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宇宙開発利用

1963年(昭和38年)

第一章 日本の宇宙開発の政策史 > 1.黎明期から宇宙開発委員会発足まで(~昭和43年)

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1963年(昭和38年)2月1日

米、民間通信衛星会社(コムサット社)設立

1963年(昭和38年)2月8日

科学技術庁、第1回航海衛星懇談会開催

1963年(昭和38年)2月14日

米、通信衛星シンコム1号打上げ(同期軌道に乗る)

1963年(昭和38年)3月

建設省国土地理院、精密タイミング装置付写真赤道儀を開発、千葉県鹿野山に人工衛星観測室を設置

1963年(昭和38年)4月1日

科学技術庁、航空技術研究所を航空宇宙技術研究所と改称、ロケット部新設

 1963年(昭和38年)度から科学技術庁の航空宇宙課に宇宙開発室が設置された。ロケットの打上げや宇宙利用の推進に関する委託費の交付など、宇宙開発の実施機関の役目を担った。
 一方、1955年(昭和30年)7月11日に発足していた同庁の付属機関である航空技術研究所(NAL: National Aeronautical Laboratory:は、1963年(昭和38年)4月1日に航空宇宙技術研究所(NAL: National Aerospace Laboratory)と改称し、宇宙技術に関する研究を重要研究の一つとして採り上げ、ロケット部を新設した。同部はロケットのシステムスタディ、ロケットの空気力学、固体ロケット、液体ロケット、ロケットの制御・誘導等に関する基礎的、先行的な試験研究、また、これら技術成果の確認のためのロケットの試作、飛期試験の実施などを進めるとともに、後の宇宙開発推進本部や宇宙開発事業団(NASDA)の開発業務に対し強力な支援を行ってきた。

1963年(昭和38年)4月

東京大学、M(ミュー)ロケットの開発研究に着手

1963年(昭和38年)4月

気象庁、気象ロケットの開発に着手

1963年(昭和38年)6月16日

ソ連、ヴォストーク6号打上げ(初の女性飛行士テレシコワ搭乗)

1963年(昭和38年)6月

総理府設置法改正

 総理府設置法の改正により、宇宙開発審議会は、諮問された事項の審議のほかに、重要な事項について自ら意見を述べることができるように、権限が強化された。

1963年(昭和38年)8月10日

科学技術庁、新島でロケット打上げ実験実施(LS-Aサステーナ)

 1961年(昭和36年)、科学技術庁は独自に誘導制御に有利となる液体ロケット開発を開始し、JP-4を燃料、硝酸を酸化剤とする推力1tの液体推進剤ロケットを民間に委託し試作した。1963年(昭和38年)8月10日、科学技術庁は、第1回のロケット打上げ実験を、防衛庁新島実験場において実施した。この実験では液体ロケットLS-Aサステーナ1機(直径0.3m、全長4.55m、質量272kg)を打ち上げたが発射数秒後、構造部が破断、分解して失敗した。この打上げ実験は、科学技術庁自らが実施した最初にして最後の打上げとなった。1964年(昭和39年)7月1日の宇宙開発推進本部の発足とともに、同年7月17日~23日新島で実施された第2回以降の打上げは、宇宙開発推進本部が行うことになったためであった。

1963年(昭和38年)11月20日

国際電電、茨城宇宙通信実験所を開所

1963年(昭和38年)11月23日

国際電電茨城宇宙通信実験所、米国のリレー1号による初の日米間TV中継受信に成功

 通信衛星を経由して、アメリカから送信された映像を日本で受信しようという、太平洋を結ぶ初の衛星実験であった。当時のアメリカ大統領のケネディはこの宇宙通信のスタートをたたえ、前日に祝辞を寄せてきた。実験は成功したが、送られてきた映像は、当初の予定とは全く異なり、ダラスを訪れたケネディが狙撃され、死亡するという事件であった。

1963年(昭和38年)11月23日

ソ連、ソユーズロケット初打上げ

1963年(昭和38年)11月29日

米国のリレー1号により日~米~欧間TV中継に成功

1963年(昭和38年)12月9日

東京大学、鹿児島県内之浦に「東京大学鹿児島宇宙空間観測所」開設

1963年(昭和38年)12月13日

国連、第18回総会において「宇宙空間の探査および利用における国家の活動を規制する法的原則宣言」の決議を採択

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お問合せ先

研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付

(研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付)

-- 登録:平成23年02月 --