高等教育機関に進学・在籍する外国人学生の日本語教育に関する検討会議(第3回)議事要旨

1.日時

平成23年2月18日(金曜日)15時00分~17時00分

2.場所

文部科学省3F2特別会議室

3.出席者

(委員)

水谷座長、伊藤委員、江副委員、太田委員、大沼委員、奥田委員、岸澤委員、五味委員、竹田委員、武田委員、田山委員、西原純子委員、西原鈴子委員、堀江委員、堀委員、福田委員、堀委員、山口委員、山本委員、山田委員

(関係省庁)

法務省、外務省

(文部科学省)

松尾学生・留学生課長、舟橋文化庁国語課長、氷見谷留学生交流室長 他

4.議事録

(1)配布資料について、事務局より説明があった。
(2)以下のとおり議論がなされた。

(○:委員、●:事務局)

○ 本日は、本会議の取りまとめの報告を見据えながら、教育の質保証及び枠組みに焦点を絞って、短期的、中長期的な視点からご議論いただきたい。

○ 質の保証をどこに向かってするかということだが、学校がなくなったときに、授業料を払い込んでいる学生を国として守るか、守らないかといった視点が一つ。それから、学生の学習の自由、学生がどこで勉強したいのかという権利といった視点。海外に行って、日本は安全、安心、学生の権利が保証されていると発信することは重要。

○「教育の質の保証」というのがわかりにくい。教育の質の保証という場合に、一つは教育機関の評価をどのように見ていくのか、質という部分、もう一つは、教育機関が行っている中身とその教育がどのような成果を生んでいるのかという部分。それぞれきちんと見る必要があり、抽象的にしないほうが良い。

○ 高等教育機関に進学・在籍する外国人の日本語教育に関する検討会議であるため、この質の保証というのは明らかに高等教育機関となる。国際的な現場でその人材が自分の能力を使って社会で活躍できるかということが質の保証の基準であるとともに、目標であるべき。

○ 日本語教育機関に対する教育の質保証の基準と、在留資格「留学」を取得できる日本語教育機関の適否を判断する質保証の基準の違いは非常に重要なポイント。

○ この委員会として、まず喫緊に何とかしなくてはならないのは、日振協が仕分けの対象になったことで問題になっている日本語学校の問題ではないか。
 日本語教育、日本語学校群というグループが、今までどうあって、法務省との関係において、今、何がなされなければならないかを、この委員会として何とかしなければならないのではないか。その際に、大学、専門学校、高等専門学校、各種学校群は既に設置認可の基準がある。設置基準について考えないといけないのは日本語学校群だけではないか。

○ 本題は、高等教育機関に進学、在学する外国人ということに限定されており、入り口の形を先につくるよりは、出口を見据えて形をつくり、出口でいい結果を出すことがとても大切。

○ 日本語教育機関が大学等に学ぶ留学生の6割から7割を出してきているという意味では、出口は十分実績があるのではないかと思うが、柱立てとして2(ローマ数字)と3(ローマ数字)がとても飛んでいる。
 短期的に取り組むべき課題の中には、あくまでも教育機関に対する認可の話、在留資格の付与に絡めた認可の話を目先の問題としてどうするかということで、日本語教育機関を、だれがどんな枠組みで、どうやって認可するのか。その後、広い意味での質の保証、要するに体制の保証と中身の保証をだれが、どうやっていくのかが問題になった。今までは運営の基準で、学校教育法に位置づけられていないから法的な根拠がない。だから設置基準ではなくて運営基準として見て、法務省がこの運営基準に合致していたら在留資格「留学」、もしくは当時の修学を付与しようということだったと思う。そこのところはどうするのかということが一番大きな争点。
 今、運営基準となっているものをきちんとした設置基準と考えて、その法的な枠組みをどこへ持っていくのかという議論が、中長期のところにつながっていく必要があるのではないか。それが3(ローマ数字)のところであり、教育の質の保証のあり方というふうに、質の話へと移行する。その中の一つに質の保証というものがあり、第三者評価、自己評価も含めたものが検討され、もう一つ、日本語学校は留学以外の日本語を学ぶ学習者もたくさん受け入れており、主に文化庁ともいろいろな事業で、さまざまな学校がやっているところ。そのことは、多様な日本語教育をしている質保証の基準とは別の次元のことだと思う。
 3(ローマ数字)のところを2(ローマ数字)のことのつながりで、日本語教育機関の日本語学校の設置認可の話、それから自己評価も含めた第三者評価の話、その枠組みプラス多様な学習者に対する日本語教育の質の問題と柱を分ける形にすればわかりやすい。

○ 今の日振協がやっている審査を必要としているのは法務省ではないか。日本語教育機関に対する審査というのは、必要性から見れば法務省が持っているものではないか。必要とする省庁が必要な設置基準をつくるのが当たり前ではないかと思う。

● 法務省が日本語学校に報告する際、審査・証明機関を参考とすることができるという旨の規則があるが、そこが今回の事業仕分けの対象となり、廃止となった。事業仕分けの結果で審査・証明事業は廃止になったので、我々の理解としては、日振協の審査・証明を参考とするというような仕組みは如何か。

○ この場合に、日本語学校と日本語教育機関という言葉の使い方も間違っているのではないか。要法務省が留学ビザを発給する機関として認定をするのであれば、これは学校ではないのではないか。法律的に考えると、学校ではなくて日本語教育機関という一つの機関である。
 専門学校はダブルスタンダードを持っている。文部科学省の基準によって、各都道府県から専修学校の認可をもらうが、学生に介護士の資格を取らせようとすれば、厚生労働省の認可も必要になる。ここで設置基準をつくるとき、まず一番問題なのは、どこがつくるかということではないか。教育機関だから文部科学省とするのかどうか、ここが一番大きな問題ではないか。日本語教育は全部教育機関だ、だから学校教育法に設置基準をつくるということであれば、これは一つ考え方として正しいと思う。
 ただし、そうではなく今までのように、株式会社でも個人でもできるという形にするのであれば、一番必要としているのが法務省であれば、法務省が認めた施設に関してはビザを発給するという形で持っていく。専修学校が日本語教育をやる場合は、ダブルスタンダードで2つの許認可は必要だった。日振協の審査も必要だったし、学校法人としての審査も必要。
 将来的に、高等教育機関の中で日本語教育機関をどう位置づけるかという、大きな目標の上で動いていかなければならないと思うが、ここで一番困っているのは新規の審査だと思う。これを全く必要ないと、もし日本語教育機関という肩書、日本語学校をやると言えば、必ず法務省がビザの審査を受け付けてくれるのであれば、議論は必要なくなるが、そういうわけにいかないと思う。
 スタンダードをつくる、設置基準をつくるとすれば、どこがつくるかということはここで話し合うべき大きなテーマではないか。設置基準は法務省なのか、あるいは文部科学省の中でつくるのか、学校教育法の中につくるのか、あるいは文化庁という形で日本語教育を全体の大きな枠でとらえてつくるのか。この3つのやり方があると思う。
 もし日本語教育機関としての設置基準をつくるのであれば、各種学校のような形でつくるのか、高等教育局の中につくるのか、一条校にするのか、それ以外にするのか、いろいろな問題が出てくる。それによって管轄も変わってくる。

● 法務省が必要な基準ではないかという話があった。確かに、今、法務省の方は告示をしており、平成元年当時に始まったことで、その前と今とは違う。その前は、日本語学校に入学許可が出た外国人の方たちの審査の過程で、およそふさわしくない学校がかなりあったというところで、やはり日本語教育をするということで今のような基準ができ上がっている。当時、有識者の皆様方に策定していただいて、文部省のほうでやっていただいて、それがもとになっていると理解している。その中で、学校教育法上の位置づけがないということで、法務省の今の告示という形になっている。
 では、法務省はその告示にこだわっているかというと、こだわっているわけではなくて、学校という形であって、そこに来られる方については留学という形で入ってきていただいている。多様なというところになると、それ以外にも、専ら日本語を学ぼうという方たちについて、やはり受け入れるべきではないかということもあっての今の形だと思っている。ただ、今後、全部ご破算にして、一からこういうふうにやるべきだというようなものがあれば、それはそれで、私どものほうは、とにかく外国人の方が留学ということで来られるのにふさわしい学校であることを、こちらのほうで検討して、ご議論いただいて、私どものほうとしては外国人ご自身の審査とか、日本語学校ではないところも含め、そこはそこで私どものほうは、やはり外国人在留管理という観点での審査はさせていただく。そこは、告示をしているから、していないからということでは、あまり変わりはない。

○ 委員としても協力体制がとれると思うので、省庁のほうで、こういうことで苦労している、こういうふうに助けてくれというようなことが出てくれば、全体で考えていけると思うが、文部科学省のほうはどうか。

● 日本語の教育については中央省庁としてどこが所管をするのかということになると、教育、日本語ということになると文部科学省、文化庁ということで認識をしている。そういった経緯もあり、日振協をはじめとするシステムが最初にでき上がったとき、当時の文部省と、当然、法務省とも連携しながら、基準等をつくった経緯がある。
 今回は、これまでのシステムについて、日振協でやっていただいた審査を受けた形で法務省が告示をするというシステムに対して、疑問が投げかけられたという現状。では、単にそれをしなくなれば、日本語なり、日本語教育の質の保証が今後とも保たれていく、また向上していくことができなくなるというのであれば、やはりそれにかわるものを考えていかなければいけないというのが、私どもの基本的な認識である。
 そういった中で、特に長期を見据えた上でどのようなシステムをつくっていくのかというのは、世界における日本語教育といったところとも本来的には大きくかかわっていく点だと思うので、きちんと考えていかなければいけない。あわせて、今、法務省からも話があったとおり、目の前の課題として、新規の日本語学校の告示についてどう考えていくのか。私どもとしては、それによって日本語教育の質が担保されるところがあるので、これも一緒に考えていきたいと思っているところであり、できる限り早く結論を出す必要があると思っている。
 また、設置認可審査後、フォローアップの部分についてどうしていくのか。この部分についても考えていかなければいけないと思っている。

● 喫緊は、確かに在留資格「留学」との関係で、日振協にかわるシステムをどうするかという問題があると思うが、それ以外の部分で、現在、在留資格「留学」とかかわっていない多様な日本語教育機関があり、その質保証をどうしていくかというのは、長期的な課題であると思うが、文化庁としては、在留資格「留学」以外の部分の日本語教育機関の質保証のあり方というものをどういうふうにしていくのか、そういった点についても、先生方からいろいろご意見を伺えればありがたい。

○ 日本語教育は国内だけではなくて海外でも行われる。海外で行われる教育は、外務省の関係で、大学に入学すれば文部科学省。そういったところがあるので、省庁別の話しがあったので、この点も考慮してほしい。

○ 設置基準に関しては国の保証はぜひ必要。また、今、日振協の働きを再評価することが必要ではないか。つまり、設置基準については国の保証が必要で、教育であるため、文部科学省が監督官庁として対外的にも国家的な公的な裏づけをしてほしい。
 日本語学校は1980年の初めごろから出てきて、1980年後半に10万人計画に従って増えてきた。その日本語学校は実にさまざまであり、国の管理はきちんとできていなかったが、認証システムというものを日振協の理事長がつくられ、学生の質の保証、教育の質の向上、学生管理、教員の養成、研修その他、この20年間に自主的に日振協が努力してきた。審査基準も厳しくしながら、この雑多な日本語学校を、ある基準まで質的な向上をしっかりと立ててきた。
 日本語学校群は、いろいろな意味で例外的な群かもしれないが、これから国家に非常に必要な、日本語の基礎教育の専門集団であるため、文部科学省が何らかの形で一括して、いろいろな意味のサポートをしてほしい。ただ、全部が各種学校になるのが正しいかというと、これからの多様性から考えるとそれぞれである。それぞれが語学教育機関として、個性ある集団として活動するには、日振協のような組織が必要。日振協が衰退するようなことがあれば、日振協ではない、日本語学校の自主的な大きな団体がこれから複数出てくることはよいかと思う。今までの日振協の20年の中で、日本語学校の質の保証というのは随分なされてきた。この実績をベースとして、きちんと継続されるような形で、自主的な管理も必要だ。

○ アクレディテーションという言葉に該当するような概念で、学習者の持っている日本語力という基準からして、どういうことをしなければならないかを話し合う、そういうことのできる機関なのかどうかということを、大学も含めて話し合うというようなスタンダードができていくべきで、そのための質の保証会議が新たに立ち上がるべき。法務省に確認したいが、告示はしなければしないで済むのか。

● いわゆる各種学校に限るというのであれば、そこは省令を改正する手続をとる。私どもとしては、告示をしなければならないとか、そういうことではない。省令の中でさまざまな基準を設けて、こういった方について留学という在留資格が付与される。この省令自体も、法務省で勝手につくっているものではなく、各省と協議をした中でやっているものである。このような形になったのは、平成元年当時、どこかで明示的にやるということで法務省が告示することになったが、何か形があって、そこで認可というものがあれば、そこでやるべきだという意思統一なり、方針なりができ上がり、改正になれば、それもまたしかるべしとは思っている。

● 24年度のものについては、経過措置的なものは必要かもしれない。また、今、告示されている学校の方たちはどうするかということもあるかもしれない。制度ができ上がった際に、新制度、それから、それまでの方たちについてはどういう手当てをするか、そういった議論は必要。24年度については、これからご議論いただくことが必要かと思っており、現状は、私ども文部省がつくられた基準を否定するものではないが、私たちのほうには教育的知見がないので、やはり各省のご協力が必要になってくると思っている。告示にこだわっているということではない。

○ 日振協の審査・証明事業については廃止ということになって、その後、各日本語教育機関には、地方入管局長名で日振協の審査は今後関係ないという通知があった。非常に心配しているのは、例えば定員の増員申請であるとか、3年ごとの更新申請が必要なくなるということで、果たして、今、かろうじて維持している全体の日本語教育の水準が維持できるのか。例えば、告示ベースでいうと、定員増をしても関係ない。それから、同じ都道府県内であれば自由に動ける。残念ながら、日本語教育機関の中には、申請のときには有資格教員をそろえているけれども、認定を受けた後、その教員がいなくなったというようなことも聞き及んでいる。そのようなことから、定期的に確認をするという仕組みも、ぜひあわせて決めていただきたい。

● 先ほど法務省が言われた告示は必要ないというのは、確かに必要ないかもしれないが、皆さん誤解をしているのは、告示がなくなった場合、例えば各種学校なら各種学校縛りになると、各種学校に来た学生にはビザは出ることとなる。ただし、それ以外は、極端なことを言えば、今まで日振協で審査をしていた中で、各種学校の学校と各種学校でない学校があった場合、各種学校でない学校に来た人たちのビザはこれからは出ない、ということとなる。したがって、日振協の審査がなくなってどこが一番困るかといえば、法務省のほうは告示をなくすだけで、そのルールに従うということであるが、そうなった場合には各種学校ではない日本語教育機関に来る留学生のビザは宙に浮くという理解となるのではないか。

● 今、告示されているところについては、やはり何らかの手当てが必要だろうと思っている。ここで、新規に各種学校に限るという結論が出て、そういうふうになるのであれば、そちらに従う。新規の日本語学校は難しくなっていくということはあると思う。

○ 繰り返しになるが、現状認識の一つとして、国際化対応の事実背景をちゃんと入れなければいけないという意見が出た。そして、今、変化している現状に対応する手段に注目しなければいけない。実際に日本語学校へ来る生徒は、減少している。その中で、これから出そうするまとめは何を示唆しようとしているのか。今すぐなのか、あるいは次のステップも見通しているのかがわからないと、効果がなくなる可能性は確かにある。

○ 一番大切なのは、これから日本に来ようとしている人たちが、日本を積極的に選ぼう、日本に来て高等教育機関に入ろう、そして、ほかの国よりも日本に行ったほうが良いと思える、安心してそのことが決断できるためには、何をしなければならないのか。国際基準ということは、これから来る学習者たちがどうするかということも含めて、視野に入れて考えていかないといけないことだろうと思う。

○ それぞれの機関が自主的に自己努力でやること、それから自己努力ではできない、政府が条件、環境整備をしなければいけないこと、あるいは、それぞれの機関にはとても手が負えなくて、政府みずからがリードしてやらなければならないこと、このような仕分けがないと、何とかが望ましいという形になり、一体それは誰がやるのかという印象を全体を通して受けている。

○ 事業仕分けで問題になったのは、今までこの20年間、日振協がやっていた審査・認定の基準がおかしいという話ではなく、その法的な根拠がおかしいのではないかということが問題になっていると思う。
 そういう意味では、とりあえず、今まで日振協が行ってきた審査・認定の基準というものがある。それがおかしいのかどうか。最初は文部省がつくったと聞いているが、今までやってきた審査に、少なくとも新設・継続審査のやり方に、文部科学省の教育という面から見ると問題ないが、法務省から見ると足りないところがあるのかどうか。それがなければ、今、喫緊の課題としては、今までやってきた審査・認定の基準を、当面どういうふうに利用して、どうやるかということをまずはっきりさせないと困るのではないか。
 日本語教育の国際化、国際的な基準、国際的に認められることが必要だとすれば、今までは日振協の基準と言っていたが、これはやはり国として、国の基準に基づいて認めたのは日本語教育機関だと、海外に対してもはっきり発信できるようにするとすれば、次に国の基準であることが必要だ。国の基準としては、文部科学省がやるのか、法務省がやるのかいろいろあると思うが、一つは、教育という面から考えると、私は文部科学省が基本的な基準をつくったほうがいい、ただ、日本語教育機関の非常に特殊な立場として、留学生を受け入れるという面からすれば、その基準の中に法務省としての意見も必ず織り込んで、新しい基準をつくるべきだと思う。
 できるだけ中長期的とは言わずに国の基準として新しいものをつくるとすれば、早くつくるべきではないか。
 もう一つ、「質の保証」というのは、確かに幅が広いと思うが、ある日本語教育機関はトリプルAなのか、五つ星なのか、二つ星なのか、三つ星なのかというのは、また別の話だと思う。そういうことを評価する基準なり、団体は、JISや、ISOなど付与する機関が今でもあるわけで、もし、そういうことが必要だというならば、今後考えるべきだ。そこのところは、少し分けて考えないといけない。
 もう一つ、審査・認定というところだが、一度、審査・認定したら未来永劫有効だというのはおかしい。やはり3年に一度なのか、5年に一度なのか、7年に一度なのかわからないが、ちゃんとやっているという継続審査は入れるべき。今の日振協の基準もそうなっているので、もし、それがよければ、そのまま利用する。
 それから基本的な今後の進め方というのは、なるべく早く結論を出さないと非常に困ると思う。今後は法務省が審査・認定して告示することになると、今まで日本語教育機関は日振協に実費を払って認定されていたが、法務省がやることになると、ただでやってもらえるのかという変な話になるので、やはり現実的な問題としてきちんと整理をしないといけない。抽象的な話で終わると、どうなったのかと言われて、何とも答えようがないという気がする。

○ 平成24年10月以降を具体的にどうするのかということと、その後のことをどうするのかが討議されて、ここで明確に文章化されるなり何なりして報告書が上がらないと、現実にその次に進まない。有識者会議を持つのもいいかもしれないが、その間、空白ができてしまうのではないかと思う。

○ 平成元年に、官報で文部省告示が出ていて、そこで日本語教育施設の審査事業の認定に関する規定を定めるということで、日振協等が位置づけられているが、これ自体を閣議決定で廃止するという形になっている。文部科学省の省令で審査・認定に関しては暫定的にこのようにすると、省令で位置づけて運用していくということは、非常に短期の間にできて、システムとして動けるものなのか。

● 省令といった場合、根拠法が必要になる。ただ、今はどんな法律についても日本語教育機関に関するものはなく、法令改正が必要になってくるため、まず法令改正がスムーズにできるかどうかが問われる話になる。文部科学省の省令で、何らかの形で具体的にやることになれば、ということであるが。

○ 例えば、国が日本語教育機関について何らかの形で認可する、もしくは、その後の認証等をやっていくことになった場合には、省令ではだめということか。法令になると、やはり教育法の中で位置づけることになるのか。そうすると、教育法の中で何らかの文言を入れていかなければならないと考えたらいいのか。

● 根拠法をどこに、どうつくるかというのは、いろいろな考え方があり得ると思う。学校教育法という形で、学校教育法体系の中で読み込んでいくのか、または、それ以外の教育に関する法律、もっと言えば、日本語に関する新たな法律の中で取り扱っていくということもあり得る。そのため、学校教育法を変えなければいけないとか、それにとらわれるわけではない。基本的には、何らかの法律が必要になるというところである。今、国全体としては法務省省令で、法務省の入管法を根拠にやっている。そこで、日本語教育機関の質の保証についても法律として取り扱うということであれば、法務省の省令改正で済むということにもなる。

○ 設置・認可の審査という話であるが、二つあって、新設の認可、あるいは変更する認可、例えば定員を変更するとか、学校を別に移すという認可と、もう一つは質保証による継続的な審査という形になる。仮に国がやる場合、継続的な審査はできないと思う。
 設置の審査、あるいは変更の認定は国がやるのが正しいと個人的には思うが、質保証に関しては、これだけの団体、500近いものを3年ずつ文部科学省が全部やれるかといったら、まず無理だろう。第三者評価機関があって、継続的に評価することによって、それを法務省、あるいは文部科学省が参考にして指導を進めるという形になるのかなという気がする。
 我々が、今、ここで話し合いたいのは、日本語教育機関がどのような方向性で行くのか、その方向性に従って、どこに、どういう基準をつくっていただきたいのかを話し合い、それに従って、設置基準は法務省がつくる、学校として日本語教育機関をやりたいのであれば、文部科学省の各種学校としての日本語学校という形も継続してできるということも可能だと思う。それによって評価機関もいろいろ違うこととなる。学校として評価するのか、あるいは株式会社の教室的な日本語教育機関として評価をするのか。格付機関、あるいは評価機関というものも、さまざまに発展していくのではないか。
 まずは方向性をここで組んでいく。一つの方向性が見えてくれば評価方法も変わってくると思う。その中で、どのような方向性の中で第三者評価がとられていくのかということも、見えてくるのではないか。第三者評価に関しては、各教育機関の特徴に合わせた評価になってくると思う。

○ 結局、設置認可、評価、あるいは出口評価、仕組みはどれでもいいが、この仕組みが社会の変化に応じて、卒業する日本語を学んでいる学生の質が継続的に向上していくようにしていただきたい。そうなれば、受け入れた側は、より高いレベルで教育向上を図っていき、その出口がさらによくなるという良いスパイラルができる。
 出口の質の保証をしていただきたいのはそういう意味であり、これから日振協にかわる仕組みをつくられるときに、継続的に日本語学校に通われている学生の卒業するときのレベルも、当然、社会は変化するため、日本の産業構造、日本の立場が変化すれば、そこで必要になる高等教育機関を受ける日本語の能力の質も変化をするべきなので、柔軟に変化ができるということは一つポイントだと思う。
 受け入れる側にしてみれば、継続的な向上を促してくれるような評価、あるいは認可の仕組みというのは大歓迎なので、大変ありがたい。結果、卒業生として我々が出した人材が日本を中心とした国際社会で活躍することが基本的に、日本語教育機関も高等教育機関も、両方の目標が一致していないとだめだと思う。

○ この際、文部科学省が前面に出るのがいいと思う。実際に学校をつくっていくと、耐震性の建物とか、非常口の問題とか、教えること以外にいろいろなことがかかわってくる。過去の教育の歴史が反映されて、今の法律はでき上がっている。昭和63年のときの規定に戻ると、建物の自己所有を途中で入れている。それでも、日本語学校はずっと継続してきた。要するに、ハードルが高くても、つくりたい人はつくる。
 ただ、日本語教育という内容は別枠。今、日振協でも何年間か越しでスタンダードプロジェクトをつくっているので、これを教育できるようなシステムができ上がれば、とりあえずの形はできるのではないか。
 いずれにしても、教育は文部科学省だという意見を述べさせていただく。

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-- 登録:平成23年06月 --