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人文・社会科学研究及び統合的研究の推進方策について(審議のまとめ)

平成12年11月28日
学術審議会学術研究体制特別委員会
人文・社会科学研究に関する ワーキング・グループ

 本ワーキング・グループは、平成11年6月の学術審議会答申(「科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進について」)における諸提言の内容も踏まえつつ、来年1月からの省庁再編による新たな行政体制の発足及び次期科学技術基本計画の検討状況も視野に入れた、人文・社会科学研究及び統合的研究の推進方策について、学術研究体制特別委員会としての基本的考え方を整理するため、平成12年5月に設置された。
 ワーキング・グループでは、これまでに5回にわたる会合に加え、2日間にわたる合宿集中審議や文書等による意見交換を通じた調査検討を精力的に重ねたところを、以下のとおりとりまとめたしだいである。
 平成11年の答申にもあるとおり、我が国が「知的存在感のある国」を目指す上で、人文・社会科学は自然科学と並ぶ重要な学問分野であり、その振興を図ることは喫緊の課題である。しかしながら、それは本文で詳述するように容易なことではなく、また、一口に人文・社会科学といっても、多様な学問分野が存在し、全体を一くくりに論じることには限界がある。したがって、この問題については引き続き検討が必要であることを強調しておきたい。

1.人文・社会科学の特性と課題

(1)人文・社会科学の特性

 我が国の人文・社会科学は、明治以来、非西欧社会の近代化のさきがけという、他に類を見ない立場に立ち、苦闘する者としての経験と実践の諸相や人間の様々な営みを、西欧から継受した学問に依りながら、見据え、分析し、思惟し、理論化する道を歩んできた。戦後は後述するような種々の問題を抱えながらも、欧米の学問との交流を深め、また非西欧圏の文化や社会にも関心の眼を拡げ、新しい次元を切り開いてきている。さらに昨今は、諸国の研究者と手を携えつつ、世界的な諸問題の分析に取り組む研究者の範囲も著しく拡大している。
 しかしながら、今日、世界的規模における激動的状況はますます深刻化・複雑化し、とりわけ科学技術の爆発的発展がもたらす負の影響は極めて深刻なものとなって、人類と地球の将来を脅かすに至っており、人類が英知を結集してこれに取り組まなければならない状況にある。
 この点、人文・社会科学への期待が著しく高まっているなかで、果たしてその期待に応えているか、応えられる用意があるか、という問いが投げかけられるに至っている。そして、このことが、今回、本ワーキング・グループが設けられた背景ともなっている。
 もちろん、人文・社会科学は可能な限りこうした要請に応えるべきであるし、改めるべきは改めなければならない。
 しかしながら、人文・社会科学には以下のような特性があり、自然科学のようなリニアな発展を求めるのには無理があるということを、前提として理解しておく必要がある。

1.人文・社会科学は「ことば」の学問であること

 物理学、数学等の自然科学系の学問は、基本的に方程式の形で成果が結晶していくのに対して、人文・社会科学は、「ことば」を媒体とする文化や社会を対象としており、成果も「ことば」を主たる媒体としていることが特性である。そのため、本来多義性やゆらぎを完全には免れない。

2.人文・社会科学は「解釈」の学問であること

 自然科学が、一般に自然現象の法則を見出すという「法則定立型」の学問であると言われるのに対して、人文・社会科学は、観察の主体と客体とが微妙に響きあう中で、様々な次元での解釈を積み重ねてゆく学問である。人文・社会科学においても、法則定立を目指す分野はあるが、実際になされているのは蓋然性の提示といった程度のものである。

3.人文・社会科学では「実験」が困難であること

 多くの自然科学では、研究に際して、厳密な条件設定を行い、様々な手段を講じ、対象をコントロールしつつ実験を行うことが可能であるが、人文・社会科学が対象とする人間・社会については、それをコントロールし、実験を行うことは困難である。上述の法則定立の難しさも、一つにはこの点と関わっている。

(2)我が国の人文・社会科学が抱える課題

 人文・社会科学がこのように自然科学と異なる特性を有していることを前提としても、例えば主要先進諸国と比較した場合、我が国の人文・社会科学は、以下のような課題を抱えていると言わざるを得ない。

1.細分化・蛸壺化による国内外を通じた閉鎖性

 我が国の人文・社会科学研究は、自然科学との間ではもとより、人文・社会科学内の諸分野間においてさえ、相互の対話と交流が乏しく、閉鎖的で、国際性が低いことは認めざるを得ない。国際発信がないわけではないが、それは個人の努力と資質に負うものが多く、一般には、学界全体での取組は貧弱である。
 これは、日本の近代的な学問が成立し、たどってきた道のある種の特殊性によることが大きい。即ち、専門化・細分化が進行した段階で、各分野ごとに外国のものを摂取したため、始めから横の広がりが乏しく、しかもそれが戦争の影響もあって学問的鎖国状態が続く中で自己増殖した。このため、欧米では共通の根と土俵をもっている諸学問が、日本においては用語すらも統一されていない例が少なくない。
 それを裏から証明するのは、例外的に、その後発性の故に、あるいは日本の特殊な学界状況の中で、孤立的な状態で成長せざるを得なかったが故に、外国でのトレーニングを受けた者が、学際的・国際的環境の中で発展させてきたような諸分野において、英文雑誌の刊行や海外雑誌への投稿が活発だという事実である。
 このことは、我が国の人文・社会科学にとって深刻な問題であり、大学教育や研究者養成のプロセスにおける抜本的な対策を要求するものである。

2.現実社会の諸問題への対応

 前述のように、人文・社会科学に対しても現実社会の諸問題への取組が期待されているが、その点で我が国の学界が十分な対応を示していないことは否みがたい。
 もちろん、このことについては人文学と社会科学を区別して考えなければならない。人文学は主として人類の精神文化の継承の次元での貢献が期待されるものであり、人文学者に対して、いたずらに現実的諸問題の解決への協働を求めることは適切でない。これに対して、社会科学は文字通り社会に生起する諸問題を対象とする学問であるから、現実的諸問題に無関心でいることが本来あり得ないのである。
 ただ、注意しなければならないのは、そこでは分野やアプローチの仕方の相違によって、取り組み方が一様でないということである。即ち、社会科学においては、大別して、観察者的立場からの分析型研究と現実への働きかけを重視する立場からの実践的研究ないし政策提言型研究があるが、前者の研究成果は通常社会に直接インパクトを与えない。しかし、両者はいわば基礎と応用の区別にも比すべきものであって、一般に後者は前者の諸成果を前提にしており、前者の研究の充実が後者の研究を促進し、その成果が社会にインパクトを与えるという関係にあるといえよう。
 我が国における問題は、この後者、即ち政策提言型研究の層が薄いということ、もしくは多くの研究者がこのタイプの研究に携わることに慎重ないし消極的だという点に求められる。
 もっとも、これについては次のような事柄を理解しておくことが必要である。過去の例に徴するならば、現実社会に対する学問の影響はむしろ大きい。ケインズ経済学や新自由主義学派の影響は実に大きい。いや、もっと、マルクス・エンゲルスの影響は国々の歴史を変えるほど大きいものであった。人類の歴史は、今の分類でいえば人文・社会科学系の「成果」によって、良くも悪くも動かされてきたといっても過言ではない。
 それだけに、人文・社会科学者、特に我が国の研究者の思考と行動においては、一般に政策提言型研究には慎重であるべきだという「自制」が作用しているということを理解しておかねばならない。また、提言が誤解されたり、「つまみ食い」されたりした経験から「自制」することも少なくない。
 そして、この「自制」の背後には、上述した人文・社会科学の特性からくる「自問」がある。即ち、政策提言というものは、たとえ観察・分析的研究を踏まえているとしても、ぎりぎりのところ、純粋に学問の名において主張しうるものなのか、それとも生の人間としての価値観や利害関心によるバイアスを免れていないのではないか、という点について良心的な研究者ほど「自問」するものなのである。
 他面、実際のところ日本の社会科学者の政策立案・策定過程への参画と貢献度は、一般に言われているよりはるかに大きいということも事実である。経済・財政・金融政策はむろんのこと、立法、行政、外交・国際協力等の各分野で、それぞれの研究者が関与していないものはほとんどないと言っても過言であるまい。
 問題は、その大部分が分析型研究者が個人として政策立案・策定過程に -前述のような「自問」を繰り返しながら- 参与しているケースだということである。その場合の研究者の活動は決して非学問的なのではなく、分析型研究の成果を踏まえた政策提言研究的な知的営為であることが多い。
 ただ、この場合の知的営為は学術論文の形をとらず、公的な提言や制度設計の中に融解した形をとっているのであって、政策提言型研究の論文・著書がまず書かれ、それが政策決定に取り入れられるというケースはあまり一般的ではない。
 思うに、このようないわば政策立案・策定に際しての知的営為はますます前述の「自制」を増幅し、本来の政策提言型研究への動機を抑制するという悪循環がここに見られるのではあるまいか。
 学術政策を論ずるに当たっては、このような構造的問題を認識しておく必要がある。一方で実際に政策立案・策定への関与という形で政策提言研究的な知的営為が盛んに行われ、他方でそれに対する「自制」と「自問」が繰り返される。しかも前述のように、後者はそれ自体不健全なものではなく、むしろ自然科学にも必要な要素である。
 重要なことは、仮にある研究が個人的バイアスを伴うものであっても、それが研究者同士の、さらに、より広い範囲のパブリックな批判と討論を通じて、次第に是正されてゆくものだということである。即ち、政策提言型研究の推進は、分析型研究の場合にも増して、パブリックな議論の場の設定・育成とその環境作りを伴うものでなければならない。
 このようなパブリックな議論の場へ、こうした政策提言のための知的営為の成果を引き寄せることによって、悪循環の構造は断ち切れるであろう。それは、現実に次々と生産されている成果を分析・批判し、次の政策決定過程をより適正なものへ誘導しようとするスタンスの研究を積極的に推進する方策を考究することに他ならない。それはまた、「自問」を常に繰り返しながら、政策提言型研究をパブリックな場へ発信するという、真のチャレンジ精神を学界の中に涵養し、過度の「自制」を抑えることになるであろう。

2.現代世界を見据えた人文・社会科学の構築を目指して

 いま人類が直面している諸課題は、とりもなおさず現代の人文・社会科学が直面している諸課題に他ならない。
 そうした問題が何であるか、ここに繰り返すまでもないが、いま人文・社会科学が取り組むべき問題を直截に示すために大別して示せば、およそ次の二つである。

(1)ボーダーレス化と多様性の噴出が表裏をなして進行する、激動の世界を見据える

 第一は、世界の激動的な、そして、ことばの真の意味におけるラディカルな変動をめぐる問題群である。この変動は、通常、グローバル化・ボーダーレス化ということばで語られるが、それは単純な単一化ではなく、「ボーダー」の中に閉じ込められていた、根底的な価値の問題を含む、様々な次元・形態での「多様性」の爆発である。それは、グローバル化によって触発されるとともに、そのグローバル化そのものの多様化・相対化を来す。世界の単一化と無限の細分化・個別化とが表裏をなして進行するのである。

 このような現象は、日々我々が、民族・宗教問題、難民・移民問題、それに伴う差別・殺戮・飢餓問題等として実感するところであるが、こうした問題は従来の人文・社会科学の個別のジャンルのこなしうる範囲をとうに越えている。研究対象の中に「ボーダー」を想定することに成り立っていた諸学問分野間の「ボーダー」は、今や世界の「ボーダーレス」化に直面するとき、無意味化するとともに、「多様性」の洪水によって崩壊する。恐らく、このような諸分野間の「ボーダーレス」化は、人文・社会科学の国別の「ボーダー」をも相対化するに違いない。「日本の人文・社会科学」、「欧米の人文・社会科学」、「アジアの人文・社会科学」といった表現自体がほとんど無意味になる日が来るのかも知れない。

 問題は、今、人文・社会科学の研究者が、この「ボーダーレス化」と「多様化」が一体となって爆発的に進行する世界の状況を直視し、それに取り組もうとするか否かである。人文・社会科学の振興政策の論議は、こうした取組を促すにはどうすればよいかをきっちり押さえたものでなければならない。

 このような意見に対しては、それでは諸学の体系は崩壊し、単なる「学際的プロジェクト」の寄せ集めが残るだけではないか、という批判が出るかも知れない。しかし、そうして「維持」された諸学の体系とは何なのか。端的に言えば、それはまさに「ボーダー」によって区分され、各々の「自己準則性」(俗な言い方をすれば「仲間内の決まりごと」)に従って(他からの干渉、他への引照なしに)「効率的」に現実を処理してきた「近代的システム」の申し子でしかない。諸学の体系は、一度こうした「自己準則性」を突き崩したところで再構築されるべきものである。

(2)科学技術の爆発的発展がもたらすものを見据える

 環境問題、人口爆発問題、エネルギー問題、医療問題、情報化と個人・社会、科学技術の倫理、等々、様々な問題が科学技術の爆発的発展のもたらした深刻な課題であり、これらの解決ないし緩和に向けて人文・社会科学が自然科学と協同して取り組まなければならない、ということはほとんど誰の目にも明らかである。
 と同時に、我が国の人文・社会科学の側でその要望に応える動きがあまり見られないという厳しい指摘がなされている。

 問題は、こうした指摘が、上述した人文・社会科学の特性への十分な理解を伴ったものであるか否かである。もちろん、これも上述したように、我が国の人文・社会科学には種々の問題点があり、これがそうした協働への障害になっていることは間違いない。しかし、この科学技術の発展と人文・社会科学のそれとの間の不均衡は、程度の差こそあれ、我が国に限られたものではなく、それ故にこそ、上述のような問題が地球規模で起きているのである。

 思うに、こうした科学技術の発展がもたらした地球規模の諸問題は、上述(1)の問題、即ち「ボーダーレス化」と「多様化」の爆発的な同時進行と裏腹のもの、少なくとも不可分の関係にあるものではなかろうか。科学技術が「ボーダーレス化」を促したことは明らかだが、他方「多様化」も科学技術に多くを負っている。マトリョーシカ人形のように、入れ子構造になった民族や宗教の「多様性」を世界中の目に曝したのは情報技術の革新であったし、「多様性」に可能性を与えたのも科学技術であった。

(1)の問題が人文・社会科学の「ボーダーレス化」と自己変革を促し、またそれへの取組の可能性を生み出すものだとすれば、科学技術の発展に起因する諸問題にも同じことが妥当するはずである。問題の本質に違いはない。ただ、後述するように技術的な壁の高さの違いがあるに過ぎない。

 重要なことは、人文・社会科学の研究者が、激動する世界を見据えることと同じように、科学技術の発展がもたらす諸問題を自分たちの問題として見据えるか、ということである。

 この点、我が国の学界状況や人文・社会科学研究者たちの活動を見る限り、事態は決して悲観的なものではない。「このままではいけない」という危機感が至る所に溢れている。問題は、それが種々の「ボーダー」によって遮られているというところにある。研究者たちは、それぞれの「ボーダー」の中で、求められるに従い、あるいは自らの問題意識から、その分野の問題として「現れた」(=認識された)事柄について、各専門の学問的遺産を駆使して対処しようと努力している。

 そして誰もが「これでは、どうにもならない」と実感している。問題は、その実感が「ボーダー」を越えて伝達され、共有されるに至っていない点にある。その個別的・散在的な危機感はどこかで一体化し、根底からの見直しが始まるに違いない。学術政策はいま、それを触発し、媒介し、促進する役割を果たすものでなければならない。

3.人文・社会科学の振興と自然科学との間の協働について

 本来、自然科学と違った特性から、リニアな発展を期待しにくい上に、閉鎖性・非国際性と現実社会への取組の姿勢の不足といった課題を抱える我が国の人文・社会科学について、その改善を図り、社会的に期待される問題解決への取組を促進するには、これまで指摘してきた諸問題への対応を考えればよい。

(1)人文・社会科学の特性と現状への措置

一.「ことば」の問題:

 人文・社会科学が日本の人間・文化・社会を研究対象の重要分野とし、当面日本語を媒体として行われる以上、日本語の問題が人文・社会科学振興の最も基底的要素である。思うに、これまで日本語教育には、こうした視点が乏しかったのではないか。情緒の表現をめぐる訓練に比べて、事物を可能な限り客観的・論理的、そして明晰に叙述する訓練はそれほど重視されてこなかったのではないか。 科学のツールとしての日本語教育に意を注ぐべきである。なお、これは英語教育についても共通することであるが、後述の国際性の項に譲る。

二.「解釈」の問題:

 「解釈」の訓練の決め手はない。「解釈」とは何か、という問題からして、古今の哲学者・法学者その他の人文・社会科学者たちを悩ましてきたのである。しかしはっきりしていることは、価値観が解釈にバイアスを与えるとしても、学問的手続に則った実証やパブリックの場での議論を通じて、相互にそれが明らかにされ、全体として是正されてゆくということである。価値相対主義の立場をとって、「解釈」の相対性を認めるとしても、その幅は限りなく狭めることができる。「解釈」の名に隠れて討論を拒否し、私的世界に立て籠もることは認められない。
 しかし、最終的に唯一の「解釈」に辿り着くことができる、あるいはそうなるべきだなどと考えてはならない。人類の歴史が示すように、唯一の「解釈」を標榜する者は必ず他を打ち倒そうとする。求めるべきは、複数の「解釈」の間の対話可能性である。

 対応策は、パブリックな議論の場の設定と、繰り返しになるが、議論の手段としての「ことば」の訓練である。また、学問的実証に資する情報基盤(データベース)の整備が求められる。

三.実験の問題:

 これに対する対応策は、ことの性質上、不可能に近いが、自然科学にも実験不可能ないし極めて困難な分野がある。むしろ、理科・文科を越えて、こうした共通の事情を抱える分野同士の対話こそが必要ではないか。これは後述する文理協働の問題である。

四.閉鎖性・非国際性の問題:

 前述したように、現実世界の諸問題を見据えた研究においては、閉鎖性・非国際性は自然消滅するであろう。しかしそうした研究を推進するためにも、当面何らかの方策は必要である。

 この点、最小限、しかも緊急に求められるのは、外国語(特に英語)教育の改善と研究者養成のプロセスにおける海外留学・研修の必須化である。議論のためのパブリックな場は、究極的には国際的でなければならない。英語教育の高度化は不可欠である。「外国語を知らない者は母国語を知らない」(ゲーテ)と言われるように、外国語の習得は日本語を研くことを意味する。本来「ゆらぎ」の大きい日本語を、人文・社会科学のツールとしての「ことば」に仕立て上げるためにも、外国語の習得は必要である。このことは、いわゆる日本研究についても例外ではない。そうでなければ日本研究は高度化しない。このままゆけば、日本人研究者は、少数の例外を除いて、世界の研究者のための「インフォーマント」でしかなくなる日もさほど遠くあるまい。

 海外留学・研修・派遣は語学の観点からも、国際学界との縁を結ぶためにも、さらに学問のディシプリンの高度化や後述する視野の拡大のためにも必要である。学部段階からポスドクレベルまでのどこかの時点での2年程度の研修を、原則として研究者養成のプロセスの中に必須の要素として組み入れるべきである。海外での学位取得を奨励することも考えてよい。

 また、学生が学部・大学院段階で一つのディシプリンしか学ばず、そこに囲い込まれる我が国の一般的な教育システムは閉鎖性と視野の狭さの温床である。複数専攻制の導入を真剣に考えるべきである。留学先もこの観点から選ばれるとよい。

(2)現代社会の諸問題に取り組む人文・社会科学研究の推進及び自然科学との協働促進の方策

 上述したように、人文・社会科学の研究者の多くは、現代社会の諸問題、科学技術の発展によってもたらされた諸問題への対応について無関心ではなく、むしろ個別的な取組は各所において行われている。繰り返すが、事態は決して悲観的ではない。「これではいけない」という危機感が「ボーダー」を越えて共有されるに至っていないこの現状に対して、有効な触媒が投じられれば、すぐにでも反応が起きるであろう。

 これへの方策は、要するに既存の諸分野間の「ボーダー」を取り払い、諸分野の研究者がそれぞれの危機感を共有しつつ協働して討議し、研究する場を、様々な形で提供することである。これを「学際的」という概念で捉えるのは不十分である。むしろ、学問の融合と言うべきものであろう。

 具体的には、様々な次元の方策が考えられる。

一.問題解決型研究プロジェクトの支援:

 科学研究費等における真の意味の「融合領域」の設定や分科細目の枠組み、運用面での改善等による共同研究の促進、シンポジウムの積極的支援

二.科学技術そのものを各分野協働して研究するプロジェクトの支援:

 いわゆる”STS”(Science, Technology and Society:科学技術と社会、あるいは Science and Technology Studies)等のプロジェクト研究の支援

三.関連教育研究組織・機関の支援・誘導・拡充:

 「学際的」なものを含めて、上述の目的に適合的な教育研究組織・機関の育成連携促進

四.学問の「ボーダーレス化」を支援する人材の発掘・養成:

 翻訳者(海外発信に当面必要)、プロジェクトマネージャーの養成

五.情報基盤(データベース)の整備:

 人文・社会科学にとってデータベースは、自然科学の大型観測・実験装置にも匹敵する重要性を持っている。各分野の資料のデータベースの体系的構築が必須である。

六.学問の「ボーダーレス化」を担うための研究システムの検討:

 一~五の各要素を的確に推進するコアとなるとともに、国内外の研究者を糾合したプロジェクト研究を行う研究システムの検討が望まれる。もちろんそのシステムには、研究の対象や手法の共通性等、種々の契機に即して諸ディシプリンの再編成・融合を推進する役割が期待される。

(3)人文・社会科学の振興に自然科学者が果たすべき役割

 上記のような様々な方策を講じて、人文・社会科学が現代社会が直面する課題に取り組む体制を整えたとしても、あるいは、それを整えるに際しては、自然科学者の側における特段の努力が不可欠であることを、最後に指摘しておきたい。

 科学技術の発展がもたらした諸問題を人文・社会科学と自然科学が協働するに当たっては、まず科学技術の側から問題の本質と具体的内容について説明がなされなければならない。科学技術は、自然の「ことば」とかけ離れた「方程式」という特別の言語を用いるものであるから、特に「自己準則性」が高く、普通人の手の届かないところで「効率的」に自己発展できるという特性を持っているからである。

 しかし、この方程式の形で結晶する科学技術の成果は、普通人に一旦「ことば」に翻訳して伝達され、その社会的意味について吟味を受けるべきものではなかろうか。これまでは、それを欠いたまま研究開発の成果が使用・応用され、モノや技術として社会に直接持ち込まれてきた。これが現在の状況を招いた根本的原因ではないのか。端的に言えば、自然科学者は一般国民に対してこの点での説明義務を負っている。人文・社会科学者との協働には自然科学者からの「ことば」による説明が不可欠である。

 言うまでもなく、この協働は、究極のところ、人間の尊厳、社会の安全、及び持続可能な発展といった理念に導かれた科学技術へという変革を目指すものに他ならない。その意味で自然科学の側が負う責任は大きい。もちろん、人文・社会科学はそれと手を携えて問題解決に努力する。また、これまで人文・社会科学が十分な対応を怠ってきた責任を回避するものではない。しかし、この古くて新しい理念に貫かれた科学技術の構築の実際の担い手は自然科学者であることを銘記してほしい。

 幸い、本ワーキング・グループの討議の過程で、自然科学の成果の意味を人文・社会科学の「ことば」と「解釈」を通して問い直し、新しい倫理・世界観の構築を目指す必要があるという認識が共有されるに至っている。

 上述した、学問の「ボーダーレス化」を担う研究体制を構築する気運は熟している、と断言してはばからない。

人文・社会科学研究に関するワーキング・グループの審議経過

平成12年

5月16日 学術研究体制特別委員会の下に「人文・社会科学研究に関する ワーキング・グループ」を設置
6月 6日(第1回) ○自由討議
7月18日(第2回) ○自由討議
8月31日~9月1日(集中審議) ○意見発表及び質疑応答
・人文・社会科学の特性
 蓮實重彦(東京大学長)
・現実の諸問題への対応
 薬師寺泰蔵(慶應義塾大学法学部教授)
 稲垣康善(名古屋大学大学院工学研究科教授)
・人文・社会科学研究の振興方策
 似田貝香門(東京大学大学院新領域創成科学研究科長)
 村松岐夫(京都大学大学院法学研究科教授)
9月26日(第3回) ○審議
・人文・社会科学の特性
・人文・社会科学の自然科学の協調・融合の在り方
10月25日(第4回) ○意見発表及び質疑応答
 葛西康徳(新潟大学法学部教授)
  ○審議
・人文・社会科学研究及び統合的研究の推進方策について-ワーキング・グループにおける議論の整理-(たたき台)
11月14日(第5回) ○審議
・人文・社会科学研究及び統合的研究の推進方策について(審議のまとめ)(案)

学術審議会学術研究体制特別委員会 人文・社会科学研究に関するワーキング・グループ

委員 池端 雪浦 東京外国語大学教授(アジア・アフリカ言語文化研究所)
主査 石井 紫郎 国際日本文化研究センター教授
  高橋 真理子 朝日新聞東京本社論説委員
  豊島 久真男 財団法人住友病院院長
  中村 桂子 JT生命誌研究館副館長
  蓮實 重彦 東京大学長
  薬師寺 泰蔵 慶應義塾大学教授(法学部)
  脇田 晴子 滋賀県立大学教授(人間文化学部)
  井村 裕夫 学術研究体制特別委員会主査
  末松 安晴 特定研究領域推進分科会長
会長 猪瀬 博 国立情報学研究所長(平成12年10月10日まで)
副会長 奥島 孝康 早稲田大学長
専門委員 稲垣 康善 名古屋大学教授(大学院工学研究科)
  似田貝 香門 東京大学教授(大学院新領域創成科学研究科長)
  村松 岐夫 京都大学教授(大学院法学研究科)
科学官 位田 隆一 京都大学教授(大学院法学研究科)
  勝木 元也 東京大学教授(医科学研究所)
  宮島 洋 東京大学教授(大学院経済学研究科)
  吉田 集而 国立民族学博物館教授

お問合せ先

研究振興局振興企画課

-- 登録:平成21年以前 --