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宇宙開発利用

1990年(平成2年)

第一章 日本の宇宙開発の政策史 > 4.H-Ⅱロケットの運用を開始し8号機打上げ失敗(~平成11年)

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1990年(平成2年)1月1日

米国、商業用タイタン3の初打上げでJCSAT-2の打上げに成功

1990年(平成2年)1月

JEMシステムおよび構成機器の基本設計を開始

1990年(平成2年)1月24日

宇宙科学研究所、M-3SⅡロケット5号機により、第13号科学衛星「ひてん」(MUSES-A)を打上げ(日本で初めて月スイングバイに成功、月オービタ「はごろも」を月周回軌道に投入)

1990年(平成2年)2月7日

宇宙開発事業団、H-Ⅰロケット(2段式)6号機により、海洋観測衛星1号-b「もも1号-b」(MOS-1b)を打上げ(アマチュア衛星1号-b「ふじ2号」(JAS-1b)および伸展展開機能実験ペイロード「おりづる」(DEBUT)同時打上げ)

1990年(平成2年)2月22日

アリアン4ロケット(V-36)(日本放送衛星BS-2XとスーパーバードBを搭載)の打上げ失敗

1990年(平成2年)3月

JEM構成機器の開発基礎試験に着手

1990年(平成2年)3月

宇宙ステーションに関し、米国航空宇宙局/欧州宇宙機関/宇宙開発事業団の三者間で調整してきた各国モジュール間のISPRラックに対する互換性要求の「東京合意」ができた。このISPRラックの互換性要求は、ラック形状の包絡域、モジュールへの取付け機構、電力、排熱、データ、ビデオ等のリソースインタフェースを規定するものである。

1990年(平成2年)3月20日

欧州宇宙機関理事会、欧州宇宙機関・西独間の欧州宇宙飛行士センター(EAC)設立に関する協定を承認

1990年(平成2年)4月3日

科学技術庁、「衛星問題について日米間で実質合意に達した」と発表

1990年(平成2年)4月5日

米国、世界初の空中発射衛星打上げロケット「ペガサス」の打上げに成功

1990年(平成2年)4月24日

第一材料実験を行う搭乗科学技術者に毛利衛氏が決定

1990年(平成2年)4月25日

欧州宇宙機関とソ連、宇宙開発に関わる包括協力協定を締結。これによりグラフコスモスとの間に共同作業チームが設立され、宇宙往還機、地球観測、微小重カ実験、科学観測の分野に関する情報交換が行われた

1990年(平成2年)4月25日

スペースシャトル「ディスカバリー号」により、ハッブル宇宙望遠鏡を打上げ

1990年(平成2年)5月16日

宇宙開発委員会、「宇宙開発計画」を改訂

1990年(平成2年)5月17日~18日

第3回国際宇宙年宇宙機関会議(SAFISY)開催(京都)

1990年(平成2年)5月31日

ソ連、クリスタルモジュール打上げ(6月10日にミールとドッキング)

1990年(平成2年)6月15日

日米間で衛星問題についての書簡を交換

1990年(平成2年)7月16日

パキスタン、長征2号により初の自国衛星「BADR-A」打上げ

1990年(平成2年)7月

JEM基本設計における第1回中間審査を実施し、開発上の問題点を洗い出した。

1990年(平成2年)7月26日

第5回日米常設幹部連絡会議(SSLG)開催(東京)

1990年(平成2年)8月22日

オーストラリアのケープヨーク打上げプロジェクトに米国企業の参加が正式に承認

1990年(平成2年)8月28日

宇宙開発事業団、H-Ⅰロケット7号機により、放送衛星3号「ゆり3号-a」(BS-3a)を打上げ

1990年(平成2年)9月~12月

宇宙ステーションに関して、米国航空宇宙局が実施したリソース削減のための検討チ-ム(ターボチーム)活動に対応して、JEM全体設計の見直しを行い、電力リソース削減、各サブシステム系統の見直しを行った。

1990年(平成2年)10月

米国航空宇宙局の1991年度宇宙ステーション予算が総額230億ドルまで膨らんだことから、米国議会は総額190億ドルまでに削減するよう指示した。米国航空宇宙局は宇宙ステーションの再構築をリストラクチャリング(Restructuring)と称して実施した。

1990年(平成2年)11月26日

米国デルタ7625ロケットの初打上げ

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お問合せ先

研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付

(研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付)

-- 登録:平成23年02月 --