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大学等におけるバイオサイエンス研究の推進について(中間まとめ)(学術審議会特定研究領域推進分科会バイオサイエンス部会 平成11年6月17日)

平成11年6月17日
学術審議会特定研究領域推進分科会
バイオサイエンス部会

 建議「大学等におけるバイオサイエンス研究の推進について」(昭和61年2月14日)が提出されてすでに13年が経過した。この間、建議に盛られた多くの見通しと、推進方策は、現在までのバイオサイエンスの進展をかなり正確に予見したものであった。しかし、現実の進展速度はきわめて速く、それに伴って新たに推進すべき研究課題も多く出現した。また、画像処理技術や新素材の発達は、解析機器を一変させ、コンピューターや情報科学などの展開は、バイオサイエンスの領域を拡大した。また、医薬品の開発や食糧の増産等に対するバイオテクノロジーの応用は、人類の福祉に貢献するに至った。一方、バイオサイエンスは、生物に普遍的に当てはまる原理の発見と、細胞操作技術の開発とをもたらし、これらが動物であるヒトに対しても適用できることから、人体やこころの領域を分子レベルから分析する手段を与えた。その結果、バイオサイエンスと人文および社会科学との接点も広く、且つ深くなってきた。とくにヒトゲノムプログラムの当初の目標であるヒトゲノムの全塩基配列決定を間近に控え、個別の遺伝子の解析から、全生物ゲノムの解析へと大きな展開がなされようとしている。ゲノム情報学が樹立され、さらにバイオサイエンス全般に亘る情報処理と生命原理発見を目指すバイオ情報科学が展開しつつある。
 このような事態に直面し、あらためてバイオサイエンスの特色と意義とを見直し、21世紀を目前にした現段階で再び将来を見通す「大学等におけるバイオサイエンス研究の推進について」の建議に向けて、中間取りまとめを行った。

1 バイオサイエンスの特色と推進の必要性

1.バイオサイエンスの特色

 昭和61年に出された建議においては、「バイオサイエンスは、20世紀後半に展開したDNAを基盤とした研究を従来の生物学の膨大な知識と結びつけ、分子、細胞、組織、個体、生態系に至るあらゆる生命現象を理解しようとする領域である」と定義した。
 また、「バイオサイエンスの特色は、生命現象の解析手段として、組換えDNA技術、細胞の形質転換技術および初期胚の操作技術、さらに細胞融合法や核移植法等の新たな操作的実験法によって、生物の重要な構成要素の働きを実験的に明らかにし、生物現象における普遍的な原理を追求するところにある。また、バイオサイエンスが、従来多数の分野に細分化していた生物系諸科学を、DNA研究を出発点として体系化させる方向に向わせつつある。」としている。
 今日も、生物現象を理解するには、遺伝子に還元し、素過程に分解し、さらにそれらを統合し、組み上げる必要がある。しかし、今日のバイオサイエンスには、13年前の定義が充分でなくなるほどの領域の拡大と深化とが認められる。その第一は、分子、細胞、組織、個体、生態系を貫いて機能するゲノムの働きの理解が必要であることが明らかとなったことである。第二に、生物現象の起こる各階層において、素過程を組み上げて生体機能や生物現象を構築するには、生体分子の物理化学的性質のみならず、ネットワークとして理解される相互作用の解析が重要となったことである。第三に、これらの時間的および空間的配置の解析や特異性の高い分子識別の原理の研究が必要であること。第四に、細胞間の認識や相互作用についても、また組織形成においても固有の法則が存在すること。第五に、個体間や、生態系においても、バイオサイエンスによる解析が有効になってきたこと。さらにバイオ情報科学の開拓などがきわめて重要となるなど、この数年間にバイオサイエンスの領域は拡大した。
 そこで、本建議では、「バイオサイエンスは、生物現象を素過程に還元することによって普遍的生命原理を解明し、そこに関与する生体分子の物理化学的性質を明らかにし、生物に特有な分子識別をはじめとする生体分子間相互作用を解析すること、および、生物現象を、分子、細胞、組織、個体、生態系などのあらゆる側面において検討し、各階層における普遍的生命原理と個別に存在する進化多様性の原理とを理解しようとする領域である」と定義する。
 したがって、バイオサイエンスの特色は、ヒトを含めた全生物種を通して普遍的な法則を見出し、基礎科学から、応用諸科学に至るまで、共通の基盤となる知識を提供することである。また生物現象を、バイオ情報科学的に解析し、個別に見える生物現象を、進化多様性獲得の観点から研究し、分子、細胞、組織、個体、生態系などのあらゆる側面において、実験的に検証しようとするところにある。

2.新たなバイオサイエンス研究手段の誕生

 地球上の生物の遺伝子はDNA(一部はRNA)を担体としている。したがって、遺伝子(DNA)の研究がバイオサイエンスの基礎となる。塩基配列を自在につなぎ合わせたり、合成するなど、実験に必要な遺伝子を手に入れる遺伝子工学の技術は、この15年間に急速な進歩を遂げ、キット化された。さらにPCR法の発明によって、プローブや、特定タンパク質の合成のための遺伝子が、容易に手に入ることとなった。
 バイオサイエンスにおいて重要な手段のひとつは、生体分子の分離精製である。生化学的な手段では難しかった遺伝子の単離が、遺伝子工学によって可能になり、加えて塩基配列決定の迅速化や大規模化、塩基配列情報の流通や生物種を越えた検索など、遺伝子の分析が大規模な情報をもとに可能となった。またタンパク質の分離精製法も進歩した。その分析法にも改良が加えられ、特異抗体の作製や、蛍光染料や生体蛍光物質の登場と、画像処理技術の著しい進歩とによって、特定のタンパク質の細胞内や組織での局在を定量的に解析できるようになった。
 このように特定の塩基配列やタンパク質分子が、いつ、何処で、どの分子と相互作用しているかを画像を通して解析する方法が確立した。分子の可視化をはじめとする画像処理分析技術の誕生である。
 さらに遺伝子の探索、機能解析、全ゲノムの塩基配列の決定などのための技術開発が、新たな目標設定を促し、目標の達成が新たな技術開発を促すという好循環が続いた。その間、ヒトゲノムプログラムが実行され、ヒトゲノムの全塩基配列決定の目標が、3-4年後には達成されようとしている。一方、微生物15種以上および線虫の全ゲノムの塩基配列が決定され、それに基づいた機能解析が始まった。ゲノム科学の誕生である。
 逆遺伝学の誕生も、遺伝子工学の進展によってもたらされた。マウスでは、遺伝子導入に留まらず、標的遺伝子の破壊や、標的遺伝子の変換を可能にするES細胞の開発が行われ、計画的に特定の遺伝子を変換した突然変異体の作成が可能となった。すなわち、これまでは表現型から得られていた突然変異体による解析(順遺伝学)に加えて、個々の遺伝子を基盤として突然変異体を作り、遺伝子から表現型を解析することが出来るようになった(逆遺伝学)のである。生物学の研究に於いて、遺伝学は生物現象の解析の基礎である。その基盤が、バイオサイエンスの進展によって逆遺伝学を誕生させ、生物学の研究を多様性のあるものにした。また、個体の遺伝子操作を基盤とする発生工学は、クローンヒツジを誕生させ、ゲノムの全能性についての新たな問題を提出した。脊椎動物では、すでにカエルで核移植による体細胞核の全能性再獲得が成功していた。しかし、哺乳類では、ヒツジが初めてである。クローンヒツジの誕生は、ゲノムの新たな潜在能力を知るきっかけとなり、全能性再獲得の条件や、移植された体細胞核から発生する個体がはたして体細胞核を提供した個体とまったく同一かどうかについての研究が始まった。一方、哺乳類での体細胞核移植による個体発生の成功は、ヒトへの応用を想起させ、バイオサイエンスの技術がもつ力をどのように用いるかという倫理的社会的に深刻な問題をも提起し、その研究も重要となっている。

3.バイオサイエンスの重要性

(1)生命現象の普遍的原理による理解

 個体は、発生、成長、成熟、老化し、やがて死を迎える。その間に生殖が行われ、親から子へとゲノム情報が伝えられる。個体は、ゲノム情報に基づいて形成され、代を経て受け継がれる多様な生体機能が、高度の秩序を保って整然と働く特異な物質系である。この特異な物質系に起こる現象を遺伝子に還元するだけでなく、分子、細胞、組織、個体、生態系に至るそれぞれの階層における素過程に還元し、それぞれに関わる分子を見出し、それらの間の相互作用を積み上げて生物現象を再び構築することによって理解することこそが、バイオサイエンスの視点である。如何に多様といえども、素過程だけを見れば、単純なことが、確実に繰り返されているのだから、普遍性の高い一連の法則が見出される。
 例えば、生体におけるシグナル伝達の過程をとってみても判るように、生体分子の相互作用の流れは、リン酸化の連鎖として解明されてきた。細胞によって異なるものの、素過程については、登場する生体分子の構造が明らかになると共に、正と負の微妙なバランスの上に立ったシグナル伝達の仕組みと原理とが明らかになりつつある。
 これらの原理は、生命現象の階層を越えて適用されるものと、階層に特有のものとがあることも判ってきた。これは、多様な表現型を原理的に解明しようとするバイオサイエンスの成果のひとつである。
 このように、バイオサイエンスは、種を越え、一見異なると見える生命現象を越えて、基本的な分子レベルから生物の原理を追求し、その原理を個別に当てはめてさらに深く生物を理解する所にあり、現在では物質諸科学や情報諸科学をも、生物学の観点から整理し直すことを迫る重要な自然科学となった。
 発生、成長、老化、生殖、行動など個体レベルの研究や、免疫、内分泌、脳などの高次機能の研究、さらにがんをはじめとする疾患の研究についても分子レベルでの研究が進み、人の病気の解明にも役ァっている。とくに、がん研究は、がんという病気を対象として研究が進められたが、得られた知識はきわめて普遍的なものが多く、バイオサイエンス研究の柱のひとつを形成した。また、他の領域や個人研究の中から、がんを見る新たな視点を加えて進められたことが大きな成功をもたらした。
 このように、日本人の生命観のひとつである常ならざるものとしての生命が、ゲノムという常なる存在の働きによって説明され、生命が非常時のストレスに対して応答し、恒常性を保とうとする装置がゲノムに組み込まれていることの大枠がバイオサイエンスによって明らかにされた。

(2)ヒトの生物学の展開

 医学研究は、バイオサイエンスを取り入れることによって、病気の原因の多くに遺伝子の異常が関与していることを明らかにし、根拠に基づく医療を目指す研究が始まった。ヒトの遺伝子多型の探索と病因遺伝子の探索、薬剤感受性との関係など、ゲノム研究の成果が直接医療の原点を変革する可能性さえ見えてきた。さらに、マウスに始まる胚性幹細胞の研究から、ヒトの胚性幹細胞の樹立が成功し、再生医学や、細胞移植についても、拒絶反応を心配しないですむ医療開発の端緒が開かれた。このように、人体の成り立ちや恒常性の維持、さらに精神を含むこころの座とその働きについても分子細胞生物学的研究の端緒が得られた。ヒトを対象とするこれらの研究は、とりもなおさず、自らの成り立ちから、自らが作ってきた文明や文化を自然科学的に理解しようとする流れである。したがって、当然、人文科学や社会科学との大きな接点をもつ必要にも迫られている。またバイオサイエンスのもつ生物改造の力は、ヒトと自然との関係を根本的に考え直す契機となるものであり、現在の地球が直面する環境破壊と人口爆発とによる食糧問題や医療問題を解決する鍵を握るものである。

(3)バイオテクノロジーの展開

 バイオサイエンス研究の進展によって、新しい産業の創生につながる様々なテクノロジーが生まれた。組換え遺伝子を使った耐病性の農作物や日持ちのするトマトの開発などの例が示す通り、バイオサイエンスの応用によって食糧増産や品質の向上が計られるなど、バイオテクノロジーは、産業にまで成長した。さらに、核移植による良質の肉牛の生産、生理活性物質の医薬品化、耐熱酵素の実用化など数々の製品が登場し、人類の福祉に貢献してきた。今後も、新しいタイプの医薬品を始め、食糧増産や、新素材の開発、生物材料による情報記憶装置の開発、さらに環境復元のためのバイオテクノロジーが発達するに違いない。さらに、植物のバイオテクノロジーが進歩すれば、太陽エネルギーの変換によるクリーンエネルギーの登場が可能であろう。
 組換えDNA産業に加え、最近はゲノム産業が米国を中心に大きな展開を見せている。
 組換えDNA産業と、ゲノム産業との違いは、前者に比べ、後者が圧倒的に膨大な情報量に依存していることである。ゲノムの構造と機能とを大容量で解析できるマイクロアレーやDNAチップが登場し、20年前の遺伝子工学の登場に近いインパクトをもつ新たな大情報処理時代の幕開けである。これは、タンパク質レベルの大容量解析へと展開されつつある。
 これらのバイオ情報は、バイオ情報科学の発達を促した。脳の計算原理の探求から、脳型コンピューターやバイオチップなどの開発によって、鉱物資源に依存しない計算機の開発も進められている。

4.今後推進すべき主要な領域

 バイオサイエンス研究の進展は、記載的であった従来の生物学を革命的に転換し、分子間の相互作用、とくに特異性の高い分子識別が生じる機構を解明し、現象を演繹的に構築する学問分野を形成した。このような基礎研究の転換は、これまで、個別的であった生物現象を、普遍的に理解する道を拓き、ひとつの原理の発見が、多くの分野での応用を可能にし、新産業の創出とまでいわれるバイオテクノロジーの発展につながった。
 そこで、基礎から応用に亘る広い視野に立って、研究すべき問題を的確に把握し、提示する必要がある。

(1)バイオサイエンスにおける基礎研究の推進

 バイオサイエンスは、生命現象や生物機能を素過程に還元するとともに、生体分子を組み合わせて、如何に対象とする生物現象を構築できるかを、普遍的な生命原理や法則を明らかにしながら進める学問である。したがって、研究は分子、細胞、組織、個体、生態系など広い階層に亘るあらゆる生物現象を対象としている。しかも、生物種を横断する普遍性の追求とともに、個別の生物における進化多様性の発達の法則をも追及する。

A)基礎生物学の研究

 生体の基本構造は、細胞である。細胞の増殖と分化、細胞死と細胞の生存についての研究は生物機能研究の基礎である。単細胞微生物では、全塩基配列が明らかとなり、ゲノムの構造と細胞分裂や分化の機能とがゲノム科学的に研究され始めた。また、がん研究は、細胞の異常増殖という観点から見た場合、バイオサイエンス研究そのものと位置づけられる。
 バイオサイエンスの研究は、多細胞体制の研究においても重要である。細胞間の相互作用に関与する因子が分かりかけた段階にある今日、形態形成やストレス応答などの生物現象を解く鍵として、益々研究を進めるべきである。
 ウイルスや微生物の研究は、生命現象の基本的な問題を解く上で重要である。酵母の突然変異体にヒトをはじめとする高等動植物遺伝子を導入し、突然変異を回復させる実験の成功は、酵母の遺伝子のうち分裂や生存など生命の基本に関するものが、ヒトをはじめとする高等動植物にも共通して存在することを示すものであった。このように、生命の基本システムは、多くの場合、単細胞微生物から、高等生物に至るまで保存されており、ゲノムの複製、DNA複製、組換え、修復、転写の制御、翻訳の制御など基本的な個体維持システムと、種の保存システムの研究は、微生物で徹底的に研究される必要がある。
 さらにバイオサイエンス研究の推進に当たっては、生体を構成する基本的構成分子を、物理学的、化学的に研究することが一層必要である。分子構造解析技術の著しい進歩や、分子を可視化し、電子ピペットで操作する方法の開発等によって、分子間相互作用を新たな観点から研究できるようになった。この際、やむを得ず生体から離れて、分子間の相互作用として解析が進むので、常に生命現象を意識し、自覚しながら研究が推進できる環境が重要である。
 また解析技術の開発もきわめて重要である。画像処理、生体高分子の構造解析、微量定量法、単一分子の可視化、結晶法の改良など、これまでに開発された技術がもたらしたバイオサイエンス分野での成果を考えればその重要性が分かる。技術開発は、このように、それぞれの研究対象のなかから、目標に応じて行われるものである。
 さらに、分子から生態系に至る各階層において得られた情報は、全生物を見渡しながら、生命原理の発見につながるものであることから、バイオ情報科学が重要である。
 バイオ情報科学なくしては、今後のバイオサイエンスの総合的展開はあり得ない。

B)ゲノム研究

 バイオサイエンスにとって、ヒトゲノムばかりでなく、全生物種を網羅するゲノム 研究の推進が緊急且つ重要な課題である。ゲノム研究の領域は、きわめて広く、莫大な塩基配列情報の生産が前提となることが特徴である。またヒトゲノム研究においては、個人を知る情報として、ゲノム情報は、きわめて正確且つ膨大なものである。これは、人類社会が初めて経験する巨大情報であり、これに対応する社会的な準備がなされていないことなど、推進に当たっては人文社会科学的観点が必要である。本研究は、きわめて広い分野に亘ることから、推進方策の項で、詳しく述べる。

C)脳研究

 脳は、21世紀のバイオサイエンスの最大の研究対象のひとつである。多種多彩な細胞からなる脳は、進化的にも最も発達した組織のひとつである。したがって、進化的な観点から、系統発生学的な脳研究が今後益々効果的となる。
 また脳研究は、ヒトの自然科学的理解において今後とくに重要と考えられる課題のひとつである。分子生物学的、神経科学的な研究の延長上にある脳研究だけでなく、こころの座とその働きに注目するなら、従来の研究分野に加えて、生物行動、精神心理学、理論脳科学などの研究を推進すべきである。一方、これまでの研究の発展として脳の構造、神経の構築の詳細、記憶や学習、知覚、情動、認知、脳・神経疾患などの研究や、これらを制御する分子や構造の研究が益々必要である。

D)進化・多様性の生物学およびマクロな生物学の研究

 バイオサイエンスの新たな知識や技術を用いることによって、近年では個体群や生態系などの集団レベルにおいても、数億年スケールの生物の進化の研究が行われるようになり、分子生態学や分子系統学のような新しい領域が急速な発展をみせている。
 また同種個体間や、動物、植物、微生物など異種生物の間の認識、相互作用、動態などについての研究が盛んに行われている。今後はこれらの研究を、集団や個体レベルだけでなく遺伝子・分子レベルまで掘り下げて追求し、ダイナミックな生態系を支配する原理を究明する必要がある。
 さらに、脊椎動物だけでなく、無脊椎動物、原生生物、菌類、細菌などの多様な遺伝子やゲノムの構造が解析され、その機能を解明する研究が行われている。生命の統一的理解のためには、共通原理の解明と同時に多様化の原理が平行して研究される必要があり、進化生物学や集団遺伝学においては、わが国が世界に大きく貢献してきた分野でもあることから、とくに、今後もさらに多様な生物でのゲノム研究の推進と、その成果を取り込んだ進化機構の解明を推進すべきである。
 一方、生物進化や多様性は環境との関わり抜きには理解できないので、生態系や集団遺伝学との接点を拡げ、研究を深めていくことが重要である。

E)発生および再生の研究

 発生現象は、受精卵から個体に至る形態形成において、継時的な秩序ある転写因子の発現によっていることが明らかとなった。形態形成に固有の転写因子の発見は、突然変異体の単離をはじめとするバイオサイエンスの還元的手法と、細胞質因子による遺伝子制御の解析から明らかにされた素過程の構築による総合的理解の結果といえる。
 また形態形成の理解は、個体の構造と機能とを理解する上で最も重要なもののひとつであり、細胞の分化や増殖は、環境への適応やストレス応答とも密接に関係しており、これらを総合的に理解する必要がある。
 発生現象の重要性は、植物においてもきわめて重要である。植物は、細胞から個体を発生させることが出来ることから、発生学研究に於いて動物よりも優れた実験系が存在する。さらに、シロイヌナズナやイネや藍藻のゲノム解析においては、日本が大きな貢献をしてきた。これらの情報を基礎に今後一層の展開が期待される。
 また発生過程を研究する際の視点として進化的な見方が有力であり、進化多様性の観点からの発生学研究も推進すべきである。

F)ヒト疾患の研究

 ヒト疾患の多くが遺伝子の異常に起因していることが分かり、疾患の研究が遺伝子機能の研究といえる局面が多く現れてきた。すなわちヒトの疾患に関する研究も、バイオサイエンスの視野の中で大きなもののひとつとなった。がん研究に於いては、がん遺伝子の研究を始め、バイオサイエンスの基礎的分野が総力を挙げてその機構を攻めつつある。また神経系、免疫系、循環器系、内分泌系などもそれぞれに固有の生体分子が発見され、遺伝子の制御による治療法の開発が進められた。一方、疾患に冒された細胞や臓器を移植、あるいは本来の組織や臓器を再生させる研究も盛んに行われ始めた。今後は、特定の組織や臓器の幹細胞の研究や、再生の研究が、重要である。
 その際、ヒトの胚や細胞を研究に用いることも技術的に可能になることから、研究の推進に当たっては、人体やこころの問題に関して、直接人に影響することを考慮し、社会に公開し、同意を得ることが重要である。

G)食糧問題・環境問題とバイオサイエンス

 20世紀の人口増加と工業化は、先進国における一見豊かな生活をもたらしたが、一方で地球上の資源の枯渇が危惧される事態を招き、急激な地球環境の破壊を引き起こした。ヒトが自ら多くの破壊を行ってきたせいとはいえ、ヒトを取り巻く環境は、このように憂慮すべきものとなっている。
 これらの大きな問題を解決することが、21世紀を迎える人類、とくにわが国をはじめとする先進各国の最大の課題のひとつである。その際、人類の生存を支える食糧を確保することは、何よりも大切である。植物のバイオサイエンスは、この10年間で大きな進歩を遂げ、わが国の研究者もこれらの進歩に貢献してきた。植物の細胞からは、個体を再生することが比較的容易にできる利点を活かして形質転換技術が進歩し、収量、品質、耐病性、耐虫性、ストレス耐性などの遺伝子を導入した植物が作出され、一部は実用化段階に入っている。また、家畜への有用遺伝子の導入や、魚類をはじめとする海洋(水圏)生物の遺伝子操作も行われ、21世紀の食糧確保への努力がなされている。一方、難分解性のプラスチック類を分解する微生物の遺伝子を利用した環境浄化法など、生物のもつ潜在的な機能を活用する研究も盛んになってきている。また、近年の環境の激変により地球上の生物多様性が急速に喪失しつつあるが、遺伝情報の解析によって多様性を評価するとともに、生態学とバイオサイエンスの連携によって生物保全のための科学を樹立する必要がある。衣食住の資源となる動植物を確保し、環境を保全し、修復するためのバイオサイエンスを、強力に推進してゆくことが必要である。
 一方、遺伝子を改変した植物や微生物を野外生態系へ放すことが与える環境への影響や、それらが一般の国民の食卓へ並ぶことの是非については、今後も充分な検討が必要である。

H)バイオ情報科学の研究

 膨大な量のゲノムの塩基配列情報や、塩基配列と対応する機能情報などが明らかとなった。これらの情報は、データベースに溜められるだけではその価値は低く、機能予測をはじめとする情報探索、情報抽出、知識発見などの高度のインフォーマティクスがあって初めて本来のバイオサイエンスの期待に応えるものである。現状は、データベースの構築や検索のための情報技術においても、遺伝子機能辞書、タンパク質辞書、機能分類辞書、ネットワーク辞書などの構築技術においても不十分である。
 バイオ情報科学には、パターンを分類し、類型を認識できるプログラムを始め、膨大なバイオ情報に隠されている知識を発見するプログラムの開発など、バイオサイエンスにとって本質的な役割が期待される。
 このように、今後のバイオサイエンスの創造的展開には、バイオ情報科学への急速で層の厚い取り組みと展開とが不可欠である。
 以上の例は、現在我が国が当面する課題の解決のために重要である。したがって、個別の対策を充分に行うことはもちろん、普遍性の高い生命原理をバイオサイエンスの手法を用いて研究し、根本的解決法とともに、自然や生物に対する新しい見方を提示することが重要である。

(2)バイオテクノロジーの推進

 バイオサイエンスによって発見される普遍的原理や、そこに働く遺伝子および遺伝子産物が、すぐに、病気の診断、医薬や農薬の開発、あるいは農林および海洋(水圏)における有用生物の育成などにつながる研究となっている。しかも、ゲノムの情報は膨大であるが有限であり、早く情報を得たものが、利益を得る可能性が高く、しかも医薬品開発や有用生物の育成などは人類共通の公共的財産であることから、各国が競ってバイオ産業の育成に乗り出した。
 さらに、バイオ情報科学は、今後のバイオサイエンスを展開していく上で不可欠であることから、各国が競って研究を始めている。我が国においても、情報の処理にとどまらず、塩基配列情報と機能解析のデータとを情報学的に計算し、生物の機能予測を可能にすることが緊急に必要である。また、そのためのテクノロジーの開発は、バイオサイエンスによるソフトの開発を重点的に進めながら、一方ではコンピューターのハードの開発においても発展が望まれる。
 今後は、バイオ情報科学の研究者がバイオサイエンスを学び、バイオサイエンスの研究者が情報学を学ぶことによってお互いに共通言語を獲得し、新たな分野を開く必要がある。
 我が国においては、平成9年8月に「ライフサイエンスに関する研究開発基本計画」が内閣総理大臣決定され、バイオテクノロジーに関しては、国策として関係省庁が連携して取り組もうとしている分野のひとつである。加えて、バイオテクノロジーが21世紀の経済社会に大きなインパクトを与えるものとして戦略的に極めて重要であることに鑑み、平成11年1月には「バイオテクノロジー産業の創造に向けた基本方針」が、文部省、科学技術庁、厚生省、農林水産省及び通商産業省の5省庁の閣僚申合せとして策定された。
 このように国策としてバイオテクノロジーの推進が挙げられているが、大学等ではバイオサイエンスの推進を前提に、全体の推進方策に一体となって協力すると共に、次世代のテクノロジーの種となるような原理的な研究を推進することこそ、大学等に与えられた使命である。
 このほか、ゲノム研究や脳研究については、別枠で、科学技術会議のもとに各省が連携して研究の推進に努める枠組みが作られているが、さらに連携を強化する必要がある。

5.バイオサイエンスの推進と社会教育および社会との接点

 バイオサイエンスは、生命現象の原理を明らかにすることによって、生物学に革命を起こすと共に、自然科学の諸分野に大きなインパクトを与えてきた。生命原理の発見は生物を実験的に研究した結果であるが、その結果が普遍的であればあるほど、ヒトへの直接の適用が可能となる。実験的な目的で行われる生物改造も、その成功が人体改造に直結する意味を持つ。さらに、自然界の生物全般への適用の可能性が広がってくる。
 この新しいバイオサイエンスの発展は、ゆっくりとした進化に基づき生物の多様性を維持してきた自然と人間との共存関係にも影響するものと思われる。数百年をかけて緩やかに変化し、それに数代をかけて適応してきた人類の文化に対しても、きわめて短時間に変革を求めるという慌ただしい時代が到来した。
 バイオサイエンス研究のもつ力を充分に理解し、その展開を誤らないためにも、成果を公開し、安全性はもちろん、倫理的社会的問題を公開することが重要である。その前提として、バイオサイエンスが、生命科学の基礎知識を必要とする先端的な領域であることを認識し、理解不足によるいたずらな不安や、無用な誤解を避けるために、国民に基礎知識を伝えることが重要である。そのためには、研究内容等を分かりやすく伝える努力が必要である。とくにマスメディアの影響力を考慮して、メディア関係者への正確で分かりやすい情報の伝達を行うべきである。
 科学技術創造立国を目指し、知的存在感のある国を目指す我が国では、国民の知的レベルを高く維持することが重要であり、生命に関する研究は、最も身近な問題を提起するものであることから、バイオサイエンスおよびバイオテクノロジーの推進に当たっては、国民に分かりやすい基礎知識の説明と情報公開とが不可欠である。

2 大学等におけるバイオサイエンス研究の推進方策

1.研究推進体制の整備充実

(1)バイオサイエンスの教育研究体制について

 我が国の大学におけるバイオサイエンス研究は、医学、薬学、理学、農学等の学部・学科、大学共同利用機関、大学附置研究所等によって担われているが、近年、生物学の革命的展開をもたらしたバイオサイエンスに対応する教育及び研究体制とは言い難い状況と言える。バイオサイエンスを先導してきた成果を見れば、本邦からも独創的で、生物学に新たな側面を加える研究が数多く出されている。なかでも、形態形成に於いて本質的な役割をしている細胞接着分子の発見と研究は特筆すべきものである。
 またアポトーシスの分子機構の解明により、死の化学とも呼べる領域が開かれた。単分子の可視化や、人工染色体の構築にも成功し、生体の構築や、分子間に働く相互作用について新たな視点を提出した。その他にも、多くの成果によって、バイオサイエンスのいくつかの分野では世界をリードした。
 このような独創的で豊かな成果を目の当たりにしながら、しかし全体的には立ち後れも目立っている。すなわち、これは育てるべき才能のある学生や大学院生を受け入れるだけの教育制度と、研究者養成制度とが十分整備されていないことを物語るものである。因みに、米国では、MITとCITとが、近年、生物学とくにバイオサイエンスをすべての学生に必修とすることを発表した。生物諸科学を学ぶ学生数を比較すれば、日米の差は、学生で20倍以上、大学院生で4倍以上の差が存在する。これは、米国における、これまでの物理学的世界観から、一転して生物学的世界観重視への展開を予測させるものである。その際、バイオサイエンスは教育研究の根幹をなすものとして捉えられている。
 したがって、我が国においても、研究者が若い時代から生物学的世界観を身につけ、知識を積み重ね、自ら問題を発掘するには、視野の広い生物諸科学の教育を初等教育に遡って行うべきであり、高等教育のなかのひとつにバイオサイエンスを系統的に教育する体制を整備すべきである。
 これらの体制の整備は、学問分野の発展段階や、種類によって大きく異なっている。
 とくに急速な発展を続けるバイオサイエンスにあっては、固定化された研究組織の硬直化が招く様々な問題について、すでに多くの研究者から指摘されている。したがって、バイオサイエンスを中心とした研究組織の重点的整備や再編成、新たな組織の構築、これらに伴う重点的研究資金等の投入、これらのための事前・中間・事後評価システムの確立等の実現に向けた具体的な検討を早急に行う行うべきである。さらには、産学の連携・協力による世界に開かれた先進的研究体制の形成について、検討する必要がある。

(2)研究支援体制の整備について

 大学等における研究支援体制の整備は、施設の設置によって行われてきた。バイオサイエンスと関連が深い施設として、多くの大学に次の施設が整備されてきた。

1.遺伝子実験施設
2.動物実験施設
3.生物遺伝資源センター
4.ゲノム解析センターおよびゲノム情報センター

 遺伝子実験施設は、遺伝子工学の普及に本質的な貢献をしたが、その急速な普及と実験のキット化の流れによって、新たなタイプの実験施設や、大学による特色を備えた施設として整備する必要がある。また、動物実験施設も、遺伝子操作動物の莫大な増加による施設のスペース及び労力が対応しきれず、各所で整備・拡充要求が起こっている。また、胚バンクなどの現代的な対応も必要となった。さらに生物資源の散逸を防ぐとともに確保と活用を図る目的で作られた生物遺伝資源センターも現代の急速な資料の増加及び全生物種の維持に対応できているとは言い難い。
 近年整備されたゲノム解析センターやゲノム情報センターでさえ、研究の爆発的進歩に必ずしも対応できているとは言い難い状況となっている。
 これらの施設は、急速なバイオサイエンスの発展に促され整備されたに拘らず、すでに見直す必要のある施設も出始めている。バイオサイエンス研究推進の観点から、研究組織の再編成に併せて、施設の再編成、廃止転換等、将来を見通した施策が必要である。
 その際、ゲノム機能解析の重要な資源である突然変異体の収集と供給の体制が、数多くの生物種に必要となると予測される。マウス、ラット、ゼブラフィッシュ、ショウジョウバエ、線虫、酵母、シロイヌナズナなどバイオサイエンス研究の基本となる材料の活用体制の整備が必要である。
 また、近年とくに著しい発展を遂げている分野として、実験に用いる資材の開発がある。急速に多種で多彩になり始めた標準標本や生体材料の確保、ベクターや実験に用いる色素の開発と供給など、バイオサイエンスの研究に共通に用いられる資材の確保が、緊急の課題となってきた。これらの資材の生産や確保は、技官や研究補助者の配置の実状から見て、必ずしも大学等で行うことが難しい場合も多い。したがって企業が負担するリスクの高いものについては、大学等の施設を通して支援するが、やがて企業に移すことを検討する必要がある。

(3)産官学連携について

 バイオサイエンスの展開は、新産業の創出を促し、人類の福祉に貢献すると期待されている。大学等で行われる研究は必ずしも新産業の創出に直結するものではないが、新たな原理の発見は、動物であるヒトにも当てはまり、医療の改善に貢献することが多い。また環境の改善や、食糧の増産などを通しても、産業の育成に寄与することになるものと考えてよい。さらに、産業化され、情報が流通すると、新たな応用の局面が開かれ、基礎的な研究が必要になる。このような好循環にあるのが、現在のバイオサイエンスの特徴のひとつであり、国策として全体を見据えた柔軟で見通しのよい行政からの調整が重要である。この際、大学等では、教育と研究を通じて人材を育てるという観点から連携すべきであって、そのための教育体制や研究体制の整備について充実を図るべきである。

(4)国際貢献と競争について

 バイオサイエンスは、直接、人体に関わる面をもち国境を越えて共通の基盤を提供することから、国際協調が最も必要とされる分野である。しかし、限られた情報資源から産業を創出しようとすれば、当然早いもの勝ちの競争になる。その結果、最も早く多くの情報に接することが競争に勝つことであると共に、国際貢献につながることになる。この矛盾する協調と競争をバランスよく展開し、国際的に信用を得ることが重要である。また、文化的な相違をお互いに重視しながら、倫理的社会的な了解が必要な医療や食物の安全基準等についても協調する必要がある。しかし多くの局面では協調と競争とが混在して進展していくものと考えられる。何れも、今後の国の経済を逼迫させかねない問題を含んでおり、バイオサイエンスを積極的に用いると共に、バイオサイエンスによる人間の理解を根底にした日本の文化に根ざした、様々な選択を行なうべきである。国益を誤ることのないようにするには、国民の教育の程度を高いものにしておく必要がある。その意味で、マスコミを始めメディアの役割と責任はきわめて大きい。

2.バイオサイエンスの分野別研究の現状と課題

 前章において、今後推進すべき課題として
 A)基礎生物学の研究
 B)ゲノム研究
 C)脳研究
 D)進化・多様性の生物学およびマクロな生物学の研究
 E)発生および再生の研究
 F)ヒト疾患の研究
 G)食糧問題・環境問題とバイオサイエンス
を挙げ、その重要性と推進すべき理由とを述べた。
 ゲノム研究、脳研究およびがん研究については、特定研究領域推進分科会報告等による推進方策が提出されていることから、これら3分野について以下述べることとする。
 他の項目についても、具体的な推進方策が今後早急に建てられるべきである。

(1)ゲノム研究の現状と課題

 ゲノム研究の進展は、生命の設計図の解読というだけに留まらず、生命の起源や進化の理解にも革命的な展開をもたらした。
 ゲノム研究は、生物の全遺伝情報を基盤にして、細胞、個体、種としての生命の全体像を明らかにするとともに、地球上の生物の多様性と進化の法則の解明を目指す新しい科学である。この成果は生物科学と情報科学が融合したゲノム科学という新しい科学を創造し、医学、薬学、農学等の基盤となって、医療の改革、食糧問題の解決、新しい産業の創出、地球環境の維持につながるなど、21世紀の社会を支える重要な領域である。
 こうしたゲノム研究の重要性を認識し、欧米主要先進国及び日本において、ヒトゲノム解析プロジェクトが1990年初頭より国際協調のもと、国策としても取り組まれている。解析は当初の予想を上回る速度で進展し、10数種類の微生物、1種類の動物のゲノム配列が決定され、2003年にはヒトゲノムの全配列が決定される予定である。さらに多くの生物学的、あるいは産業的に有用な生物種についてゲノム配列決定プロジェクトが進行、あるいは計画されている。一方、すでに生産された膨大な量の情報を基盤に実験的、情報科学的な機能解析が進み、ヒトの遺伝的な多様性、各種疾患原因遺伝子の解明、微生物の多様性と進化の解明、動植物の発生分化および有用形質を支配する遺伝子の解明など、ゲノム解析が優れた成果を上げている。このような状況はゲノム研究がバイオサイエンスの全分野を支える重要な研究であるとの認識を深めている。
 ゲノム研究はゲノム配列と網羅的な機能解析によるゲノム情報の生産(基盤研究)とゲノム情報を基盤にした独創的なゲノム生物学とゲノム情報科学(基礎研究)及びゲノム情報を基盤にした医学、薬学、農学等の応用研究に大別される。基盤研究は従来の生物科学分野にはみられない、プロジェクト性が高く、研究者と多くの技術者が協力して行う作業の多い研究であり、大学等の枠をも越えた、集中的な組織と施設によって効率的に推進する必要がある。
 一方、ゲノム科学の創造を目指した基礎研究とその成果を社会に還元できるような応用研究は基盤研究と連携を保ちながら、大量に生産された情報を基盤にして、個別的で、独創的な研究を大学等において緊急に推進する必要がある。
 ゲノム科学は、バイオサイエンスから生まれる領域とみることもできるが、同時にバイオサイエンスの根底を形成する領域とも見なすことが出来る。したがって、バイオサイエンスのあらゆる分野に浸透させるために、研究推進のための特段の支援と研究者、とくに情報研究者の養成が緊急に求められる。
 この実現のためにも現在大きく不足している人材の活用のためのポストの増大を推進する必要がある。

(2)脳研究の現状と課題

 脳研究は、ヒトのこころの座とその働きを解明することを究極の目標とする21世紀のバイオサイエンスに残された最大の学術的フロンティアのひとつである。
 こうした脳研究の重要性に鑑み、平成9年3月に学術審議会バイオサイエンス部会において「大学等における脳研究の推進について」の報告書が取りまとめられ、脳研究の現状と課題を分析した上で今後の推進方策を提言した。
 我が国の脳研究は、大学等の医学系の講座や研究所・研究施設等を中心に推進され、脳の基本的な機能分子、認知や記憶などの高次脳機能の解析、ヒトの遺伝性神経・筋疾患の遺伝子解析においては、世界に誇れる研究が行われていると報告された。しかし、多くが大学や研究所の個々の講座や研究部門などの小さな単位の研究チームによって行われており、欧米諸国で見られる複数の研究分野の力を結集した研究や学際的な研究への研究費の重点的な支援が行われていないと指摘されている。
 このため、科学研究費補助金特定領域研究に「脳研究の総合的推進に係る研究」(総合脳)が設定された。

  1. 脳研究の総合的推進に係る企画立案及び人材養成と教育の観点からのトレーニングコースの教材開発・教育プログラム開発の実施
  2. 早急に取り組むべき先導的研究や我が国の若手研究者の新しい発想により今後大きく発展することが見込まれる萌芽的研究の探索
  3. 人材の確保や研究者間の幅広い交流など着実な取組みを促進するための研究推進ネットワークの形成
  4. 実験動物や病理標本等の研究基盤の整備についての調査研究等を行うこととしており、その成果が期待されるところである。

 さらに脳研究は、きわめて学際的であり、ハエやサカナなどの脳研究や進化的に人の脳機能までを研究する分野から、ほとんど生き物を用いない理論脳科学や脳型コンピューターの製作を目指す研究まで裾野が広く、一見バイオサイエンスの範囲を超えた分野も含んでいる。しかし、バイオサイエンスの考え方である普遍的原理の発見と、それに基づく生物現象の構築という観点から見れば、このような分野についても包含して行くべきであり、これらの分野から新たな展開の端緒が開かれるものと期待できる。

(3)がん研究の現状と課題

 がんは、昭和56年以来、我が国の死亡原因の第1位を占めており、ほぼ3人に1人ががんで亡くなっていることから、がんの克服は国民が共通して願う課題の1つである。
 このため、昭和59年度に「対がん10カ年総合戦略」が策定され、文部省、厚生省及び科学技術庁による新たな研究体制が発足し、がんは複数遺伝子の変異が原因で起きることが明らかになるなど、がんの本態解明につながる研究が大きく進展した。
 その中にあって、大学等におけるがん研究は、科学研究費補助金特定領域研究に「がん特定研究」が設定され、研究が推進されており、その成果が期待される。
 これをバイオサイエンスの観点からみれば、がんという病気に研究の焦点を当て、その本態解明に取り組んだ結果、多くの分野がバイオサイエンスの発展に重要な貢献をした。また、がん研究を標榜してこなかった基礎生物学研究をがん研究に引き入れ、がん研究をバイオサイエンスの最も先端的な領域にした点で、今後も期待されるものである。

 以上述べてきた分野は、いずれも学術審議会特定研究領域推進分科会において、とくに重要課題としてこれまで取りあげてきたものである。何れも、現在においてもなおその推進の重要性は減少しておらず、むしろこれらの分野の推進によって、裾野の広い基礎研究が展開されるものと期待される。

3.科学研究費補助金

 科学研究費補助金は、大学等の研究者の独創的・先駆的な研究を支援する競争的研究資金である。近年、未来開拓や戦略的基礎研究などを始め、特殊法人への出資金を活用した多種多様な研究費が大学等の研究者にも配分されるようになった。これらの多くは、プロジェクト研究に配分されており、目的達成型の大型研究資金である。
 一方、科学研究費補助金は、個人の発想に基づく純粋学術研究に対して支援するきわめて重要な競争的研究資金である。バイオサイエンスは、プロジェクト研究の側面をもつものもあるが、その多くは基礎的研究であり、なによりまず科学研究費補助金の拡充を図ることが不可欠である。
 バイオサイエンス領域においては、未開の分野が広く存在し、若い研究者の好奇心と冒険心とを自由に開花させる研究支援が必要である。我が国においてはとくに科学研究費がその役割を果たすことが望まれている。そのためには、若い研究者を発掘し、公平な評価のもとに自由な研究の展開が出来るよう、研究の動向と人材とを常に検討しておく必要がある。
 科学研究費補助金については、その拡充とともに制度の改善についても近年逐次図られてきているが、今後とも研究者の意見等も踏まえつつ、研究費の使途範囲の拡大・弾力化等について積極的に検討していく必要がある。
 さらに我が国が科学技術創造立国を目指していることに鑑み、我が国の科学技術研究費全体の効果的な配分による調和のとれた研究推進を図る観点から、省庁間での連携協力と調整を図る必要がある。したがって他省庁の研究費による研究と文部省科学研究費補助金による研究との連携体制についてもなお一層検討してくことが望ましい。

4.人材の養成

 バイオサイエンスの進展は、才能豊かな人材によってなされてきた。しかし、当然ながら、生物諸科学は、きわめて多彩で多様性に富み、様々な切り口から普遍的な原理の解明に到達しうる。したがって、広い視野をもち、好奇心にあふれた人材を、幅広い分野で養成していく必要がある。そのためには、初等教育から、大学教育、さらに大学院の教育まで、なるべく多くの若者に門戸を開いておく必要がある。また、将来バイオサイエンスの教育を生かして社会に貢献できる職場を開拓する必要がある。
 世界の中で我が国の製造業が占める地位は、電気、機械、自動車等の業界に比べ、化学、薬品等の業界が弱いことを反映して、バイオサイエンス分野の研究者は大学に約6割が集中している。今後益々大学等への期待が高まるものと予測されるが、一方では、産業の育成を通して、これらの人材が社会で活躍できる場を創出していくことが重要である。
 また、バイオサイエンスは、他の研究分野と比較して未解明の領域が多く残されていることからも、独創性のある若手研究者への支援が不可欠である。優れた若手研究者が自由に研究課題、研究指導者、研究場所を選んで研究に専念できるようにするフェローシップ制度は、研究者養成に大きな役割を果たしており、今後ともポストドクターの活用及び支援を図っていくことが重要である。
 我が国のバイオサイエンスの研究水準は、国際的な水準にあるとはいえ、これを創造的に発展させ、さらなる世界最高水準の発展を目指すには、今後も欧米諸国をはじめとする国際交流が欠かせない。そのためには、国内外で開催されるワークショップ、セミナー等への研究者の派遣及び外国人研究者の招聘が重要であり、特に若手研究者が国際的な共同研究、ワークショップ等に参画し、海外の研究動向に接するとともに、海外の独創的、創造的研究や最先端の研究を行っている研究者との交流の機会を持つことが重要である。
 バイオサイエンスの研究を支える人材は、初等教育に遡って教育される必要があることはすでに述べた。当面の日本にあっては、高校時代に十分生物学の基礎知識を習得しておく必要がある。しかし、高校時代に生物を履修していない学生が多数見受けられ、バイオサイエンス分野の講義に著しい支障を来しているとの指摘がある。日本の大学入試において少なくともバイオサイエンス関係の学部に入学する者に対しては生物を必修科目とするなど、現在の物理・化学程度に生物学を重視していくことが求められる。同時に、生物の教科書を遺伝子・ゲノムなどの分子生物学や生命現象への興味関心を涵養する必要があり、細胞、個体、生態系等との関連を明確に把握できるようなものにするなどが必要である。
 幅広いバイオサイエンスの教育を受けた者のなかから能力豊かな研究者が生まれるとともに、技術者が生まれ、研究と研究支援の要を形成し、様々な研究の実現に寄与するはずである。バイオサイエンスを基本にしながら広い視野の教育を受けたものたちが、学際的な領域に進出し、新たな領域の拡大を創出することも期待できる。
 人材の養成こそ、バイオサイエンスの未来を握る要であることから、なるべく大きな集団を教育によって生みだすことが緊急の課題である。
 その実現のためにも、大学の再編成や、新しい構想による大学、大学院、研究所などを視野に入れた組織の検討が緊急に必要である。

5.推進施策の不断の検討

 急速に発展し、新しい領域を開拓しつつあるバイオサイエンスの推進施策を策定するには、研究動向の的確な把握が必要である。そのため、専門的な研究グループによる、国内外の研究動向の調査研究や大学等における教育や訓練の実態調査など、研究教育にまで亘る調査と分析とが行われることが望ましい。これら専門的な研究グループの役割は、領域の研究動向ばかりでなく、広く研究者を見渡し、とくに優秀な若い研究者や萌芽的研究を展開しようとしている挑戦的で意欲的な研究者を見出すことにも向けられるべきである。また、これらの調査分析に則り、研究者の育成と、効率のよい研究費の運用とを図るべきである。

〔バイオサイエンス部会運営会議〕

(委員)

(部会長) 井 村 裕 夫 科学技術会議議員
  宇 井 理 生 東京都臨床医学総合研究所長
  太 田 朋 子 国立遺伝学研究所名誉教授
  鈴 木 昭 憲 秋田県立大学長
  谷 口 維 紹 東京大学教授(大学院医学系研究科)
  豊 島 久真男 財団法人住友病院院長
  中 村 桂 子 JT生命誌研究館副館長
  水 野 繁 前日本たばこ産業株式会社代表取締役社長

(専門委員)

  青 木 清 上智大学教授(生命科学研究所長)
  井 川 洋 二 東京医科歯科大学教授(大学院医学系研究科)
  竹 市 雅 俊 京都大学教授(大学院理学研究科)
  中 西 重 忠 京都大学教授(大学院医学研究科)
  吉 川 寛 奈良先端科学技術大学院大学教授(バイオサイエンス研究科)
  吉 田 光 昭 萬有製薬株式会社つくば研究所長

(科学官)

  勝 木 元 也 東京大学教授(医科学研究所)
  金 澤 一 郎 東京大学教授(大学院医学系研究科)

(学術調査官)

  伊 藤 宏 東京医科歯科大学助手(医学部)
  上 阪 等 東京医科歯科大学助手(医学部附属病院)
  嶋 田 透 東京大学助教授(大学院農学生命科学研究科)
  下 濱 俊 京都大学助手(医学部附属病院)

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学術国際局研究助成課

-- 登録:平成21年以前 --