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宇宙開発利用

1989年(平成元年)

第一章 日本の宇宙開発の政策史 > 4.H-Ⅱロケットの運用を開始し8号機打上げ失敗(~平成11年)

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1989年(平成元年)2月22日

宇宙科学研究所、M-3SⅡロケット4号機により、第12号科学衛星「あけぼの」(EXOS-D)を打上げ

1989年(平成元年)3月1日

力ナダ宇宙庁(CSA)設立

1989年(平成元年)3月6日

アリアンロケットにより、日本通信衛星(JCSAT)、欧州気象衛星(MOP-1)を打上げ

1989年(平成元年)3月14日

宇宙ステーション計画に関して、米国航空宇宙局と日本国政府間の了解覚書(MOU)が調印される

1989年(平成元年)3月15日

宇宙開発委員会、「宇宙開発計画」を改訂

1989年(平成元年)4月

宇宙科学研究所、東京都から神奈川県相模原市に移転

1989年(平成元年)4月

1986年(昭和61年)に締結された日加科学技術協力協定の下、宇宙分野における協力について意見交換及び情報交換を行う場として日加宇宙パネルが設置される(以降2004年(平成16年)5月まで計11回開催)

1989年(平成元年)4月3日

ドイツ宇宙機関(DARA)設立

1989年(平成元年)4月20日

米国家宇宙評議会(NSC)設立

1989年(平成元年)5月2日

第2回国際宇宙年宇宙機関会議(SAFISY)が欧州宇宙機関の欧州宇宙研究所(ESRIN)で開催

1989年(平成元年)5月25日

米国通商代表部(USTR)は包括通商法スーパー301条(不公正貿易国・行為の特定・制裁)に基づき、人工衛星、スーパーコンピュータ、林産物について対日適用を決定し発表

 日米宇宙協力交換公文(1969年(昭和44年)7月31日成立)を基に、日本の実利用分野の宇宙開発は技術導入路線でスタートした。技術情報の第3国開示制限や外国衛星の日本での打上げは米国への事前連絡を要するなどの制約がある中、我が国はN-ⅠロケットN-Ⅱロケット、そしてH-Ⅰロケットと性能向上を図るとともに、国産化率100%を達成すべく努力を重ね、気象衛星(GMS)通信衛星(CS)放送衛星(BS)などの技術開発および実利用活動を展開しつつあった。
 ところがこのような状況の中で、1973年(昭和48年)7月18日に電電公社(NTT)研究開発本部長一行が、米ヒューズ社を訪れ、設計資料購入を希望したのに対し、同社は衛星本体(ハード)の購入を求めた。NTT一行は国の宇宙開発政策に従っており、ハードを調達する立場にはない旨説明したが、これを契機として日米人工衛星問題は端を発することとなった。
 その後、日米ハイレベル協議や交渉が続いたが、米側の非難は、主として日本の宇宙政策は産業政策であり幼稚産業の保護政策であること、そしてNTTが民営化されたにもかかわらず、自由に衛星調達ができないという点であった。このような背景のもと、1989年(平成元年)5月25日、米国通商代表部(USTR)は包括通商法スーパー301条(不公正貿易国・行為の特定・制裁)に基づく対日適用を決定し発表、人工衛星を調査・交渉対象品目の一つに認定した。
 日米人工衛星問題に関する日米交渉は、1989年(平成元年)9月7日の日米貿易委員会から始まり、4回の専門家会合を経て、1990年(平成2年)4月3日の日米貿易委員会フォローアップ会合で実質合意された。その後同年6月12日の衛星専門家会合で、研究開発衛星以外の衛星調達手続きについて合意され、6月14日のアクションプログラム実行推進委員会で「非研究開発衛星の調達手続」を決定、6月15日に村田良平特命全権大使とカラー・ヒルズUSTR代表の間で書簡の交換が行われ、最終的に決着した。
 その概要は以下の通りである

  • 日本政府およびNTT等の機関の研究開発衛星以外の非研究開発衛星の調達は公開、透明かつ内外無差別の手続きで行う
  • 日本政府は現行の通信衛星「CS-4」計画を変更し、宇宙開発事業団は新技術の実証を目的とした研究開発衛星を開発する
  • 「研究開発衛星」の定義に関しては、日米両国間での現実的アプローチとして、「各々の国にとって新しい技術の宇宙での実証または非商業的な科学的研究を行うことを目的として設計・利用される衛星」と定義することとし、商業目的または恒常的サービスを継続して提供するために設計または利用される衛星は研究開発衛星ではないとする(なお、全ての有人宇宙システムは研究開発衛星と定義される)

1989年(平成元年)5月29日

宇宙開発委員会長期政策部会、「宇宙開発政策大綱改訂原案」を報告

1989年(平成元年)5月31日

欧州宇宙機関と力ナダ、宇宙10年協力協定締結

1989年(平成元年)6月5日

アリアンロケットにより、スーパーバードA(宇宙通信(株))とDFS-1(西独通信衛星)を打上げ

1989年(平成元年)6月14日

米国、タイタン4の初打上げ成功

1989年(平成元年)6月22日

宇宙基地協力協定が国会で承認され、日本は実験モジュール(JEM)の開発に本格的に着手した。

1989年(平成元年)6月

宇宙ステーション計画に係わる宇宙開発事業団プログラム要求審査(PRR)(その2)が実施される。米国航空宇宙局・宇宙開発事業団間で合意した宇宙ステーションプログラム要求の中で、JEMへの適用部分を記述した日米共同管理技術文書(JPDRD)の要求が、JEMシステムの開発要求である「システム仕様書」や「運用利用要求書」に反映され、整合がとれていることを確認した。

1989年(平成元年)6月28日

宇宙開発委員会、「宇宙開発政策大綱」を改訂(それに伴い長期政策部会および長期政策懇談会を廃止)

 宇宙開発政策大綱において、基本方針として(1)高度情報通信システムの整備や地球環境問題の解明などニーズの高度化・多様化への対応、(2)自在な宇宙開発活動の展開に必要な技術基盤を確立し、我が国の国際的地位にふさわしい活動の展開、(3)官民の適切な役割分担の下の民間における宇宙開発活動の促進、を掲げ、当面10年の開発目標を示した。改訂の主要点は次の通り。

<有翼回収機>
 将来の宇宙ステーションなどの利用の本格化に備えて、H-Ⅱロケット打上げ型有翼回収機の開発を目指し研究を進める。

M-Ⅴロケット
 科学ミッションの進展に対応するため、M系ロケットの大型化を図る。
 従来1.4m以下とされてきた文部省宇宙科学研究所のロケットについて、直径2.5mの大型化が図られることとなった。

<有人宇宙活動>
 長期的な方向として独自の有人宇宙活動の展開を目指しつつ、当面、国際協力プロジェクトに積極的に参加することなどを通じて、有人宇宙活動に必要な基盤技術を修得する。

1989年(平成元年)7月20日

アポロ11号月着陸20周年記念式典においてブッシュ大統領が月/火星有人探査構想について演説

1989年(平成元年)7月~10月

米国航空宇宙局は米国内財政の悪化に伴い、宇宙ステーション計画の見直しをリフェージング(Rephasing)と称して実施

1989年(平成元年)8月27日

デルタロケットによる初の商業打上げ(英国直接放送衛星「マルコポーロ」)

1989年(平成元年)9月5日

宇宙基地協力協定受諾

1989年(平成元年)9月6日

宇宙開発事業団、H-Ⅰロケット(3段式)5号機により、静止気象衛星4号「ひまわり4号」(GMS-4)を打上げ

1989年(平成元年)9月15日

ソ連、国際協力生物衛星ミッション「バイオサット9」を打上げ

1989年(平成元年)9月25日

クウェール米国副大統領訪日、磁気圏尾部観測衛星(GEOTAIL)計画に関する日米政府間の交換公文に署名

1989年(平成元年)11月2日

ブッシュ大統領、新国家宇宙政策を発表

1989年(平成元年)11月7日

米国航空宇宙局、月/火星有人探査構想検討結果報告書を国家宇宙評議会に提出

1989年(平成元年)11月26日

ソ連、プロトンによりクワント2モジュールを打上げ

1989年(平成元年)12月6日

クワント2モジュール、ミール宇宙ステーションとドッキング

1989年(平成元年)12月20日

宇宙開発委員会に宇宙ステーション部会を設置(それに伴い、第一次材料実験テーマ選定特別部会および宇宙基地特別部会を廃止)

1989年(平成元年)12月

JEM開発に係わる設計実施体制、開発企業体制および目標総開発費を設定。

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お問合せ先

研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付

(研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付)

-- 登録:平成23年02月 --