哺乳類テロメラーゼ遺伝子の単離[第160号]

第160号

 テロメラーゼは、細胞の老化や癌化の鍵を握る酵素の一つとして近年注目を集めている。ヒトをはじめとする哺乳類テロメラーゼは、非常に微量にしか存在しないために、これまで、その蛋白質の精製や遺伝子の単離に関する報告はなかった。今回、東京工業大学生命理工学部の石川冬木助教授のグループは、微量のテロメラーゼ活性を高感度かつ定量的に測定する技術(ストレッチPCR法)を開発して、生化学的手法により哺乳類テロメラーゼを高純度に精製し、さらに、これにゲノムプロジェクトの最新の成果を援用することで、世界で初めてラットテロメラーゼを構成する蛋白質成分のひとつの遺伝子TLP1(Telomerase protein 1)を単離し、解析することに成功した。本研究の成果は、米国誌Cellの3月21日号に掲載される予定である。
 同グループは既に同じ構造のヒト遺伝子を単離しており、本研究により細胞の老化や癌化に対する新しい分子生物学的理解と治療方法の開発が進むことが期待される。
 なお、本研究の一部は、科学技術庁科学技術振興調整費(総合研究「ゲノムダイナミクスの解明のための基盤的技術の開発に関する研究」)の援助を得て行われた。

1.研究の背景・経緯

 現代社会の大きな問題である悪性腫瘍と老化現象は、加齢と共に発生率が高まることに特徴がある。しかし、どのような理由で、高齢者に悪性腫瘍や老化現象が起こるのかはいまだ明らかではない。
 1950年頃より、動物の体を構成する正常な体細胞は、有限の回数しか細胞分裂を行うことができず、その回数に達してしまうと、細胞は増殖を停止することが知られていた。一般に高齢者では免疫細胞が外来抗原に適切に反応して増殖することができないために、免疫力が低下し感染症が重篤化しやすい。このことは高齢者の免疫細胞が可能な分裂回数を既に終えてしまっていることを示しているのかもしれない。このような正常細胞が有限の回数しか分裂増殖できないという事実は、ヒトの老化現象の少なくとも一部を説明するものであると古くから考えられてきた。細胞にはそれまで行った細胞分裂の総回数をカウントする万歩計のような仕組みがあり、ヒトの一生の間、加齢と共にその針が少しずつ進み、ある閾値まで達した時に、何らかの機構でそれ以上の細胞分裂ができなくなる考えると、こうした現象を良く説明することができる。しかし、細胞内のどのような分子がそのような万歩計あるいは細胞分裂時計(mitotic clock,これは日内リズムを刻む体内時計とは別の概念である)に相当するかは、長い間全く不明であった。
 染色体は、長い線状DNAと多くの蛋白質とから構成される複雑な機能構造体で、これなくして遺伝子は機能し得ない。染色体の両末端部分はテロメアと呼ばれ、染色体が細胞の中で安定に存在するために不可欠の要素である。細胞が分裂する時には、その前に必ずDNAが複製されて二つのコピーができることが必要であるが、この時にDNAを合成する酵素、DNA合成酵素は線状DNAの末端部分を完全には複製できない。すなわち、テロメアDNAは、細胞分裂のたびに、コピーし損なった分だけ少しずつ末端より短かくなることになる。実際、一般に高齢者のテロメアの長さは若年者よりも短い。そこで、テロメアの長さが細胞分裂回数を反映している可能性があり、1990年代に入ってから先に述べた細胞分裂時計の候補として現在有力視されている。すなわち、テロメアの長さが加齢によりある程度まで短くなると、それ以上の細胞分裂が起こらなくなり細胞は老化を迎えると考えられる。 染色体が細胞分裂のたびにテロメアから次第に短小化するとすれば、これと拮抗してテロメアをのばす機構がない限り、遂には染色体はなくなってしまうであろう。そのために、生殖細胞ではテロメラーゼと呼ばれる酵素が存在していることが明らかとなっている。テロメラーゼは、テロメアDNAをあらたに合成してテロメアに付加し、テロメアを伸ばす働きを持つ。この酵素は、1985年に米国のBlackburn等により単細胞真核生物のテトラヒメナで発見され、RNA成分と複数の蛋白質とからなる巨大な複合体であることが分かっていた。しかし、ヒト細胞ではテロメラーゼ活性は非常に僅かにしか存在しないため、長い間、その詳細は不明であった。しかし、米国の研究者および我々により独立してPCRを用いたテロメラーゼ活性の高感度測定法が開発され、ヒトの場合には、生殖細胞と癌細胞でのみ特異的にテロメラーゼ活性が検出され、正常な体細胞では存在しないことが明らかとなった。
 以上のような事実から、次のようにモデルと考えることができる(図)。精子や卵子などの生殖細胞は、高いテロメラーゼ活性を持っているために、細胞分裂の回数によらず長いテロメア長を維持することができる。いわば、細胞分裂時計はリセットされたままの状態であるといえる。しかし、ひとたび受精して分化した体細胞ができるとテロメラーゼは未知の機構により活性を失い、テロメア長は短小化し始め、細胞分裂時計がカウントダウンを開始する。高齢となり、テロメア長が限界まで短くなった細胞は未知の機構により細胞増殖を停止する。しかし、癌細胞では、この増殖を停止させる機構が破綻している上、テロメラーゼが再活性化を受けるために、短いテロメア長のまま、それ以上の短小化を来すことなく増殖を持続する。
 以上のことから、テロメラーゼは細胞の老化や癌化の鍵を握る重要な酵素の一つであると考えられるが、これまでヒトを含めた多細胞生物のテロメラーゼの蛋白質成分の同定や遺伝子の単離に関しては全く報告されていなかった。従って、どのような分子メカニズムで、テロメラーゼがオンもしくはオフとなり、細胞分裂時計が動いたり止まったりするのかは不明であった。
 本研究は、世界に先駆けて、哺乳類テロメラーゼの構成蛋白質のひとつであるTLP1(Telomerase protein 1)蛋白質の解析とその遺伝子の単離を報告したものである。本研究により細胞の老化・癌化機構の分子生物学的解明のための新しい局面が開けるものと期待される。

2.具体的な研究成果

 我々が報告したラットテロメラーゼの構成蛋白質のひとつをコードする遺伝子rTLP1(rat TLP1)の同定は、古典的な生化学的手法と近年活発に進められているゲノムプロジェクトの成果を利用した新しい方法論があって初めてなし得たものである(Nakayama, 1997)。
 哺乳類テロメラーゼは非常に微量にしか存在しないために、我々はまず生化学的解析に適した高感度テロメラーゼ検出方法、ストレッチPCR法(stretch PCR assay)を開発し、これが癌の予後診断に非常に有用であることを示した(Tatematsu et al. 1996)。本法を用いて、我々はラット、マウスあるいはヒト培養細胞からテロメラーゼを高純度に精製分離することに世界ではじめて成功し、その精製標品に数種類の蛋白質が含まれていることを見いだした。しかし、蛋白質がきわめて微量にしか存在しなかったために、そのアミノ酸配列等の情報を得ることはできなかった。 一方、原生動物テトラヒメナのテロメラーゼはp80およびp95の少なくとも二種類の蛋白質を含むことが既に報告されている。これらの遺伝子を使って、ヒトテロメラーゼの類似蛋白質の遺伝子を同定する試みが我々を含めて多くの研究者により行われたが、いずれも成功しなかった。
 ゲノムプロジェクトの一環として、ヒトやラットなどいくつかの生物で発現している遺伝子(mRNA)のコピー(cDNA)をランダムにクローニングし、その塩基配列の一部を決定してデータベースを作る事業が行われている。このデータベースはdbEST (database of expression sequence tag)と呼ばれ、世界中の研究者がインターネットを通じて自由に利用することが可能となっている。我々は、テトラヒメナのテロメラーゼ(p80,p95)の配列と類似したcDNA塩基配列がdbESTに登録されていないかどうかをインターネットを利用して検索した。その結果、ラットのあるcDNA断片がp80と低い類似性を持つことを見いだした。そこで、このcDNAの全長を実際にクローニングし塩基配列を全て決定したところ、この遺伝子は実際にp80と有意な類似性をもつものであることを見いだした。これは、これまで報告されていない新規な遺伝子である。
 このラット遺伝子TLP1を用いて、大腸菌でTLP1蛋白質を産生し、それを抗原に用いて抗体を作製した。この抗体は、我々が既に高度に精製していたラットテロメラーゼ標品に含まれる蛋白質の一つを特異的に認識し、実際にTLP1蛋白質がラットテロメラーゼの構成蛋白質の一つであることが証明できた。さらに、テロメラーゼを含む細胞抽出液に抗TLP1抗体を作用させ、TLP1/抗TLP1抗体複合体を免疫沈降物として回収したところ、そこに特異的にテロメラーゼ活性が検出された。以上の結果から、我々はTLP1蛋白質がテロメラーゼを構成する蛋白質の一つであると結論した。
 TLP1蛋白質は、細胞内でp230とp240と呼ぶ二種類の電気泳動度の異なる蛋白質として作られている。実際には、細胞内で先ずp240として作られた後、これが何らかの修飾によりp230に変化することが明らかとなった。そこで、テロメラーゼ活性の非常に高いラット肝癌細胞株AH66Fやラット精巣、中程度の活性があるラット肝臓および活性がほとんどないラット腎臓について、これらのp240とp230の分布を検討した。AH66Fや精巣では、ほとんどがp230型であり、逆に腎臓では、ほとんどがp240型であった。また、中程度の活性をもつ肝臓ではp240とp230がほぼ同量存在した。これらの実験結果は、TLP1蛋白質がp240からp230へと変化することによりテロメラーゼが活性化される可能性を示したものである。

3.今後の研究の展開

 テロメラーゼは、TLP1蛋白質単独で活性を持つわけではなく、その他の未同定の複数の蛋白質とRNA鋳型成分とから構成される巨大複合体である。従って、これらの未知の構成成分の同定とそれらの遺伝子の単離を進める必要がある。
 テロメラーゼの活性制御が細胞の老化や癌化の発生の鍵を握っていると考えられるので、いかに正常細胞ではテロメラーゼが不活化され、細胞が癌化すると再活性化されるのかを分子レベルで明らかにする必要がある。TLP1蛋白質は、世界で始めて同定された最初のテロメラーゼ(関連)蛋白質であり、本研究は分子生物学的なテロメラーゼ活性化機構解明のための第一歩といえる。
 テロメラーゼの作用を強くしたり、阻害したりする薬剤の開発が多くの製薬会社によって試みられている。癌細胞は正常細胞と異なり、特異的に強いテロメラーゼ活性をもち、これが癌細胞が次々と経過を追うに従い悪性化することに重要であると推測されている(Ishikawa,1997)。従って、テロメラーゼ阻害剤は、従来の作用機序とは異なる抗腫瘍活性、特に悪性化の阻止や予後の改善、あるいは進行癌への有効性を持つことが期待される。一方、何らかの理由によりテロメア長が短くなりすぎてしまった細胞のテロメラーゼ活性を適度に亢進させることができれば、その細胞は再び増殖能を獲得し、たとえば高齢者の免疫能の低下に対する有効な治療法となるかもしれない。今回のTLP1蛋白質の同定は、このようなテロメラーゼを作用点とした新しい薬剤開発に役立つことが期待される。

引用文献

 Tatematsu, K., J. Nakayama, M. Danbara, S. Shionoya, H. Sato, M. Omine, and F. Ishikawa. A novel quantitative "stretch PCR assay", that detects a dramatic increase in Telomerase activity during the progression of myeloid leukemias. Oncogene, 13:2265-2274 (1996).

 Nakayama, J., M. Saito, H. Nakamura, A. Matsuura, and F. Ishikawa. TLP1:A gene encoding a protein component of mammalian Telomerase is a novel member of WD-repeats family. Cell, in press (1997).

 Ishikawa, F. A review article: Telomere crisis, the driving force in cancer cell evolution. Biochem. Biophys. Res. Commun. 230:1-6 (1997).

問い合わせ先:
 科学技術庁研究開発局ライフサイエンス課
 専門職 高野 誠
 Phone 03‐3581‐5271 (ext.446)、5250 (direct)
 FAX 03‐3506‐1960
 E‐mail mtakano@sta.go.jp

 東京工業大学 生命理工学部 生命理学科 細胞構築学講座 助教授 石川冬木
 Phone 045‐924‐5711
 FAX 045‐924‐5831
 E‐mail fishikaw@bio.titech.ac.jp

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