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大学審議会 大学教育部会(第99回) 議事要旨

1.日時

平成10年6月5日(金曜日) 10時30分~13時

2.場所

三田共用会議所 D・E会議室(3階)

3.出席者

委員

吉川弘之(部会長)、青山佳世、天野郁夫、上野一郎、櫻井修、戸田修三、脇田直枝の各委員
(特別委員)
 示村悦二郎(部会長代理)、グレゴリー・クラーク、舘昭、森 正夫の各特別委員

文部科学省

佐々木高等教育局長、矢野私学部長、遠藤高等教育局審議官、長谷川企画課長、北見専門教育課長、上杉私学行政課長、太田和学校法人調査課長、村田私学助成課長、常盤大学改革推進室長、芝田学術政策室長、赤塚大学改革推進室長補佐、戸渡大学審議会室長 他

4.議事要旨

(1)前回議事要旨(案)については、修正意見等があれば、1週間以内に事務局に連絡いただき、修正後は部会長の責任において、確定・公開することとなった。

(2)部会長から、有馬朗人委員が辞職したことに伴い、本日6月5日付けで、蓮實重彦氏(東京大学長)が委員に選任され、また、大学審議会令第4条第2項の規定により、蓮實委員は本部会に所属することとされたとの報告があった。

(3)部会長から、本日は、前回に引き続き、中間まとめに向けて議論の整理・検討案をもとに意見を伺いたいとの提案があり、事務局から説明のあった後、次のような意見交換が行われた。(○:委員、●:事務局)

 【大学(学部)教育の改革】について

 「イ 方法面:厳格かつ責任ある成績評価の実施」

○ 「1.授業の設計と教員の教育責任」の論旨は、これまで大学において教育機能面について、十分な配慮がなされていなかったことに対する警告としてはよいと思う。しかし、冒頭の「学生の自主的な学習に待つという伝統的な大学教育の在り方を改め、・・」という記述は、学生の自主的な学習の重要性を矮小化するような感じを受ける。「学生は自主的な学習を基本としながらも・・」とするほうがよいのではないか。また、「教室外の学習は学生の自主性に任せるということではなく・・」の部分も、むしろ「教室外の学習は学生の主体的な学習を実効あらしめるために・・」というような文脈にしたほうがよいのではないか。自主性をより担保するために教育機能を充実していくという趣旨であるほうがよいと思う。

○ 「2.成績評価基準の明示と厳格かつ責任ある成績評価の実施」の中の、「大学は国公私立を問わず、公的なものであり・・」という記述は、特に私立大学においては抵抗がある。「公的」は「公共的」に改めたほうがよいと思う。

○ 経済だけでなく、教育においても供給と需要の問題はあると思う。すなわち、供給とは、大学は学生に質を提供できるかということ、需要とは就職のことである。実際には、4年生は就職活動でほとんど勉強しない。どうしてこのようなことになったのか。それは産業界の責任だと思う。企業は、大学が成績評価の制度を改善する以前の問題として、大学での学生の成績を重視して採用を行うべきである。そこを改善しなければ、大学教育を改善することは難しいと思う。

○ 大学教育は外部条件により影響を受ける。企業がどういう人間を採用するのか、採用に当たってどういう評価がされるかによって、大学教育は非常に大きな影響を受ける。それは出口のことであるが、入口では、高等学校でどういう教育をしているかによって大学教育は影響を受ける。大学はそれらの狭間にあって、大学の努力だけで大学教育を改善することは難しいので、産業界や高等学校にこうしてほしいと要求したくなるが、他に求める前に大学としてできることを考えることが重要ではないか。ただ、産業界に対して注意を喚起することはできると思う。

○ それについては、「(3)地域社会や産業界との有機的連携の拡大」で触れておく必要があると思う。

○ 「2.成績評価基準の明示と厳格かつ責任ある成績評価の実施」については、厳格かつ責任ある成績評価を実施することはよいと思うが、ただ評価を厳しくするだけではなく、報償のシステム、例えば、優等生を表彰する制度、あるいは  honors degreeのような制度を設ける必要があるのではないか。産業界に対しても、採用の際、大学での成績をもっと評価するように要求したほうがよいのではないか。
 また、ここでは補習教育については触れないのか。補習教育は、入学時の学力をきちんと評価しなければ実施できないものである。日本では、機会だけを設けて実際には機能していない大学が多いと聞いている。補習教育についても言及しておいたほうがよいと思う。
 さらに、「1.授業の設計と教員の教育責任」の中で、文部省が調査した「一週間の学習時間」の結果があるが、ここで示されている時間は何単位分の授業を履修したことになるのか。
 図書館の在り方については、座席数や開館時間だけでなく、教育用図書の整備充実が必要であるということについても言及していただきたい。

● 「一週間の学習時間」については、授業の開講時間が何単位分に相当するかというところまでは調査していないため分からない。

○ 調査結果をみると、社会科学系については1単位当たり45時間の標準の学習時間の半分ほどしか学習していない。年間の履修単位の上限を設けることになった場合、1週間に一体学生は何単位履修しているのかということが問題になってくる。この部分は慎重に記述したほうがよいのではないか。

○ 全日制の学生については、1週間に標準45時間の学習をするという考え方が1単位の考え方の基礎となっており、1学期16単位、1年間で32単位、4年間で124単位という積み上げになっている。この調査結果は、何単位分履修しているかではなく、「授業の出席時間」と「その他の勉強時間」の比率を示したものだと思う。

○ この調査結果から分かることは、「授業の出席時間」に対して、「自宅での学習時間」が少ないという実態を示したものだと思う。しかし、もっと問題なのは、履修登録している授業への出席時間が少ないのにもかかわらず、単位を修得しているという現状である。

○ 1単位45時間という数字は、あくまでも想定であり、実際は異なる。1時間の授業に対し、2時間の準備学習・復習が望ましいという認識を教員も、学生も持っていないのが実態である。したがって、学生は教室外で勉強するより授業に出席して勉強する。つまり、授業に出席して講義を聞くことが学習であって、教室外での準備学習等はたいして重要ではないと考えているということである。この調査結果の数字は、1単位45時間という単位制の趣旨とのギャップがあまりにも大きい。履修単位のキャップ制の問題を考えると、あまり数字を強調しないほうがよいと思う。

○ 私の大学では、毎週授業で小テストを実施し、成績は小テストの結果で評価している。また、出席を重視し、宿題も出している。これは非常に効果的で、学生は意欲的になり、一生懸命勉強している。このように、具体的な方策を考えることが重要である。また、アメリカの大学のように、学生が教員を評価する制度を導入したが、学生は客観的に教員を評価しているようである。また、その結果は公表され、教員には刺激になっているようである。

○ この調査結果の数字はドラスティックな印象を与え、読者にとってもはっきりと学生の学習時間の現状が分かるのではないか。また、この数字は、例えば、学生の「その他の勉強時間」が少ないのは教員の責任であり、教員はまだやるべきことがあるということを示しているように思う。しかし、中間まとめではそこまでは言及せず、大学の多様性という観点から、各大学の判断に委ねるという論調で記述していくほうがよいと思う。具体的な方策については、例示として示せばよいのではないか。

○ 青森公立大学では、優秀な学生に対しては報償制度がある。そのことも例示していただきたい。

○ 学生を励ますという意味でも報償制度はあったほうがよいと思う。

○ 1時間の授業に対して、2時間の教室外の準備学習・復習を課すことは学生に過度の負担をかけることになるという意見がある。しかし、現行の単位制は年間52週あるうち、30週授業を行うという前提に立っているため、学生は4ヶ月は時間的に余裕のある生活を送れることになる。つまり、大学における学生の自主的な活動は保証される。中間まとめでは、大学の教育は、決して学生を勉強づめにするものではないということを記述していただきたい。

○ 現実には、授業は午前中で終わったとしても、演習等で夕方まで学生を拘束しているのが実態ではないか。

○ 日本では、特に理系の場合、実験等で学生を長い時間拘束しているにもかかわらず、その時間は単位外として考えられてきた。これを単位として認めるべきである。日本は、アメリカの学部教育と比べると、理科系の実験等にかかる時間を長く課している。それが日本型の教育だとすれば、その時間を単位として計算すべきではないか。単位の基礎が、標準的な学習量でできているという単位制の趣旨が分かっていない教員がいるところに問題がある。

○ どこが問題かというと、大学の講義の準備の仕方が間違っている。1単位当たり45時間の学習について、教室等での授業が15時間、教室外の準備学習等が30時間といった時間配分を基本とする概念が現実に適用されていないのが問題である。大学では教員は単位を薄くしがちでそのほうが勉強させているつもりになる。ここに問題があるとすれば、むしろ学生が怠けているといった問題ではないと思う。

○ MITでは、授業ごとに講義、自主的な学習、実験の時間配分が決められ、1週間分の授業が組み立てられている。講義なら15時間、教室外の学習は30時間というように機械的に考える必要はない。現行の設置基準でも、講義・演習は15~30時間と規定されている。ところが、大学は講義を一律に15時間とした。そうではなくて、大学が自主的に、学生に課す標準的な学習量に対して単位を設定していけば日本の授業にあった形で単位設定ができると思う。

○ この調査結果を引用した意図は何か。

● 学生が何単位履修登録しているかとは関連がない。学生が授業に出席している時間以外の学習時間がかなり少ないままに、授業に出席している時間だけで単位を修得してしまっているという状況を説明するためである。

○ この調査結果は、履修科目の過剰登録ということが問題ではなく、実際に現在の学生は学習時間が標準45時間と比べると少ないため、もっと教室外の学習を充実させて勉強させるべきだということを示しているのではないか。履修単位数の問題とは関係ないのではないか。「1.授業の設計と教員の教育責任」と「3.学生の授業科目の履修についての指導」とは別に議論すべきではないか。

○ 「1.授業の設計と教員の教育責任」は、学習時間が少ないという実態を示しており、勉強しないでも単位を与えることが問題であるということを指摘しているのだと思う。大学が単位制度をよく理解しないでカリキュラムを編成し、授業を行っている点を包括的に指摘することが必要である。

○ 学生が勉強しないことが問題ではなく、むしろ大学が単位制度を理解しないでカリキュラムを編成していることが問題であると思う。そのことが学生が勉強しなくてもいいような状況を作っているということを記述したほうがよいのではないか。

○ 教室外の学習についての記述は、現在の単位制の考え方に改めて注意を喚起する意味でよいと思う。ただ、大学、教員の意識の改革が必要であるということも言及すべきである。日本の大学では、特に文系の場合、演習を除いて教室外の準備学習・復習は無視されがちである。
 また、「1)授業の設計と教員の教育責任」、「2)成績評価基準の明示と厳格かつ責任ある成績評価の実施」、「3)学生の授業科目の履修についての指導」については、個々の教員レベルで行うことが記述されている。しかし、教育の評価については、昨年12月の答申「高等教育の一層の改善について」において、組織レベルで教育活動の評価を行うことと提言した。果たして、組織の評価はFDだけでよいのだろうか。現在、日本の大学では、学部学生の成績の分布、受講人数、修得した単位の状況、あるいはカリキュラムの達成度といった組織的な調査、チェックは行われていない。例えば、成績分布については、数学、物理及び外国語等の基礎的な科目について、教員によって極端に成績の評価方法が異なるといった場合、こういったことを是正するために、全教員が成績の分布表を作成し、比較・検討を行うべきである。方法論としての各大学の組織的な調査・点検の体制整備についても言及していただきたい。

○ それについては、「4.教員の教育内容・授業方法の改善」で言及してはどうか。

○ 「イ 方法面:厳格かつ責任ある成績評価の実施」については、前半部分は個々の教員レベル、後半部分は組織レベルとなっているが、前半部分と後半部分が離れすぎているため、そもそもFDとは何であるかということが分かりづらくなっている。FDとはSD(スタッフ・ディベロップメント)と、CD(カリキュラム・ディベロップメント)をまとめたものをいうのではないだろうか。その点を整理すべきだと思う。

○ 日本の大学の授業方法の実態に合わせて、単位を設定することが重要だと思う。平成3年以前の設置基準では、講義15時間、教室外の学習30時間とされており、強制的で日本型の授業の実態と合わないものであった。その反省から、講義、演習については15~30時間の範囲で、大学が定める時間の授業で1単位とした。講義については、学生が単位数分の勉強をするのに合った形の授業でよいと思う。講義の場合も30時間で1単位と定めてもよいということを理解してもらう必要があるのではないか。

○ 「学生の自主的な学習に待つという伝統的な大学教育の在り方を改め、・・」という記述について、産業界・教育界以外の者がこれを読んでどう感じるかというと、授業に出席しなくても簡単に単位が取れるようになっているという印象を受ける。アメリカの一部の大学では、次の授業までに課題が与えられ、ディベートが行われるため、学生は予習のために遊ぶ時間も、寝る時間もないくらい勉強せざるを得なく、それでも授業についていけない者は落ちこぼれていくという話を聞く。こういう実態をみると、日本の大学が勉強しなくても単位が取れ、卒業できてしまうのはおかしいという声がある。学生がもっと教室外で勉強しなければ授業についていけないような方向にもっていくべきである。そのために、教員が準備学習を学生に課すということを担保するために「1.授業の設計と教員の教育責任」に記述されているようなことが行われる必要があるということではないか。

○ 従来の方法でよいと考える大学については、その考えを尊重していくしかない。柔軟性を持たせて、大学に選択の余地を与える。ただ、学生にはもっと勉強させなければならないし、学生の質を保証するという意味で最低限のことは定めておかなければならない。大学によって様々な授業の形態があり得るし、またそれを認めていくというように制度は緩められてきた。

○ 「1.授業の設計と教員の教育責任」については、学生が大学・教員の責任において、主体性を持ちつつ、大学の教育を受けるという意味で、アメリカのような学生に勉強させるシステムにしていこうという趣旨だと思う。単位制の趣旨からすると、学生は最低限1日8時間の学習でよいので、授業は日中で終了し、夏休みもある。学生が自主的に、それ以上の勉強をすることは自由であるが、ここでは、最低限の時間は一生懸命勉強させるシステムにしていこうということではないか。

○ 産業界が大学に対して一番関心を示すのは、大学が卒業生の質を保証できるのかということである。現在の大学の授業をみると、私語が多く、授業途中の入退室も頻繁である。このような授業では、出席する時間が多かろうが、少なかろうが意味がないと思う。

○ どのような授業計画を作るかは、大学審議会が考えるべきことではなく、本来大学が考えるべきことである。したがって、このような議論をしても仕方がないと思う。授業計画は、大学や科目によって異なる形態であってもよく、大学は本来質のよい卒業生を送り出すところであることを強調すべきである。今回の中間まとめでは、「このようにすべきだ」といった記述は、大学の多様性、自主的な管理・運営といったことと矛盾してしまうのではないか。中間まとめでは、あくまで例示を記述する程度にしてはどうか。

○ 単位の実質化は言及しておくべきである。そうしないと、学生の質の確保には結びつかないと思う。

○ 大学の卒業要件の単位が124単位と決まっていることが、そもそも大学に入った時点で、学生を束縛しているように思う。1週間で45時間の学習は、知的活動の時間としては長すぎる。それが、質の低下を招いているのであって、質を上げようと思えば、単位数を減らすべきである。
 また、外国の大学と日本の大学の違いは、諸外国の学生は一般的によく勉強することであり、学期が終わってからもかなり勉強している。成績は期末試験とレポートで評価されるが、レポートは学期が終わり3~4週間後に提出するようになっている。そして、学期が終わり1~2週間は講義以外の勉強にも熱心である。すなわち、学生が余裕を持って勉強できる状態にある。日本の大学では、学期が終わるとすぐレポートを提出しなければならない。もう少し、学生に時間的余裕を与え、学生の負担を軽減するようなシステムを考えるべきではないか。

○ キャップ制については、履修登録の制限なのか。それとも履修の制限なのか。また、制度的に大枠を定めるということはどういうことか。さらに、履修できる単位の上限を36単位とすることは、学生にとって厳しい制度になるのではないか。

● 履修科目登録の制限のことである。キャップ制は、登録した科目については、しっかり勉強してもらうということである。ここで36単位と記述しているのは、卒業要件単位数が124単位の場合のことである。履修できる単位の上限を何単位に定めるかは、各大学の卒業要件単位数によって異なり、具体的に何単位に定めるのかは、大学が学生の状況や大学の教育理念等を勘案して定めることでよいと思う。
 制度的に大枠を定めるということは、設置基準において標準はこのように考えられるが、実施に当たっては各大学の判断に委ねるということである。

○ 設置基準に、履修科目登録できる単位数の上限を36単位と規定することには反対である。これについては大学が判断するべきことである。なぜなら、学生の履修状況、単位の修得の状況、登録の状況は把握しづらいため、技術的に困難だと思われるからである。また、規制緩和の観点からも規定すべきではないと思う。さらに、履修科目登録できる単位数を制限した場合、登録した科目については1科目も落とさずに必ず単位を取らなければ次年度で苦労することになる。もう少し、学生に余裕を持たせるべきではないか。むしろ、制限が必要なのは、1年間、あるいは1セメスターで履修できる単位ではないか。

○ 36単位を標準とするというのは固定されたものなのか。卒業要件単位数が増えればそれは変動するのか。

● 卒業要件単位数が増えれば変動するものであり、例えば36単位を上限とするのはあくまで標準的な卒業要件単位数の場合である。

○ 36単位を標準とすると、多くの大学がそれに合わせてしまう恐れがあるので、ある程度は大学の自由裁量に任せてよいと思う。

○ 単位制の趣旨からすると、精神として、大学設置基準に、例えば、「教育課程の編制に当たっては、4年間でしっかり勉強できるような配慮をしなければならない」といった趣旨のことを盛り込むべきではないか。規制緩和の問題とは関係ないと思う。学生に十分な学習をさせる上で、履修科目登録の上限を設けることは当然のことだと思うが、ただ全学年一律に同じ上限である必要はないのではないか。また、設置基準に具体的な数字を示すことについては検討が必要である。

○ 単位の実質化を図り、学生の質を確保するためには、キャップ制の導入は必要だと思う。設置基準には規定すべきであるが、具体的な数字を示すことについては、内規で規定してはどうか。

○ 具体的な数字を設置基準に規定するかどうかはともかく中間まとめには、キャップ制を盛り込む方向で考えていきたい。

○ 「登録単位数に上限を設ける対象となる履修科目は、卒業要件単位数に組み込み得る授業科目に限ることとするのが適当である」という記述については、学生に十分な学習をさせるためにはどの履修科目についても登録できる単位数に上限を設けたほうがよいという議論がなされていることを考えると自己矛盾していると思う。卒業要件単位数124単位の枠外にある科目については、出席さえしていれば自己学習は必要がないとみなされてしまうのではないか。

○ キャップ制は、過剰履修に対しての制限なのか。それとも過剰履修登録に対しての制限なのか。

○ キャップ制は、履修科目登録の上限を設けることでないと意味がないと思う。現在の大学は、履修科目登録が無制限に可能というのが実態である。

○ 履修した単位の上限を設けることは技術的に難しいと思う。

(2)多様なニーズに対応した制度の柔軟化・弾力化

1.成績優秀者が3年で学部を卒業できる例外措置の導入

○ 現在4年生は就職活動を終えた者は遊んでいる。そう考えると、3年で卒業して、早く社会に出る道もあってよいのではないか。

○ 単位の実質化が図られることなく、履修科目数についての指導を行わず、授業への参加状況も考慮せず、単に、期末試験の結果のみで成績評価を行って3年次卒業を認めることになれば、現在の授業の空洞化を是認するばかりでなく、我が国の学位水準が低下したという国際的な評価を受けることになるので、現時点での「1.成績優秀者が3年で学部を卒業できる例外措置の導入」は、時期尚早ではないか。今のままで導入すると、ほとんどの学生が3年で卒業してしまうおそれがある。この問題は、「厳格かつ責任ある評価の実施」の中で示されている内容が充実してきた時に検討すればよいのではないか。

○ 大学を4年間で卒業することが実態に合わなくなっているのではないか。

○ そうではなく、今の大学の実態が4年間に合っていない現状を是正していく方向を考えなければならないのではないか。

○ 「1.成績優秀者が3年で学部を卒業できる例外措置の導入」は、あくまで大学教育が充実し、きちんと4年間で卒業できる体制になった上で図られる制度である。まずは、形骸化している大学教育の実態を是正していくことが重要である。

○ 日本の大学の場合、成績評価のシステムが整備されていない中で、成績優秀者を判定することは難しいと思う。また、企業は、どうして3年で卒業できるような成績優秀者を卒業を待たずに採用しないのだろうか。仮に、学部3年卒業を認めるとなると、卒業可能な学生は3年次で就職活動をしていたのでは遅い。だからといって、2年次から就職活動が行われば元の木阿弥になってしまう。「成績優秀者が3年で学部を卒業できる例外措置の導入」は時期尚早ではないか。

○ これからは、むしろ大学院教育が重要になる。学部3年卒業は大学院に進学する者に限定してはどうか。

○ 企業が成績優秀な3年生を採用しないのは、大学が卒業資格を与えないからである。

○ 一部の企業が行っている卒業年次別の一括採用という人事制度のために、卒業資格を持たない学生は採用することができない状況にある。企業の採用形態に問題がある。また、大学の成績優秀者が企業にとっても優秀な人材であるのかは別の問題であり、本当に優秀な人材であれば、大学卒である必要はないと思う。

○ 「標準修業年限は4年としつつ、例外措置として優秀な成績を修めた者については3年での卒業を認めることが適当である。」という記述については、冒頭に「単位の実質化、キャップ制の導入、またGPA制の導入が図られた際には」という趣旨を付け加えたほうがよいと思う。

○ 今、問題となっているのは、いかにして学生の質を確保するかということである。単位の実質化を図れば、容易に3年で卒業できるはずがない。したがって、学部3年卒業は極めて例外的なケースであり、国際的にみても単位の内実を充実していけば4年間で124単位は必要だと思う。

○ 中間まとめでは、「成績優秀者が3年で学部を卒業できる例外措置の導入」については、「厳格かつ責任ある評価の実施」の中で示されている内容が充実してきた上で考えるという論調で記述してはどうか。

5.次回の日程

 次回は、6月17日(水曜日)に開催することとなった。

お問合せ先

高等教育局企画課

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