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大学審議会 大学教育部会(第95回) 議事要旨

1.日時

平成10年4月23日(木曜日) 15時~17時

2.場所

文部省「5B会議室」 (文部省5階)

3.出席者

委員

青山佳世、天野郁夫、櫻井  修、佐野文一郎、戸田修三、脇田直枝の各委員
(特別委員)
 示村悦二郎(部会長代理)、大谷啓治、舘昭、森正夫の各特別委員

文部科学省

佐々木高等教育局長、矢野私学部長、遠藤高等教育局審議官、長谷川企画課長、井上学術課長、清水大学課長、上杉私学行政課長、太田和学校法人調査課長、村田私学助成課長、常盤大学改革推進室長、渡辺リフレッシュ教育企画官、芝田学術政策室長、戸渡大学審議会室長 他

4.議事要旨

(1)前回議事要旨(案)については、修正意見等があれば、1週間以内に事務局に連絡いただき、修正後は部会長の責任において、確定・公開することとなった。

(2)部会長代理から、本日はこれまで審議してきた論点のうち、「教育機能の充実強化」に関し、具体的な制度の導入について、改めて意見を伺いたいとの提案があり、事務局から説明のあった後、次のような意見交換が行われた。 (○:委員、●:事務局)

 「履修登録可能単位キャップ制」について

○ 質の確保のためにも、履修登録の上限を設定することは必要なことだと思う。しかし、ここで示されているように「大学の定めるところにより、各年次において36単位を越えないことを標準として・・・」とすると、大学によっては、36単位以上を上限とするところもでてくるおそれがある。やはり、現行の設置基準の単位制の趣旨からすれば、1年間の単位数の上限の基準は9科目36単位が適当ではないか。
 ただ、学部3年次卒業の問題との関係を考えると、一定の成績優秀者については36単位を越えて修得することができるとする手当は必要ではないか。その際、GPA制度も合わせて導入していけばよいと思う。

○ 私は、ここで示されているような規定案を設置基準に盛り込むことには反対である。答申の中で、キャップ制の導入を促すような提言は必要だが、1年間の単位数の上限の設定は、あくまでも各大学の判断に委ねるべきことである。具体的に言えば、教員養成系の大学において、果たしてこのような枠で単位を修得し卒業できるのか。また、教職課程をとる者の場合はどうなるのか。実態はどうなっているのか。大学によっては、障害関係の教員免許を取得しようとすれば200単位近く修得しなければ卒業できない。日本では通常の学部教育の中に、専門教育の資格取得に係る教育も含まれている。そういう中で、制度として1年間の単位数の上限を規定することは、実態からしても、大綱化の流れからしても賛成できない。

○ 教職課程をとる者については、現在は卒業要件124単位の外でカウントしているため問題はないと思う。

○ 基本的には規制緩和とか、大学の主体性に任せるといった方向だとは思うが、質の確保・向上を図るために、一定の制約が入ることは大学にとって規制緩和に相当するようなよい効果をもたらすのではないか。
 確かに、各大学の判断に任せるいう規制緩和もあるが、そうした場合、質の低下を招くおそれもある。規制緩和と質の確保、両者の兼ね合いをどこに置くかという点についての検討が必要ではないか。

○ 過剰登録を防ぐということは、1単位45時間の学習を確保するということが条件になると思う。そして、それは学生自身の学習のモチベーションを高めることにもつながると思う。しかし、仮にキャップ制を打ち出した場合、文部省の施策との相互関連はどうなるのかという整理が必要ではないか。例えば、セメスター制との関係について言えば、半期4単位の集中的な授業が行われると、従来よりも1年間で修得する単位数が多くなるという実態がある。同様に、大学以外の教育施設等における学習成果の単位認定の上限を引き上げた場合、留学中に修得した単位数との関係、インターンシップやボランティア活動における成果を単位として認定する場合等、いずれも正課外の教育を単位として認定することで、1年間の単位修得が多くなる可能性がある。これらの問題についても議論すべきではないか。

○ ここで決めようとしていることは、大学で年間35週に渡って展開している正課の授業について、履修科目登録の単位数の上限を設定しようというものである。したがって、海外の大学での学修、インターンシップ及びボランティア活動等の夏休みなどに行う正課外の教育の問題ではないのではないか。
 また、規制緩和との関係について言えば、規制緩和をすればすべてがよくなるというものでもない。競争が成立するように何らかのルール(規制)を設けるということは当然である。その際、どの部分を規制したら自由な競争が起こるのか。その点をしっかり議論しなければ、例えば、単位をたくさん出す大学に学生が集まるといった競争が生じかねない。単位制は、標準的な学生が1日8時間程度勉強するようにできている。それに沿って授業を展開する大学が報われるような制度にするためには、設置基準に規定して示すしかないのではないか。大学もその規定に従ったほうが、大学間の競争はしやすくなるのではないか。

● ここで示している36単位というのは、卒業要件124単位の範囲内での1年間の単位数の上限である。教職科目については、通常の学部において教職免許を取得する者は、例えば、中学校の一種免許では31単位、高等学校の一種免許では23単位を124単位以外に余計に修得することになっている。

○ 設置基準が緩和され、カリキュラムの自由化を進めようとした時は、いわば、大学性善説に立っていた。その結果は外部評価によって決まり、競争が起これば大学全体の質は上がるという前提で、改革が進んできたと認識している。そういうことを考えると、仮に、設置基準にキャップ制を規定した場合には、これまでの理念には沿わないのではないか。我々は大学を信用して、質を高める努力は大学独自で考えてもらうというスタンスでスタートした以上、再び制度的に枠を設けることについては疑問がある。

○ 大学が独自に質を高める努力をして、よい方向に向かうという見通しが明確であれば、設置基準にキャップ制を規定しなくてもよいのだろうが、果たしてそうなるのだろうか。これまで大学審議会において、大学教育をよくしようと再三提言してきたことに、具体的に釘を打つことが必要だと思う。今回の答申では、設置基準に規定するということを提言して、教員や学生がどのような受け止め方をするのか、様子をみてはどうか。

○ 平成3年の設置基準の大綱化の際には、大学の性善説に立って、大学の知見と識見に期待した。しかし、現実には必ずしもよい方向に向いていない。そうであれば、大綱化の流れ、大学の主体性に任せるという基本的方向は維持しつつ、この際、大学に対しててこ入れをする必要があるのではないか。キャップ制の導入は規制ということではなく、質の向上を図るためにはこのような方法もあるということである。しかし、当面は制度的に規定しなければ、大学の主体性に任せたり、答申で提言しただけでは依然として変化はないと思う。

○ 名古屋大学経済学部で編成されているモデルカリキュラムでは、2、3年生を対象にセメスター制を導入しているが、ここでは1年間の履修単位が40単位を越えている。本部会では、優れた業績を上げた者については上限を越えて授業科目の履修ができるというように個人を対象として考えているが、この学部のように2、3年次に集中的に教育効果を高め、学部全体として考えているところもある。

○ 大学性善説という考え方は必要であると思う。しかし、それが機能していないのは、客観的な外部評価体制がないからである。今回、この制度を設置基準に規定することは、従来の行政が指導するという方向に戻り、大綱化の方向に反するのではないか。
 社会は、例えば、過剰履修を認めている大学や単位をどんどん出す大学を見透すようになってきている。また、企業に就職して3、4年経ってから、自分がいかに形式的に大学を卒業したかということに気付き、反省している者もいる。そのような先輩を見て、大学の1、2年次の学生や高校生の意識も変わってきている。このこと自体は、平成3年の大綱化の際の趣旨に逆行するものではなく、むしろ前進しているのではないかと思う。

○ かつて10校ほどの国立の総合大学を訪れた際に、過剰履修がどの大学でも問題になっていたが、一体どの程度の過剰履修が各大学で行われているのか、その結果、学力はどうなっているのかは分からない。一方、先の本部会で紹介した小規模大学では、高度化されたカリキュラムが編成されているため、過剰履修の問題はない。このように、大学すべてがこの問題を抱えているわけではない。しかし、この問題を抱えている大学ではようやくこの問題に気付き始め、自己反省をしようとしている。その矢先に、行政側から制度的な枠をはめられるとなると困惑するのではないか。

 「例外措置としての学部3年での卒業を制度化と質の確保の方策」について

○ 大学在学中に外交官試験等に合格し、資格さえ取得すれば卒業しなくてもよいとする者がいる。そうなると、一体学士号へのこだわりは何なのか。学位授与機構において、学士号を取得する者の申請資格はどうなっているのか。

○ 学位授与機構から学士号を取得しようとする場合は、大学中退者の場合、当該大学で2年以上在学、62単位以上修得し、残りの単位については科目等履修生の制度等によって修得し、その結果、合計124単位分、4年間分の学修になるように単位を修得しなければ申請資格はないということになる。

○ イギリスでも、日本のように量的な単位数が学士号取得の申請資格になっているのか。

○ イギリスのCNAAの場合は、フレキシブルな制度を導入するために単位制を導入し、3年分の単位の積み上げで Bachelor を出している。現在、CNAAはなくなったが、その時に構築されたcredit accumulation and transfer system(単位累積互換)は各大学が引き継いでいる。

○ 例えば、3年で124単位を修得した者は、学位授与機構へ申請資格があることになるのか。

○ 現行制度では、4年以上という年限を規定しているため、3年で124単位を修得した者は、学位授与機構への申請資格はない。

○ なぜ、4年以上と規定されているのか。

○ 単位制度は、ただ単に数だけの問題ではない。標準的な学生を対象に授業を展開していった場合、1日8時間の勉強を課していくと1週間で45時間になる。標準的な学生を想定してカリキュラムを編成すると、1年間に30単位程度を修得することができる仕組みになっている。現在は、世界的にも授業ごとの学習の修得が重要になってきている。つまり、1単位の学習量が異なっていたのでは国際的に通用しないということである。
 なぜ、学位授与機構の申請資格が4年以上なのかについては、4年制大学と整合性を図っているからだと思う。そして、大学が4年以上の在学期間を規定しているのは、標準的にカリキュラムを編成していくと、それだけの時間がかかる学習量を想定しているからである。また、国際的にみれば学位の水準は4年である。
 ただ、学部3年次卒業の問題は、優秀な者については、大学院への飛び級だけではなく、卒業する道もあってもよいのではないかということで提起されていると思う。

○ 学位授与機構では、例えば、司法試験に合格した者に学位を認定するといった発想に立てば、各大学の差を無視した絶対的な学位ができると思うが、そういう議論はなかったのか。

○ 大学卒業資格の認定さえあればよいというのであればそれでもよいが、大学という学校制度を問題にしている以上無理ではないか。

○ 4年間に124単位を修得するということ、そして各大学に学位授与権を与えていることを前提とすると、仮に学部3年次卒業を認めた場合にも、やはり当該大学で学位を授与することになると思う。

○ 問題は、教員が未だに単位の計算方法を理解していないところにあるのではないか。せっかくカリキュラム改革をしても、平気で1年間に履修する単位を40単位組んでしまう。これは、学生に寝ずに勉強させようとしているのか、夏休みも返上で勉強させようとしているのか、おそらくそうではないだろう。単位を一体どのような基準で計算したらよいのか分からないのだと思う。大学審議会の答申ではずっと提言されてきている。平成3年の答申にも、念を押して書いてある。しかし、誰も認識していない。そうであれば、設置基準に規定し、合理的な制度だということを認識させるしかないのではないか。

○ そもそも、日本の大学の伝統の中で、現在の単位制のような考え方は一度もなかった。大学というものは教室に行って授業を聞けばよかった。予習・復習が必要であるというアメリカ的な考え方は戦後輸入された。そのことは教員も知ってはいたが、実感として理解ができなかった。それを実感させ、理解させるためには、勉強しても授業に出てこなければわからないような授業をしなければならないということである。しかし、現在はそのような授業は行われていない。したがって、これまで一度も経験したことがないのに、教員の認識を変えろといっても無理ではないかと思う。
 また、アメリカでも3年卒業はあるが、一つは成績優秀者を卒業させるという考え方、もう一つは124単位を修得するのに4年間も在学する必要はないとするコストダウンの考え方の2つがある。アメリカでは後者の方に重点が置かれている。日本で後者の方を重視するなら、私学は経営上不利になってしまう。今回の問題は前者の方に重点が置かれているが、なぜ成績優秀者を3年で卒業させないといけないのか。おそらく、大学院への飛び級との関連ででてきていると思うが、例えば、かつて東京大学経済学部は5年制の大学院をつくり修士課程を廃止した。しかし、学生は学位論文を書けない。また修士号を取得しないと学部卒になり就職に不利になるということで、とうとう修士課程2年、博士後期3年に分けてしまった経緯がある。学部3年で大学院に進学する優秀な者が、大学院を修了できないことはないと思う。もし、大学院を修了できないようなことがあれば、それは進学を認めた大学の判断が間違っていたということになるし、学生のほうも、そのようなリスクは当然負わなくてはならならないと思う。一握りのエリート学生のために制度を変えるというのは如何なものか。
 また、3年までに120単位以上を修得し、4年次は就職活動に充てるという現状があるために、単位の履修を制限しようという議論がでてきていると思うが、一方で学部3年次で卒業を認めようとすることとは矛盾しているのではないか。

○ 名古屋大学の工学研究科では、意識的に飛び級の制度を導入している。しかし、飛び級した学生は、認識力や理解力については学部4年を卒業して入学してきた学生とを遜色はないものの、学部4年次で行う卒業研究のノウハウが身についていないため、修士論文を書く際にプラスαの指導や援助が必要になる。そう考えれば、学部4年間の教育の意味はあるのではないか。

○ 学部3年次で卒業を認めるということは、3年間で4年分の教育を終えるということが前提となっているため、飛び級とは異なるのではないか。

○ 現実には飛び級でも問題が生じているのであれば、やはり、3年間で4年分の教育をした者を大学に入学させる方が問題は生じないのではないか。
 また、世界的には第1学位は重要であり、それがなくて次のステップに入ると何かと不便である。第1学位は青年期の高等教育の完成であり、完成させた上で大学院に進学する方がよいと思う。

○ 学部3年次卒業を制度化すると、かなりの学生が3年で卒業することになると思うか。

○ 現在は、成績優秀という主観的な要件で飛び級を認めているが、それが問題になる場合もある。例えば、現在、大学に3年、修士課程に1年在学した多くの者が、学位授与機構に学士号取得を申請してきているが、審査に通らない者もいる。
 また、そもそも graduate school は graduate した者の学校であり、もし、フレキシブルな制度を考えるのであれば、優秀な者なら早く  graduate できる制度を考えるほうが望ましいのではないか。

○ 飛び級については、本当に特別なケースの場合に導入するというのが本来の趣旨であると思う。一定の割合をどんどん入学させるというのは学部教育をないがしろにしかねない。仮に、学部3年次卒業が制度的に導入されれば、飛び級はかなり限定的に運用するような方向に戻すべきではないか。

○ 現在の大学の状況のまま、この制度を導入することは危険である。質的保証装置を検討する必要がある。

○ 飛び級により大学院に入る者が増えれば増えるほど、学部4年間を卒業して大学院に入った者との間に矛盾がでてくると思う。

○ 仮に、学部3年次で卒業できるようになった場合、それらの者を企業は積極的に採用するようになると思うか。積極的に採用が行われれば、学部3年次で卒業を目指す者は多くなるのではないか。

○ 業界によっては、定量的に早く人材を確保したいという観点から、学部3年で卒業する者を積極的に採用すると思う。しかし、現在は、能力さえあれば学歴に関係なく採用する方向に移ってきている。しかも、日本の主要な業界では、そのような採用が行われている。産業界は大学卒ということにこだわってはいないと思う。

○ これまでの大学の状況のままで、果たして大学教育はよくなっていくのだろうか。単位制を前提として、大学教育の在り方を見直していくのであれば、やはりキャップ制を導入したほうがよいのではないか。

○ 過少登録で勉強しない学生をどう取り扱うのかという問題もある。

○ 単位制の下で、学生は勉強する、教員は教えるということ、例えば、シラバスとは何かといったことを具体的な課題として、行政、大学及び学生に対して何を突きつけていくかということを考えた場合、キャップ制は有効な波及効果を持った手段であると思う。

○ 学部3年次卒業は、ごく稀な成績優秀者は3年で卒業できるということで、様々な可能性があるという意味ではよいことだと思う。しかし、基本的には4年間の大学生活は重要である。124単位を修得し、カリキュラムをこなすだけでなく、大学は遊びの部分も含めて、4年間をどう過ごすかということが大切である。おそらく、学生時代にはこの時間は無駄なのではないかと思うこともあるが、後になってみると、大学の4年間は遊びも含めて重要だったと思う者が多い。したがって、あくまでも学部3年次卒業はごく稀なケースとして認めるほうがよい。

○ コピーライターやデザイナーの世界は、30歳を過ぎると、もう用をなさない、古いという感覚の職業である。できれば、若いうちに、感受性の高いうちに働くことが望ましい。仮に、学部3年での卒業が可能となれば、これらの世界では採用は増えていくと思う。

○ やはり、どこかで教員も学生も単位制に対する意識を変えなくてはいけないと思う。例えば、北陸先端科学技術大学院大学では、1学期をさらに2つに分けて、2単位の授業を週2回行っている。その中でオフィスアワーを設け、教員には45時間のシラバスを作らせている。そうなると、学生は同時に2科目とるのが精一杯で、相当優秀な学生でなければ3科目はとれなくなっている。要するに、1単位45時間の授業を実質的に行えば、そんなにたくさん単位を修得できるはずがないということである。

 「大学以外の教育施設等における学習成果を単位認定できる範囲と単位数」について

○ 当該大学以外の授業科目の履修について認定できる単位数は、1)単位互換、2)大学以外の教育施設等における学修の単位認定、3)既修得単位の認定、の仕切を取り除いて、1)2)3)を合わせて、全体で最大60単位までと考えてはどうか。
 また、大学以外の教育施設等における学修の範囲については、TOEFL等は認めてもよいと思う。

○ TOEFLやTOEICは是非認めていただきたい。そして、ただ認めるだけでなく、各大学において、この資格に対する確認の意味のテストを実施するなどの工夫をして欲しい。

 「セメスター制の推進方策」について

○ 単位制の時間の考え方が身について授業が行われていれば、アメリカ流の3単位科目が標準であり、一回に5科目登録すると1日1科目を勉強すればよいことになる。そこで、強く3単位科目の開設を提言してはどうかと思うが、日本の場合は2単位科目の次が4単位科目であり、卒業要件が124とういうことを考えると、その方がよいのかもしれない。キャップ制が導入されることを契機に単位制の趣旨が理解されてくると、必然的に登録科目数を減らさざるを得ない状況になり、集中した勉強が行われるという効果も期待できる。

○ なぜ、現在、日本の大学は通年で2単位という構造が展開されているのか。1960年代の半ばまでは、文科系では通年で4単位という科目が多かったように思う。そして、特に国立の教員養成系の大学を中心として半期で2単位とする動きがあったが、果たしてそれで体系的な専門教育を行えるのだろうかという疑問が出てき始め、1970代には通年2単位があっという間に全国の大学に普及していったように認識している。なぜ、そのようなことになったのか。それにメスを入れた上で、議論するとよいのではないか。

○ いろんな理由が考えられると思うが、例えば、4単位の概論をきちんと教えられる教員がいなくなり、2単位ずつ、2人で分担するケースが多くなってきたということ、学生に科目選択の履修の幅を広げようということで、2単位科目を増やすという動きが進んできたこと、また、大学の大衆化が進む中で、通年4単位の授業では学生は飽きてついてこなくなったということ、などが考えられる。
 私は、設置基準にセメスター制を規定することは難しいと思う。いったん自由化の方向に向いた以上は、大学に責任を持ってもらうしかない。現在、現行制度の中で、いくつかの大学は導入し始めている。この傾向は今後も増えていくであろう。答申に、「セメスター制は導入されたが、精神が理解されていない」といったことを明記し、アピールする必要はあるのではないか。

○ 私も、セメスター制については設置基準に規定することは難しいと思う。

5.次回の日程

 次回は、5月7日(木曜日)に開催することとなった。

お問合せ先

高等教育局企画課

-- 登録:平成21年以前 --