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新しい時代における教養教育の在り方について(審議のまとめ)

平成12年12月1日
中央教育審議会

はじめに

 中央教育審議会は、平成12年5月29日に文部大臣から「新しい時代における教養教育の在り方について」諮問を受けた。

 本審議会では、これまで、有識者から意見を聴くことも含めて議論を重ね、ここに「審議のまとめ」を取りまとめた。

 今回の審議のまとめにおいては、まず、なぜ今教養について考える必要があったのか、その背景を述べ(第1章)、新しい時代を生きるに当たって求められる教養の概念について整理を行った(第2章)。その上で、教養とはすべての人が生涯を通じて培っていくものであるとの観点から、初等中等教育、高等教育及び生涯にわたって行う学習を通じて取り組むべき教養教育の基本的な方向性について述べた(第3章)。

 この提言が、今後の激しい変化の中で、一人一人が自らの生き方を主体的に打ち立てていく力を培っていくための支えとなり、また、新しい時代にふさわしい品格ある社会の実現に向けての取組を推し進める一助となることを願ってやまない。

第1章 今なぜ「教養」なのか

 我が国は、第2次世界大戦による荒廃を乗り越えて発展を遂げ、我々の生活は以前とは比べものにならないほど便利で豊かになった。しかし、同時に多くの人は、この物質的な繁栄ほどには、一人一人の、あるいは社会全体としての精神的な豊かさは実現されていないと感じているのではないだろうか。

 そこにはまず、社会が物質的に豊かになる過程で価値観の多様化、相対化という状況が生まれ、一人一人が多様な生き方をするようになった一方で、社会的な一体感が弱まっており、バブル崩壊後の経済的な停滞や国際化・情報化の進行による急速な社会・経済環境の変化の中で、社会共通の目的や目標が失われている状況がある。これは我が国に限らず先進諸国に共通した課題であるとも言えるが、我が国では、物質的な豊かさの実現という戦後一貫して国民の多くが追い求めてきた目標が達成された今、次に目指すべきは「心の豊かさ」や「国際社会への貢献」であるといった漠然とした共通の認識はあるものの、その具体的な姿やそのための道筋は、いまだ明確になっていない。また、少子・高齢化、都市化の進展や就業構造の変化等の中で、長い間人々の心のよりどころであった家族や地域共同体、会社の在り方及びこれらと個人との関係が大きく変わりつつある。

 同時に、目覚ましい情報化の進展やマスメディアの発達などによって世界中からあらゆる情報を瞬時に入手できるようになる一方で、直接体験が失われ、人間関係の希薄化も進んでいる。科学技術の著しい発展は、人類に計り知れない恩恵をもたらす一方で、地球規模での環境問題やデジタル・デバイドに代表される新たな格差の出現、遺伝子操作技術などその使い方をめぐって大きな倫理的課題をはらむ問題を生み出しており、科学技術の発達の速さに我々の精神世界が置き去りにされる、新たな人間疎外とも言うべき状況も生じている。

 さらに、国際社会に目を転じたとき、我が国は経済的には大きな存在となったが、国際社会における存在感や人類に対する貢献といった面ではいまだ経済力に見合うような高い評価が得られているとは必ずしも言えない。

 これから進むべき方向はおぼろげに見え始めてはいるものの、これからの社会やその中で生きる個人の姿が明確になっているとは言い難く、漠然とした不安感や閉塞感が漂っており、個人も、社会も、自らへの自信や将来への展望といったものを持ちにくくなってきているように思われる。

 我々は、こうした歴史的な転換期・変革期における混迷を乗り越え、それぞれの多様な生き方を個人としても社会としても認め合い、自らの個性のみならず他人の個性も尊重し、社会の一員として責任感と義務感を持って共に生きることができるような社会を築かなければならない。同時に、家族や共同体の価値を再構築した上で、21世紀の変動激しい国際社会の中で、個人として、社会として、また、国として、より確かな存立基盤を打ち立てていくことが求められている。そのためには、我々や我々の形作る社会が現在どのような地点に立っているのかを見極めた上で、今後どのような目標に向かって進むべきかを考え、目標の実現のために主体的に行動していくことが必要であり、その原動力こそ新しい時代に求められる「教養」であると考える。

 このような問題意識の下に、中央教育審議会は審議を行い、その結果を以下のように取りまとめた。

第2章 新しい時代に求められる教養とは何か

 人として社会の中で生きていくためには、それぞれの時代で必要とされ、身に付けなければならない核となる要素があったし、現在もそうである。

 21世紀を迎え、変化の激しい流動的な社会に生きる我々にとって必要な資質や能力は何か、また、これを培うための教育はどうあるべきか、こうした観点から、我々は、これまでの有識者による意見開陳や審議を踏まえて、新しい時代に求められる「教養」の概念を次のように整理してみた。

ア まず、教養とは、基礎学力と知識、これらの基盤となる国語の力、社会規範意識と倫理性、感性と美意識、困難を乗り越えるための体力と精神力など、「知・徳・体」、「知・情・意」といった概念の構成要素やその総体ととらえることができる。

イ また、教養を社会とのかかわりの中で必要な資質ととらえることも可能である。具体的には、社会とのかかわりの中で自己を位置付ける力、個人としての座標軸(行動の基準とそれを支える価値観)、主体性のある人間として向上心や志を持って生きる力、社会全体の幸福を考え、その実現に向かって行動することができる力、他者の立場に立って考えることのできる想像力などととらえることができる。

ウ 国際化・情報化が進む世界で日本人として生きていくための基礎的な能力を、知識社会において必要とされる教養ととらえることもできる。具体的には、我が国が幾多の歳月を掛けてはぐくんできた独自の伝統や文化、歴史等に対する理解、異文化など自分とは異なるものを理解する資質・態度、情報通信技術を駆使し、あふれる情報の中から必要なものを取捨選択し活用する能力、世界の人々と的確に意思の疎通を図るための外国語によるコミュニケーション能力などである。

エ これらを総合的に考えると、教養を、未知の事態や新しい状況に的確に対応していく基盤となる力ととらえることや、地球規模の視野で物事を考える力(空間的な広がり)・歴史的な視点で物事を考える力(時間的な広がり)・多元的な視点で物事を考える力(文化的な広がり)、すなわち、構想力と総括することもできよう。

オ さらに、こうした定義では表現し切れないが、教養を考える際に不可欠な要素として、品性、品格などといった言葉で表現される徳性を挙げることもできる。

 このような資質や能力をだれがどこまでのレベルで身に付けている必要があるかは一律に決められるものではない。例えば、各界において指導的な立場にある者にはそれにふさわしい知識や指導力、品格が必要であろうし、様々な分野で国際的に活動する者には、異なる文化・伝統、宗教への理解や、これを前提とした外国語によるコミュニケーション能力などが重要であろう。また、経済活動のグローバル化や高度情報化による労働の質の変化などの中で、職業人として活躍するためには、与えられた環境の中で受動的に過ごすのではなく、一人一人が自分の力で考え行動する力や、時には自ら環境を変えるために立ち向かっていく気概も求められよう。

 このように、一人一人が身に付けるべき具体的な能力や資質としての教養は可変的なものである。しかし、今後の変化の激しい社会の中で、自らの生き方を主体的に選び取り、異なる生き方や価値と共に生きる力を身に付けるために必要な教養を、一人一人が生涯にわたって自覚的に培っていく努力が必要であることは疑いない。

 新しい時代における教養教育は、混迷と変革の時代にあって、自立した個人として自らより良い生き方を実現しようとする意志と、そのために必要な知識、判断力や行動力などの実践的な能力をすべての人に培うことを目指していかなければならない。

 また、「教養」が求められているのは個人に対してだけでない。社会として目指すべき方向性や、備えるべき品性という観点から、社会に対しても求められていると言える。

 現在、生涯学習社会の実現を目指して教育改革が進められているが、生涯学習社会は、人々が生涯にわたって学ぶこと、そのために努力することを尊重・支援し、社会全体で教育に取り組んでいこうとする意識を共有する社会であり、その中で、人々一人一人の教養が高まれば、社会としての輝きも増すものと考えられる。

 社会を構成する我々一人一人が、社会全体で未来を担う青少年の教養をはぐくみ、また自らも生涯にわたり学ぶことを通じて成長するという意識を持ち、それを実践していくことを通じ、新しい時代にふさわしい品格を備えた社会を築いていかなければならない。

第3章 どのように教養を培っていくのか(基本的な方向)

 教養教育については、これまで主として高等教育における問題として議論されてきた。しかし、これまで述べてきたように、変化の激しい社会にあって、異なる生き方や価値を互いに尊重し合いながら主体的かつ自律的に生きていくが教養であるとすれば、個々に必要とされる教養の内容は変わるとしても、教養を身に付ける努力が年齢や職業を超えてすべての人にとって重要になることは明らかである。

 したがって、教養教育の在り方を検討するに当たっては、高等教育だけではなく、初等中等教育も含めた学校の教育活動全体、しつけを含めた幼児期からの家庭教育、一定の目標を持って教育的配慮の下に行われる学校外での様々な活動、主体的学習や社会生活における様々な体験を通じて、生涯にわたっていかに教養を身に付けていくかを考える必要がある。

 その際、例えば、自然に接してその摂理を学ぶこと、人類の偉大な遺産である古典に学ぶこと、各地の歴史的遺跡や現場に接して歴史の教訓を学ぶこと、勤労を通じて働くことの喜びを体得すること、芸術に親しむことによって美意識と感性を磨くこと、スポーツを通じて心身を鍛え、フェアプレーの精神を養うこと、さらに、これらの諸活動を通じて調和の精神を磨くことなどは、生涯にわたる教養教育の重要な課題と考えられる。

 また、教養教育を考えるに当たって、特に重視すべき観点として、次の2点が挙げられる。

 まず、第1点は、教養教育を通じて、学ぶことやより良く生きることへの主体的な態度や意欲を育てていくことである。教養とは、本来自発的に身に付けるべきものであり、学ぼうとする意欲が重要である。しかしながら、近年、子どもたちや若者に自ら学ぼうとする意欲が薄れているという危ぐの声が強くなっている。この背景には、社会全体に漂う目的喪失感、閉そく感の中で、「勉強しなくても何とかなる」、「勉強しても仕方がない」など学ぶことへの目的意識が見失われがちになっていること、少子化の中で受験による勉学への圧力が弱くなっていること、学校教育から職業生活への円滑な移行が困難になっていること、さらには、こうした状況が、まじめに勉強したり努力したりすることの意義を軽視する風潮を生み出していることなど、様々な要因が考えられる。いかに教養を培っていくかを考えるに当たっては、こうした要素も勘案しながら、いかにして学ぶことへの意欲を高めていくかを考えていく必要がある。

 第2点は、教養の養にとって、異文化との接触が重要な役割を果たすということである。ここでいう異文化とは、単に異なる国の文化という意味だけではなく、異なる世代や時代を含めた自分とは異なる考え方、生き方、習慣などあらゆる「自分とは異なるもの」のことである。自らの伝統や文化に対する理解の上に立ち、これらのものとの相互交流を通じて、自分とは何かを考え、自己を確立していくとともに、自分と異なる人や社会や文化などを理解し、これを尊重しながら共に生きていくという姿勢を身に付けていくことは、教養の重要な柱であると考える。とりわけ、これまで比較的均質な社会の中で生き、自分たちと異なるものは排除する傾向にあった日本人にとって、異なる文化や伝統を理解し、性、世代、国籍、言語、文化、宗教等の様々な違いを寛容の精神をもって受け入れ、より共有化できる価値を追求していく態度を養うことが重要であり、教養を培っていく中で十分に考えなければならない課題である。

1 生涯にわたる教養教育

 教養は、学校、家庭、地域のあらゆる場面を通して、様々な体験を積み重ねることによってはぐくまれていくものである。子どもは、発達段階に応じて、家庭においては親や兄弟との触れ合いによって、学校においては教育活動全体や教師・級友との交流を通じて、地域においては様々な体験を通じて知識と経験を身に付けていく。その中で、試行錯誤を繰り返し、自分とは異なるものに出会い、また、苦労して何事かを成し遂げたという達成感を味わうことによって、自信や周りの人々への信頼感を醸成していくことができるのである。

 少子化や都市化の進行、また、高度情報化の影の部分としてのいわゆる仮想現実感(バーチャルリアリティ)の肥大などの中で、人間や社会、自然を直接体験する機会が減少してきていると言われる今日、そのような機会を社会全体で教育的配慮の下に人為的に作り出していくことが必要である。子どもが自らの血となり肉となる教養の基本を身に付けていくことができるよう、学校、家庭、地域の連携の下に、自然体験や社会体験、奉仕体験を含めた様々な体験活動を充実しなければならない。

 そのためには、内容・量ともに一定の制約のある学校教育だけでは限界があり、学校外の様々な学習機会や自治体、スポーツ・文化・青少年団体の行う活動機会の質・量双方の拡充が必要である。同時に、学校の教育活動と学校外で子どもたちの参加する諸活動を有機的に連携させる必要がある。その際、苦しいこと、つらいことに耐えて初めて達成できることや、それによって初めて味わえる喜びがあることを自覚させることも大切である。

 また、教養は、これで十分といった到達点や目標があるわけではなく、生涯にわたって継続的に培っていくべきものである。このため、すべての人が、人生のどのような時期においても自分の求めるところに合った学習ができるよう、多様な学習機会の提供やそのための情報提供の仕組み、学習支援の体制を整備することが必要である。特に、現代社会では、知識や技術の陳腐化の速度が極めて速く、高度で幅広い知識を身に付けることが要求される。このため、社会人になってからも必要なときに教育機関に戻って学習することができるよう、社会全体の意識改革や教育機関の受入体制の改善を思い切って進め、大学や大学院などで大人が学ぶことが珍しくないような環境を築くことが必要である。

 同時に、我が国は、広く一般に様々な学問や技芸を学び、それを楽しむという長い伝統を有しており、そうした伝統を生かしながら学ぶことを楽しみ、自分の世界を広げ、自らを高めることによって人生に大きな喜びを見いだしていくという観点も大切である。

 大人一人一人が常に自らの教養を高めようと努める社会を築くことは、魅力ある大人社会を築くことでもある。子どもたちの学ぶ意欲が減退している要因の一つとして、子どもたちが大人社会に夢や希望を持てなくなっていることがあると言われる。こうした社会を作ってしまった大人の責任は大きい。大人が真しに努力し、苦労し、そして充実感を味わっている姿を子どもたちに見せ、話し、伝えていく努力を行わなければならない。例えば、小学校や中学校に大人がIT技術を学びに来るとすれば、子どもたちにとって大人が真しに学ぶ姿を身近に見る良い機会になるだろう。大人一人一人が、様々な体験に自らも参加し、社会全体で子どもを育て、自らも成長していくことが何よりも重要である。

 大人自身が生涯にわたって学び、自己実現に努めることができるような魅力ある社会において初めて、子どもたちは目指すべき目標を得ることができる。

2 教養教育における初等中等教育の役割

 初等中等教育においては、既に述べたように、変化の激しい社会で主体的かつ自律的に生きていくための、生涯にわたる教養教育の出発点という観点から、その基礎となる強固な基盤を作ることが主要な役割と考えられる。

ア 基礎・基本の徹底

 各人が生涯にわたって自らに必要な教養を身に付けていく上で、初等中等教育段階においては、国民として共通に身に付けるべき基礎・基本を確実に習得することが不可欠である。とりわけ、「読み、書き、計算」をはじめとする基礎的な知識・技能を確実に身に付けさせるよう全力を注いで指導することが重要である。また、国語の力は、理解力や思考力、表現力など重要な能力の基盤となるものであり、各教科等を通じて、その育成に意を用いる必要がある。

 子どもの多様な個性や自主的に学ぶ態度を育てることの重要性を強調する余り、基礎的・基本的な知識・技能を反復練習などによって繰り返し教えるような指導方法を「一方的に教え込む」ものととらえて、総じてこれを好ましくないとする見解も一部にある。しかし、多様な個性は、基礎的・基本的な知識・技能を一人一人に徹底的に指導し、確実に習得させ、それを基盤として、更なる自発的な学習につなげることによって伸ばすことができるものである。我が国の伝統文化の世界では、独創性を発揮するためには、「型」と呼ばれるような基礎的・基本的な事柄を完全に身に付けた上で、それを超えることが必要とされており、こうした考え方は我々にも大きな示唆を与えてくれると思われる。

イ 自ら学び、自ら考える力の育成

 生涯にわたって主体的に学ぶ意欲や態度を培っていくためには、初等中等教育の段階から、自ら学び、自ら考える力を育てることによって、学ぶことの大切さを理解させるとともに、その喜びを味わわせ、学習する習慣や一つのことに粘り強く取り組む態度を身に付けさせていくことが重要である。

 このため、問題解決的な学習や体験的な学習を積極的に取り入れ、自ら学ぶ意欲や主体的に学ぶ力、論理的思考力、表現力、問題解決能力などを育成する必要がある。

 また、読書は子どもにとって居ながらにして異なる環境を体験し、想像力を羽ばたかせることができる身近な機会である。この機会が子どもたちに身近なものとなるよう努めるとともに、あわせて、良質なテレビやラジオの番組、インターネットなどのメディアも活用しつつ、一人一人が新たな知識を獲得し、自分の世界を広げる体験を積み重ねていけるよう、学校の内外における様々な配慮が求められる。

 自分で課題を見付け、考え、判断し、問題を解決していく力を育成する上で、特に後期中等教育の段階は重要である。この段階は他者とのかかわりの中で試行錯誤を繰り返しながら、自己を見詰め、発見し、確立し、自分の力で未来を切りくための基礎を培う時期であり、「自分は何をすることができるのか」、「どのように生きていくのか」、「社会とどうかかわっていくのか」などについて考えを深めることが重要である。このため、各人の興味・関心や進路希望などに応じた多様な選択が可能となるような教育内容を提供するとともに、体験活動などを通じて積極的に地域社会の人々と触れ合ったり、古典をはじめとした読書を通じて先人の残した多くの知恵について学んだりすることを可能にし、青年期にふさわしい内面的な成長を促していかなければならない。

ウ 豊かな人間性の基盤づくり

 近年、少子化や都市化など子どもをめぐる社会状況の変化によって、従来は日常の他人とのかかわりの中で自然にはぐくまれてきた社会性や規範意識などが希薄になっているとの指摘があり、子どもたちに、他人を思いやる心、自律心や責任感、自由には規律が伴うことへの理解、他者との共生や寛容の精神など豊かな人間性を育成することが大きな課題となっている。豊かな人間性や社会との関係で自己を位置付ける力は、知的な能力と並んで「教養」の重要な要素と考えられ、初等中等教育段階においても、その育成に一層努めていく必要がある。

 このためには、学校完全週5日制の導入を契機に、学校、家庭、地域社会全体が一体となって、生活体験、自然体験、社会体験など豊かな体験活動の機会を更に充実していくことが重要である。学校教育においても、各教科等の授業に体験的な学習を積極的に取り入れていくべきである。

 あわせて、学校教育全体にわたって道徳教育を充実し、単に知識として知っているというだけでなく、子どもの内面に根ざした道徳性を育成し、日常生活の中で実践できるようにすることが重要であり、そのための教材にも意を用いるべきである。

3 初等中等教育と高等教育との接続

 初等中等教育段階までの教養教育を考えるとき、大学入試の在り方が大きな課題となるという意見もある。また、近年、大学側からは、今の大学生には学ぶ意欲や基礎的な学力が欠けているといった批判がなされることがある。こうした点に関連して大学側においても大学入試や教育の在り方を見直すことが必要である。

 特に、大学入試に関しては、少子化の進行による18歳人口の減少に伴い、入学者の確保を主眼とした安易な入学者選抜を行う大学が増加する一方で、受験者を効率的にふるい落とすことを主眼として断片的な知識の多寡を問うような入学者選抜を行う大学も依然として残っているのではないかという意見もある。

 今こそ明確な教育理念に基づくアドミッション・ポリシーの確立が求められるのであり、それぞれの大学が必要と考える資質等に照らして、個々の生徒が初等中等教育の段階までに様々な経験・体験を通じて培ってきた資質や能力、大学で学ぶ目的意識や将来の生き方を考える態度などをより適切に評価する方策について各大学が真剣に検討すべきである。このことが、後期中等教育段階における生徒一人一人の教養の養を促進することになり、ひいては大学に入学した学生の学ぶ姿勢や意欲にも大きくかかわってくることをあえて述べておきたい。

4 高等教育段階における教養教育

 生涯にわたる人格の陶やを考えた場合、高等教育を受ける10代後半から20代前半にかけての時期において、社会の中での自己の役割や在り方を認識し、より高いものを目指していくことを意図した知的訓練を、カリキュラム外も含めた学生生活全体を通じて行うことが重要である。この時期に、言語、科学、自然、古典、勤労、社会奉仕、芸術、スポーツなどの様々な領域について、その核となる要素をカリキュラム及びカリキュラム外の活動を通じて均衡のとれた形で学ぶことができるよう配慮しなければならない。学生時代は、比較的時間的な余裕に恵まれている。その中で、専門分野にとらわれず幅広い分野の古今東西の名著に親しみ、音楽、美術、演劇などの鑑賞あるいはそれらを通じた自己表現活動を試みるとともに、自己や社会について考え、それらと対していく力を自ら養うことは、その後の人生を豊かに生きていく上でも極めて重要なことである。

 また、本来、主体的に学ぶ場であるべき高等教育機関が、進学率の上昇に伴ういわゆる大衆化の進展に伴って、その性格を変化させてきている。このような中で、様々な工夫を凝らした多様・多彩な教養教育の展開を通じて、学生の知的好奇心を喚起し、将来の職業や生き方について具体的に考えさせ、学ぶことへの目的意識を高めるとともに、社会の中で果たすべき役割・使命についての認識を持たせることは一層重要になっている。

 教養教育の重要性については、これまでも繰り返し言われながら、いまだ大学には研究重視の気風が強く残っており、教育面の改善は十分には進んでいない。大学におけるより良い教養教育の実現のためには、まず大学教員一人一人が教養教育の意義を再認識するとともに、国においても、教養教育の充実のため、様々な支援策を検討する必要がある。

ア カリキュラムとしての教養教育

 高等教育段階における教養教育の理念を踏まえた上であれば、各高等教育機関が行う「教養教育」のカリキュラムは、それぞれの目的・性格に応じて異なってしかるべきであろう。特別に「教養教育」と銘打たなくても、専門分野の教育を通じた教養の養もあり得る。特に、専門分野と社会とのかかわりの認識や職業倫理の醸成などは、専門分野の教育を通じてよりよく行われるものと考えられる。

 一方、将来における知的探求活動の基盤となり得る一定の広がりや深さを持った幅広い分野にわたる教育を体系的にカリキュラム化し、その中で、知的な思考方法や表現方法を身に付けさせることを目的とした教養教育の在り方も考えられる。特に、専門性の向上は大学院を主体に行うという今後の方向性を考えると、各大学においては、このような教養教育を重視する方向で、学部教育の見直しを検討することも望まれる。

 また、今日、地球環境問題や生命倫理などの諸問題にいかに対応するか、著しい発展を遂げる科学技術を人類の幸福の実現のためにいかに使うことができるかが大きな課題となっており、こうした課題に対応するためには、いわゆる文系の知と理系の知の融合や、従来の学問分野を超えた学際的な新しい学問領域を開拓していくことが一層重要となっている。このためにも、教養教育の充実を通じて、人間や社会に対する洞察を深め、多面的な視野から物事をとらえ、判断する力を育てていくことが必要である。

イ カリキュラム外の教養教育

 教養教育はカリキュラムの中だけで完結するものではない。様々な部活動やサークル活動は、社会性の養の観点から見れば生きた学校であり、ここで培われた協調性や指導力などの重要性を説く人は多い。また、教員との交流や友人同士の切磨などを通じた豊かな人間性の養も重要である。

 国内外でのボランティア活動、職業体験、スポーツ、旅行などを通して自己を磨き、自己と職業、自己と社会とのかかわりについて考えを深めることも重要である。これらの一部については、高等教育機関においてカリキュラムに組み込むことも考えられてよいのではないか。

 さらに、高等教育の段階ともなれば、学校の枠を超えてボランティア活動など様々な社会的活動の主体となったり、自ら起業に挑んだりするなどのチャレンジ精神もあってしかるべきであり、高等教育機関としてこうした機会についての情報提供を行うことも検討されてよい。あわせて、教育制度全体としても、やり直しのきく柔軟な教育の仕組みの実現などを通じて個人一人一人の挑戦を支えていくことが求められる。

おわりに

 本審議会においては、「今なぜ「教養」なのか」、「新しい時代に求められる教養とは何か」及び「どのように教養を培っていくのか」について検討を行い、以上のような基本的な考え方を示した。

 今回の「審議のまとめ」においては、時間的な制約もあり、本審議会に諮問された事項についての基本的な考え方を示すにとどまり、教養教育の視点から見たこれまでの教育改革の成果の検証及びその検証の成果を踏まえた教養教育の改善のための具体的な方策については、踏み込んだ検討を行うことができなかった。

 現行の中央教育審議会は、平成13年1月5日をもって48年間にわたる歴史に幕を閉じることとなるが、これらの残された検討課題については、新世紀を迎え新しく再編される中央教育審議会において、更に具体的に審議が進められることを期待したい。

 また、具体的な改革案の実施についてスケジュールを策定し、その実施状況を定期的に検証する仕組みが必要であり、行政において、そうした仕組みの検討が進められることを求めたい。

お問合せ先

生涯学習政策局政策課

-- 登録:平成21年以前 --