今後の高校教育の在り方に関するヒアリング(第1回)本田由紀氏(東京大学大学院教育学研究科教授)意見発表

【本田氏】  

 本田です。高校教育が抱える諸問題と必要な対処ということで、これからお話しいたしますけれども、お手元の資料2のほうに、これから映し出すパワーポイントと、あと9枚目以降のシートはすべて参考資料で、さまざまなデータや私の分析結果が掲載されておりますので、時々参照することもありますけれども、主には8枚目までのシートに今日申し上げたいことが全部入っておりますので、そちらをご参照いただきたいと思います。
 まず、日本の高校教育の現状ということですけれども、私が見る限り、やはり高校生の4人に3人までが普通科に在学しているということそのもの、そしてまた、その普通科の中に、「垂直的多様化」と私が呼んでいるところの学力格差が顕著に発生しているということが一番の問題だと思っております。
 46という番号が振ってあるシートに、OECD各国の中での後期中等教育、つまり高校段階において、普通科すなわちアカデミックコースに在学する生徒の比率を国別に示したものがありますけれども、やはり経済的な先進国の中で、日本は最もと言っていいほど普通科の割合が多くなっています。9割以上が高校に進学する中で、その4分の3が普通科に行ってしまっているという状況があるわけですが、同じ普通科と呼ばれながらも、いわゆる「輪切り選抜」というような言葉もありましたけれども、学区撤廃や学区の広域化などが各都道府県の中で進む中で、垂直的な多様化、学校間の学力格差というものが顕在化してしまっています。
 特に最近、長期不況のもとで、個々のご家庭が持っていらっしゃる諸資源――経済的なもの、あるいは文化的なものを含めて、子供の教育をどれほどバックアップできるかということに関しても、ご家庭の間に大きな差がついているわけですけれども、そういう大きな家庭の間の資源の格差というものを、小中学校でほとんど補正することができないまま、学力が身についていない子は全然見過ごされたままで、そのまま高校に来てしまっているというような現状があります。
 ですので、結局、高校でも、もう小学校・中学校段階で身につけておくべきことが身についていない。例えば、けた数の大きな数字が読めないとか、アルファベットの「b」と「d」の区別がつかないといったような状況のまま高校に入ってきている子もいれば、過剰なほどに保護者が子供に介入して、もうあれもこれもという形でいろいろなものを身につけさせて、それで子供がかなり疲弊してしまいながら、一応はいわゆる高い「学力」を維持した形で高校生になっている場合もあるわけです。
 やはり大きな問題は、そこに書いてありますように、「教育困難校」と書いていますけれども、これは特に教育困難校だけの問題ではなくて、大体高校生の学力レベルでいうと、中位よりも下、つまり半分以上の普通科の高校生の中で観察されることだと思いますけれども、そういう高校では、生徒が普通科目の勉強というものに、自分の現在あるいは将来の生活にとっての意義というものを感じられない。「サイン、コサイン、タンジェント」であるとか、「あり、をり、はべり、いまそかり」であるとか、世界史のさまざまな年号などを、教師が教えているわけですけれども、そういうものは彼らにとって自分たちの関心事ではないわけなんですね。彼らは授業中は、耐えて、やり過ごして、何とか時間が過ぎるのを待っているだけの時間ですが、でも彼らが全然活力がない存在かというと、そういうことはなくて、授業が終わると、例えば部活やアルバイトや、あるいは文化祭などではぐーっと力を発揮するんですけれども、とにかくその普通科目の授業では関心や意義を感じることができていない。 つまり、先ほど齋藤さんがおっしゃった、何のためにそれを学ぶのかということについて、教師側がうまく伝えることができていない、あるいはそれを感じさせるようなカリキュラム設定になっていないということが、非常に問題だと思います。そういうものを、ただひたすら一方的に押しつけられる中で、特に学力が中位から下位ぐらいの高校生の中では、自分の学力面での自信の低下であるとか、あるいは、こんな高校生活を過ごしても無駄である、適応できないということで、中退に結びつく危険もあるということが、非常に問題だと思っております。 また、普通科を出ても、進学する子ばかりではないということは言うまでもありません。普通科を出て、労働市場に出るような若者というものがいるわけですけれども、彼らは、仕事の世界に対して全くほぼ無防備なままに社会に出ることになっております。彼らは、非常に就労機会も限られておりますし、劣悪な労働条件での就労を強いられることにもなりがちです。
 このあたりは、参考資料の中で、49という番号が振ってあるところ、あるいは74、75あたりに、普通高校を出て社会に出た子たちが、一体どういう就労状況にあるかということについてのデータを載せてありますけれども、非常に非正社員が多いことがわかります。雇用も不安定で賃金の低い非正社員になる子が多いだけでなくて、たまたま正社員になってしまった場合は、ものすごい長時間労働に巻き込まれてしまうことも示されています。「名ばかり正社員」といわれるような仕事につきがちでもあります。そのような社会に対して、あるいは仕事の世界に対して、若者に全く準備をしてあげられていない普通高校というもの、それが4分の3を占めているということについて、私は、もう1度問い直すべきではないかというふうに考えております。
 一方で、いわゆる学力面で高い進学校では全くオーケーかというと、私はそこにもなかなか危惧すべき点はあると思っております。進学校では、高校の2年生ぐらいから、ほぼ大学の受験準備に専念するような教育が行われています。教師が黒板に過去の入試問題の解法を書いていって、それをひたすら首っ引きでノートに写していくような授業が行われている場合もあるわけです。その結果、自分の学力的な合格可能性というものを主な基準として大学を選んで大学に進学していくわけですが、そうすると、結局、進学後にバーンアウトして無気力化してしまったりとか、あるいは合格可能性のみを基準として大学や学部を選んでおりますので、結局分野面での不適応というものが大学に入った後に顕在化しまったりして、大学においても今、中退問題ということが非常に大きくなっております。
 それで何とか大学卒業時にまでうまくたどり着いたとしても、今度はそこで、今非常に大きな社会的関心を集めております就職先・雇用機会の縮小という、大きな問題に直面することにもなっているわけです。その際に、彼らがこれまで受けてきた教育というものが、高校においても、あるいは大学においても、社会や仕事の世界というものに対する意義や関連性の低いものであったということが、教育システムの出口においてぱっと噴出するような状況が今起きているわけです。それを何とかしなければならないと考えております。
 このような問題に対して、これまで文部科学省を中心として、キャリア教育が大事なのだという方向で対処がなされてはきましたけれども、このキャリア教育というものは、非常に抽象度が高いわけですね。適切な職業観の醸成であるとか、あるいは人間力的なものの育成が必要だということが、スローガンとしては掲げられているんですけれども、実のところ、何が適切な職業観であり、一体人間力と言われるような意欲や問題解決能力やコミュニケーション能力などは、どのようにして形成されるのかということについての具体的な方策というものを提示しないまま、とにかくこれが大事なのであるということで、旗を振るだけの結果に終わってしまっています。その結果、若者の間には、一体そのようなことが「大事だ、大事だ」と言われながら、どうやって身につければいいかわからないということで、プレッシャーや不安などがむしろ増大しているのではないかということが最近の幾つかのデータからもうかがわれます。
 例えば、48枚目のシートで、これは高校生の進路意識についての変化を示していますけれども、キャリア教育が提唱されるようになっていたころに、むしろ高校生は、進路選択に対する不安感というものを高めていることがわかります。こうした点からも、キャリア教育で対処できる範囲というのは限られているだろうと私は思っております。
 一方で、私が最近注目しておりますのは、高校生の4分の3を占める普通科ではなくて、専門学科です。いわゆる専門高校と呼ばれる高校です。この専門高校というのは、もともと職業高校と呼ばれていたものが、1995年以降は専門高校というふうに呼び方が変わったわけですけれども、この専門高校は、日本では高校生の4分の1にすぎないということで、量的にも少ないですし、あるいは社会的な位置づけという点でも、「普通科に行けなかった人が行くところでしょう」とか、「どうしても卒業後に就職しなければいけない人のための高校なんでしょう」というふうに低く見られがちなところがあります。
 しかし、実はこの専門高校というものが、今このような社会経済的状況であればこそ、非常に大きな可能性をはらんでいるのではないかということで、私はさまざまな調査などをしているわけです。例えば、その結果の一部は、65から69枚目あたりのシートに、大体学力水準が同程度の専門高校と普通科高校の生徒の状況を比較する形で示したものがあります。そうしますと、これは東京都下の都立高校における専門高校と普通科高校の比較ですけれども、専門高校のほうが主体的に、この内容を学びたいからこの高校、この学科に行きましたというふうに、ちゃんと自発的に主体的に選択して高校に進学している子が多い。あるいは、高校の中でも、高い学習動機を維持し、かつ自分が受けている高校教育に満足度を示す生徒が多いという点で、総じて専門高校というものは、大体よい結果を示しているということが、このデータ以外でも幾つか検証されております。
 また、これは当然ではありますけれども、専門高校を出て仕事の世界に入った人というのは、普通科を出て社会に出た人よりも、就労状態が相対的に良好であるという結果も出ております。正社員につく比率の高さであるとか、正社員・非正社員いずれの場合も、労働条件というものが、普通科卒の人に比べて適正であるという結果が出ております。つまり、専門高校の卒業者というのは、ある意味、仕事人としてリスペクトされるような存在である。それに対して普通科卒の子というのは、どのように使い捨てても構わないような存在とみなされてしまっているということが、このあたりのデータから明らかです。
 また、専門高校からの進学者は、やはり普通科に比べると少ないんですけれども、最近やや増えてきております。その専門高校から大学に進学した場合に、高校時代に普通科目、例えば英語などを学んでいる時間数が少ないので不適応を起こすのではないかと思われがちですけれども、これについても、76枚目のシートあたりに、大学に進学した専門高校生の状況を示しております。確かに、非常によい成績を大学で上げている比率に関しては、普通科卒に比べて少し減るんですけれども、その分増えているのは中間程度ぐらいの成績を大学で上げている生徒であって、大学に適応できていない、大学の教育から逸脱しているような層の比率というのは、普通科卒でも専門高校卒でも変わらないという結果が出ておりますので、専門高校からの大学進学ということも十分に可能である。それにもかかわらず、現状では進学機会が限られているということは大きな問題だと思います。
 ただ、専門高校は、普通科の中位から下位の高校に比べて、いろいろな面でいい点が観察されるわけですけれども、ただ、現在の専門高校にも課題がないわけではありません。確かに一部には、専門高校の中にも、普通科に行けなかったという理由で不本意進学者というものが大体1割強ぐらいの割合で含まれております。一方には、この専門を学びたい、ぜひ、工学をやりたいとか、生き物について学びたいとかいうことで主体的に専門高校を選んできている子はかなり学力が高い子も多いということになっておりまして、専門高校の中での学力水準に非常に幅が広がっておりますので、専門高校の先生方は、一体どの層をターゲットとして教育を進めていけばいいかということでかなり悩みを抱えていらっしゃるようではあります。
 ただ、この不本意進学者が含まれてしまっているという問題は、これは中学校の進路指導において大きな問題があるというふうに私は思っております。それぞれの専門学科の教育内容の特色や意義などを理解しないまま、「おまえの行けるのはここしかない」とかいうような形での進路指導がなされてしまっているということにその一因があると思います。
 また、専門高校からの就労先というのは、普通科卒の子に比べると相対的にはよいのですけれども、今、進学者が増えてきて、大学・短大などに進学する人たちが、もう半数を超えているという中で、やはり専門高校を出ただけの知識で一生やっていくという点では非常に厳しい面がありますので、やはり専門高校を出て、いったん仕事についても、のちにもう1度、高等教育に戻ってくるようなリカレント教育の仕組みが必要だとは思います。
 また、これは先ほども申し上げましたけれども、専門高校からの大学進学機会というものは、私はもっと広がっていくべきだと思っております。
 このような現状がある中で、では高校教育をどのように改革していけばよいかということについて話を進めますと、先ほども言いましたように、出身家庭が持つ諸資源の格差というものが、ずっと小中高校と持ち越されてきてしまっていて、極めて大きな学力の差が同じ高校生の中にもついてしまっている。特に普通科の中でもついてしまっている状況があります。また、一方で、家庭の格差があるだけでなくて、出て行く先の社会ですね。労働市場においても、どういう職場につけるかによって賃金にも大きな差があります。そのような教育の入り口としての家族、教育の出口としての仕事の世界のいずれについても、大きな格差が広がっている中で、やはり教育制度、高校を含む学校教育というものは、できるだけそうした社会の格差というものを、できる限り縮めていく、より不利な立場にある人を底上げしていくという機能が、かつてよりも今一層重要になってきていると思います。
 このためには、やはり基礎学力の格差縮小、特に学力の「底が抜けた」状態になってしまっている子供たちのためのきめ細かい指導が必要になってきますけれども、これは、やはり小中学校段階から丹念に取り組まれるものであって、今、高校段階でも、小中学校で身につけておくべきことの補習というものは熱心になされていますけれども、もう遅いというようなことにもなりがちです。今の日本の小中学校では、履修主義ですので、何も学んでいなくても、授業に座っているだけで、どんどん先送りして、進級して、進学することができてしまっている。それで中学校の卒業段階までたどり着いてしまうんですね。そこに、もう少し習得主義の発想を取り入れて、各学年あるいは小学校の終わりであるとか、中学校の終わりの段階で、ここまでの内容が身についているかということを、せめてきちんと確認し、足りない場合は小中学校段階できちんと補っていただくということが必要であろうと思います。その上で、高校においても、やはり引き続いて、まだ学力が不十分な子に対しては丹念な指導というものがもちろん求められると思います。
 ただ、私が、もう1つそれに関して必要だと思いますのは、先ほども申しましたような、高校における教育課程の内容ですね。カリキュラムの内容が、特に普通科においては、高校生にとって何ら自分の現在や将来の生活、社会生活にとって意義あるもの、関連性があるものと感じられなくなっているということが、非常に大きな問題だと思います。特に今これほど労働市場が荒れ始めている中で、教育の職業的意義、つまり彼らを仕事の世界に向けて準備させていくための機能の向上ということが、高校においてももっと考えられるべきではないかと思っております。
 この職業的意義ということに関しては、2つの側面が必要です。1つは、今の労働市場からの要請に適応していくという面での機能。もう1つは、今非常に働かせ方をめぐる違法行為なども広がってきておりますので、そういう違法行為や、あるいは社会の諸問題に対して、「それは違います」、「それではいけません」、「それはこうするべきです」といったように、建設的な批判を行うことができるような抵抗の力というものもやはり身につけてもらう必要があると思います。
 この2つが重要だと思うんですけれども、そのうち、適応の力というのはやはりきわめて大事です。では、労働市場で武器となる職業能力とな何かということに関して、次のシートに行きますけれども、私は、柔軟な専門性というものが必要でないかと考えております。職業的意義というものを、ある特定の職業につくための非常に限られた狭いものとして想定してしまっては、今、非常に変化が速い労働市場の中でむしろ命取りになってしまう。例えば、旋盤しかできませんとか、電気工事だけ、それしかできませんといったような、そういうような職業教育では難しいと思います。
 ここで今必要になっているのが、何らかの専門分野を初発のきっかけとして、そこから世の中であるとか、あるいは知識の世界にアプローチを始めたとしても、それは他にこのようなことにも関連がある、さらに広げれば、このようなことにも関連があるといったように、ある専門から始めて、より膨らみを持たせて広げていきながら、かなり普遍性や共通性・一般性が高いような知識やスキルに若者を導いていくというような、そのようなカリキュラムの設計、あるいは労働市場におけるキャリアルートの設計というものが必要だと考えております。これを高校の中で実現するためには、そこにも書いてありますけれども、例えば、普通科目と専門科目の内容的な関連づけというものが有効であり必要だと思っております。
 先ほどのシートに戻りますが、このような膨らみを持った意味での職業能力の基礎、ある特定の専門分野に関する適応の力というものを通じて、実のところ、いわゆる「社会人基礎力」であるとか、「生きる力」といったようなものも育成されていくというふうに私は考えております。コミュニケーション能力が大事だ、問題解決能力が大事だというふうに、ただ叫ぶだけでは若者の中には身につかないわけで、それは特定の専門領域に即して、それを社会に適応する際にはどういうことが自分にできていくだろうかとか、その際に仲間と協力していくことの重要さを知ってもらうというように、ある一定の専門分野ということに軸足を置いた形で、これらの教育内容の意義というものを高めていく必要が私はあるだろうと考えております。
 これらが、もちろん専門高校においては既に取り組まれているわけですけれども、私は、4分の3を占める普通科においても、このような特定の専門領域に軸足を置いた教育というものが、これからもっと広がっていく必要があると思います。そこでアンダーラインを引いて書いてありますけれども、このような社会生活や職業に意義を持つ教育というものが、もっと普通科においても取り組まれる必要があると考えます。職業分野と直接的ないし間接的に関連するような特定の専門性というものを教育面での特色とするような、そういう普通高校というものを私は増やしていく必要があると思っております。それが現状では、学力水準の縦の格差という形で進行してしまっている「垂直的多様化」の状況を、分野別の「水平的多様化」ということへと転換してゆくことにつながるというふうに考えているわけです。
 ただ、このような、ある専門に即して、しかも膨らみを持った教育を実現していくためには、先ほど池田先生のお話にもありましたように、やはり高校現場の教職員や施設設備の拡充など、資源の投入ということがやはり必要になるというふうには思っております。
 また、今の高校生の中では、非常に自己肯定感の低さということが国際比較調査などによると目立っているんですね。確かに意欲がない、主体性がないというような若者に対して厳しい言葉も投げかけられますし、実際に国際比較調査などをすると、そういう結果も出てくるんですけれども、それは、その若者を批判しているだけではどうしようもないわけで、主体性や意欲や、ぐっと伸び広がるような活力というものを若者の中に形成する環境をどうつくっていくかということを私どもは考えていく必要があります。そのためには、若者の生活実感に即しながら広い社会の諸問題や可能性に対して取り組んでいって、いろいろな人たち、同じ高校の同級生だけではなくて、さまざまな地域の人たちであるとか、いろいろな専門家と共同して、自分たちの創意工夫、自分たちの思いつきなどもどんどん取り入れてもらって、かつ社会的有用性がある成果、「ありがとう。これは君たちの成果なんだ。すごいね、君たちは」というような称賛を与えられるような、そういう経験というものを、何とか高校の段階で、もっと彼らに提供することができないかと思います。
 先ほどの齋藤さんのお話の中にも、失敗してもいい経験が大事だということもありましたけれども、「いいからやってごらん。構わないんだ。ここは実験場なんだ」ということで、いろいろなことにトライしてもらえるような経験というものを高校でもっと組み込めないかと思っております。例えば、地域の課題を募集して、それをほんとうに生徒主導で解決してみるというような経験が、もっと高校の中でできないかというふうに思います。
 先ほどから申しておりますように、専門高校ということは、今非常に陰の位置に押し込められたような存在ですけれども、その地位向上というものが私は必要なのではないかと思います。普通科から転換して、専門高校あるいは専門高校的な特徴を持つ普通科というものを私はもっと増やしていくべきだと思っております。あるいは、専門高校の上に、さらに専門を深めるための専攻科を設置することも考えられます。
 実のところ、専門高校の地位を向上するためには、十分に大学に進学できますということをアピールすることが、保護者や中学校の教師の方々に、専門高校という手もあったかということを知ってもらう上で、一番有効な方策なんですね。実際に同じ高校卒業者であるにもかかわらず、普通科卒と専門高校卒の間で進学機会に差があるということは、これはヨーロッパでは非常に重視されている均等性の原則に反します。プリンシプル・オブ・エクイバレンス(principle of equivalence)ということが、ヨーロッパでは教育制度を構築する上で重要視されておりまして、どのようなコースを出ても、それは同じ教育達成と見られるのである、見なされるべきであるというような原則があるのですが、日本の現状はそうした原則に抵触してしまっているわけです。ですので、その意味で、専門高校からの大学進学機会をもっと拡大していただきたいと思います。それによって、専門高校というものに、もっと意義があるということをアピールしていただきたいと思います。
 また、一方で、今高校が抱える課題というものは非常に大きくなってきております。例えば、非常にご家族にかなりの諸困難が重層的に積み重なっているような高校生という場合もあるんですね。例えば、お母さんとお父さんは離婚されていてお母さんはもういない。お父さんはアルコール中毒であって、家庭でドメスティックバイオレンスを振るいがちである。おばあさんが病気で寝込んでいるから、その面倒を見るのは自分しかいないということで、お父さんに暴力を振るわれながらも何とか頑張って家族の中に足をとどめて、高校にも頑張って通っていて、アルバイトもしていたんだけれども、もう限界といったような高校生の例は、どんどん現場から上がってきています。
 つまり、そこでは、福祉の問題であるとか、あるいは雇用の問題であるとかが、高校生を通して教育現場に流れ込んできているわけですね。でも、高校の先生方は、そういう問題に対してなかなか対処していただけない場合も多いようです。実際に非常に今、教育現場の負担が大きくなっていらっしゃいますので、高校の先生方に何でもかんでもお願いするというのは難しいと思うんですけれども、そのためには、やはり高校現場をもっと外に向かって開いていって、NPOなど外部のいろいろな組織の支援というものを、もっと学校の中に取り入れていく方向が望ましいのではないかと思っています。
 例えば、今NPOなどが、労働法教育などについて高校の中で出前授業をしてくれているところもあります。学校の先生は、やはり民間の働き方についてはよくご存じない場合も多いので、どれほどブラック企業が広がっていて、そういう場合どうすればいいかというような教育に関しては、外部のNPOなどのほうがずっと上手にできる場合もある。それはもう学校に入ってきてもらっていいと思うんですね。あるいは、進路支援についても、今、若者サポートステーションや、就労支援に関するNPOが高校の中に入ってきて進路指導に携わってくれている例もあるわけです。ただ、そういう高校はまだ限られています。そういう外部のNPOの話を聞きますと、やはり高校教育というものは非常に閉鎖的であって、外部がその中に入ってくることを嫌う、情報を外に出すことも嫌うということで、閉じたままで問題を内部に蓄積していって、対処ができないままに若者を外に送り出してしまっているような状況があるということが指摘されています。ですから、もっと高校を外に開いていくことが必要であると同時に、高校の先生が一種のハブとなって、困難を抱える若者を外のいろいろな社会的な諸機能につないでいくということも必要であるというふうに思います。
 次のシートはつけ足しのようなものなんですけれども、高校教育だけの問題ではなくて、政府や、あるいは産業界、労働の世界にお願いしたいことは、高校やあるいは大学において、例えば職業的意義のある教育を行ったとしても、それを全く無視し、踏みにじるような労働市場であれば、それはなかったことになってしまうわけですね。教育の意義というものに対して敬意を払って、尊重していただけるような仕事のあり方、「ジョブ型正社員」という言葉も最近出てきておりますけれども、ある専門性をちゃんと尊重するような働き方というものをもっとこれから拡大していっていただきたいというのが1つのお願いです。
 また、産業界に関しては、高校であれ、大学であれ、教育内容が社会生活や職業生活にとって意義があるものになるためには、もっとそれに対してご協力をお願いしたいと思います。例えば、インターンシップや職場体験の場を提供していただくとか、あるいは具体的な教育内容について、工業教育、商業教育、農業教育、あるいはほかの専門分野に関してもそうですけれども、もっといろいろな提言やアドバイスなどをいただくような形でご協力をいただきたいということがお願いです。
 以上です。すみません、長くなりました。

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