初中教育ニュース(初等中等教育局メールマガジン)第321号

[目次]

□「学校における働き方改革に関する緊急対策」の策定について〔初等中等教育局〕
□【コラム】「学校における働き方改革について」 〔初等中等教育局初等中等教育企画課長 矢野 和彦〕


□「学校における働き方改革に関する緊急対策」の策定について

 〔初等中等教育局〕
  新学習指導要領等を確実に実施し、学校教育の改善・充実に努めていくことは次世代を担う子供たちのために必要不可欠であります。そのためにも、教師が授業や授業準備等に集中し、教育の質を高められる環境を構築することが必要でありますが、本年4月に公表された教員勤務実態調査(平成28年度)の集計(速報値)から、教職員の長時間勤務の実態が看過できない状況が明らかになったところです。
  このような状況を踏まえ、同年6月、文部科学大臣から「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について」を諮問し、同年12月22日に中央教育審議会において「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(中間まとめ)」がまとめられました。
  この中間まとめを受けて、本日、文部科学省は「学校における働き方改革に関する緊急対策」を策定いたしました。文部科学省としては、教師の長時間勤務を見直し、教師一人一人が様々な経験を通じて自らを研鑽できる機会を持てるようになることで、更に効果的な教育活動へとつなげていただきたいという「学校における働き方改革」の掲げる理念を社会全体に共有していくとともに、緊急対策に掲げられた内容を教育委員会や学校をはじめとした教育関係者と一丸となって、着実に実行していきます。

中央教育審議会(第114回)配付資料
※ 「学校における働き方改革に関する緊急対策」(※国立国会図書館ホームページへリンク)別ウィンドウで開きます

 

□「学校における働き方改革について」 

 〔初等中等教育局初等中等教育企画課長 矢野 和彦〕
 12月22日、6月の中教審で諮問された「学校における働き方改革」についての「中間まとめ」が林芳正文部科学大臣に手渡されました。また、本日、12月26日、文部科学大臣裁定による、「緊急対策」が取りまとめられました。
 7月11日の特別部会第1回会議開催以来、小川部会長のもと、実に、月2回というハイペースの全9回の議論でありましたが、同部会は、マスコミの注目度も高く、「売れっ子」や公務ご多忙な委員がたいへん多いにもかかわらず高い出席率が維持され、白熱した議論がなされました。
 これは、関係者の中で、教師の「長時間勤務」への対応が待ったなしの状況にあることの危機感が共有され、このままでは「日本型学校教育」がたちゆかなくなるという焦燥感が日増しに高まっていることへの裏返しでもあると思います。
 やや水を差すようで恐縮なのですが、私は「働き方改革」は、教育関係者及びその周辺の「内輪」だけで盛り上がってもほとんど意味がないと考えています。また、学校の「ブラック」さが強調されるだけでは「元も子もない」と考えています。
 目指すところは、「先生がかわいそうだから・・・」ではなく、「教師が溌剌、颯爽、堂々として自信を持ち、子供たちのあこがれの存在となり、最新の情報や知識技能を吸収し、21世紀を生き抜く子供たちのために学校教育による成果をもっと上げていこう。」ということなのです。そして、教職に夢や希望をもつ人が増える、学校が魅力ある職場になる、という「好循環」の方向に持っていくということ、それが「学校における働き方改革」の神髄だと考えています。そこは譲れない一線です。
 学校現場の実情や教師の想いについて認識のない方々からは、「教師たちはみんな好きで部活やってるんだから放っておいたら。」「長期休業日があるから教師はいいよね。」「そんなにブラックなら5時に学校を閉めれば。」「ICT化すれば解決することだよね。」「へき地は遠隔教育でやればいいじゃない。」「そんなに大変なら生徒指導だけを教師がやって学習指導は塾などに委託すればいいのでは。」「時間のあるお年寄りがたくさんいるのだから上手に活用したら。」などなど非常に「素朴」な疑問が次々にぶつけられます。一つ一つについては論評いたしませんが、ここは、学校の現実と世間の意識の温度差をものすごく感じるところです。
 その一方で、世間からは、「子供が問題を起こした。」「トラブルに巻き込まれた。」「事故に遭った。」といえばまず学校に連絡が来たりします。また、通学路、あるいは、地域で何か事件が起これば翌日には、教師たちが早朝から通学路に立ったり、集団登校の引率をしたりします。
 一義的には子供の保護責任は保護者にあるはずで、「緊急」の名のもとに教師たちが本来業務でもないにもかかわらず対応しているわけですが、もし、その対応を誤った場合、事故が起きてしまった場合、いったいだれがその責任を取るのでしょうか。
 また、「放課後は行き場のない子供たちのために学校を使わせてほしい。そこに先生がいるのだから、何かあったら子供たちの面倒を見てやってほしい。」「自分たちはこ~んないいことをする。だからぜひ学校は保護者や子供たちに協力するよういうべきだ。」などなど多くの「善意」が持ち込まれます。一つ一つは確かにいい話なのですが、しかし、見方を換えれば、単に学校や教師の「善意」に「フリーライド」しているだけです。こうやって学校や教師が「ボランティア」を迫られ続けるのです。
 なぜ、学校がこんな状況になり、多忙化しているのか、要因については、今回の「中間まとめ」で書かれた通りですが、私は、文部科学省の責任は大きいと思います。
 この点、中教審のある委員からズバリ以下の指摘を受けたことがあります。「民間企業だと何か新たに事業計画などを策定するときは、普通は予算、人員などを明記しますが・・・・・・。」
 ところが、多くの審議会の答申や協力者会議の報告書には、このような「予算」「人員」について「具体的に」書かれたものを見たことはまずないのです。せいぜい「予算措置を検討する」「定数改善に努めるべきである」と抽象的に書かれている程度です。どうみても学校の負担増、予算増につながることが書かれている答申、報告書も珍しくはないにもかかわらずです。
 今回の中間まとめでは、このようなことへの反省もあり、「・・・新たな業務を付加するような制度改正を行う場合には、・・・、既存の業務との調整や義務付けの必要性の検証、必要な環境整備を行う必要がある。そのため、・・・一元的に管理する部署を設置し、・・・・体制を構築する。」とし、「必要な人的資源の確保・運用のための仕組みづくりを含めた環境整備のための支援も必要不可欠である・・・。」としています。今後、文部科学省が「体をはって」対応すべきところでしょう。その第一は、新たな業務を可能な限り増やさないこと、そして、増やす場合はやはり教職員定数の改善を行うなど環境整備を行うことあると確信しています。
 なお、調査が多すぎるとよく言われますが、文部科学省の調査ものはここ10年で半減しており、また、平成28年度勤務実態調査によると、調査ものについて管理職はかなりの時間をかけて行っていますが、一般的な教師自体の時間数は1日当たり平均数分ですので「主犯」とするにはかなり無理があります。
 ところで、何かの番組で「医師免許がなくてもできる仕事は致しません。」という決めゼリフがありましたが、「教員免許がなくてもできる仕事は致しません。」と教師が言える現状に果たしてあるでしょうか。
 欧米諸国と違って、おおざっぱに言えば、日本の学校では教師以外のスタッフは1校に1人の事務職員、養護教諭、用務員(主事)がそれぞれ配置されている程度で、それ以外のスタッフの人数は非常に少ない、というのが実情です。アシスタントティーチャーなどが教師の数以上にいるようなイギリス、教師と同レベルの資格をもつ生徒指導専門員のいるフランスなど、欧米諸国の学校には、大勢の教師以外のスタッフが存在します。また、学校の「守備範囲」自体が、「知徳体」を標榜し、全人格的な完成を目指す「日本型学校教育」=「大きな学校」に比較すると、欧米諸国の学校の「守備範囲」は、やや乱暴に言うと「知育」+αに特化しているといえ、「小さな学校」となっています。全然、比較する土台が違います。
 スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどのさまざまなスタッフを学校に導入し、チーム学校を推進していこう、という点については文部科学省と財政当局との考え方は大きな違いはないのですが、問題は、様々なスタッフを雇用するにもやはり「予算がかかる」ということです。その部分の考え方には大きなかい離があり、ここは財政当局に粘り強く理解を求めないといけない点です。
 話はやや脱線しますが、私がイタリアの日本大使館に勤めていた際に、ローマ市立の幼稚園に息子を通わせておりましたが、就園年齢は、2~4歳なので当然「おもらし」もあります。1年目は、用務員さんが「おもらし」の対応をしてくれていたのですが、2年目からは、学校と用務員さんとの間で交渉が「決裂」し、「おもらし」の対応は学校はしないことになりました。その結果何が起きたか、、、、、。なんと、その度に親が学校に呼ばれ「対応」を求められることになったのです。その時の担任の教師の言葉は、“mi dispiace”((自分は悪くはないが)お気の毒です。)というものでした。我が国ではまず考えられませんがおそらくこれが欧米諸国においてはかなり一般的な感覚なのだと感じます。
 我が国の教育関係者が明治以来培ってきた「日本型学校教育」では、このような結論を見出すことはおそらくないのではないでしょうか。
 しかしながら、この「日本型学校教育」が、ほとんど「空気」か「水」程度に軽くとらえられ、教師の献身的で地道な教育活動に支えられ我が国が今でもこれだけ落ち着いた社会を維持できている(ことに大いに寄与している)ということに気付く人が非常に少ないのも事実です。
 本来コストがかかる多くの部分を教師の「善意」に頼らざるをえない現実、そして世間がそれを評価していない結果、「日本型学校教育」のサステーナビリティが失われ、その限界点がどんどん近づいているという事実を明らかにして今後の学校教育の在り方を世に問う、それが今回の「学校における働き方改革」の狙いの一つでもあります。 
 一昔前は、「こんな先生になりたい」と子供たちに思わせる教師が大勢いたし、その好循環で優秀な人材が教師を目指していたといわれます。今は、そういう子供が少なくなった、昔は半数くらいそういう子供がいた、と現役の教師から嘆きの声が多く聞かれます。
 この「業界」に深い理解をもつ「有識者」からは、「学校がブラックだの教師の勤務実態が過酷だのと文部科学省が強調するのは間違っている。教師こそやりがいのある職業であることを強調しないといけないのではないか。そうしないと優秀でモチベーションの高い人が教職を目指さないではないか。」と強いご批判を頂戴しています。
 同感であり、このことについては忸怩たる想いです。しかしながら、数字は現実を如実に物語っています。事実は事実としてとらえ、子供たちのために理想的な教育が追求できる真の環境整備を行う方針を打ち出し、熱意のある教師のモチベーションを少しでも上げる、という方向に政府、自治体、学校が向かう嚆矢になればと考えています。
 今回「このままでは日夜学校で悪戦苦闘する教師たちが浮かばれない。」と意気に感じる文部科学省の20~30歳代の若い職員たちがそれこそ自分たちの働き方改革を「犠牲」にして、同部会の委員の多様で時には矛盾する幅広い「意見」「注文」を必死に集約し、世に問うたものが今回の「中間まとめ」「緊急対策」です。
  まだ多々ご不満はあろうかと思います。給特法の議論から逃げている、というご批判も受けました。しかしながら、千里の道も一歩からです。
 特別部会の委員からも同趣旨の意見がありましたが、「必ず今回は成果を出す。」「10年前の轍は踏まない。」「千里の道を一息で飛び越えようとして、すぐに行き詰まり、立ち往生し、現状を悪化させ、失望感だけが残ったというような失敗は二度と繰り返さない。」ということを日々胸に刻みながら取り組んでいます。
 レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉で「ちっぽけな確実さは大きな嘘に勝る。」というものがあります。すべての学校関係者とともに一歩一歩確実な成果を上げ、やり遂げたいと考えています。いかに社会全体にこの取り組みの理解を広げることができるか、そこに事の成否がかかっています。

 なお、本稿は、事実関係以外の部分については、全くの個人的見解であり、文科省、初中局の正式見解ではないことを念のために申し添えます。
  最後までお読みいただきありがとうございました。

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