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宇宙開発利用

1985年(昭和60年)

第一章 日本の宇宙開発の政策史 > 3.昭和の終わりまで(~昭和63年)

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1985年(昭和60年)1月8日

宇宙科学研究所、M-3SⅡロケット1号機により、試験惑星探査機「さきがけ」(MS-T5)を打上げ

1985年(昭和60年)1月24日~27日

スペースシャトル、第15回飛行(ディスカバリー号)初の軍事ミッション

1985年(昭和60年)1月30日

欧州宇宙機関閣僚理事会(ローマ会議)長期宇宙計画(1985年~2000年)を承認

1985年(昭和60年)2月8日

アリアンロケットにより、アラブ諸国初の通信衛星「アラブサット-1」とブラジル初の通信衛星「ブラジルサット-1」を打上げ

1985年(昭和60年)4月10日

宇宙開発委員会、宇宙基地計画特別部会報告(「宇宙基地計画参加に関する基本構想」(報告))を了承

 報告書の要旨は以下のとおり。

(1)高度技術の習得
 宇宙基地は、広い範囲にわたって、高度技術の積極的活用が予想され、有人サポート技術、宇宙における大型構造物の組立て技術等の非常に高度の宇宙技術の習得とともに、ロボット、コンピュータ、通信等、各種先端技術分野の発達を促進し、広い分野にわたる技術水準の飛躍的向上をもたらすと期待する。

(2)次世代の科学や技術の促進と宇宙活動範囲の拡大
 宇宙基地は、宇宙滞在時間の延長、多数の搭乗員、供給電力・作業時間の増大等を可能にする特徴を有している。したがって、大規模な科学観測や実験が可能となり、科学的知見の増大や、新しい技術の誕生を大きく促す。また宇宙基地は、より高軌道での宇宙活動に進む中継基地、さらには月や惑星の有人探査の基地としても大きな可能性を有しており、将来の人類の宇宙における活動範国の拡大という面でも大きな力を発揮する。

(3)国際協力への貢献
 日本が自主開発によって、またスペースシャトルの利用等によって培った技術力を背景に、世界の宇宙開発に対して相応の分担と協力を行っていくことが期待されている。宇宙基地計画に参加協力することで、日米友好関係の維持・促進上極めて有効であるとともに、世界における宇宙開発活動との調和を図りながら、日本の技術力を高めていくことにもなる。特に日本の得意とするロボット、光通信、エレクトロニクス等の先端技術によって、国際的な貢献をすることも可能。

(4)宇宙環境利用の実用化の促進
 無重力環境での材料や医薬品の製造といった宇宙環境利用の実験が強力に進められるようになってきた。この宇宙環境の利用は大きな関心を集めており、宇宙基地計画は、こうした宇宙環境利用を本格的に推進し、産業活動を1つの目標とする。産業活動の宇宙への拡大は米国を始め、諸外国の目標となってきており、この面での意義は大きい。

1985年(昭和60年)5月9日

日本は、米国航空宇宙局と宇宙ステーションの予備設計参加のための了解覚書(MOU)を締結。約2年にわたる予備設計を開始した。国際間調整においては、政策レベルの協議は科学技術庁が、技術レベルの調整は宇宙開発事業団がそれぞれ米国航空宇宙局と対応した。

1985年(昭和60年)5月

宇宙基地について、宇宙開発事業団と参加企業メンバーによる「第3次設計支援チーム」が組織され、日本実験モジュールの予備設計検討作業が開始された(1987年(昭和62年)3月まで継続)

1985年(昭和60年)6月17日

スペースシャトル、第18回飛行(ディスカバリー号)
メキシコ初の通信衛星モレオス-1を放出

1985年(昭和60年)7月2日

アリアンロケットにより、欧州宇宙機関初の惑星(彗星)探査機ジオットを打上げ

1985年(昭和60年)7月

宇宙ステーションの基準となるコンフィギュレーションを決めるため、米国航空宇宙局ジョンソン宇宙センターで最初の国際間調整である宇宙基地基準概念第1回審査会(RUR#1: Reference Update Review #1)が開催

1985年(昭和60年)8月7日

宇宙開発委員会、宇宙基地特別部会を設置。宇宙基地計画の予備設計段階への参加に伴い、同計画に対する今後の我が国の対応についての調査審議を開始。

1985年(昭和60年)8月7日

宇宙開発事業団、スペースシャトルへの搭乗科学技術者(PS)3名(毛利衛、向井(旧姓・内藤)千秋、土井隆雄)を決定

1985年(昭和60年)8月19日

宇宙科学研究所、M-3SⅡロケット2号機により、第10号科学衛星「すいせい」(PLANET-A)を打上げ

 1986年(昭和61年)にハレー彗星が76年振りに回帰してきた。この機会を捉えて、日、米、欧、ソが近接観測を行うべく、それぞれ探査機を送ることになった(同彗星への最接近は1986年(昭和61年)3月上旬)。当時、ハレー艦隊と呼ばれたこの試みに、我が国は「さきがけ」、「すいせい」の2機の探査機をもって成功裏に参加し、超遠距離通信、同精密軌道決定等、惑星間空間航行の技術的基盤を確立した。後年の「ひてん」、「かぐや」、「はやぶさ」につながるものである。この時設立された参加4極の協調機構IACG(Inter-Agency Consultative Group for Space Science:宇宙科学関係機関連絡協議会)はその後常設化され、我が国の宇宙科学が世界の第一線に躍り出る場を提供した。

1985年(昭和60年)9月27日

ランドサット衛星EOSAT社に民営移管

1985年(昭和60年)10月3日~7日

スペースシャトル、第21回飛行(「アトランティス号」初飛行)

1985年(昭和60年)11月27日

宇宙開発委員会、長期政策懇談会設置

1985年(昭和60年)11月

宇宙基地に関し第2回審査会(RUR#2)が開催され、米国航空宇宙局提案の電力塔型で2本のキールを持つ宇宙ステーション全体コンフィギュレーションが宇宙ステーション管理会議(SSCB: Space Station Control Board)において了承された。

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お問合せ先

研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付

(研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付)

-- 登録:平成23年02月 --