セム系部族社会の形成:ユーフラテス河中流域ビシュリ山系の総合研究(大沼 克彦)

研究領域名

セム系部族社会の形成:ユーフラテス河中流域ビシュリ山系の総合研究

研究期間

平成17 年度~平成21 年度

領域代表者

大沼 克彦(国士舘大学・イラク古代文化研究所・教授)

領域代表者からの報告

(1)研究領域の目的及び意義

 目的:セム系アモリ人の原郷とされるユーフラテス河中流域ビシュリ山系で総合調査をおこなう本研究領域は、自然、人文両科学の多彩な分野の融合的な連携により、同地における定住社会出現の中で部族社会が形成された経緯を解明する。この目的に到達するため、本研究領域の研究は現地研究と国内・外関連研究の2つで推進される。現地研究は、遺跡分布調査(遺跡の分布状況と遺跡毎の年代の解明、発掘対象遺跡の選定)→選定された遺跡の発掘調査と周辺地域の関連調査→4年間の調査成果を踏まえた総括的・補足的現地調査(最終年度)と進行する。国内・外関連研究は、関連資料の実見・分析、文献資料の収集・整理・解読・データベース化などである。以上の研究の成果は、成果報告書、ニューズレター、ホームページ、研究発表会、公開シンポジウム、展示会などを通して速やかかつ頻繁に公表する。
 意義:1956年以来邦人調査団が西アジア地方でおこなってきた考古学研究は、客観的な研究手法により世界的に高い評価を受けてきた。しかし、これらの研究が多彩な研究分野の連携による総合的な研究であったとは言い難い。そこで、邦人調査団が西アジア地方で蓄積してきた個別研究成果を踏まえつつもそれらにとらわれない、複数研究分野が融合的に連携する総合的研究として本研究領域を設定した。本研究領域はこの点に大きな意義を有している。

(2)研究成果の概要

 シリアにおける14次にわたる現地調査と国内・外関連研究での連携を通して、研究開始時点の主要な目的であった「異なる研究機関・研究分野の融合的連携にもとづく総合的研究」を実現した。研究面でも重要な成果を得た。一連の調査・研究は、ユーフラテス河流域の集落遺跡・ガーネム・アル・アリ遺跡と直近墓遺構群の両者(前期青銅器時代)がビシュリ砂漠台地のビシュリ山北縁ケルン墓群(中期青銅器時代)と異なる年代であることを明らかにしたが、このなかで、研究開始時点で領域全体の仮説ではあったものの具体的根拠に裏づけられていなかった「アモリ人集団内部の通時的構造変化」を考古学的な具体的痕跡から現在実証しつつある。
 すなわち、「新石器時代以降、気候変動などの要因から、ユーフラテス河中流域で農業と家畜飼育の統合(半農半遊牧)と分離を繰り返していたアモリ人集団が、前期青銅器時代になるとユーフラテス河中流域で二つの生業を再度統合し(半農半遊牧)、中期青銅器時代には、おそらく乾燥気候の到来により、集落の規模を縮小・分散させ、その多くをビシュリ砂漠に移動させて、再び、ユーフラテス河流域の農業集団とビシュリ砂漠の家畜飼育(遊牧)集団に二分化した」という、集団内部における農業生業と遊牧生業の分離と再統合の変遷である。この新たな知見にもとづき、「いったん成立すると継続した東アジアの社会形成」とは異なる西アジアの社会形成の特質を明らかにしつつある。

審査部会における評価結果及び所見

B (研究領域の設定目的に照らして、十分ではなかったが一応の成果があった)

 本研究領域は、ユーフラテス河中流域ビシュリ山系での総合調査により、同地域で部族社会が形成された経緯を解明することを目的としたものである。またその方法として考古学的手法のみではなく、自然科学・人文科学の多くの分野との融合的な連携を行い、これを通して西アジア社会の新たな歴史像を構築するという野心的な目的のもとに研究が行われてきた。領域設定期間の初期段階においては,現地事情により発掘許可を取得するのに時間がとられ、大きな遅れが生じた。発掘開始後は、この遅れを取り戻すために多くの努力がなされ、複数遺跡の同時発掘という新しい手法並びに人類学研究者の参加を通して、考古学及び人類学の分野では多くの成果があがっていることが認められる。これらの成果は,現段階では調査報告書のレベルにとどまっているものも多いが、今後、英語論文を含む多くの成果が国内外に発信されていくことが期待される。他分野との融合的な連携という当初目的については、現時点では限定的な成果しか生み出されていない点が残念である。今後、研究の成果を広く他分野に波及させていく努力が望まれる。

お問合せ先

研究振興局学術研究助成課

-- 登録:平成23年01月 --