鍛錬にも力は抜かない。「非言語脳」は、最近の研究では右脳に限らず脳本体の大部分を占めるという説も聞かれるほどである。授業や部活動はもとより、行事や委員会、進路学習から友との交流に至るまで、学校生活のいつでもどこでもが大切な学びの場となる。
・(3)火山列島方式は、ピラミッドがそれぞれに躍動性を高めて活きた火山となり、互いに地下のマグマでつながって刺激し支え合い、一人では達成できないさらに全方位型の高い活性を実現するというイメージだ。本校が、「友とのきずな」を大切にするのは、生徒が、卒業後も火山列島のようにつながり、より豊かな稔りを結んで欲しいと願うからでもある。
・後期中等教育では、エッフェル塔方式に陥らないように、とくに慎重な対応が必要だ。土台が広く固まることで、将来、大学や大学院などへの進学後、その上に機能を超えた多彩な専門性を伸ばすことも可能になる。

(利己と利他の二項対立の克服)

・「科学」(岩波書店刊)2011年1月号に、「利他性」をめぐる2つの論文が掲載されて注目を集めている。「連載・脳のなかの有限と無限 共同体という名の脳機能体系」と「利他的遺伝子、その優越とは」である。
・近代化以降、「利己」と「利他」とは二項対立の関係として受け止められてきており、「利他」とは、己を犠牲にして他を利することという解釈が一般的だ。
・しかし、上記の論文は、生命体において利己と利他とは二項対立ではなく、利他こそが己を生かす道であり、自己実現の究極の姿であることを強く示唆している。
・「利他」を当たり前として生きてきた日本人の多くが、近代化以後、「個」を絶対視する西欧近現代文明と出会う中で、利他と利己との狭間で苦悩してきた。その価値観の混乱から解き放される日は遠くない。
・しかも混乱を生んだ元凶とも言える西洋近現代文明、その所産である自然科学の力が、新たな文明観・生命観・倫理観を確立しつつあることに深い感銘を覚える。
・武蔵丘高校に学ぶ生徒たちに、心おきなく利己を追求しよう、その上に利他の志を育んで大輪の花を咲かせようと呼びかけられるのは、まさに教師冥利に尽きる喜びだ。

(報酬脳が主導する学びの推進)

・前に述べたように、脳の中には、報酬系(アメ)と懲罰系(ムチ)の両方の回路があって、私たちの心や行動を制御している。
・学びは本来、幼子たちの学びがそうであるように、脳の報酬系が主導する喜びに満ちた行為のはずだった。しかし「玉石混交」の膨大な知識の吸収がひたすら求められ、学びは懲罰系に浸蝕されるばかりだ。
・それだけに、「食材」を厳選して調え、学びを美味しく料理する教師の手腕は決定的だ。本校では全教員で「いい授業創造プロジェクト」をつくっているが、その存在意義はますます大きくなっている。相互の授業参観、校内研修、それらを踏まえて全教員で執筆する学力向上授業改善研究誌「恋文、そして挑戦状」は、奥深い学びの世界とその喜びを生徒に伝えたいという熱烈な恋文であり、もっと学べと叱咤激励する挑戦状でもある。

(学校週5日制について)

・生徒自身の学びへの姿勢もさらに大事だ。心を込めた料理を美味しく食べるには、薀蓄(うんちく)=事前学習が欠かせない。今年度から、「自学自習ガイダンス」を開始して、自ら学びに向かう意欲を高め、学び方を学ばせることに力を注いでいるのはそのためだ。また、反復練習や試行錯誤する時間を確保し、基礎基本の定着と考える力の向上につなげることも、報酬脳主導による学びの鍵となる。
・だから本校は、学校週5日制の窮屈な枠を外れて隔週土曜授業を導入し、国語と英語の増単位や、履修指導の徹底による自由選択の拡充と必修選択化に踏み切ることとした。
・学校週5日制は、自学自習が習慣化している生徒や経済的な余裕があって予備校や塾に通える生徒、理解度の早い生徒など一部にとっては問題は少ないかもしれない。しかし、多くの生徒にとっては学んだ内容の定着も図りにくく、試行錯誤する時間的なゆとりも限られるなど、弊害が顕著になりつつある。学校週5日制を全面否定するつもりはない。これを原則としながら、弾力的な運用がさらに可能になることを心から歓迎したい。
・本校は来年度から隔週土曜授業を実施する計画である。それにより、1年生と2年生の国語と英語で学習指導要領の標準単位を超えて増単位すること、及び3年の選択授業を進路希望に応じて拡充することとができた。
・この対応により、できなかったことができるようになる達成や成就の喜びをさらに高め、報酬脳主導の学びにより近づくことができると考えている。

(自由選択授業について)

・3年で自由選択の授業は、生徒本人の好き嫌いや得手不得手によって選択される傾向が強く、大学受験や大学での勉強に必要でも選択しない生徒が出るなど、看過できない問題がでていた。
・とってもとらなくてもよい自由選択は、他の道府県にはない東京都だけの「悪弊」だ。本校では、23年度から、必修選択化に移行することとした。

(学びの快適な環境の創造)

・人には、遺伝子に約束された「本来の環境」がある。最近の研究によれば、人類の発祥の地はアフリカの熱帯雨林であることがほぼ確定されてきた。
・私たちの脳や体は、そのアフリカの熱帯雨林の環境に合わせて設計され、作られている可能性が高い。
・「地球生命の〈本来-適応-自己解体モデル〉」を提唱する大橋 力先生は、人類発祥の地である熱帯雨林の自然環境音には、人間の可聴域と言われる20kHzをはるかに超えた100kHzに及ぶ高周波成分が含まれていること、それが、脳の視床や視床下部、脳幹など、人間の心と体と行動を制御する「基幹脳」を活性化する効果〈ハイパーソニック・エフェクト〉をもつことを発見したことで有名である。すでに、一部の地域では、この〈ハイパーソニック・エフェクト〉を活用して快適な都市環境づくりに取り組んでいる自治体などもあるという。
・子供たちの健やかな心と体を守るために、100kHzを超える高周波音を豊かに含んだ音を再生できるシステムを学校に採り入れ、活用する道を検討してはどうだろうか。本校でも、ぜひ試行しつつ導入する方向で模索してみたい。

(国際社会において期待される日本の教育、その貢献)

・日本人が国際的な学力調査でトップレベルの成績を収めることは大事なことだ。
・それとともに日本人が国際社会に貢献できる道がある。それは、日本人の多くが、宇宙観、自然観、生命観に関わって、地球が有限系であることを理解していることだ。この日本人の生き方にさらに磨きをかけ、堂々とアウトプットすることで、日本が世界をリードし、国際貢献できると考える。
・そのためにも、学校教育やその他のあらゆる機会を活かして、日本人が忘れかけていたかもしれない有限生態系に生きる価値観やスキルを呼びさましておくことが重要だ。
・学校も努力する。今後の文部科学省の施策に期待するところも大である。

(以上)

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-- 登録:平成23年02月 --