教科用図書検定調査審議会 平成22年度第2部会(第3回) 議事要旨

1.日時

平成22年11月19日(金曜日)13時30分~18時15分

2.場所

中央合同庁舎第7号館東館(文部科学省庁舎)3階 3F1特別会議室

3.議題

  1. 申請図書の審査
  2. その他

4.出席者

委員

荒木委員、岩田委員、魚住委員、上山委員、私市委員、紀平委員、栗田委員、熊木委員、小室委員、佐々木委員、鈴木委員、園田委員、高橋(滋)委員、高橋(基)委員、田村委員、円谷委員、土肥委員、波多野委員、原田委員、村木委員、吉岡委員、渡辺委員

文部科学省

青山主任教科書調査官、小林主任教科書調査官、室井主任教科書調査官、卜部教科書調査官、遠藤教科書調査官、新保教科書調査官、高橋(秀)教科書調査官、高橋(裕)教科書調査官、高橋(洋)教科書調査官、照沼主任教科書調査官、正野教科書調査官、三谷教科書調査官、三橋教科書調査官、村瀬教科書調査官、門間教科書調査官、矢吹教科書調査官、森教科書課長、早川教科書企画官、金澤教科書検定調整専門官 他

5.議事要旨

  1. 平成24年度から使用される教科用図書として検定申請のあった申請図書について、審議を行った。なお、審議にあたっては、小委員会での議論を踏まえて追加された調査意見を追加資料として配布した。

  

【中学校 社会(歴史的分野)】

  22-26:

    合否の判定を留保することとした。

・調査意見3番については、検定意見としないこととした。

・13頁の「オスマン・トルコ帝国(90頁地図、側注マル1も同様)」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見3番)

・19頁の「当時、世界は氷河時代で、今より100m以上、海面が下がっていたため、日本列島は大陸と地続きでした。そのため、・・・オオツノジカなどを追って、新人も日本列島にたどりつきました。」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・33頁の「ラマダンとよばれる1か月におよぶ昼間の断食」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見15番)

・91頁の「ローマ教皇を中心とする人々(カトリック)」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見56番)

・107頁の「シャクシャインを指導者とする大規模な反乱をおこしましたが鎮圧されました。」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・141頁の「「自由、平等、博愛」の三色旗をかかげるフランス革命」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見71番)

・180頁の「明治になると、道徳的な内容や文語の表現からはなれて、物事をありのままに表現しようとする言文一致が主張されました。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見98番)

・208頁の「国際連盟による満州の管理も唱えて」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見116番)

・231頁の「人物コラム 激動の時代を支えた昭和天皇」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見138番)

・238頁の「アメリカのニクソン大統領は、ソ連の軍事的圧力への対抗などのため、中国との接近をはかりました。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見141番)

・239頁の「ソ連は、石油価格の下落で、財政的、技術的に対抗することができなくなり、アメリカとの軍拡競争から大きく後退しました。」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・245頁の「なでしこ日本史~その5」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見146番)

・その他の箇所については、調査意見をそのまま検定意見とすることとした。

 

  22-27:

    合否の判定を留保することとした。

・126頁の「7世紀には、・・・擦文文化の時代に入りました。この文化のにない手がアイヌ民族です。」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・その他の箇所については、調査意見をそのまま検定意見とすることとした。

 

  22-31:

    合否の判定を留保することとした。

・101頁の「しかし、ルターの考えは農民らに支持され広まります。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見92番)

・203頁の「歴史フォーカス「日本敗戦の予言」全体」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見169番)

・205頁の「日本は、イギリス・フランス・アメリカとともに革命で成立したソビエト政権を倒すため、第一次世界大戦が終結した1918年シベリアに出兵し、対ソ干渉戦争を行います。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見170番)

・217頁の「翌年に大衆の支持を受けて総統となったヒトラーは、民主的なワイマール憲法を廃棄し」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見182番)

・222頁の「1941年、バルカン半島を制圧したドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻すると、この戦争はファシズム諸国(枢軸国)に対する民主主義諸国(連合国)の戦いという性格をもつようになりました。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見189番)

・222頁の「日本は、1940年、日独伊三国同盟を結び、・・・翌年、日ソ中立条約を結び、・・・そして、中国を援助するイギリス・フランスなどの補給ルートを断ち切り・・・東南アジアへの侵略を進めました。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見190番)

・244頁の「「スカルノ(インドネシア)」と題された写真」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・297頁の「抵抗して反乱をおこすこともあった。」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・その他の箇所については、調査意見をそのまま検定意見とすることとした。

 

  22-32:

    合否の判定を留保することとした。

・17頁の「日本につけられた「原人段階」の着色」について、意見が出され、検定意見  を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・99頁の「14世紀ごろから、ヨーロッパでは、イスラム文化や古代ギリシャやローマの文化にならって、これまでのしきたりにこだわらない、自由でいきいきとした文化が求められました。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見43番)

・調査意見59番について、追加資料のとおり指摘事項及び指摘事由を変更して検定意見を付すこととした。(検定意見61番)

・161頁の「当時、金と銀の交換比率は日本では約1:11でしたが、欧米では約1:15でした。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見62番)

・255頁の「「現代史+α」中、「また、ソ連などは、中国などを会議に参加させること、日本が交戦国のどことも軍事同盟を結ばないことなどを主張して、調印をことわりました。」」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見72番)

・261頁の「2001年にアメリカで起きた同時多発テロは世界に衝撃をあたえ、その後のアメリカのアフガニスタン攻撃やイラク軍事介入を引き起こしました。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見73番)

・その他の箇所については、調査意見をそのまま検定意見とすることとした。

 

  22-36:

    合否の判定を留保することとした。

・調査意見15番については、検定意見としないこととした。

・60-61頁の「チンギス=ハンの遠征路」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・その他の箇所については、調査意見をそのまま検定意見とすることとした。

 

  22-37:

   合否の判定を留保することとした。

・14頁の「地図中の囲み「7世紀 ムハンマド生まれる」」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見5番)

・82頁の「年表中の9世紀前半「イスラム教の勢力が拡大しはじめる」」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見22番)

・125頁の「間宮林蔵(1808) 間宮林蔵(1808~09)」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・その他の箇所については、調査意見をそのまま検定意見とすることとした。

  

  22-38:

    合否の判定を留保することとした。

・調査意見24番については、検定意見としないこととした。

・71頁の「アイヌ民族は、津軽半島をはじめ、東北地方にも移り住みました。」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・71頁の「アイヌの人たちは、日本人をこのようによびました。」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・251頁の「領土問題~竹島と尖閣諸島  現在、日本の領土については、ロシア連邦に対して返還交渉を続けている北方領土(北海道)のほかに、竹島(島根県)や尖閣諸島(沖縄県)をめぐる問題があります。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見53番)

・その他の箇所については、調査意見をそのまま検定意見とすることとした。

 

  22-39:

    合否の判定を留保することとした。

・調査意見14番については、検定意見としないこととした。

・調査意見21番については、検定意見としないこととした。

・35頁の「7世紀初頭、アラビア半島で商人ムハンマドがとなえたイスラム教は、たちまち中東諸国を帝国にまとめあげ、」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見21番)

・46頁の「任那(加羅)」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・90頁の「おもな守護大名(14世紀後半)」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見74番)

・109頁の「オスマン・トルコ帝国(264頁4-5行目も同様)」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見95番)

・111頁の「天正遣欧使節」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見97番)

・122-123頁の「幕府は、1612(慶長17)年、キリスト教禁止令を出し、」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見105番)

・124頁の「幕府は琉球を仲立ちとする清との貿易の利益のために、これをとがめなかった」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見106番)

・125頁の「アイヌは、・・・シャクシャインを指導者とする反乱をおこしたこともあった(シャクシャインの乱)。」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長に確認することとした。

・136頁の「特に、ロシアは、樺太、千島、蝦夷地(北海道)にやってきて、先住者の日本人と衝突していました。」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長に確認することとした。

・138頁の「1767年、老中になった田沼意次は、」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見117番)

・164頁の「アヘン戦争に危機感をいだいたのは、清国よりも日本の武士たちでした。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見137番)

・181頁の「その中で最も大きかった清国の干渉は、1884(明治17)年に金玉均たちの開化派が起こした・・(甲申事変)。在住日本人にも残虐な行為をしました。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見145番)

・181頁の「朝鮮の逆戻りに手を貸す清国の態度や、」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見146番)

・197頁の「やがて、約500もの株式会社の創設に関わりました。・・日本赤十字社、商法講習所(現一橋大学)などはその一部です。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見162番)

・199頁の「森鴎外(1862~1926年)」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見167番)

・233頁の「(右7-9行目)日本は、・・、中等学校の設立、共通語の設定など、・・行った。」について、意見が出され、検定意見を付すかどうか後日部会長が確認することとした。

・235頁の「「出撃する特攻機」中、「特別特攻隊(特攻)」」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見207番)

・250頁の「ソ連は、国後・択捉島など北方領土を日本領と認めないため、日ソ間では平和条約を締結できず、」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見219番)

・256頁の「1970年代になると、アメリカのニクソン大統領は、北ベトナムを支援するソ連への牽制もあって、中華人民共和国に接近し、両国関係は正常化に向かった。」について、追加資料のとおり検定意見を付すこととした。(検定意見223番)

・その他の箇所については、調査意見をそのまま検定意見とすることとした。

   

 

  また、会議後に検定意見について検討の必要が生じた場合は、教科書調査官の案について部会長が確認し、決定することとした。

 

  なお、後日部会長に確認するとした点については、12月3日に部会長が内容を確認した結果、下記のとおりとすることとした。

  22-26:

・19頁の「当時、世界は氷河時代で、今より100m以上、海面が下がっていたため、日本列島は大陸と地続きでした。そのため、・・・オオツノジカなどを追って、新人も日本列島にたどりつきました。」について、検定意見を付すこととした。(検定意見6番)

・107頁の「シャクシャインを指導者とする大規模な反乱をおこしましたが鎮圧されました。」について、検定意見を付すこととした。(検定意見60番)

・239頁の「ソ連は、石油価格の下落で、財政的、技術的に対抗することができなくなり、アメリカとの軍拡競争から大きく後退しました。」について、検定意見を付すこととした。(検定意見142番)

  22-27:

・126頁の「7世紀には、・・・擦文文化の時代に入りました。この文化のにない手が アイヌ民族です。」について、検定意見を付すこととした。(検定意見14番)

 

  22-31:

・244頁の「「スカルノ(インドネシア)」と題された写真」について、検定意見を付すこととした。(検定意見207番)

・297頁の「抵抗して反乱をおこすこともあった。」について、検定意見を付すこととした。(検定意見260番)

 

  22-32:

・17頁の「日本につけられた「原人段階」の着色」について、検定意見を付すこととした。(検定意見5番)

 

  22-36:

・調査意見21番については、指摘事由を変更して検定意見を付すこととした。(検定意見18番)

・60-61頁の「チンギス=ハンの遠征路」について、検定意見を付すこととした。(検定意見27番)

 

  22-37:

・125頁の「間宮林蔵(1808) 間宮林蔵(1808~09)」について、検定意見を付すこととした。(検定意見29番)

・調査意見32番について、指摘事由を変更して検定意見を付すこととした。(検定意見35番)

  22-38:

・71頁の「アイヌ民族は、津軽半島をはじめ、東北地方にも移り住みました。」について、検定意見を付すこととした。(検定意見24番)

・71頁の「アイヌの人たちは、日本人をこのようによびました。」について、検定意見を付すこととした。(検定意見25番)

  22-39:

・46頁の「任那(加羅)」について、検定意見を付すこととした。(検定意見31番)

・調査意見35番については、指摘事項を変更して検定意見を付すこととした。(検定意見35番)

・125頁の「アイヌは、・・・シャクシャインを指導者とする反乱をおこしたこともあった(シャクシャインの乱)。」について、検定意見を付すこととした。(検定意見107番)

・136頁の「特に、ロシアは、樺太、千島、蝦夷地(北海道)にやってきて、先住者の日本人と衝突していました。」について、検定意見を付すこととした。(検定意見115番)

・233頁の「(右7-9行目)日本は、・・、中等学校の設立、共通語の設定など、・・行った。」について、検定意見を付すこととした。(検定意見205番)

 

 

 (以上)

お問合せ先

初等中等教育局教科書課