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新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について(答申) (第29回答申(平成3年4月19日))

平成3年4月19日
生涯学習政策局政策課

29 新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について(答申)

(答申)

平成3年4月19日

文部大臣 井上 裕 殿

中央教育審議会会長
清水 司

新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について(答申)

 本審議会は、平成元年4月、文部大臣から「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について」諮問を受け、後期中等教育の改革とこれに関連する高等教育の課題及び生涯学習の基盤整備について審議を進めてまいりました。
 平成2年1月には、生涯学習の基盤整備に関して答申を提出したところですが、今回、後期中等教育の改革とこれに関連する高等教育の課題、及び生涯学習の学習成果の評価について、次のとおり結論を得ましたので答申いたします。

目次

はじめに

第1部 改革の背景と視点
第1章 改革の背景
第2章 高等学校の現状と問題点
第3章 改革の視点

第2部 後期中等教育の改革とこれに関連する高等教育の課題
第1章 高校教育の改革
第1節 学校・学科制度
第2節 教育内容・方法
第3節 学校・学科間の移動
第4節 教育上の例外措置
第5節 支援措置
第2章 受験競争の緩和等
第1節 受験競争激化の問題点
第2節 大学入学者選抜の改善等
第3節 高等学校入学者選抜の改善等

第3部 生涯学習社会への対応
第1章 生涯学習における学校の役割
第1節 生涯学習における学校の役割と課題
第2節 今後の推進方策について
第2章 生涯学習の成果の評価
第1節 生涯学習の成果に関する評価の実態と考え方
第2節 生涯学習の成果の評価に関する方策
改革の実現のために

はじめに

1 中央教育審議会は、平成元年4月24日、文部大臣から「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について」諮問を受けた。その内容は、「後期中等教育の改革とこれに関連する高等教育の課題」及び「生涯学習の基盤整備」である。これらの課題については、それぞれ「学校制度に関する小委員会」及び「生涯学習に関する小委員会」を設け、審議を進めてきた。このうち、後者の課題に関しては、平成2年1月30日、「生涯学習の基盤整備について」答申を行ったが、生涯学習の成果の評価については引き続き検討を行うこととしていた。
 平成2年12月18日、両小委員会は、それぞれ「学校制度に関する小委員会審議経過報告」及び「生涯学習に関する小委員会審議経過報告(その2)」をとりまとめ、総会の了承を経て公表した。
 本審議会は、これらの審議経過報告に対して寄せられた多数の意見や関係団体からのヒアリングなどを勘案して慎重に審議を重ね、ここに答申としてとりまとめた。

2 今回の答申をとりまとめるに当たり、本審議会は、教育が国家社会の発展を目指すべきものであることはもとよりだが、しかし、固定した未来像や産業国家としての計画や目標に合わせて教育の在り方を考えるよりは、まず現在の教育の持つ歪(ゆが)みを正し、子どもの心の抑圧を軽減して人間性の回復を図ることが肝要であり、それを通じて一国の未来への遠い可能性に期待すべきであるとの基本的考え方に立っている。
 このような考え方から、まず学校制度に関しては、これまでどちらかと言えば画一的・硬直的な傾向が強かった高校教育について、生徒や社会の変化に柔軟に対応するとともに、生徒の個性の伸長を図ることを目指して、学習における選択の幅を拡大するなどさまざまな施策を検討した。また、このような高校教育の改革を進めるためには、受験競争の緩和を図ることが不可欠であると考えられるので、入学者選抜方法の改善についても検討を行った。
 さらに、今後は、学校教育の抱える諸問題の解決を図るためにも生涯学習社会の実現に努めることが必要であり、生涯学習において学校が果たす役割や、学習の成果を適切に評価する方策を検討した。

3 第1部「改革の背景と視点」では、まず、今日の学校教育が抱える諸問題を検討するに当たり、その諸問題をもたらしている要因として、学歴主義の成立と受験競争の激化、教育における平等と効率の問題等を取り上げ、わが国の歴史や国民の意識にまで遡(さかのぼ)って考察した。次に、諮問の課題の一つである高等学校について、その現状と問題点を分析した。その上で、本答申の目指す改革の基本的な考え方を、高校教育改革と生涯学習との二つの視点としてとりまとめている.
 第2部「後期中等教育の改革とこれに関連する高等教育の課題」では、高校教育の改革に関する具体的な提言を行うとともに、これらの改革が十分な効果を上げるよう、受験競争を緩和するための今後の方向を示している。また、高等教育との接続という観点から、大学における教育研究の在り方についても述べている。
 第3部「生涯学習社会への対応」では、今後の生涯学習社会の実現に向けて学校に期待される役割や具体的施策を示すとともに、生涯学習の成果を適切に評価する仕組みの拡充など今後の方策について提言している。

4 さらに、今回の改革を真に効果あるものとするためには、行政当局の改善努力と合わせて、関係者の特段の協力を求めることが必要である。そこで、最後に「改革の実現のために」を設け、関係者の協力をお願いすることとした。

5 行政当局においては、新しい時代に対応する教育の諸制度の改革を図るため、この答申で示した問題の認識と改革の視点を十分に踏まえ、提言した諸施策を勇断をもって速やかに実施するよう強く要望する。

第1部 改革の背景と視点

第1章 改革の背景

(1)産業の成功と教育
 明治維新による開国から今日までに、日本の教育は二つの注目すべき量的拡大を経験した。1872年(明治5年)に義務教育制度が発足してからの小学校の就学率の急上昇が、その一つである。もう一つは、第二次世界大戦後の高等学校への進学率の、短期間での急激な上昇である。どちらの場合も、日本の産業化・近代化の推進に決定的な役割を果たした。
 前者は日本の産業革命に作用し、日本が農業社会から工業社会へ変貌(ぼう)していくプロセスに照応している。それに対し後者はわれわれの近い歴史に属し、日本が現代の高度産業社会に脱皮していくプロセスにほぼ一致している。高校進学率が50%であった1955年(昭和30年)から90%に及んだ1975年(昭和50年)までの20年間で、日本の国民総生産は約18倍となり、世界にそれの占める比率は2%から10%へと約5倍に達するという巨大な変化を示した。
 教育だけがこの成功をもたらした唯一の要因ではないにしても、19世紀の後半に欧米諸国に伍(ご)して、今日の発展段階に達した日本の成長が、上に見た、2度にわたる教育の急激な量的拡大、別の言葉で言えば教育の大衆化・平均化に相当程度に依存していたことだけは、疑うべくもないであろう。
 産業の発展がかなり大幅に教育に依存し、しかも世界のこれまでの諸地域の歴史において例の少ない急テンポであった日本の変化を考えてみるなら、教育が他の先進諸国には余り見られない無理を強いられ、効率中心に走り、余裕を失うなどの欠点を少しずつ強めて今日に至ったということもまた、もう一方の事実として、否定することはできないであろう。もし教育に現在何らかの病理が発生しているとするなら、それは余りに短期間に達成された日本の産業面での成功のいわば代償であり、裏面の歪みであるとも言えなくはない。

(2)学歴と競争
 江戸時代を通じ、日本人の識字率は高く、教育自体に高い価値が与えられていた。明治維新は日本が欧米諸国の圧力をはね除(の)け、近代化の立ち遅れを一気に取り戻すという緊急の課題を背負っていたので、ヨーロッパに起こったあらゆる革命よりも、ある意味で徹底した側面を持っていた。とりわけ指導者の選び方においてそう言える。進取の気性に富んだ有能な人材が、社会の広い範囲から求められ、「学校」が人材登用機関の役目を果たした。既に幕末に、武士の子と町人の子とを一緒に教育し、互いに競争させるという発想が幾つかの私塾で実践されていたが、明治以後もこの発想は大筋において継承された。当時のヨーロッパでは実現の見込みさえ立っていなかった平等主義的な教育制度が、維新後わずか5年後に採用され、藩校は全廃された。当時としては誠に大胆で、急進的なこの教育制度の採用の結果、国民が能力に従って生きる道が少しずつ広がり、この国を次第に大きく変えていった。
 こうして、本人の努力次第で、上級の学校を卒業すれば将来の人生に展望が開けるという「学歴主義」が、日本では、他の先進諸国よりも純粋なかたちで形成されるに至った。この「学歴主義」の考え方は、封建社会から近代社会への移行期にあった当時では極めて新鮮で、久しい期間にわたり、この国を近代化の方向に導く上で大きく貢献した。けれども現代の日本の教育には、量的拡大と高度の効率の良さにもかかわらず、さまざまな病理現象が発生している。
 現代は、「学校」が国民に近代的な自由や希望を与えることを急務とする時代だとはもはや必ずしも言えないであろう。にもかかわらず、「学校」を社会的地位上昇の手段とする期待感情だけは、国民の間に、今でもまだほとんど純粋なかたちで残っている。否、「学校」への期待感情は残ったという程度にとどまらない。時代とともに大衆化し、より幅広い層に支えられ、一段と熱気を帯びた。その結果人々は「学校」に逆に縛られるようになった。
 とりわけ第二次世界大戦後、華族制度も地主制度もなくなり、日本の社会の中の仕切りが少しずつ取り払われて、一段と平等になった。平等が進み国民の所得水準が上昇するに従い、進学率もそれに応じて上昇した。やがて、高等学校が--戦前の旧制中等学校は少数者の学校であったのに--ほぼ全員入学制に近くなり、また戦前の約20倍の人間が大学の門に殺到した。同じタイプの者同士の競争は頂点を目指して一直線に並ぶのが常であるから、学校間の序列は、平等になった今日の方が、戦前より以上に強化されるようになり、有力校や有名校を実際の実力以上に押し上げ、さらに学校間格差を自動的に押し広げるメカニズムの野放し状態に、国民が悩まざるを得ない結果となった。つまり、平等主義がわが国で広範囲に実現されていく過程において、能力という名の別のレッテル貼(ば)りが少しずつ進行したのだと言える。
 これは教育をめぐる今日の、大変に逆説的な事態と言えよう。
 すなわち、学歴とはわが国ではかつて人々に自由や希望を与える思想であったが、今やある意味で単なる「未来投資」の思想であり、その意味で競争回避の思想でもある。学歴獲得のための競争は、真の意味での競争ではなく、競争という冒険が本来人間に与える勇気や生命力とは正反対の側にある非生産的な情熱に流されやすい事態となっている。

(3)平等と効率
 教育は平等の度合いを高めれば、ある程度効率を落とさざるを得ないし、逆に教育効果を高めようとすれば、ある程度の不平等はやむを得ぬものとしてあきらめねばならないことが多い。例えば、学力に差のある二つの学校の生徒を平等に扱おうとして、両校の学力のほぼ中間に適したテキストを共同使用すれば、学力の高い方の学校の一部の生徒は退屈して足踏みし、学力の低い方の学校の一部の生徒はそれでも難し過ぎてついて行けず、全体として教育効果が上がらない、というような現象を、われわれはしばしば経験している。ところで、アメリカとヨーロッパの教育は現在この点で際立ったコントラストをなしている。ここで敢(あ)えて細部にこだわらない大胆な比較を試みてみたい。
 アメリカの初等中等教育は、国民にほぼ同一の教育を与える単線型であり、ハイスクールや大学への進学率も高く、極めて平等だが、近年、学力水準の低下というかたちで、著しい効率低下に悩まされている。一方ヨーロッパの教育制度の多くは、中等教育段階で複線型に分かれ、能力や資質に応じ極めて効率良く運営されているが、進学率は低く、平等とは決して言い難い。
 ところが日本の教育はこの点どうであろうか。日本の教育だけは例外的に、平等への欲求と効率の良さとを両立させる方向で運営されてきている。日本の教育が果たして真に平等か、真に効率的かという厳密な詮(せん)議立てはひとまず置くとして、アメリカにほぼ匹敵する進学率の高さ、教育の大衆化の現実が日本にはあり、日本の教育は形式的には極めて平等である。同時に小・中学校における平均的に高い学力水準の維持、高等学校の進学率と卒業率の高さ、産業社会への適応度の安定が認められ、十分に効率的である。日本の教育を他国と比較したとき、平等と効率はともあれ両立していると言っても、さして間違いではあるまい。
 これは日本のこれからの教育問題が、もはや他国のモデルに依存することでは解決できないことを意味する。日本の教育は他の先進諸国にまだ先例の見いだせない新しい未知の性格を示し始めているのである。
 それなら、日本の教育が平等でかつ効率的であるのは何によっているのか。すなわちアメリカ型の教育の平等化・大衆化に耐えながら、なお学力水準を維持し、産業社会へ人材を効果的に送り出す適応性の高さと柔軟さを誇り得るのはいったい何によってであろうか。それは何とも逆説的なことだが、あの欝(うつ)陶しい学校間「格差」--息苦しい進学競争に日本人を駆り立てる一因となっている--によっているのである。
 学校間の「格差」あるいは「序列」は、現在、学生生徒を偏差値によって区分けし、国民の多くに抑圧感情と閉塞(そく)感情を与えている、日本の教育の病理のいわば最大の問題点である。われわれが何とかして乗り越えようとしてもどうにもならなかった障壁であった。しかし別の角度から見れば、学校間「格差」ないし「序列」は、大量の高校生や大学生に高校卒、大学卒という同一資格を与えてその平等への欲求を満足させ、他方、学力別に区分けしたグループごとに適切な教育を与えるというかたちで、効率性の維持にも役立っている、見方によれば、便利なシステムだとも言えるのである。
 日本で言えば高等学校にほぼ相当するドイツのギムナジウムの「上級段階」への進学率は約20%で、日本に比べ極めて低率であり、学校の数も少ない。だからドイツでは、学校間の「格差」もほとんどないか、あっても小さくて済む。したがって受験競争は原則的にはない。残りの約80%の青少年は、ギムナジウムとは水準やタイプの異なる別の学校へ行くか、職業に就いている。
 日本では95%もの同年齢層が「高校卒」という同一資格を手に入れることを強く欲求している。この平等への欲求がいかに根深く、動かし難いものであるかは、日本人なら誰(だれ)でもが知っていよう。だとしたら、すべての高等学校を形式的に同じ資格にするのであるから、実質的な「格差」や「序列」を設け、これを暗黙の了解事項とする以外に、効果的に教育を与えることはできないこととなる。大学間「格差」の成立と維持に関しても、事情はほぼ同様である。
 ここに、日本人の八方を満足させようとする気配りの無理と、それを独特な仕方で形式的に解決した日本的知恵の帰結があると言えるが、同時にその結果が自分を縛り、日本の教育をある点で身動きできない状態に追い込んでしまっているのである。
 この背景を動かしているものには、「学校」に対する近代日本人のあの、2で述べた歴史に由来する熱意と期待がある。放って置いても上級学校へ殺到する、今なお衰えない日本国民の熱意は、他の先進諸国にはない、むしろ貴重な財産だとさえ言える。ところで上級学校へどっと押し寄せるこの国民の上昇志向に「平等」に対応するためにも、今述べたように、高校卒、大学卒の名称の同資格者を大量に輩出する以外に方法はなく、しかも学力に大きな差のある年齢層の青年を「効率的」に教育するためには、幾層にも学校があらかじめ区分けされているのが、やはり一番自然な解決の道だった。
 日本は学校間の「格差」や「序列」によって、平等への情熱をうまくさばき、能率の低下をも防ぐという知恵で巧妙に切り抜けてきたが、同時にこれが、偏差値偏重による教育の歪みと受験競争の激化を招いている真の原因でもあったのである。
 偏差値偏重や受験競争という国民を苦しめている病気の原因が、見方を変えて見ると、実は社会の微妙なバランスの保全に役立っていたことを悟らざるを得ない。偏差値偏重や受験競争の災いをこれまでにどうしても取り除くことに成功しなかった原因はそこにあった。われわれは日本の社会の安定維持のための装置が、他面で病気の原因でもあったという恐るべき現実から目をそらしてはいけない。これまで受験競争の災いの軽減を目指した教育改革が常に挫(ざ)折し、目に見える決定的改良効果を上げ得なかった真因は、この身動きならぬ現実を正視しなかったことにある。
 もしも受験競争を鎮めるということだけが教育改革の唯一の目的なら、ある意味では非常に簡単である。「平等」と「効率」のどちらか一方を完全に犠牲にすれば済むからである。例えば、仮に全国の高等学校や大学から入試をなくし一斉くじ引きによる学生の機械的振り分けか、公立小学校のように厳密な通学区域制かにすれば、「平等」は守られ、その代わり「効率」は失われるかたちになる。そして受験競争も消滅するだろう。その逆に、「平等」の方を捨てるというやり方はもっと現実的で、ドイツの前述の例がそれに当たる。学力上位20%の生徒だけを大学入学資格者として認定し、ほかは大学進学につながらない学校に入学させるという決まりにすれば、競争は恐らく全高校生を巻き込まないで、局部的になり、全国規模の競争の画一化は解消されるだろう。
 しかし、言うまでもなく、わが国の教育はこの二つのいずれの道をも否定してきた。そして可能な限り「平等」であろうとし、同時に可能な限り「効率」を高めようと努めてきた。その結果、受験競争は極限にまで高まり、脱け出る出口のない袋小路に突き当たってしまったのである。
 われわれは善かれと思って進んできた道の行き止まりで今あがいているのであって、それだけに解決は容易ではない(あるいは発想の思い切った転換を必要とする)という苦い真実を、まずしっかりと見据えなくてはならない。

☆ ☆ ☆

 さらに、日本の社会にとって大切なもう一つの問題がこれに付随している。
 「平等」と「効率」の良さは教育制度にだけ反映しているのではなく、日本の産業社会そのものの性格でもあるという問題である。教育制度は社会のいわば縮図である。
 友達や隣の子が進学するから、自分も進学するし、自分の子にも進学させたいという日本の親子の見せる同一性志向は、日本の産業を有利にしていると言われる従業員相互の集団意識と根は一つではないだろうか。幹部社員と一般社員の賃金に欧米ほど顕著な差を付けない日本的経営法は、教科内容に差を付けられて学習することをいやがる日本の教師や生徒の同一性志向の傾向とつながっていはしないだろうか。職業高校よりも普通高校を好んで志向し、そのため学校間「格差」をますます広げる同一路線上での単一競争は、個性や癖の少ない均質な労働者の組織内協調を前提とした競争によって能率を上げようとする日本の企業社会の構造に照応していないだろうか。
 日本の経済の強さと、教育における受験競争等の災いが質的に別個のものだとは、われわれにはどうしても考えられない。災いだけを取り除いて、長所の部分だけを残すなどという器用なことが、人間に果たしてできるだろうか。社会人を含めた日本人全体の生き方が改まらなくて、教育だけを良くしようというのは虫がいいし、不可能なことなのだ。日本人が自らの生き方を変えずして、教育を良くする政策を他人に、学校に、関係官庁にだけ期待している限り、いつまでたっても根本的な変化の波を教育の世界に引き起こすことは難しいであろう。日本の教育の命運は、学校や文部省や中央教育審議会の手の中に握られているのでは必ずしもない。例えば、わが子の進学に目の色を変え、わが子を外見の良い、収入の良い職業人に仕立て上げることのほかは深く考えようとしないタイプの親がどれくらい多いか、また、採用に当たって学歴を重視し、個性や癖の少ない均質な労働者を求めることのほかは深く考えない企業がどれくらい多いか、それによって左右されているのである。そして、親の心を動かすことも、企業の体質を変えることも、何人にも容易にはできない。
 学校教育における偏差値偏重、受験競争の激化、その前提となる高校間「格差」、大学の「序列」は、今日、日本の教育のいかなる問題にも必ず障害要因として顔をのぞかせる最大の病理である。しかし、他面ではこれが、日本の教育のバランスを支える安全弁でもあり、さらに産業社会の成功因でもあるとなると、社会全体の平等と効率のバランスを著しく失うことなしに、同時にそれの引き起こす裏面の災いをどのように制限し、少しでも緩和することができるか、これは矛盾しているがゆえに絶望的に困難な課題であるように思えてならないのだが、しかしまた、教育改革の目的は、紛れもなくここにしかないようにも思えるのである。
 この袋小路を抜け出るために、教育における「平等」の程度を少しでも引き下げることには、恐らくわが国では大変に大きな抵抗があるだろう。しかしよく考えてみたいのだが、ここでいう「平等」は95%もが同じ高校生である、しかも同じ教育内容を受けなければ承知しないというような意味の形式平等であって、本当に一人一人の生徒が平等に扱われているか否かということになると、もう一つ別の疑問が生じてくる。また、経済と技術の激しい国際競争を続けているわが国において、教育の「効率」を少しでも引き下げてよいと考える人はやはり少ないだろう。しかし、今まで達成されてきた「効率」は、産業社会の要請にほどよく見合うような、高いコストを掛けないで、生産性だけを高めるという経済的効率の良さにも通じるような何ものかであった。それが必ずしも一人一人の生徒の特性や個性の開発において効率的であったと言えるかどうかになると、やはり疑問が生じないわけにはいかない。
 時代の転換期に差し掛かっているわれわれは、「平等」や「効率」の概念そのものをここで大きく変えるという、発想の思い切った転換を求められているように思える。われわれの陥っている袋小路を抜け出る道は、恐らくこの種の転換への知恵の出し方にしかないだろう。
 わが国の教育は今まで量の拡大において特別の成果を収めたが、質の向上という点ではいまだ不十分であった。教育統計の数字の上では「平等」でかつ「効率」も良かったのだが、教育方法はややもすると画一的一斉方式に傾き、個々の生徒や学生のそこからはみ出た個性的生き方に対するきめの細かな、コストを掛けた教育方法の開発と実施には、今一つ配慮が払われないできた。これからは、全員が同じ教育内容を受けるような形式的な平等ではなく、個性に応じてそれぞれ異なるものを目指す実質的な平等を実現していくことがますます重要になる。たとえある程度経済的に非効率になっても、教育的に効率的な方が良いのだと考えるべきなのだ。
 具体的には、選択の幅を広げ、移動をもっと自由にし、コースの取替えの可能性を拡大し、寄り道してゆっくり成長する者にはその自由を与える、等を通じ、結果的に優れた力量を尊重し、個性ある例外を認め、ゆっくり成長する者に安心のいく道を用意すること、等である。われわれはこのような意味で、新しい時代にふさわしい「平等」と「効率」の概念の確立に努めていきたい。

(4)「学校歴」意識について
 日本の教育には、もう一つの病理がある。すなわち出身学校に関する説明のしにくい日本人の心理現象がそれである。これは卒業後に社会でより有利な地位を占めようという経済競争その他の動機だけでは到底説明できない心理現象である。例えば、受験生の心理一つを考えてみてもいい。まだ若い年齢の彼らが、しのぎを削ってわずかの点差を競い合うのは、企業や官公庁に入ってからの早い昇格を願ってのことだとは必ずしも言えまい。そうではなく、わずかな点差が心理的・社会的に拡大されて決定的な差になる特殊な競争心理にさいなまれているのである。殊に高学歴競争においては、経済競争とはまったく別の動機が働いている。
 一般社会において、どこの学校を出たから有利であるとか、評価できるとかいうことは、現代では次第に意味を失いかけていると言われるし、また現実にそうであろうが、社会の現実と心理の現実との間には開きのあるのが常である。たいした実績を上げないでも、「学校歴」だけで、優越感を覚えたり、他人に心理的威圧感を与えたり、派閥を形成したりするケースがまだまだなくなってはいない。アメリカでも、ヨーロッパでも、「学校歴」意識は存在するが、人間を評価する尺度が多元的で、複数化している欧米のような文明圏では、個人のこうした一属性がライフサイクルに作用を及ぼすかのごとき幻影によって個人が不安を覚えるということは、日本と比べ比較的少ない。欧米流の個人主義がすべて絶対的に価値あることだとも思えないが、日本の場合には、この点に限って、少なくとも今よりもっと「個」が尊重されることが待たれている。
 本審議会が目指す教育改革の目標は、評価尺度の多元化・複数化を通じて、「学校歴」に対する意味のない意識から人々を解放し、「個」の価値を尊重した社会意識を広く形成することに置かれている。

(5)日本的競争の特質
 日本の教育のもう一つの病理は、外目には激しい競争の背後に、実態としては競争回避心理が働いていることである。ここでいう競争回避心理は、若いうちに高い学歴を得て、大人になって安楽をしようという「未来投資」の意味とは少し違う。
 もし図式化して言うことが許されるなら、欧米社会では競争は大学生、あるいは社会人が行うべきもので、18歳以下の子どもは一般に競争からは解放され、自由でのびやかな成長を楽しむことが許されている。日本はある意味でその逆である。大学に入るまでが競争で、大学生になるともう余り競争しない。社会人は競争するが、違った原理でしか競争しなくなる。すなわち、あくまで組織との協調を前提とした同調競争であって、個人間の競争は欧米社会のように激しくもないし、露骨でもない。
 それはよく言われるとおり、他人との協調を大切にする日本型合意社会では、他人より著しくぬきんでることではなく、他人と同じである人並意識を何よりも尊重し、その許される範囲の中で競争し合う暗黙の合意が成り立っている事情に由来すると思われる。つまり競争回避心理の上に、初めて一定の節度ある競争が可能となる。それが日本の成人社会のいわば黙契である。したがって、日本の企業と企業との間の競争には確かに激しい一面があるかもしれないが、企業内部での個人と個人との競争は、欧米に比べれば、はるかに激しさを欠き、抑制されていると言える。言い換えれば、大学生以上の成人社会の全体が、表立った個人競争を避けるために、人生の競争の儀式を、18歳と15歳の子どもたちに押し付けている。しかも最近では12歳へと段々年齢的に下の層へ押し付ける圧力を強めていることが憂慮すべき問題なのである。
 言い換えれば、大人の社会が競争を避ける分だけ、子どもの世界が競争を肩代わりして、それが今日の日本の教育の病理のもう一つの様態を示している。
 原因を観点を変えて追及するなら、次のようにも言えるだろう。
 われわれは競争を大人の社会が避け、子どもに押し付けていると今言ったが、実は心理的実態に即して観察してみるなら、子どもたちも本当は競争しているとは言えないのではないのか、というもう一つの、別の面から考えられるべき問題があるのである。高校進学率95%、4年制大学の数500校以上という現実をよく考えてみていただきたい。本当に勉強したいから進学するのではもはやあるまい。他人よりぬきんでるためではなく、他人と同じような資格を得たいがために競争するという人並意識に駆り立てられている傾向はここでも強く、そもそも他の存在と同じでありたいと思うのは競争心理では決してなく、むしろ成人社会の場合と同じように、競争回避心理である。高校卒あるいは大学卒という肩書きを外されることを恐れ、言い換えれば個人としての競争を避け、高校卒若しくは大学卒という集団性の内部に身を隠し安心したいがために、学校へ、学校へと押し寄せ、その挙げ句、学校を激しい競争の舞台にするという逆の事態を招いてしまったのである。
 他人と違う存在であろうとする競争は生産的であるが、他人と同じ存在であろうとしての競争は、序列化した同一路線上での優勝劣敗の可能性しか残さない。
 他人と同じ存在であろうとする日本人の競争心理(ないしは競争回避心理)は、平等が進めば進むほど、ヨコに広がって価値の多様化をもたらすのではなく、同一路線にタテに並んで競い合う結果、「格差」をますます広げるという特徴を持つ。戦後において高等学校や大学の数が増加すればするほど、学校間の「格差」が大きくなり競争が激化するという、経済の需要供給の関係では説明のつかない状況を引き起こしたのも、この特殊な日本的競争のメカニズムが働いている結果である。

第2章 高等学校の現状と問題点

 第1章で述べたように、今日の学校教育については、その教育内容の画一性や受験競争の過熱化などさまざまな問題が指摘されている。そして、これらの諸問題は、特に高等学校の段階で深刻である。そこで、まず高等学校の置かれた現状をどう見ているかを明らかにしておきたい。
 わが国の高等学校は、戦後の新しい教育制度の下に後期中等教育の機関として創設されたものであるが、今日では同年齢層の約95%を受け入れるに至っている。また、その教育内容についても、学習指導要領や教科書制度などにより全国的に一定の水準を保つように努力されており、国際的にも評価されている。このような高等学校の拡充は、国民の教育水準を引き上げ、わが国の成長と発展に大きく寄与してきた。しかし、一方で今日の高等学校は、次のような問題点を抱えている。

(1)社会の変化と高等学校
 高等学校の前身である旧制中等学校は、少数者のための学校であった。昭和15年の旧制中等学校への進学率は約18%に過ぎない。しかし、戦後の新制高等学校発足以来、経済の高度成長などに支えられて、高等学校への進学率は、前述のように昭和30年から50年の間に50%から90%に急上昇し、今日では同年齢層の約95%を受け入れるに至っている。
 また、その卒業生の進路を見ても、大学・短期大学への進学率は昭和35年頃までは10%にとどまっていた。しかし、大学等への進学率も高度成長期を経て急激に上昇し、今日では約37%になり、専修学校専門課程も加えると、50%以上が上級学校へ進学するに至っている。
 言い換えれば、今日の高等学校は、一部の者が進学する学校から国民的教育機関へとその性格を変え、多様な生徒を受け入れ、なおかつ、彼らの半数以上を大学・短期大学、専修学校等へ進学させるという役割を担っているのである。
 高等学校の問題点を学科ごとに見ると、まず普通科は、今日では約74%の生徒を擁するに至っているが、その多くが大学進学を意識した画一的な教育課程を編成・実施しているため、生徒の多様な能力・適性等に必ずしも十分対応したものとなっていない。また、普通科の卒業生も約22%が就職しているが、彼らに対して職業に関する概括的な知識や心構えなど、基礎的な職業準備教育さえほとんど行われていないことも大きな問題である。
 次に職業学科は、農業、工業、商業、水産、家庭及び看護の各学科に分かれ、それぞれの分野の職業人を育成することを目的としている。職業学科は、昭和40年頃までは生徒数の約40%を占めていたが、その後の大学進学率の上昇等に伴う普通科志向の増加の中で、今日ではその割合は約25%に低下している。
 従来から、職業学科の卒業生の多くは就職しているものの、今日では進学希望者も増加している。しかし、職業学科においては、基本的に就職する者を主体とした教育が行われているため、進学希望者への対応は十分ではない。また、その学科の区分、内容は、戦後の新制高等学校発足時と基本的には変わっておらず、産業・就業構造の変化に十分対応したものとはなっていない。さらに、近年の社会の変化は、国際化、情報化の進展、さまざまな技術革新の進展などますます急速なものとなっており、高等学校の職業学科もこれらの変化に適切に対応していくことが求められている。

(2)青少年の変化
 近年の社会の急速な変化は、高等学校の生徒である青少年に対しても大きな影響を及ぼしている。青少年は、社会の変化に学校よりもはるかに鋭敏に反応し、その結果、彼らの生き方・考え方は、学校関係者の思いも寄らないほどに多様化している。全体として物質的に恵まれた環境の中で成長し、芸術、文化、スポーツなどの活動に早い時期から親しみ、それらの活動を通して多くのことを身に付けている。また、自らの好みをはっきりと持っており、自由に自分の好むものを選択したいという意識が強い。一方では、家庭や社会の教育力の低下、規範意識の変化などと相まって、日常的生活習慣の欠落、基本的規範意識の低下や大人になりたがらない傾向も見られる。
 このような特性を持つ今日の高校生に対して、これまで高等学校はどのように対応してきただろうか。生徒の興味や関心を十分考慮しないで、従来と同じ一斉指導方式により授業を行っていないであろうか。また、固定した校則や生徒指導で生徒を一定の枠にはめようとしていないであろうか。今日の高等学校は、青少年の特性の変化に適切に対応していくことが求められている。

(3)画一的な教育
 高校教育の一番基本的な問題は、もう言い古されたことではあるが、その画一性にある。
 まず、高等学校への進学率が急上昇したにもかかわらず、高等学校側が自らその現実の変化に十分に対応するだけの変容を遂げていない。国の基準においては、これまでも必修単位数を引き下げたり、生徒の実態に応じた多様な教科・科目を設けるなど、生徒の現実にできるだけ合わせるよう、さまざまな工夫を行ってきた。しかし、選ばれた者が進学する学校との意識が抜け切れていないせいであろうが、現在の高等学校の多くはいまだに十分に自分の学校に通ってくる生徒の実態にふさわしいものにはなっていない。例えば、教育課程の編成や教科書の採択に関し、生徒の実態にかかわりなく、進学を強く意識した背伸びが認められる。
 また、社会が変化し、生徒が多様化しているのに、教育内容が生徒から見て魅力あるものに思えるほどに、選択科目が十分に取りそろえられていない。これは、施設・設備や教職員数に一定の制約があるためであるとも言えるが、現場の教師が選択科目の拡大に必ずしも積極的でない点にも原因があると考えられる。
 さらに、恐らくこれが高等学校を画一的な教育に追い込んでいる最大の原因であろうが、高校教育が大学進学準備を中心にしたものになりがちなことである。今日では、高校教育はすべて大学進学のためにあるかのような考え方が一部でかなり支配的で、そこでは進学が生徒や親たちの最大の関心事であり、生徒の進学実績を中心に学校を評価するような社会的風潮に誰も疑問を抱かなくなっている。そして、この年齢層の青少年に大切な人間教育や心身の健全な育成が、ともすれば軽視されがちになっている。

(4)受験競争の激化
 前述のように、高等学校から上級学校へ進学する者は近年ますます増加し、このことが、進学問題を高校教育の中心的課題に押し上げている。しかも、いわゆる偏差値のより高い大学等を目指した受験競争はますます過熱化し、塾や受験産業の隆盛の中で、子どもばかりでなく家庭をも巻き込んで深刻な社会問題ともなっている。
 わが国の受験競争が特に問題にされるのは、競争に多くの人々が巻き込まれていて、受験勉強に神経をすり減らし、心身の健康を損なう青少年も相当にいるためである。また、自己を確立すべき中等教育の段階において、青年期に望ましい経験をしたり、精神的に豊かな生活を行うことが困難となっている状況は、その後の人間形成に悪影響を及ぼすことが懸念される。
 受験競争は中学校から高等学校へ入る段階でも激化しており、中学校側では、生徒や親の希望を背景に、偏差値による序列の高い高等学校への入学者を少しでも多くしようとし、一方では中学浪人を出さないようにしようとするため、偏差値に大きく依存した進路指導が行われている。このような進路指導は、反面、余りに夢のない不自由な現実を生徒や親に強いることとなり、高等学校への不本意入学者を生み、ひいては学校不適応者や中途退学者を増大させる一因となっている。

(5)不本意入学・中途退学の増加等
 画一的な教育や受験競争の激化という状況の中で、現代の高校教育にもう一つの深刻な問題が生じている。すなわち高校生の少なくない部分が高校教育に適応できないでいることである。進学した高等学校に満足できず、学習意欲がわかないために、学業が進まない生徒が大量に生まれている。中には問題行動に走ったり、学業を放棄して中途退学する者も少なくない。
 高校進学が社会的強制となっている現在、かなりの数の不本意入学者が出現するのはある程度避けられないが、中学校、高等学校や親の側にも責任の一半があることは否定できない。
 第一は、親の要望や社会的な風潮に押されてか、できるだけ高等学校、それも偏差値による序列の高い普通高校に進学させようという傾向が見られることである。中学校で卒業し職業に就きたかったのに、親や先生に説得されて高等学校に入学したが、授業にはついて行けないし、学校へ行っても少しも面白くないという生徒が少なくない。
 第二は、中学校段階で、偏差値に強く依存した進路指導が行われている点である。このような進路指導は、中学浪人をさせずに高等学校へ効率良く子どもを送り込むという目的にはかなっているものの、生徒の素質や能力、希望や進路などを十分に斟しん酌していない。進学した高等学校が希望に合わないために面白くないとか、レベルが高すぎてついて行けないといった不満がしばしば起こっている。高等学校までは誰でもがほぼ進学する今日、希望しない学校に進学し、学校への誇りや学習への意欲も持ちにくい、といった一群の不幸な生徒たちが発生しているのである。
 各高等学校の校風や教育内容などが特色に乏しいことにも責任の一半はある。これからは、偏差値だけで学校を選ぶ時代ではない。校風や特色を踏まえて学校を選ぶ習慣が広く一般化しなくてはならない。そのためにも、各学校が十分な個性を持って魅力あるものとなることが何よりも必要である。
 第三は、現在の高等学校では、転校、学科変更、再入学などについて適切な対応措置が講じられていないことである。進学した学校に満足できない生徒の中には、校内での学科の変更や他の高等学校への転校を望む者も少なくない。そうでなくても、中学校卒業段階で、普通科か職業学科かの進路を決断することが困難なことを思えば、入学後に進路変更がしたくなってもおかしくはない。しかし、いずれの場合も、入学後の転科や転校は容易でないのが現状である。
 また、高校教育が本来とっている単位制が、生徒指導の都合や教育条件上の制約もあって十分活用されていないのも問題である。学年制が硬直的に運用されているため、わずかな科目を落としただけでも留年を余儀なくされたり、他の学科や学校へ変わることも困難となる。それが契機になって退学したり、学習意欲を失い、問題行動に走るという事例もある。
 これからの時代に特に大切なのは、中途退学者に対して再入学を容易にする措置である。現在、高等学校を中途退学する者は約12万人にも及んでいるが、彼らが学習したくなったときには、いつでも学校に戻ってこられるようなルートを設けておくことが必要である。
 高等学校は義務教育ではないのだから、一般の広い社会常識として、「学校に行かなくてもいい自由」が、「生涯のいつでも学校に戻れる自由」とともに、確立されることがどうしても必要である。生涯学習の見地を、本審議会が同時に強調しているゆえんはそこにある。


 親の意識改革と学校側の適切な対応によって解決することのできる問題ももちろん少なくないが、必ずしもそれだけではどうにもならない現実もある。いわゆる指導困難校の現実がそれである。
 このような学校では、生徒は小・中学校で学んだことも身に付いていないから高等学校の教科書などはほとんど使えず、小・中学校の復習をやらねばならない。また、こうした生徒の中には、日常的な生活習慣さえ身に付いていない者も多く、学校では学習指導よりも生活指導を重視しないわけにはいかない。さもなければ、学習自体が成り立たないのである。
 高等学校の指導困難度にもいろいろな幅があり、すべてを一括して一律に考えることのできない問題であるが、いずれにしても、教職員の大変な苦労にこたえ、生徒の学習意欲を高めるための指導方法や生活指導についてさまざまな工夫や改善を行う学校に対し、各学校の実態や取組みに即した支援策が、それぞれの事例に応じて打ち出されなくてはならない。

第3章 改革の視点

(1)高校教育改革の視点
 第1章及び第2章において、改革の背景と今日の高等学校の現状と問題点を考察してきた。高等学校はこれまで、急速な生徒数の増加や進学率の上昇などに伴う量的拡大に対応することを重視し、どちらかと言えばその質的な充実を図る余裕がなかった。また、国民の強い平等志向の中で、高校教育の内容についても、ややもすれば形式的で画一的なものとなり、青少年の実態や時代の変化に柔軟に対応することができなかった。
 今後は、社会そのものが欧米の近代社会へ「追い付け追い越せ」の近代化とは異なる目標へ向かって質的転換を遂げつつあるのに合わせ、学校教育もまた、今までより以上にきめの細かな、コストも時間もかけた、丁寧な対応を求められてきている。それは教育を受ける側の選択の自由への期待が広がっていることにも関係している。子どもたちは画一性を嫌い、多元的な価値を求め始め、個性的な学校に憧(あこが)れるようにもなりつつある。それが時代のいわば趨(すう)勢である。
 今後の高等学校の在り方を考えるに当たっては、次の視点を重視していくことが必要であろう。

ア 量的拡大から質的充実へ
 高校教育は、これまでの量的拡大への対応から、個々の生徒の特性にきめ細かく対応することができるよう、教育条件の充実も含め、その質的充実を目指すことが大切である。
イ 形式的平等から実質的平等へ
 これまでの高校教育は、能力・適性等の多様な生徒に対しても形式的に平等に対応し、教育内容、指導方法等の面でとかく画一的なものとなりがちであった。今後は、生徒の個性に応じた実質的平等を目指していくことが大切であり、このためには、生徒がそれぞれの個性に応じて学校・学科や教育内容等について多様な選択ができるシステムにすることが重要である。
ウ 偏差値偏重から個性尊重・人間性重視へ
 高校教育の改革を進めるためには、受験競争を緩和することが不可欠であり、このためには、入学者選抜において評価尺度の多元化・複数化を図るなどの諸方策を講じていくことが必要である。これにより、偏差値偏重や受験競争による心的抑圧から生徒を解放して、それぞれの個性を尊重し、人間性を重視する教育を目指すことが大切である。

 今後の高等学校は、第二次ベビーブームの波が通り過ぎて生徒数の減少期を迎える。従来は量的な拡大に対応することに追われていたが、今後はこの面での負担はむしろ軽減される。これは、高校教育を量から質へ転換する最大の好機であるとも言える。今後は、施設や教職員を充実して、生徒の選択の幅を拡大し、その個性を十分に伸ばすために、高等学校を質的に充実させることが望まれるのである。
 なお、近年、大都市地域を中心に私立学校の志願者が増加している。
 私立学校は、一校一校が個性的で、独自性を発揮するところにその特質がある。しかし、一部の私立学校のように受験準備教育に過度に偏った教育を行うことは、本来の個性的な私立学校という観念とは必ずしも一致しない。このような私立学校においては、公教育の一環としての観点からもその行き過ぎを改めていくことが求められる。
 また、一方で前述のように、これまでの公立学校の教育はともすれば画一的なものとなりがちであり、親や子どもの要求を必ずしも十分に満たしていないという指摘がある。むしろ、この点で公立学校は、個性的で独自性を持つという私立学校の良い側面を参考として、それぞれが個性的で魅力のある学校となるよう努力することが必要であろう。

(2)生涯学習の視点
 高等学校をはじめとする学校教育が抱えている問題点を解決するためには、学校教育のシステム自体を改革することはもとより、広く生涯学習の視点からその改善策を考える必要がある。
 第1章でも述べたとおり、教育制度はその国の歴史や国民の意識と離れて存在するものではなく、そのシステムを支えている考え方は社会全体の性格を反映している。受験競争が過熱化しているのも、わが国の社会が人間を評価する際に学歴を重視する傾向が強いことに根ざすものであり、また、画一的な教育内容となっているのも、社会全体の平等主義への要請と産業社会の原則である効率主義の影響を強く受けているためと考えられる。
 しかし、今日では、わが国社会の価値観や考え方は大きく変わろうとしている。わが国は、産業社会として成熟の段階に入ろうとしているが、このような時代の流れの中で、従来の産業社会の原理が見直され始めていると言ってもよいであろう。「豊かな社会」が到来し、所得水準の向上や余暇時間の増大が進む中で、人々の価値観も「物の豊かさ」から「心の豊かさ」へとシフトし、従来の生産や仕事だけを重視する考え方から生活を楽しむことやゆとりを重視する考え方へと変わってきている。また、人々の好みや求めるものも多様化し、従来の大量生産による画一的な商品よりは、多品種少量生産による多様な商品の中から自らの好みに合った個性的なものを選択するようになっている。
 このような社会や人々の考え方の変化に伴い、教育の分野においても今後は、形式的な平等よりは実質的な平等が、また、効率主義よりも個性の尊重が、さらには、画一性よりは選択の自由を拡大することなどが重要になると考えられる。換言すれば、これまでの学校教育に代表される固定的な教育システムをより柔軟なものとし、ひいては学校教育と社会の間の仕切りをゆるやかにして、広く生涯学習の視点から、教育全体の在り方を見直すものとも言えるであろう。
 今後は、学校教育をも含めた社会のさまざまな教育・学習システムを総合的にとらえ、人々の学習における選択の自由を拡大して、生涯にわたる学習活動を支援していくことが重要である。わが国ではこれまで、学校教育が教育投資的な目的から重視され、しかも社会に出る前に集中的に行われる傾向が強かった。このため、学校教育が圧倒的に大きな役割を果たし、それ以外の教育システムは補完的なものとしか見なされなかった。そして、このことが、学歴偏重の社会的風潮を生み出すとともに、子どものしつけまで学校に依存する傾向を強める要因となっていた。
 しかし、生涯学習の視点から見れば、学校教育は社会のさまざまな教育・学習システムの一つである。今日の学校教育の大きな問題点である受験競争を緩和するためには、究極的には社会の学歴偏重の考え方を是正しなければならない。そのためには生涯にわたる学習歴を重視するようになる必要があるが、これは学校教育を改善するだけでは不可能であり、生涯にわたる学習の成果を評価する仕組みを開発しなければならない。また、学校教育は社会に出る前に行われるものと考えることもないであろう。義務教育を終えた後は進学するのも社会に出るのも自由であるし、また高等学校や大学の途中で社会に出ることも、更に後でまた学校に帰ってくることも個人の選択によると考えるべきであろう。さらに、学校教育のシステムを学校だけで完結させようとする必要もない。今日では、学校教育以外にもさまざまな学習機会が存在し、分野によっては学校教育に優るとも劣らない内容のものも存在する。これからの学校教育は、社会のさまざまな教育・学習システムとも連携を強化し、その内容によっては学校教育の単位に転換するなど、他の教育・学習システムを活用していくことも必要であろう。
 このように学校教育を生涯学習の一環としてとらえ、人々の選択の自由を拡大することによって、人々の学校に対する考え方も変化し、人生の早い段階における学校教育がその後の人生に決定的な影響を及ぼすというような心的抑圧を軽減することにもつながると考えられる。
 これからは、学校教育が抱えている問題点を解決するためにも、社会のさまざまな教育・学習システムが相互に連携を強化して、生涯のいつでも自由に学習機会を選択して学ぶことができ、その成果を評価するような生涯学習社会を築いていくことが望まれるのである。

第2部 後期中等教育の改革とこれに関連する高等教育の課題

第1章 高校教育の改革

 高校教育の改革を進めるに当たっては、まず、高等学校の性格を考えてみることが必要である。
 今日の高等学校は、かつてのように一部の選ばれた者が進学する中等教育機関ではなく、義務教育の修了者のほとんどすべての者が学ぶ国民的な教育機関となっている。中等教育機関は、戦前の学校制度においては、中学校、高等女学校、実業学校に分かれていたが、戦後の学校制度においてはこれらの学校は廃止され、新たに中学校及びこれに続く高等学校とされた。そして、中学校は義務教育とされ、高等学校は、その基礎の上に、広く普通教育や専門教育を行う中等教育機関として位置付けられた。このような高等学校制度は、その後の中等教育の普及に大きく寄与し、今日では中学校卒業者の95%に及ぶ者が学ぶ文字通り国民的な教育機関となっている。
 このように大衆化した今日の高等学校には、能力・適性、進路、興味・関心等の極めて多様な生徒が入学している。したがって、その教育の水準や内容については一律に固定的に考えるべきものではなく、生徒の実態に対応し、できる限り幅広く柔軟な教育を実施することが必要となってきている。高校教育では、中学校教育との連続性を考慮しながら、次代を担う社会人として必要とされる基本的な内容を生徒に確実に身に付けさせることが重要である。また、生徒一人一人に対して、自分の興味・関心や進路などに基づく主体的な学習を促し、それぞれの個性を最大限に伸長させるための選択の幅の広い教育を推進していくことが大切である。
 高等学校の段階は、生徒の自我意識が高まり、自分自身や自己と他者との関係、さらには、広く人間や社会についての関心が強まる。また、この時期の生徒は、家族や友人との人間関係をはじめ、自己の進路、将来の生き方などの青年期特有の問題に直面する。高等学校においては、こうした青年期の生徒が、自己を見つめながら自我を確立し、人間としての在り方生き方についての自覚を深め、人間性を豊かにはぐくむことができる教育が求められている。
 今後は、このような高等学校の性格を踏まえ、第1部第3章で述べた視点に立って、高校教育の改革を推進する必要がある。今回の改革は、以下に述べるとおり、学科制度の再編成、教育内容・方法の改善、学校・学科間の移動、教育上の例外措置と幅広い事項に及んでいる。これらの提言が、第5節に述べる支援措置と相まって、着実に実現されていくことを期待する。

第1節 学校・学科制度
(1)学科制度の再編成
(総合的な新学科)
 高等学校は、普通教育を主とする学科(普通科)と専門教育を主とする学科(専門学科、そのほとんどは職業学科)とに分かれている。
 普通科については、卒業後に就職する生徒も少なくないにもかかわらず、大学進学型の教育課程が編成されているところが多く、就職する者に対する職業教育は不十分なものとなっている。また、職業学科においても、近年では進学希望者が増加しているにもかかわらず、一部の小学科などでは過度に専門分化した職業教育が行われており、進学希望者への対応が不十分なものとなっている。
 一方、今日のように、技術革新の進展等に伴い産業・就業構造が大きく変化している時代にあっては、将来の職業に明白な展望が持ちにくいなどの理由から、生徒が進路決定を先送りしている傾向が見られる。また、こうした変化の下では、従来の特定の職業のための職業教育だけではなく、あらゆる職業に共通の実際的な知識・技術を習得させることが求められている。
 このような現状を踏まえ、現在の普通科と職業学科に大別されている学科区分を見直し、普通科と職業学科とを総合するような新たな学科を設置することが適当と考えられる。
 この新たな学科は、今後、高等学校の整備・再編を進めるに当たって、職業学科を転換したり、普通科における職業教育の充実をより一層推し進める形で設置していくことが適当であろう。
 また、この新しい学科には、専門教科の開設状況に応じて必要な教職員を配置するとともに所要の施設・設備を設置し、さまざまな形の普通教育と専門教育の組合せが可能となるようにする必要がある。
 総合的な新学科における教育内容としては、例えば、次のようなものが考えられる。

ア 第1学年で職業生活に関する基礎的知識を身に付けた後、第2学年から、例えば、工業科目を中心とする類型、商業科目を中心とする類型、普通科目を中心とする類型など、生徒がその進路に応じた類型を選択し、生徒の幅広い進路選択を可能とするもの。
イ 職業や実際生活に必要な知識・技術(情報処理技術、簿記会計、英会話など)を習得し、より良き社会人の育成を目指すもの。

(職業学科の再編成)
 職業学科については、現行の学科区分が社会経済の進展に必ずしも十分に対応していない面も見られ、また固定的な学科区分意識の中で学科の枠を越えた複合的な教育内容を実施することも困難となっている。このため、情報化、国際化、高齢化、サービス経済化等、今後のわが国の産業・就業構造の変化により適切に対応できるように学科制度を再編成し、例えば、新たに情報、厚生、観光に関する学科(仮称)などを制度的に加えることが必要であろう。
 また、今日のように技術革新の激しい時代に対応するためには、余りに専門分化した職業教育を行うよりはそれぞれの学科における基礎的・基本的な内容を重視し、個々の学科も過度に専門分化しないようにすることが重要である。

(その他の専門学科)
 理数科、音楽科、美術科、体育科、英語科、演劇科などの職業学科以外の専門学科については、時代の進展や生徒の多様な学習要求に対応する観点から、一層の充実を図る必要がある。

(普通科における職業教育の充実)
 ほとんどの普通科においては、大学進学型の教育課程が編成されており、生徒の能力・適性、進路等の多様化に十分対応した教育が行われていない。このような現状を改め、生徒の多様な実態に対応する観点から、情報、福祉などの特色あるコースを設けて職業教育の充実を図るなど多様な教育内容とすることを奨励する必要がある。また、実際的・体験的な学習等を通じて創造することの喜びや達成感を体得させるよう留意することも大切である。


 以上のような学科制度の再編成を実施するに当たって、国及び都道府県は、生徒の実態に応じて多様な学科の設置や教育課程の編成が可能となるよう、教職員定数や施設・設備等に関して所要の検討を行うことが必要である。また、実務経験や専門的知識を持つ社会人の活用などを積極的に進めることも重要である。さらに、生徒の実態や時代の進展等に応じた新たな分野に係る学科等の設置を促進するため、モデル開発やカリキュラム研究等を進めることも重要である。

(2)新しいタイプの高等学校の奨励
 中学校から高等学校へ進学するに際して、生徒が従来の普通高校、職業高校とは異なる、さまざまな新しいタイプの高等学校を選択できることが望ましい。
 近年、国際化、情報化に対応した特色ある教育課程を編成する高等学校や、多様な学科を設置して学科間の枠を越えて履修を認める高等学校など、新しいタイプの高等学校が設置され、高い評価を得ている。例えば、海外から帰国した生徒や外国人の生徒を積極的に受け入れ、国際理解を教育の柱とした高等学校、商業と工業の情報に関する科目を両方学ばせ、時代のニーズに合った情報処理技術者の養成を目指した高等学校、大規模校にした上で、その長所を生かし、多種多様な科目の選択履修を可能にした高等学校等である。
 これまでの高校教育は、とかく画一的になりがちであり、各学校がその特色を十分に発揮しているとは言えなかった。そして、このことが、単一の尺度による学校・学科間の序列意識や偏差値偏重の進路指導等を生む要因の一つとなっていた。これに対して、新しいタイプの高等学校は、生徒の実態や社会の変化に柔軟に対応しようとする試みであり、また、他の高等学校がそれぞれの特色を持ち、活性化を進める上でもパイロットスクールの役割を果たすものと考えられる。
 このような新しいタイプの高等学校については、現在は各設置者の努力と工夫にゆだねられているが、今後は、生徒の選択の幅を拡大するという観点から、国も積極的にその設置を奨励することが必要である。

(新しいタイプの高等学校の奨励策)
 このため、国及び都道府県は、1で述べた学科制度の改善を進めるとともに、新しいタイプの高等学校に関するモデル開発やカリキュラム研究、先導的な事例の収集・提供などを行うことが必要である。
 特に、都道府県においては、諸基準の弾力化等を行うとともに、今後、高等学校の整備・再編を進めるに当たっては、積極的に新しいタイプの高等学校の設置を検討すべきである。なお、国立や私立の高等学校についても、積極的な対応が期待される。
 さらに、国及び都道府県は、各学校・学科等の特色や実態に応じたきめ細かな配慮ができるよう、教職員定数や施設・設備等の条件整備の在り方について検討し、特色ある教育を行う学校に対しては優先的に教育条件の配慮をしていくことが必要である。
 なお、既設校が新しいタイプの高等学校に転換するためには、教職員の現状肯定的な意識の改革と特色ある学校づくりに向けた校長のリーダーシップが特に重要であり、これを支援する方途を講ずる必要がある。
 また、新しいタイプの高等学校以外でも、それぞれの学校が特色ある教育活動の充実に努め個性を発揮することにより、生徒の多様なニーズにこたえていくことが望まれる。

(3)4年制高等学校
 全日制高等学校の修業年限を見直すことについては、理科教育及び産業教育審議会答申(昭和60年2月)や臨時教育審議会答申(昭和61年4月)においてその検討の必要性が指摘されている。本審議会は、これらの指摘をも踏まえ、4年制高等学校設置の必要性に関して、職業学科及び普通科のそれぞれについて検討した。
 まず職業学科については、二つの学科にまたがるような技術分野の技術者の育成を図ったり、高度な職業資格の取得を目指したりするなど、職業教育を深化させる上で意義があると認められる。しかし、職業教育の深化を図るためには、現行の3年制の高等学校でも運用の改善により対応が可能であり、また高度な職業資格を取得させるためには、現行の専攻科の充実を図る方が適当であるとの意見も強い。さらに、看護科などについては、修業年限を延長するとしても4年制ではなく、むしろ5年制とすべきであるとの意見もあった。
 一方、普通科については、生徒の能力・適性、進路等の多様な実態に対応し、また、生徒の選択の幅を拡大するという観点から、ゆとりをもった指導の充実を図ることができるという意見や、高等教育相当の内容の一部も含めた教育内容の充実を図ることができるとの意見もあったが、積極的な意義を見いだすには至らなかった。
 さらに、4年制高等学校を設置した場合、その卒業生の大学・短期大学への接続に関して、大学・短期大学の第2学年に編入学できる途(みち)を開いておくことの実際上の必要性は指摘されているが、4年制高等学校の目的や教育内容等から考えて、直ちに高等教育相当の教育を行うものと位置付けることは難しく、その実現は困難であると考えられる。
 以上のことから、現時点では4年制高等学校を設置する積極的な必要性は認められないが、この4年制高等学校の問題は、今後は学校体系全体の在り方として検討すべき課題であると考える。

(4)高等専門学校の分野拡大等

(分野の拡大等)
 本審議会の学校制度に関する小委員会は、高等専門学校の分野拡大、高等学校からの編入学、名称等について、平成2年12月に審議経過報告を公表した。また、大学審議会は、高等専門学校教育全般にわたる改善方策について審議を進め、平成3年2月に「高等専門学校教育の改善について」答申をとりまとめた。この答申を受けて、上記審議経過報告でも提案したように、高等専門学校の分野を拡大すること、専攻科を置くことができること、卒業者は準学士の称号を得ることなどを内容とする、学校教育法等の一部を改正する法律案が国会に提出され、平成3年3月に成立した。
 なお、分野を拡大する際、対象分野の選定については、当該分野の特質や将来の見通し等について十分慎重な検討が行われる必要がある。

(高等学校からの編入学)
 高校卒業者を高等専門学校第4年次へ編入学させることは、職業高校卒業者の進路選択の幅を広げること、5年間同一校に学ぶ高等専門学校の学生に対して望ましい刺激を与えることなどのメリットがある。しかし、高等学校から高等専門学校への編入志願者は年々増加しているものの、教室等の施設上の問題やカリキュラムの相違等から、必ずしも十分には受け入れられていない。
 このため、今後は、高等専門学校の4年次に特別の編入学定員枠を設けるとともに、施設の整備や教育上の工夫など受入れ体制を拡充し、高校卒業者の高等専門学校への編入学を促進することが適当である。

(名称)
 現在の高等専門学校の名称については、高等専修学校、専門学校等他の学校制度の名称と紛らわしいこと、高等教育機関としてイメージが低いことなどの指摘がある。また、臨時教育審議会答申においても、「専科大学」(仮称)への変更について検討することが提言された。しかし、「専科大学」という名称については、大学並の高等教育機関のイメージが得られる反面、大学とは目的・性格を異にする教育機関にこのような名称を付すのは適当でないとの指摘がある。
 高等専門学校の名称については、今後の状況の変化等を踏まえて検討すべき課題とし、適当な名称が見いだされるまで、当面、現行の名称でいくこととする。

第2節 教育内容・方法
 わが国では、教育の機会均等、教育水準の維持向上等の観点から、初等中等教育段階の学校の教育課程の基準(学習指導要領等)は国が定め、これに基づき、各学校がそれぞれの教育課程の編成を行うこととされている。したがって、高等学校で生徒一人一人の能力・適性、進路等に真に合致した教育を提供できるか否かは、各学校の教育課程編成に当たっての工夫に負うところが極めて大きい。
 高等学校の学習指導要領は、昭和20年代の大幅な科目選択が建前とされた時期、30年代~40年代前半の必修科目増加の時期を経て、40年代後半以降は、必修科目削減と教育課程の弾力化が進められている。平成元年告示の学習指導要領でも基本的にはこの方向が維持され、例えば、卒業要件80単位中必修は38単位に限られ、また、多様な科目開設が可能とされるなどの改善がなされている。
 しかし、各学校の教育課程は、生徒の選択の幅が限られ、大学進学型の画一的なものとなっている例が多い。今後は、このような状況を改め、生徒のニーズに応じた選択中心の教育課程が編成されるよう各学校を促していく必要がある。

(1)単位制の活用
 高等学校においては、現在、単位制高校を除き、学年制と単位制とが併用されている。
 学年制とは、その全課程が修業年限の年数に応じて学年に区分され、各学年ごとに課程の修了の認定が行われ、1年ごとに進級の可否について判定が行われるものである。一方、単位制とは、単位を基準として学習量が測られる仕組みである。現在、高等学校の学習指導要領においては、授業時数35単位時間(1単位時間50分)を標準に1単位と計算し、卒業のためには最低80単位の修得が必要とされている。
 しかし、実際の運用は、教員の意識、学校運営上の問題、教育条件面での制約などにより、ほとんどの学校で過度に学年制に偏ったものとなっており、事実上単位制の長所は機能していない。その結果、学年を越えて履修できる科目はほとんどなく、生徒自身による選択の余地は狭いものとなっている。また、単位数がわずかに不足しても進級が認められず、翌年再度、すべての科目の履修を求めるといった硬直した例が多い。
 今後、各学校において生徒の選択の幅を拡大していくためには、単位制の趣旨を生かし、できる限り生徒の能力・適性、進路等に応じて、選択中心の教育課程が編成されるよう配慮することが重要である。また、全日制課程においても、必要に応じて学年の区分によらない教育課程の編成・実施が可能となるようにすることが必要である。さらに、わずかな科目でも落とすと進級・卒業できないという窮屈な状況を改め、各学校において、進級・卒業認定や転学許可等について、一層弾力的な取扱いをするよう配慮する必要がある。
 なお、単位制の活用を推進するに当たっては、生徒が安易な学習態度に陥ることなく、自らの能力・適性、進路等に応じ適切な教科・科目を選択できるようにするため、ガイダンスやカウンセリング活動を充実することが不可欠の前提である。

(2)高等学校間の連携の推進
 高等学校において他の学校や学校以外の機関での学習が履修とみなされる仕組みとしては、現在、定時制・通信制課程間の併修や定時制・通信制課程と専修学校などとの連携(技能連携)の制度等が設けられている。しかし、いずれも定時制・通信制課程において、生徒の学習負担の軽減を図る等の観点から特例として設けられているものであり、全日制課程には適用されていない。
 今後は、全日制課程についても生徒の多様な実態に対応し選択学習の機会を拡大する観点から、教員や施設・設備等の事情で開設できない教科・科目についても履修の途を開くようにする必要があろう。このような方途としては、例えば、普通高校と職業高校との間で相互に職業科目、特色ある普通科目を履修したり、あるいは、専修学校の学習や一定水準以上の技能審査の成果などを高等学校の単位として認めたりすることが考えられる。

第3節 学校・学科間の移動
 現在の高等学校では、いったん所属した学校や学科を中途でやめたいと考え、他への移動を希望しても、極めて困難なのが実情である。これからは、高校生の他校・他学科への移動の可能性は、もっと認められてよいであろう。
 特に保護者の転勤や海外からの帰国に伴う生徒の転入学や編入学を容易にすることは、親の単身赴任が社会問題化している今日では焦眉(び)の課題である。また、さまざまな理由で3年の間に途中で進路変更を希望する場合もあり、これに適切に対応することも必要である。このような措置は中途退学を防ぐ方策の一つともなり得よう。
 このため、高校生の学校・学科間の移動をしやすくするという観点から、地域の実情等に応じて、公私立を問わず各学校・学科に一定幅の編入学定員枠を設定することが適当であると考えられる。ただし、この場合、入学後も受験競争を継続させたり、特定校への希望集中によって序列化を促進したりすることなどのないよう、その与える影響などについてあらかじめ検討しておく必要がある。また、可能な限り選択中心の教育課程を実施して、学科を変更して移動する場合においても、移動前の修得単位を従来より弾力的に認定する配慮も大切である。
 なお、近年、私立の6年制一貫校においては、中学校段階ですべての入学者を決め、高校段階での新規入学を認めないという方針に傾いているところがある。新規入学を認めるか否かは各学校の教育方針によるものであるが、学校選択の機会を広げるという観点から、高校段階での新規入学について検討することが望まれる。
 さらに、中退その他で高等学校をいったん離れた者にも、自由に、再挑戦のチャンスを用意する必要がある。このため、単位制高校の整備や定時制・通信制教育の充実を含め、学校に戻りたい者を受け入れる方途について検討する必要がある。希望すればいつでも学校に戻ることができ、過去に修得した単位も無駄にはならないようなシステムを確立することは、生涯学習の見地からも、いわば時代の課題である。

第4節 教育上の例外措置
 これまで、高等学校の教育において生徒の選択の幅を拡大する諸方策を提言してきたが、これだけではなお生徒の個性を伸ばす上で十分でないと考えられる場合がある。「特定の分野において特に能力の伸長の著しい者」の問題がそれである。
 「特定の分野において特に能力の伸長の著しい者」とは、一分野で突出した才能を保持しており、専門家から早い時期に適切な指導を受けることが望まれる者で、そうした支援措置を受けないと、あたら才能のスポイルされるのが惜しまれるという程の稀(け)有な異能の才の保持者である。このような才能の保持者に対しても、これまでは形式的な平等の原則に縛られて、万人と同一の教育内容が強制されたり、集団の歩調に合わせた指導が行われてきた。しかし、個性を尊重するこれからの時代においては、特に能力の伸長の著しい者に対しては教育上の例外措置を認め、その能力の一層の伸長を図ることが必要である。
 このため、特定の分野において特に能力の伸長の著しい者、具体的には、前述のような才能の保持者について、教育上の例外措置の導入を検討することが適当であると考えられる。彼らを支援する措置が、受験エリートに利用される制度であってはならない。むしろ、一分野の天賦の才があり過ぎて、全教科の平均的能力を試される現在の受験体制に不向きな者に限って適用される救済制度でなくてはならないと考えられる。また、例外措置の内容としては、同じ学校内において学年を飛び越えて進級させるいわゆる「飛び級」は、採用しない。受験競争に利用されるなどの弊害が予想されるからである。
 以上のようなことを考慮すれば、特に能力の伸長の著しい者に対する例外措置は、当面、分野や対象者を極めて限定した上で、次のような方向で取り組むことが適当であろう。
 まず、数学や物理などの特定の分野に関しては、特に能力の伸長の著しい中等教育段階の生徒に対して大学レベルの教育研究に触れる機会を与えることが望ましい。このため、その実施方法や関連する方途などについて、専門的な調査研究に着手することが必要である。
 また、数学に関しては、大学入学年齢制限の緩和を試行的に実施することが望まれる。しかし、これを試行するに当たっては、生徒の心身の発達への影響、能力の認定の基準や方法、大学側の受入れ体制などについての専門的な調査研究を踏まえて行うことが必要である。

第5節 支援措置
 本答申で述べた改革の提言を実現していくためには、さまざまな支援のための措置が講じられることが必要となる。いかなる改革もそれを実現するための積極的な支援措置が伴わなければ十分な成果を上げることはできないのである。ここでは、国及び都道府県の行財政上の支援措置について、その基本的な考え方及びその方策を示すことにする。

(1)支援措置の基本的な考え方

 1)多元的で柔軟な教育システムの構築
 前述のように、今日の高等学校には、能力・適性、進路、興味・関心等の極めて多様な生徒が入学しており、このような実態に対応するためには、その教育の水準や内容を一律に考えるべきではない。今日では、生徒の実態に応じて、各高等学校が個性的で特色ある教育を実現していくことが重要であり、学校制度の運用において、多元的な発想から思い切った多様化・弾力化を図る必要がある。換言すれば、高等学校を固定的にとらえることなく、多様な教育を実施することのできる「多元的で柔軟な教育システム」として構築することが求められているのである。

 2)個性的なものを創出する積極的な行政への転換
 これまでの高等学校に関する行政は、進学者数の増大に伴う教職員や施設・設備の確保といった量的拡大への対応に追われていた。このため、教職員定数の改善や施設・設備の整備などの行財政上の支援措置も、全国的な一律の法令・基準に基づき、平等に重きを置いて行われる面が強かった。
 もちろん、わが国の高等学校をはじめとする初等中等教育は、全体的な教育水準の維持向上を図り、児童生徒の基礎的な学力を確実に身に付けさせるという面において、諸外国からも一定の評価を得ているところであり、このような方向は今後とも堅持していくことが大切である。
 しかし、一方でこれからの高等学校を改革するためには、全国的な教育水準を維持するだけでなく、それぞれの学校が個性的なものを創出することを促進するという観点に立って、積極的な行政を進めることが必要である。
 これからの高等学校に関する行政は、各学校における自主的な新しい試みや創意工夫を育てていくために、各種政策プログラムを企画立案していくことが必要であろう。例えば、高校教育の改革のヴィジョンを示し、その方向性に沿った各学校の自主的な取組みを促進するため、これに必要な教職員定数、施設・設備などの教育条件面での重点的・効果的な支援措置を用意するなど、きめ細かい政策の展開が期待される。また、指導困難校をはじめ意欲的な改革に取り組んでいる学校に対しては、格段の配慮が望まれる。

 3)国と地方のパートナーシップの確立
 本答申で提言する諸改革を実行に移し、高校教育の改革を実効あるものにするためには、その設置・運営について直接責任を持つ都道府県と、制度改正や行財政的な支援措置を用意すべき国との連携・協力関係が強化されなければならない。
 例えば、個性的で特色のある教育を展開しようとする学校に対して予算や教職員定数を重点的に配分するためには、都道府県側からの新しい提案に応じて、国も、都道府県が重点的・効果的な措置を講ずることができるような仕組みを整えていく必要があろう。
 特に今後は、都道府県の教育委員会の活性化、政策立案機能の強化が重要であり、国としても、教育委員会の取組みを更に積極的に支援していくことが必要である。その際、国は先導的な政策プログラムを企画立案するための共同の調査研究を行うなど、都道府県との連携・協力をより一層強化し、パートナーシップの確立に努めることが望まれる。

(2)学校の主体的な取組みと支援措置の基本的方向

 1)学校の主体的取組み
 本答申で提言した改革を推進していくためには、各学校、都道府県、国それぞれの努力が必要であるが、特に学校の主体的取組みが不可欠であり、今後、各学校においては、改革を実現するためにさまざまな工夫・改善を図ることが望まれる。
 すなわち、多様化した生徒の能力・適性、進路等に即し、基礎的・基本的な内容に重点を置いたり、生徒の学習意欲が高まるようなさまざまな選択科目を用意するなどの教育課程編成上の工夫が必要である。また、個に応じた指導を行うために、教科やその内容に応じて、習熟度別の学習集団の編成、少人数のグループでの教育、ティームティーチングなど多様な指導形態の導入やコンピュータ等各種の教育機器の活用など積極的な取組みが期待される。さらに、生徒一人一人に対して手厚い個別の指導や相談を行うために、進路指導や生徒指導の体制を整備充実することも大切である。特に不本意入学者や学習意欲が極めて低い者などの多い指導困難校にあっては、生徒の興味や関心に即し、学習意欲を高めるためさまざまな工夫が必要であろう。
 同時にまた、高校教育を改革していくためには、家庭や地域の協力が重要である。このため、各学校の取組みについての広報システムを確立していくとともに、学校に対する親や地域の意見や希望を十分把握し、これを学校運営に反映するなど、学校が地域等に開かれたものとなることが大切であろう。

 2)国の支援措置
(教職員定数、施設・設備など教育条件の改善)
 国は、諸改革に必要な制度改正を行うとともに、上記のような改革に主体的に取り組む学校が、それぞれ工夫・改善した教育課程や指導形態等を実施するために必要な教職員や施設、教材などを確保できるよう、教育条件の改善充実を図る必要がある。その際、従来の一律的な制度だけでなく、個々の学校の実態や具体的な取組みを勘案して重点的な配分ができる弾力的な制度とすることが大切である。
 同時に、学級編制については、普通科等は1学級の生徒数の標準が45人とされているが、今後の生徒数の推移等を踏まえつつ、例えば、40人に改善することが望まれる。その際には、固定的な学級編制にとらわれることなく、教科やその内容に応じ適宜適切な学習集団が編成できるような弾力的な制度とすることや、教職員数の算定に当たって上記のような各学校の教育課程や指導形態に係る工夫改善等を勘案できる方法などを検討していくことが重要である。
 また、施設・設備についても、各学校の教育課程や指導形態等を踏まえて必要な整備ができるよう、制度を弾力化することが大切である。また、人間性豊かな生徒を育てる教育環境づくりという観点から、温かみと調和のある学校環境づくり、多目的スペースやセミナーハウス等の整備を通じ、特色ある学校施設づくりを推進することが必要である。

(調査企画活動の支援、モデル開発、情報提供)
 高校教育の改革に関する基本的なデータを整備するため、学科の再編成をはじめ、学校間の連携などの実態や新しい試みなどについて、国立教育研究所等において調査研究を行うことが必要である。また、新たな分野の学科や新しいタイプの高等学校に関するモデル開発やカリキュラム研究を行い、先進的な事例に関する情報の収集・提供に努めることも重要である。特に、指導困難校でのさまざまな取組みについては、各地域または全国的な情報交換の場を設定することが期待される。

(人材の確保と待遇の改善)
 改革を進めていく上では、優れたしかも多様な人材を教育界に迎えることが不可欠である。このため、教職員の待遇の改善を図るとともに、初任者研修や大学における長期研修等の一層の充実を図ることが望まれる。特に、閉鎖的といわれる学校に新しい多様な分野の知識や技術を導入するためには、社会人の積極的活用を図っていく必要があるが、社会人から教師となった場合にその給与等が他の教師に比べて不利益になることがないよう制度の見直しを図る必要がある。また、改革の中心となる校長の待遇改善も必要である。さらに、指導困難校などで、地道で目立たないが生徒の高い信頼の下に意欲的な取組みをしている教職員に対する顕彰制度についても、積極的に検討すべきであろう。

 3)都道府県の施策
(特色ある学校づくりの推進)
 都道府県は、高等学校の設置・運営は第一義的に都道府県の責務であることを真剣に受け止め、その改革に積極的に取り組む必要がある。すなわち、学校・学科などが多元的で柔軟なシステムとして機能するよう制度運用のための諸基準の見直しを進めるとともに、各学校の自主的な取組みを促す観点に立って、人事、予算、施設・設備、教材、教職員の研修などの改善を行うことが重要である。特に、特色ある教育を行う学校に対し、予算や定数の重点的な配分を行うなど、優先的に教育条件上の配慮をし、改革を推進していくことが必要である。
 また、新しい教育課程を編成するのに必要な情報の提供や相談、各学校でのさまざまな実践例の情報交換ができるような支援体制も必要であろう。

(教職員組織の活性化)
 また、各学校が改革を推進していくためには、校長がリーダーシップを発揮し、校長を中心とした全教職員一丸となった協力体制を確立することが不可欠である。そのためには、校長に優秀な人材を登用することが必要であり、若手教師の管理職への積極的登用を図るとともに、校長が腰をすえて学校運営を行えるよう、校長の在職期間についても配慮するなど校長人事の適正化に努める心要がある。
 同時に、多様な選択教科を開設するなどの工夫改善を現実のものとしていくためには、それにふさわしい人材を確保する必要がある。このため、非常勤講師制度や特別免許状制度を活用し、広く社会に人材を求める努力が大切である。社会人の積極的活用は、生徒のみならず教職員にも新しい刺激を与え、「開かれた学校」の実現にも大きく寄与すると考えられる。また、出産等の事情により退職した教職員を活用するための方策についても検討が望まれる。
 さらに、教職員の研修については、経験年数等に応じた研修の体系化や大学派遣などの長期研修の機会の拡大を図るとともに、研修の内容についても、例えば、民間における研修機会の増加を図るなど、効果的なものとする必要がある。

(教育委員会の活性化)
 本答申で提言した諸改革を実行するためには、教育委員会の役割が極めて重要であり、各教育委員会は、自らの一層の活性化を図り、その政策立案・実施機能を高める必要がある。このため、教育委員や教育長の待遇の改善に努めるとともに、教育行政に関する高い識見と熱意を有する適材の確保を図ることが重要である。同時に、教育委員会事務局の組織体制や職員の人事、研修体制などについても改善を図ることが必要である。
(私立高校に対する助成)
高等学校の改革を全体として有効に進めるためには、私立高校の積極的な対応が強く期待されるところであり、都道府県は、その自主的な取組みを奨励・支援するための助成措置を一層推進する必要がある。

第2章 受験競争の緩和等

第1節 受験競争激化の問題点
 受験競争過熱の根本の原因は、第1部第1章「改革の背景」で分析したとおり、短期間で高度の産業化を成し遂げた日本の近代史の特質と、昔からの日本人社会に固有の性格とが複雑に絡み合った構造にあると考えられる。しかし、ここでは、受験競争激化の具体的な問題点を個別に検討する。

(1)競争の低年齢化
 動機はいろいろで、高校入試や大学入試のない、のびのびした中高一貫教育を受けたいとか、荒れた学校には行きたくないとか、偏差値に強く依存した進路指導を回避したいとか、これら多様な動機から、学校選択の自由に幅がある大都市圏では、小学生の中学校への受験競争が年ごとに激しくなっている。言うまでもなくその動機の中には、早い段階で一定のコースに乗らないと有力大学への進学が不利になるという恐れが含まれている。
 小学生の受験競争は、許容範囲を超えた出題内容も含めて、人間の順調な成長の速度に逆らい、成人後の精神の活力や独創性を脅かす可能性が高い。また、知的発達の早い子どもを余りに幼いうちから選(え)り分けることは、その他の子ども社会に好ましからぬ作用を及ぼし、国民教育の全体にも歪みを与える。すなわち子どもを早期から焦りと損得の感情に追い込む教育は、長い目で見て日本の未来を危うくするであろう。小学生が夜10時過ぎに塾から帰って来る光景は、いかにも異常である。最初は東京だけと理解されていたこの傾向が、地方都市に少しずつ着実に増加していることは、極めて危険な兆候と言える。

(2)ヴァラエティに乏しい生徒・学生社会
 できるだけ多種多様な能力や才能を持つ人間がどの学校にも広く散在していることが、人格交流の豊かさと相互の刺激による高め合いをもたらす点で、極めて大切である。ところが、タテ並び一直線の競争の一元化の結果、日本のどの学校も次第に多様なタイプの生徒や学生を集める力を失いつつある。殊に全国から広く多彩な人材を集めてきた全国型の国公私立の有力大学が、今この点で問題である。もとより昔から有力大学には特定の高校出身者に合格者が集中する比率は比較的高かった。しかし近年、一部の有力大学における特定高校出身者の寡占の現実は、常識をはるかに超える域に達している。一部の有力大学の医学部でこの点が特に問題にされ始めたことは、これまでの選抜方法の危機をも表現している。さらに、他の学問分野でもこの種の危機がどのように認識されていくかをわれわれは見守る必要があるが、企業社会ではすでに一部、有力大学出身者が真に有能であるかどうか疑問を抱く人々が増えてきている。にもかかわらず、受験の世界での競争がそれとは別個に推移しているところに、受験競争というものの矛盾に満ちた特徴がある。

(3)公正の観念の一面性
 日本では入学試験のやり方は、まずなによりも公平でなければならない、という観念がはなはだ強い。しかもペーパーテストを過度に信頼し、その点数の高い方から機械的に順に入学者を決めていく点数絶対主義がひたすら正しく、1点でも低い者が落ちるのは当然で、そうするのが公平なのだと簡単に信じられている。そのためこの点だけは疑ってはならないという意識が強く働いているが、実はこの公正観が新しい不公正の始まりだということに、人々は気が付いていない。
 ペーパーテストの能力判定だけを絶対視してきた結果、大都会に住んでいて、かなり教育熱心な家庭の子どもが圧倒的に有利になっている。決して家庭の収入の多さだけが有利の条件ではない。教育投資にのみ過敏に反応する大都市居住者の子どもに一方的に有利になる、そういう結果が近年著しい。能力があっても、誰でもが平等に近づくことのできない大都会の進学実績度の高い国立の附属学校や私立の中高一貫校が、長期にわたって有利な条件を保持し続けることが、果たして公正と言えるのだろうか。何が公正であるかを、国民はここで新たに問い直さなくてはならない。
 幼いうちから受験技術の特訓を重ねる条件に恵まれた子どもにだけ有力大学への門戸が広い現状は、教育における機会均等の理念に反するだけではない。このまま続けていけば、やがて新しい階層分化を生じさせ、本当の意味での人材開発に役立たないのみならず、日本の指導者層の力の衰弱をも引き起こしかねないだろう。
 入学試験は寸秒を争う100m競争ではないのだから、もっと自由に考えてよいのではないか。何が公正かについて、われわれはもっと多元的尺度を取り入れ、今のように客観的正確さにこだわらなくてよい方法を考案すべきである。点数だけを基準にする正確さが、果たして客観的に正確かどうかも、本当のところはよく分からないのである。
 いったい何が公正の観念か?一例を挙げてみよう。
 入学定員1,000人の大学で、得点順位3,000番を採れ、とは言わない。しかし、1,000番までと1,500番までとの間に、通例、決定的差はない。仮の言い方だが、501番から1,500番までの間から500名を選抜するのに、点数とはまったく別の基準を立ててもよいのではないか。考え方はいろいろあるはずだ。何らかの方法で各県から幅広く選抜するのも、特定の高等学校に集中するのを避け、できるだけ数多くの高等学校から選ぶようにするのも、ボランティア活動や部活動を考慮するのも、職業高校卒業生を特別配慮するのも、みな公正の観念に入り得る。

(4)受験優等生の抱える問題
 成績優秀で、頭は良いが、協調性に乏しく、自己主張はするものの、責任感や忍耐心に欠け、既成の観念で物事を処理して自ら現実にぶつかって解決を図ろうとしないタイプの青年が、いわゆる高学歴者の中に多くなった、という実感をわれわれは抱いている。一般に最近見られる青年の幼児化現象の原因は、受験競争だけがすべてではない。けれども、幼児期から駆り立てられている記憶力競争は人間から創造性や自発性を奪い、成人したときには既に疲れた、精神の不活性状態を引き起こすことは、経験上知られている。
 これからの日本は各方面において、集団的画一思考に陥らない真に個性ある人物の活躍を必要としている。入試という現在の選抜の仕組み及びその方法、内容が、果たして個性ある人物の選抜と育成に適しているか否かが、今緊急に問われている。いわゆる進学高校の受験準備に偏った教育や有力大学の現在の選抜方法は、真のエリートを育成するものとは必ずしも言い難い。

(5)全体に波及する競争の構造化
 われわれが上記のごとき問題意識を抱くのは、大都市圏の一握りの受験生に固有の関心事にかかわり過ぎているからではない。日本の教育全体の中での小さな部分にこだわっているからでもない。われわれは、部分が全体に波及的に作用しているタテ並び競争の構造に着目しているのである。有力大学の入学者選抜の在り方は、日本の高等学校、中学校、小学校の教育の全体に、有力大学とは直に関係のない学校にまで、間接的に大きな作用を及ぼしているからである。
 第1章に述べた高校教育の改革諸案も、何らかの形で「自由化」を目指すものだが、タテ並び一直線の受験競争の実態に抜本的な改変がなされない限り、自由の幅はさして広がらず、高校生全体に福音をもたらすほどの効果を上げ得ないだろう。われわれは価値の多様化を前提とする多選択型競争を目指すものだが、そのためには上部の学校、すなわち大学が多選択型に耐える構造を示さなくてはならない。
 われわれは決して大都市の進学実績度の高い、国立の附属学校や私立中高一貫校にだけ関心を集中しているのではない。有力大学に何人送り込むような学校だからその学校が問題だというようなことを言っているのでもない。国民教育を歪めている学校の序列構造の全体を問題にしているのである。例えば、いわゆる6年制一貫校の多くが、受験競争からはむしろ解放された、ゆとりある人間形成機関として成果を上げてきたことは評価されるのだが、現在、ゆとりある6年間の教育を勝ち得るために小学生がゆとりを失いかけている事態が存在している。このような事態について関係者は深く考えて欲しい。
 大学の入学者選抜はひとり大学だけの課題ではない。すでに見てきたとおり、今や国民的規模で取り組むべき課題と言っていい。大学が権限の一切を握って、それで解決できるという問題でもない。大学以外にも多数の関係者が存在する。すなわち中学校、高等学校、とりわけ進学実績度の高い学校、企業・官公庁、文部省、教育委員会、塾や予備校、マスコミ等、そして親である。これら関係者にことさらの悪意はなくても、全員の思惑や利害が相互に入り組んで、現状が成立している。
 以上に挙げた関係者は、受験競争の緩和が今や国民的課題となっていることにかんがみ、それぞれが自分の狭い立場を乗り越えて、その改善のため積極的な努力をしていただきたい。すべての関係者が、それぞれ何らかの責任を感じて一致して行動を起こさなければ、この問題は解決へは決して向かわないだろう。直接の被害者は子どもたちである。子どもたちは自ら発言できない。われわれは物言わぬ彼らの立場に立つ--この原点を決して忘れてはならないであろう。

第2節 大学入学者選抜の改善等

(1)改革の方向
 改革の方向はおよそ次のように要約できよう。

ア できるだけヴァラエティに富んだ個性や才能を発掘、選抜するため、点数絶対主義にとらわれない多元的な評価方法を開発する。
イ 少数の有力大学を頂点として大学全体が序列化されるのではなく、多くの大学が、教育・研究において、特色を発揮し、競い合い、多選択型競争を促す構造、すなわち多峰型のシステムになる方向を目指す。
ウ 入試に関する情報を広く公開する。

以上3点は、国公立大と私立大の区別なく、一般的に広く受け入れられる改革目標であると、われわれは考える。

(2)評価尺度の多元化・複数化
 評価尺度の多元化・複数化の具体案をわれわれは次のように幾つか例示してみる。もとよりこれに限るということではなく、各方面で更に活発な工夫と開発がなされることが必要である。以下に掲げるのはあくまで案であり、採用の如何は各大学の自主判断に任されている。

ア 学力基準の多元化・複数化
 1)調査書、2)面接、3)小論文、4)実技検査などを加味し、学力検査にのみ偏しないように配慮する。これは既に数多くの大学で実行に移されている。
イ 特定の能力に重点を置いて選抜する方法
全教科の総点評価によるのではなく、秀でた特定教科や特定分野に重点を置く。
ウ 部活動・生徒会活動・取得資格・社会的活動その他を参考にする方法
エ 海外帰国生徒、社会人、職業高校卒業生を対象として、一般の志願者と異なる方法により選抜する方法
オ できるだけ出身高校が広範囲に分散するように入学させる方法

1)総点順位とは別の基準を設定する。
2)特定高校出身者の一大学における寡占を是正する。
3)各大学の実情に合わせたその他の方法を開発する。

 以上の各案を相互に組み合わせて実施し、総合的効果を発揮できるようにすることが大切である。また、入学後の追跡調査を行い、他大学の参考になるようその結果が公開されるのが望ましい。

(3)推薦入学制度の改善
 推薦入学制度は、一般選抜とは異なる多様な尺度を用いて個性ある学生、あるいは大学の特色に合った学生を選ぶことが本来の目的である。また、不本意入学を避け、その大学への進学を強く希望する意欲ある学生を受け入れることにも有効である。
 このような趣旨に基づき推薦入学制度は今日、数多くの大学・短期大学によって採用されている。これは、偏差値重視や点数絶対主義を改めていく上で、また、高校生活をその目的に沿って有意義に過ごさせる上で有効な一制度として今後もますます活用されるべきである。しかし、最近では制度の不適切な運用により、一部の私立大学で本来の趣旨から大きくそれる弊害が目立ってきている。
 弊害の第一は、大学が定員確保のためにこの制度を利用し始めたことである。いつの間にか推薦入学による合格者の比率を公表もせずに次第に高め、定員の大部分を推薦で入学させる私立大学・短期大学が出現してきた。また、本来の目的からそれ、一般入試に先行して、一般入試とほとんど変わらない学力検査によって推薦入学の選抜を行う大学もある。
 弊害の第二は、実施時期が次第に早期化している点である。かつては11月下旬以後に合格決定を行う大学が普通だったが、現在では私立大学を中心に早期化の傾向が目立ち、9月、10月に合格決定を行うところも見られるようになっている。
 生徒急減期を控え、生徒獲得を優先するあまり、推薦入学制度が学校教育の全体を歪めないよう、募集定員の中で推薦入学の枠の占める割合、推薦入学の実施時期等について今後更に改善されなくてはならない。
 その際、特に要請しておきたいのは、推薦入学制度を実施する各大学の全面的な情報公開である。受験生を混乱させないために、一般入試による入学者数と推薦入学による入学者数とをあらかじめ明示し、しかも前年度予告通りに実施されたかどうかに関しても一般社会に常に情報公開することは、教育に携わる機関の当然の社会的責務であると考える。
 また、学業成績中心の入学試験を打破するため、一部の大学で試みられている多様な個性の学生を獲得するための推薦入学の在り方に対しては、高等学校側としても、十分に理解を示し、その目的に沿うよう積極的に協力する必要がある。

(4)分離・分割方式への統一と比率の適正化
 国公立大学の入学試験は、いわゆる「AB連続方式」と「分離・分割方式」の併用という複雑な方法で行われており、実施方式の簡素化を図る必要がある。
 その際、国公立大学の受験機会の複数化は幅広い国民の要望だし、旧一期校・二期校の復活は、避けられなければならない。と同時に、受験機会の複数化の方式は、大学が多元的な評価の尺度を導入し、受験生の能力・適性等を多面的に判定する方向での入学者選抜の改善を助長するような方式である必要がある。このため、現行の「AB連続方式」と「分離・分割方式」の併用を廃止した後は、原則として「分離・分割方式」に統一し、現状において前期日程への定員配分の偏りが見られることにかんがみ、前期日程・後期日程の募集定員の比率の適正化を図るべきである。

(5)大学入試センター試験の活用
 共通第一次学力試験が導入されてから以後、偏差値に基づく大学の序列が以前に増して顕在化したこと、各大学がレッテルを貼られて固定化したこと、マークセンスの人間を生産したこと、そして予備校を肥大化させたことなど、マスコミで指摘されてきた批判には、それなりの理由がある。しかし、難問・奇問を排し、試験問題の内容面での向上に役立ったことは認められなくてはならない。さらに、評価の尺度を大胆に多元化・複数化する場合に、学力の一定ラインを証明する下支えはどうしても必要である。今後、ペーパーテストの一点差で当落を決める点数絶対主義ではなく、複数の、さまざまな評価の物差しをペーパーテストと併用したり、評価尺度の多元化・複数化の一環として個人の能力とは別次元の尺度を導入したりする際に、大学入試センター試験は、学力の一定のベースを証明する材料として、有効に役立つであろう。
 このように大学入試センター試験は、各大学が、評価の尺度を多元化・複数化する際に、学力の一定ベースを証明する資料として、画一的でない、多様な使われ方がなされるのが望ましいであろう。
 なお、高等学校の秋の行事を妨げないためにも、大学入試センター試験の実施時期は1月以後が守られなくてはならない。

(6)関連する方策
 以上のような入学者選抜の改善の具体的な方向を実現するため、関連して、次のような方策が必要であると考え る。
 1)国公立大学と私立大学、大学と高等学校との間の協議機関の設置
 これからの入試改革に当たっては、近年における私立大学の役割の増大と地位の高まりに照らし、国公立大学のみを視点におくことを改め、国公私立大学を通じての全般的な選抜方式の見直しが求められる。
 高校生以下の教育に及ぼす影響力は、今では、私立大学の入学者選抜の方がむしろ大きいくらいである。私立大学もまたこの点を勘案し、国公立大学と責任を分有しなくてはならない。
 私立大学においても、社会的な要請や、個性的で多様な資質や背景を持った学生を選抜し大学を活性化する必要などに基づき、早くから入学者選抜方法の多様化のための工夫がなされてきている。その結果、多様な推薦入学制度や社会人、帰国生徒、留学生等を対象にした特別選抜等を実施する大学も増えてきている。
 今後、このような方向に向かって一層改善を進めるとともに、他方で既に指摘したような推薦入学の実施時期や募集定員に占める枠の割合等について改善していくことが求められている。このため、国公立大学と私立大学が協力して入学者選抜の改善に当たる協議機関を設置することを提言する。また、国公私立大学と高等学校の間でも入学者選抜に関する広範囲の問題に関し、双方が対等の立場で、いつでも自由に討議し、意見を交換し合える場の設置も必要であり、そのための機関の設置についても提案する。
 これらの協議機関においては、入学者選抜の公正な評価基準の在り方について研究協議しつつ、当面の課題として、次の事項等について具体的な協議を行うことが望まれる。

  • 各国公私立大学を通じた学力検査の実施期間
  • 学力検査の問題の点検と評価
  • 学力検査の教科・科目数などの在り方
  • 推薦入学の在り方
  • 特別選抜の在り方
  • 評価の多元化の理念に基づき、能力・適性等を多面的に判定するための選抜基準の在り方
  • 途中年次編入学定員の選抜の在り方

 なお、大学及び高等学校の代表者等による協議機関にあっては、特に、生徒の能力・適性等を総合的に評価し、本人の希望を尊重しつつ、偏差値に過度に依存しないような適切な進学指導の在り方について研究協議を行うことが必要である。
 2)大学に関する情報や入試に関する情報の提供の充実
 現在、受験生による大学の選択が偏差値情報に過度に依存したり、あるいは大学に関する一面的な情報に依存して行われている状況が見られる。これを改善するため、進学希望者や高等学校等に大学の教育・研究の内容等に関する正確で質の高い情報を提供するための体制を整備する必要がある。このため、大学入試センターにおける情報提供システムの整備充実や各大学における大学情報の提供の一層の改善充実を図ることが重要である。
 さらに、大学入試センターは、国公私立の各大学の入試に関する情報を収集し、広く国民の利便に供する必要がある。
 3)大学入試センターの調査研究の推進
 大学入試センターは、良質の問題や多元的な評価方法の開発等に係る調査研究の推進機関としての役割が期待される。
 4)大学の入試担当組織の充実
 入試改善を推進するために、各大学に入試専任教員を置き、事務局の人員も整備する必要がある。
 5)編入学定員の設定
 他大学からの転入学や学士入学などを容易にするため、大幅な途中年次編入学定員の設定等の方策を推進する必要がある。これにより、学生の流動性を高め、高校卒業時点での選択が必ずしも自己の将来を規定してしまうものではないという意識が国民の間に広まっていくことが期待される。

(7)大学審議会における検討
 高等学校と大学との接続の改善を図る観点から、入学者選抜の改善を中心として検討し、以上のような提案を取りまとめた。
 しかしながら、大学入学者選抜の在り方は、大学教育の在り方と密接な関連を有するものである。すなわち、ある大学が、以上の提案に沿って入学者選抜の改善を図った場合、それまでの学生と比較すると、極めて幅の広いタイプの学生を受け入れることになると考えられる。そのことは、その大学の活性化につながると同時に、学生の「教育」ということに従来に比較して新しい努力を傾注する必要が生じることになると考えられる。したがって、大学入学者選抜方法の改善が必然的に大学の教育の在り方に大きな影響を与えるものであることについて、十分留意する必要がある。
 現在、大学審議会においては、大学教育全般の改善について検討が行われている。諮問の際にも、高等学校と大学との接続の改善の問題については大学審議会との関係を考慮しつつ検討するようにとの要請もあった。そこで、本審議会は、この大学入学者選抜の改善の問題については、大学審議会において、大学教育の在り方を視野に入れつつ、以上の提案について具体的に検討されることを期待する。

(8)大学の入試時期の繰下げ
 大学の入試時期の繰下げの問題については、高校教育の正常な運営の確保や時間をかけた特色ある選抜の実施の観点とともに、他方、大学の入学時期との関連、受験競争への影響、国民の意識の動向等についても十分に留意する必要がある。よって、この問題については、以上の点を踏まえ、引き続き慎重に検討する必要があると考える。

(9)教育内容等の改善
 1)高校教育と大学教育の関係について、大学の一般教育の内容と高校教育の内容とに重複があることや一般教育の授業の実際とその理念・目標との間にしばしば大きな乖(かい)離が見られることが指摘されている。
 大学の一般教育が、入学直後にまとまって、かつ、主として多人数による講義を中心として行われる状況が多く見られ、このことが、高等学校を卒業して大学に入学したばかりの学生にとって、大学教育に対する新鮮味が感じられない要因の一つになっているのではないかとの指摘があり、これら高等学校との接続にも配慮した大学教育の改善が課題となっている。
 2)今後は、高校教育の多様化に対応して、各大学が、高校教育の動向や実情に配慮しつつ、その理念・目的に基づき、教育の内容・方法の改善充実に努め、それぞれ特色ある発展を目指すことが重要であると考える。
 今後の大学教育においては、流動的で複雑な社会や学術の新たな展開等の変化への対応能力の育成を重視する観点から、自ら考え、判断させる教育、幅広い教養及び学問の基礎を重視したカリキュラムの編成、情報処理能力・外国語能力・表現能力等学問の基礎となる能力の訓練等がますます重要となる。この場合、特に、高校教育の内容との適切な接続に十分配慮することが必要である。
 また、大学においては、それぞれの教育理念・目的に基づいた4年間一貫した魅力ある教育プログラムの提供に努めるとともに、教員による教授内容・方法の工夫、各授業科目の授業計画(シラバス)の作成、カリキュラム・ガイダンスの充実等を推進し、その教育機能をより活性化し、学生の学習の充実を図っていくことが必要である。
 その際、講義形式の授業に過度に偏ることなく、例えばゼミナール形式の授業など、一方的な知識の伝達にとどまらない双方向的授業を現在以上に重視することが大切である。

(10)特色ある教育・研究の推進
 これまでの入学者選抜の改善案はどこまでも入試方法の改革、すなわち大学への入口にのみかかわる問題であった。しかし大学の教育内容、社会におけるその位置を問い直すことなしには、より良い改善を果たすことは恐らく難しいであろう。
 そのためにも、今後は、前述のような大学入学者選抜方法の改善を図ることに加えて、それぞれの大学が、教育・研究において個性を発揮して競い合うことが必要であろう。言い換えれば、少数の有力大学を頂点として大学全体が序列化されるのではなく、異なった特色を持った大学や学部・学科がそれぞれの理念の下に併存することが重要なのである。
 これからの大学は、社会のいわば知的センターとして多様な役割を果たしていくことが期待されている。例えば、国際社会の中でも尊敬を勝ち得るような教養人を輩出する教養大学も必要となるであろう。また、実社会において真に有効性を持つ高度で実際的な専門教育を行う専門学部や大学院等いわゆるプロフェッショナル・スクールに対する社会的要請も大きくなると考えられる。さらに、卓越した研究指導者の下に世界的な評価にも耐え得る研究開発を行う学科や教室の存在は、今後のわが国に不可欠であり、いわゆるセンター・オブ・エクセレンスを創出していくことも、わが国の国際的な責務であろう。
 今後、わが国の大学がそれぞれの異なった理念に基づいた特色ある教育・研究を行い、その教育・研究の内容で競い合っていくならば、わが国の高等教育は多峰型の知的高山地帯を形成することになるだろう。そして、その情報が正確に高等学校や進学希望者に提供され、さらには企業・官公庁の採用に当たって活用されるならば、大学や学部の選択が偏差値等に過度に依存している状況も改善されるであろう。高等学校の多様化を進めると同時に大学も個性化し、その結果として大学受験の競争がもっと健全な姿になることが望まれるのである。

第3節 高等学校入学者選抜の改善等

(1)中学校と高等学校との接続の問題点

 1)高等学校の入学者選抜について
 公立高校の入学者選抜については、これまでにも、各都道府県の教育委員会の主導の下に、学区制など選抜制度の基本的在り方や学力検査の実施教科・出題内容、さらには調査書の活用とその取扱い方法など、さまざまな改善の努力が行われてきた。特に、近年では生徒の学校選択の幅を広げるために、受験機会を複数化したり、また単なる知識ではなく思考力・応用力をも問うために、学力検査の出題内容の改善を図ったり、さらに、学力以外の能力をも多面的に判定するために、調査書や面接を重視するなどの改善や工夫が行われている。
 しかし、大学入試の場合と同様に、親や関係者は入試に対して客観性や公平性を求める傾向が強く、また改革の影響も大きいことから、各都道府県における入学者選抜の改革は必ずしも十分進展していないというのが実情である。
 現在の入学者選抜制度は、各学校や学科等の特色に応じた多様な入試を行い得る制度であるにもかかわらず、依然として画一的な傾向が強い。また、入学者選抜において、ペーパーテストによる学力検査の結果が重視され、反面、点数化が困難な教科以外の生徒の諸活動等の要素が評価されにくい傾向がある。しかも、学力検査では、教科の知識や記憶力を中心とした全教科の平均的学力が重視され、各学校等の特色に応じた個性的で多様な資質、能力の判定が行われにくくなっている。

 2)調査書(内申書)について
 調査書は、中学校在学中に培われた生徒の多面的な能力や適性などを3年間を通じて総合的に観察し、評価し、記載したものであり、高校入試のための重要な資料として扱われてきている。しかし、この調査書については、生徒が1年生の時からどのように評価され、記載されるかを意識する余り、のびのびした学校生活を送りにくくし、心理的な抑圧を与えているとの批判的意見も存在する。また、受験する学校により提出される各教科の評定が操作されているとの疑念や、行動・性格の記録の内容によっては生徒にとって不利な扱いがなされるといった指摘がある。

 3)国私立高等学校等の入学者選抜について
 国私立高等学校の一部では、その入学者選抜試験において、通常の中学校教育の水準を超えた問題を出題し、生徒に負担感を与えている。また、一部の私立高校において、推薦入学に当たり業者テストの偏差値を求めるところもあると言われている。
 さらに、大都市地域では、大学進学のための準備教育等を求める親の希望とも合致して、いわゆる中高一貫教育を行う一部の私立の学校や国立の一部の附属学校に志願者が集中する実態があり、小学校段階から受験競争の激化を招いている。

 4)進路指導について
 中学校から高等学校への進路指導については、いわゆる中学浪人を出してはいけないとの意識などから、多くの学校で業者テストによる偏差値等に過度に依存した指導が行われており、適切な進路指導が行われているとは言い難い。

(2)中学校と高等学校との接続の改善
 いわゆる偏差値問題の背景には、学歴偏重や有名校志向の国民の意識や社会の状況等が複雑に絡み合っており、教育政策だけではその解決を図ることに限界があると考えられる。しかしながら、今日、多様な人材を求める社会の動き等も一方では見られ、入試等において偏差値以外の尺度が積極的に活用される状況をつくり出すことなどにより、国及び都道府県において事態の改善に向けた着実な取組みを進めていくことが重要である。
 このために、都道府県においては各高等学校の個性化、多様化を進めるとともに、それと並行して高校入試の抱える諸問題を直視し、その解決に当たっていくことが必要である。また、国としても、都道府県に対して、入学者選抜の改革に積極的に取り組んでいくよう指導助言を行っていく必要がある。
 なお、これらの問題を検討するに当たっては、国公私立学校それぞれの果たしている役割や地域による状況の差異等を十分に踏まえ、総合的な観点に立って行う必要がある。

 1)高等学校の入学者選抜の改善について
 公立高校の入学者選抜の改善を進めるためには、各都道府県において個々の高等学校に独自の特色を持たせ、生徒の特性に応じた学校選択が可能となるよう、学区制の再検討を含め、地域や生徒の実態を踏まえた不断の見直しの努力が行われる必要がある。
 入学者選抜の具体的な改善に当たっては、各学校・学科などの特色に応じて選抜方法を多様化することや生徒の多様な能力を積極的に評価するための選抜尺度の多元化を推進することが必要である。具体的には次のような観点が重要である。

ア 一斉・画一的な選抜の在り方を見直し、各学校ごとあるいは同一校内における学科、コースごとの特色に応じた多様な選抜方法を工夫すること。また、同一の学校、学科、コースにおいても、複数の尺度に基づく選抜を実施し、その選抜方法の種類ごとに入学定員を区分するなどの工夫を行うこと。
イ 生徒の受験チャンスを拡大するため、受験機会の複数化や推薦入学等の活用による多段階の入試の実施について工夫すること。
ウ 合否の判定の際の調査書と学力試験の比重の置き方などについて検討すること。その際、例えば、学校・学科等の特色に応じ、調査書のみによる選抜や学力試験のみによる選抜などについても検討すること。
エ 学力試験に関し、すべての教科を一律に評価するのではなく、例えば、実施教科の数を増減したり、教科によって配点の比重を変えるなど学校・学科等の特色に応じた工夫が行われ得るようにすること。
オ 平成3年3月の指導要録の改善に関する調査研究協力者会議の審議のまとめで示された絶対評価を重視するなどの改善の基本方針の趣旨を踏まえ、調査書の記載内容や取扱いについて検討すること。
カ 生徒の個性を多面的にとらえたり、生徒の優れている点や長所などを積極的に生かす観点に立って、点数化が困難なスポーツ活動、文化活動、社会的活動などについても適切に評価できるようにする必要がある。このため、選抜に用いる資料について工夫するとともに、推薦入学や面接の実施を積極的に進めること。

 2)国公私立高等学校を通じた入学者選抜の改善
 今日では、国立及び私立の高等学校の影響力が大きくなっており、国立及び私立の高等学校も公立高校の入学者選抜の改善方向を理解して、改善を進めていくことが必要である。そこで、各都道府県等においては、国公私立の高等学校及び中学校関係者が、高等学校の入学者選抜の在り方に関して定期的に協議する場を設けることなどにより、選抜方法や出題内容の改善等に努める必要がある。その際、必要に応じ、中学校入試に関して小学校関係者の参加も求めるよう留意すべきである。

 3)中学校の入学者選抜の改善
 大都市地域では、一部の私立の6年制一貫校や国立の附属中学校を目指した受験競争も過熱化しており、これらの学校の入学者選抜の在り方が小学校教育や小学生の心身の発達に大きな影響を及ぼしている。これらの学校では、小学校教育の水準を超えた入試問題が出題されたり、学力検査に偏り過ぎた選抜が行われていることから、小学生の過度の学習塾通いを招くなど、小学校教育の正常な運営を阻害するばかりでなく、小学生の心身に大きな負担を与えている。
 私立の6年制一貫校や国立の附属中学校の入学者選抜については、小学生や小学校教育に与える影響を十分に考慮して、各学校において選抜方法等の改善を図ることが期待される。すなわち、一部の行き過ぎた入試問題の改善を図るとともに、入学者選抜方法についても、例えば、学力とは別の選抜尺度を工夫したり、選抜のある段階で抽せんを加味したりするなど、小学生や小学校教育に十分配慮した選抜方法を工夫することが望まれる。

 4)入学者選抜に関する調査研究の実施
 入学者選抜の改善を図るため、その方法や尺度、出題内容の在り方などについて、組織的・継続的に調査研究を行う必要がある。まず、国は、各都道府県における具体的な改善や工夫を促すため、その状況の把握に努め、専門家等による分析・評価を行うとともに、関係者に対し、その成果の周知に努めるなど積極的な指導を行う。また、国立教育研究所などにおいても、高等学校等の入学者選抜の方法や尺度、出題内容などについて調査研究に取り組む体制を整備することが必要である。さらに、都道府県に置かれている教育センターなどにおいても、教育委員会や私立学校担当部局との連携の下に、入学者選抜の方法や尺度、出題内容の在り方などについて調査研究に取り組み、入学者選抜の改善に反映させていくことなども重要である。以上のような調査研究を進める際には、大学入試センターとの協力や提携も考慮する必要がある。

 5)入試に関する情報の提供
 また、入試に関する情報を十分に提供することも重要である。特に高校入試における合否判定の基準等が明確にされ、周知されていない場合には、入試に関しさまざまな誤解や不満が生じる原因となる。このため、都道府県や各高等学校は、高校入学者選抜の合否判定の基準等について明確化し、可能な限り生徒、保護者や中学校に知らせるよう努めることが必要である。

 6)進路指導の改善充実
 中学校の進路指導に当たっては、生徒の入学段階から生徒一人一人の将来を十分見通して能力・適性等を総合的に評価するとともに、本人の希望を尊重し、保護者との相互理解に立った進路指導を行う必要がある。
 このため、生徒の評価や進路指導をできる限り多くの教師の目を通して行うよう、各学校に学級担任を含めて、校長、教頭、進路指導主事、学年主任等で構成する委員会を設けたり、地域の実情等に応じて、市町村の教育委員会等の判断により進路指導に関する相談窓口を設けることなどを検討する必要がある。また、高等学校の教育内容をはじめ適切かつ豊富な進路情報を、可能な限り生徒、保護者や中学校に提供するとともに、中学校側は高校教育の内容等について十分把握するよう努める必要がある。さらに、生徒の高等学校への体験入学を一層拡大し、高等学校への理解を深め、進学のための目的意識の明確化を図ることが大切である。

(3)中・高等学校の教育課程
 私立学校の運営においては、その自主性が尊重されなければならず、特色のある独自の教育実践を行うことが期待されている。同時に私立学校も公教育の一環を担うものであり、その教育課程については、学習指導要領など国の基準に沿って編成・実施されなければならないのは当然である。しかしながら、一部の私立学校においては、特定の教科を実施しなかったり、標準授業時数に比べ一部の教科の時間数を大幅に逸脱して実施したりするなど受験準備に偏った教育課程を編成・実施している。このことは、6年制一貫校のとりわけ中学校の段階において見られる。これらの一部の私立学校においては、その行き過ぎを自ら規制し、自らその姿勢を正していくことが要請される。
 また、現状を見るかぎり、所轄庁である知事部局はこのような私立学校の教育課程の行き過ぎに対する適切な指導を必ずしも十分に行っているとは言えない。
 なお、しばしば指摘されるようにわが国の公立学校の教育はややもすると画一的になりがちであり、特に、高等学校において、本答申で提言している改革を推進するためにも、各学校において一層特色ある教育課程を編成する工夫が望まれる。
 このようなことから、各都道府県に、公私立学校の関係者等で構成される協議の場を設けることを提案する。今まで、公私立学校間で情報を交換し、適切な教育課程の編成・実施について研究協議する場もなかった。そこで、今回、そのような恒常的な協議の場を設け、教育課程の編成・実施の現状等について情報交換や研究協議を行って、各学校の自主的な教育課程の改善の取組みを促すこととする。そして、その改善の状況を見極めつつ、都道府県の関係部局が行う教育課程に関する指導を充実していく必要があると考える。

第3部 生涯学習社会への対応

 第1部第3章「改革の視点」で述べたように、今後は、学校教育の抱える諸問題を解決するためにも生涯学習社会を築いていくことが必要となっている。
 生涯学習を振興するためには、人々の自発的意思に基づく学習を支援する観点から、生涯学習の基盤を整備することが重要な課題である。本審議会は、このような認識に立って、平成2年1月に「生涯学習の基盤整備について」答申を行っている。その内容は、国、都道府県、市町村において生涯学習の推進体制を整備すること、地域における生涯学習推進の中心機関として都道府県に生涯学習推進センターを設けるとともに、大学・短期大学、高等専門学校、高等学校や専修学校(以下「大学・短大等」という。)に生涯学習センターを設けること、人々の日常生活圏における生涯学習活動の場を整備するため生涯学習活動重点地域を設定することなどであった。平成2年6月には、この答申に基づいて「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」が成立し、答申の趣旨が実施に移されつつある。
このような施策に加えて、今後は、学校も生涯学習を推進するために積極的な役割を果たすことが期待されている。また、人々の生涯学習に対する需要が高まるに伴い、学習成果の評価やそれを社会の中で活用したいという要請も大きくなると考えられる。このため、今後は、学校も生涯学習を振興する観点からさまざまな施策を実施するとともに、生涯学習の成果の評価についても多様な仕組みを開発することが必要と考えられる。

第1章 生涯学習における学校の役割

第1節 生涯学習における学校の役割と課題

 平成2年1月の本審議会答申でも述べたように、生涯学習における学校の役割としては、人々の生涯学習の基礎を培うこと及び地域や社会の人々に対してさまざまな学習機会を提供することが重要である。このような生涯学習における学校の役割については、次のような課題がある。
 まず、人々の生涯学習の基礎を培うためには、特に初等中等教育の段階において、生涯にわたって学習を続けていくために必要な基礎的な能力や自ら学ぶ意欲や態度を育成することが重要となると考えられる。このためには、教育内容を精選して基礎・基本を徹底させるとともに、新しい知識を学んだり発見したりすることの楽しさを体験させることが必要である。
 しかし、今日の学校教育は、受験競争の影響などから知識の詰め込みに偏り、ゆとりのないものとなっており、また、社会の変化に適応できる能力の育成や個性の伸長も十分でないとの指摘がある。
 また、地域や社会の人々に多様な学習機会を提供するためには、特に高等学校や大学において、社会人を積極的に受け入れることや社会人や地域のニーズに対応した多様な学習機会を提供することが必要である。これまでにも、時間的に制約の多い社会人が学びやすいように昼夜開講制や夜間大学院の開設などが実施され、また多様な公開講座も開催されている。しかし、教員や施設など教育条件上の制約のほか、教員の意識の上で、学校は一定年齢層の若者を教育するところであると考える傾向が強いことなどから、社会人の受入れはいまだ十分とは言えない。
 さらに、第1部でも述べたように、今日では高校中退者が増加しているが、今後は高等学校、大学を中途退学した者や中学校、高等学校を卒業した後いったん社会に出た者が、希望する時に学校に円滑に戻ることができる条件を整えることが重要である。
 また、科学技術の進展に伴う高度な職業能力開発のために、学校を卒業した後のリカレント教育に対する需要も増大すると予想される。今後は、このような要請に対応して、教育内容や指導者をはじめとする受入れ方策を充実することが求められている。このほか、潜在的な学習需要を持ちながら、身近に教育機関が設置されていないことなどから学習機会に恵まれない人々に対しても、新しい情報手段を利用するなどにより適切な学習機会を提供することが望まれる。

第2節 今後の推進方策について

(1)生涯学習の基礎
 人々の生涯学習の基礎を培うためには、前述のように特に初等中等教育の段階において、自ら学習する意欲や態度を育成するとともに、基礎・基本を徹底し、個性を生かす教育を進めることが必要である。これらの事項については、これまでも教育課程の基準の改訂や各学校における指導の中で重視されていた。さらに、平成元年3月の学習指導要領の改訂は、1)豊かな心を持ち、たくましく生きる人間の育成を図ること、2)自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力を育成すること、3)国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視し、個性を生かす教育の充実を図ること、などを基本方針としている。この新しい学習指導要領は、平成4年度から逐次実施されることとなっており、今後はその趣旨を各学校において実現していくことが必要であろう。

(2)生涯学習機関としての学校
 地域や社会の人々に対してさまざまな学習機会を提供することに関しては、前述のように特に大学・短大等において、公開講座等を拡充するとともに、学校制度の柔軟化を図り、社会人等に対して多様な学習機会を提供することが重要である。
 今後、大学・短大等が生涯学習機関としての役割を拡充するためには、次のような方策が必要である。

(大学・短期大学)
ア 大学・短期大学においては、社会人が限られた時間を有効に活用して、パートタイムの形態で教育を受けられるようにすることが必要である。このような観点から、平成3年2月の大学審議会答申において、授業科目の一部を履修して一定の単位が修得できる新たな制度として、「科目登録制」(特定の授業科目の単位修得を目的とする学生を受け入れる制度)や「コース登録制」(コースとして設定された複数の授業科目の単位修得を目的とする学生を受け入れる制度)の導入が提案されており、その実現が期待される。また、夜間大学院や学部レベルの昼夜開講制を更に拡大することも重要である。
 さらに、今後の急速な社会の変化や産業技術の高度化に伴い、社会人が大学院に入学、再入学することが増加すると予想される。このため、既に課程の目的、入学資格、履修形態、教育方法等多岐にわたる制度の弾力化が行われたところである。今後も、これらの制度を利用し、社会人を積極的に大学院に受け入れていくことが期待される。
イ 短期大学や高等専門学校を卒業した後にも学習を続けたいとする者や、いったん社会に出た後に再び大学教育を受けることを希望する者にも、その途を開くため、社会人特別入学枠や編入学のための特別定員枠の拡大が期待される。
ウ また、大学・短期大学以外の教育施設等における学習成果のうち、一定水準以上のものを、大学・短期大学の単位として認定する途を開くことや、大学レベルのさまざまな学習成果を積み重ねることにより、最終的に大学卒業の資格を取得できる途を開くことは、生涯学習を推進する上で極めて意義が大きい。これらの方策については、第2章で述べる。
エ 大学・短期大学の公開講座については、今後、地域の学習需要の高度化に対応して、多様な教育機会を提供することが望まれる。その際、大学・短期大学以外のさまざまな教育・訓練施設と協力して学習プログラムを企画したり、新しい情報手段を利用するなどの工夫が期待される。
オ さらに、以上のような大学・短期大学の生涯学習の取組みをより一層推進するためには、特に、平成2年1月の本審議会答申で提言した大学・短大等に設置される生涯学習センターの機能を活用することが期待される。
 この生涯学習センターは、平成2年1月の本審議会答申において、体系的・継続的な講座の実施や大学・短大等における学習機会に関する情報の提供・学習相談など、社会人を対象とした取組みをより積極的に行う体制として、大学・短大等の自主的な判断により、開設することを提言したものである。今後、各大学・短大等が積極的に生涯学習センターを開設することが期待される。
カ 放送大学は、生涯学習機関として大きな役割を果たす開かれた大学であり、現在、関東地域に限られている対象地域を、その実績等を評価しながら全国化することが望まれる。また、大学・短期大学の通信教育についてもその充実を図る必要がある。

(高等専門学校)
 高等専門学校においては、今後の産業技術の高度化に対応するとともに、地域の人々や企業の生涯学習への要請を踏まえ、その専門的職業技術や知識を地域社会に提供することが必要である。このため、科学技術の進歩、産業構造の変化に対応して教育内容の改善に努めると同時に、公開講座の充実や社会人の受入れを一層推進していくことが望まれる。

(高等学校)
 高等学校については、まず中途退学者や中学校を卒業後社会に出た者も容易に高校教育を受けられるようにすることが必要である。このため、単位制高校の設置の推進や定時制・通信制高校の充実を含め、希望する者を柔軟に受け入れる途を広げていく必要がある。特に、単位制高校は、生涯学習の観点から、だれでもいつでも高校教育を受けられるよう、その履修形態を単位制のみによるものとし、多様な科目の開設と複数の時間帯や特定の時期における授業の実施、単位の累積加算などが可能である。今後、これらの特色を一層活用していくことが望まれる。
 また、前述の単位制の活用を図ることや、他の教育施設等の学習成果のうち一定水準のものを高等学校の単位として認定することは、生涯学習振興の観点からも重要である。さらに、高等学校は、地域の人々の身近な教育施設であり、今後とも人々のニーズに対応した多様な学習機会を提供していくことが必要である。今後、高等学校は、地域や人々の新しい学習需要に柔軟に対応し、生涯学習機関としての役割を高めていくことが望まれる。
 高等学校がこうした取組みを行うことは、高等学校の教育が大きく変わっていくことにもつながる。特に、社会での豊富な実務経験や専門的知識を持つ社会人を教員として活用することは、高等学校の教員の意識を大きく変化させ、学校の活性化にも資するものと考えられる。

(専修学校)
 専修学校は、社会の変化に即応して実践的な職業教育や専門的な技術教育を行うところにその特色があり、これまでも、生涯学習機関として大きな役割を果たしてきた。今後は、その特色を発揮しながら、地域の要請や社会人の学習ニーズに対応したコースを開設したり、開設科目を多様化することにより、今まで以上に多様で柔軟な教育活動を積極的に展開していくことが望まれる。また、必要に応じて、大学・短期大学、高等学校等との連携を図ることも重要であろう。

第2章 生涯学習の成果の評価

第1節 生涯学習の成果に関する評価の実態と考え方

(1)学習成果の評価の実態
 本審議会が実施した調査に基づき、わが国における生涯学習の成果に関する評価の実態を見ると、茶道・華道等の伝統的な稽けい古事における免状・資格の付与、実用英語等の技能審査や各種職業資格に関する知識・技能の認定など、独自の評価を行っているものもあるが、一般的には、学習成果の評価は、まだ活発に行われているとは言えないのが現状である。何らかの形で評価を行っているものとしては、次のような例が挙げられる。
 都道府県及び市区町村の教育委員会や各部局、社会教育施設等(以下「教育委員会等」という。)が実施している各種の学級・講座等のうち、半分程度が何らかの形で学習成果の評価を行っている。評価の方法としては、修了証や認定証の交付が一般的であるが、少数ながら、独自の単位や免状・資格を付与しているところもある。
 公開講座を実施している大学・短大等においては、修了証や認定証を交付しているところが多く、一部の大学教育開放センターでは、独自の単位認定も行っている。
 このほか、社会通信教育では、免状・資格の取得を目的とした講座を実施しているものが半分程度あり、スポーツ関係の団体でも、スポーツ指導者の資格認定や等級による技能の評価を行っているところがある。
 カルチャーセンターでは、何らかの形で学習成果の評価を行っている学級・講座を持つところがかなりを占める。
 さらに、企業では、実務能力や研究開発能力の向上のための教育・訓練において、修了証や認定証を交付したり、各種資格試験を受験させるなどにより、評価を行っているところもある。
 一般的にみて、学習の奨励のために評価を行う場合は、出席回数・時間数によって修了証や認定証を交付することが多く、専門的知識・技術の習得や指導者養成の場合は、試験などにより、一定基準に達した者には免状・資格を付与することが多くなっている。

(2)学習成果の活用の実態
 生涯学習の成果を活用することについても、まだ一部で行われているに過ぎない。何らかの形で学習成果を活用しているものとしては、次のような例が挙げられる。
 教育委員会等が実施している各種の指導者研修や講座の修了者の一部は、地域における学習活動の指導者や助言者として人材登録され、さまざまな学習グループの指導・助言に当たっている。また、それらの研修や講座における修了証や認定証は、各種の社会的活動をする際にも活用されている。特に、手話や介護などの社会福祉に関する各種のボランティア活動においては、その専門にかかわる学級・講座の修了証や認定証が活用されている。
 さらに、教員免許の取得に関しては、社会教育施設における学習成果を教育実習の単位の一部とする途が開かれている。また、放送大学では、大学外における体育の学習成果をその単位として認めている。
 このほか、企業でも職務に関する学習成果の評価を活用しているところがあり、例えば免状・資格の取得に対しては、配置・昇進で考慮するところもみられる。

(3)学習成果の評価に対する要請
 生涯学習の成果を評価することは、学習者個人の励みになるだけでなく、学習成果を社会生活や職業生活に活(い)かそうとする場合に利用でき、さらには、地域や企業において人材を登用する際の手掛かりにもなると考えられている。
 教育委員会等が実施する各種の学級・講座においては、希望者に対して修了証や認定証の交付、独自の単位認定、免状・資格の付与をこれまで以上に行うべきだとする意見が多く、学習者の多くも修了証の交付等を望んでいる。
 しかし、これらの評価に対する要請は、学習の分野によって大きく異なっており、大別すれば、職業、社会福祉、地域活動、保健・衛生等に関する学習については要請が強いが、趣味、日常生活等に関する学習については、あまり必要とは考えられていない。
 学校教育との関係では、学校教育以外の学習成果のうち、一定水準以上のものについては、学校の単位に転換する途を開くべきだとする要請が強く、大学・短期大学(以下「大学」という。)の多くもこれに賛成している。また、大学、高等学校、専修学校の公開講座のうち、一定水準以上のものについても、学校の単位とする途を開くべきだとする考え方もある。
 このほか、公的職業資格の要件として一定の学歴を求めているものについて、学歴以外の学習歴で代替すべきだとする要請や、履歴書の中に学歴以外の学習歴も書けるようにすべきだとする要請も強い。

(4)学習成果の評価についての考え方とその必要性
 1)生涯学習と学習成果の評価
 平成2年1月の本審議会答申で示したように、生涯学習は、1)生活の向上、職業上の能力の向上や、自己の充実を目指し、各人が自発的意思に基づいて行うことを基本とするものであり、また、2)必要に応じ、可能な限り自己に適した手段及び方法を自ら選びながら生涯を通じて行うものであり、3)学校や社会の中で意図的、組織的な学習活動として行われるだけでなく、人々のスポーツ活動、文化活動、趣味、レクリエーション活動、ボランティア活動などの中でも行われるものである。
 生涯学習の目的や内容・方法は極めて多様であり、これに関する評価の在り方も学習の内容や学習者の希望に応じて、多様で多元的なものでなければならない。
 生涯学習の成果に関する評価の実態はまだ活発なものとは言えないが、今後は、わが国の学歴偏重の弊害を是正するためにも、さまざまな生涯学習の成果を広く評価し活用していくことが重要であり、来るべき生涯学習社会にふさわしい評価の体系を作っていくことが必要であろう。
 2)学習成果の評価の必要性
 学習成果の評価とは、学習目標をどの程度達成したかを確かめるために、情報や資料を集めてその達成度を判断することであり、評価の仕方には、自己評価と他者による評価とがある。
 前述のように生涯学習の目的や内容は多様であり、評価が社会的に要請されるものと必ずしも要請されないものとがある。また、学習者によっても評価を望む者と望まない者とがあることから、評価の在り方もこれらに応じたものでなければならない。
 例えば、自己の充実や生活の向上のための学習については、自己評価で十分な場合が多いと考えられる。しかし、学習者が学習の励みのために他者による評価を求める場合もある。また、学習者が社会生活や職業生活で学習成果を活用するためには、他者による評価が必要な場合があり、分野によっては厳密な評価が必要な場合も考えられる。
 生涯学習の成果の評価を行うに当たっては、まず学習機会の提供者がそれぞれ工夫して多元的に評価することが重要であり、また、分野によっては、地域的に特色ある評価を行っていくことも大切である。さらに、学習者の要請に応じて民間団体のみならず公的機関による学習成果の評価を拡充することも必要であろう。ただし、これらの場合でも、学習成果を評価するのは、あくまで学習者の要請に応じて行うものであることに留意すべきである。

第2節 生涯学習の成果の評価に関する方策
 今後の自由時間の増大、高齢化の進行、さらには科学技術の進歩や職業能力開発の必要性を考慮すれば、人々の生涯学習に対する需要はますます増大することが予想され、その中で学習成果の評価やそれを社会の中で活用したいという要請も大きくなると考えられる。
 このような要請に応じるためには、今後、学習成果の評価と活用に関する次のような方策が必要であろう。

1 第一は、学習成果を評価する多様な仕組みを整備することである。
 生涯学習の成果に関する評価が社会的に要請されたり、学習者が評価を望んでいる場合には、これに対応する仕組みが必要である。既に評価の仕組みが確立されている分野も一部にあるが、いまだこのような仕組みが整備されていない分野については、積極的にその仕組みを整備することが重要であろう。新しい評価の仕組みを整備するに当たっては、学習機会を提供している民間団体等が主要な役割を果たし、多元的な評価を行うことが望まれる。
 民間団体が行っている学習成果の評価のうち、社会教育を振興する観点などから意義の大きいものについては、技能審査認定制度などにより国がその事業を認定しているが、今後は必要に応じて、その拡充を図ることが望まれる。また、技能審査以外で民間団体が行っている評価についても、分野や学習者の要請によっては、国や地方公共団体がその評価を認定することも必要であろう。

2 第二は、学習成果のうち、一定水準以上のものを評価し、それを学校の単位に転換する仕組みを拡充することである。
 生涯学習の成果を大学の単位として転換することについては、平成3年2月の大学審議会答申で提案されているように、大学以外の教育施設等における学習成果のうち、大学教育に相当する一定水準以上のものについて、その学習成果を適切に評価し、大学の単位として認定する途を開くことが重要である。このような転換の対象としては、大学審議会答申で示されている専修学校専門課程における学習、技能審査の種目などに加えて、大学の公開講座で一定水準以上のものについても検討の対象とすることが考えられよう。
 生涯学習の成果を大学の単位に転換する仕組みを拡充するに当たっては、大学がそれを行いやすくするような条件整備を行うことが必要であり、本審議会が平成2年1月の答申で提言した大学・短大等に設置される生涯学習センターの機能を活用することが期待される。
 また、大学審議会答申を受けて、平成3年7月に設置が予定されている学位授与機構についても、大学レベルのさまざまな学習成果を積み重ねることにより、最終的に大学卒業の資格を取得できる途を開いていく上で意義が大きく、その発展が期待される。
 さらに、高等学校については、従来から、定時制・通信制課程において、専修学校や職業訓練所等における学習を高等学校の単位として認める技能連携制度等が設けられている。今後はこれらの制度をより一層活用することなどにより、他の教育施設等における学習成果のうち一定水準以上のものを高等学校の単位として積極的に認定していくべきであろう。特に、単位制高校は、生涯学習の振興を図る観点から設けられた学校であり、このような制度を活用することにより、学習者のさまざまな要請に柔軟に対応していくことが期待される。

3 第三は、学習成果を広く社会で活用することである。
 生涯学習の成果を社会的に活用する仕組みとしては、一定水準以上のものを公的職業資格の基礎とすることが重要である。公的職業資格の要件としては、一定の学歴や実務経験等を求めているものが多いが、これらの要件について一定の生涯学習の成果で代替できる途を開くことが望まれる。
 このような措置を実現するためには、どの分野の資格にどのような学習成果を活用することが可能なのか、また活用のための条件、促進策等について十分な検討を行わなければならない。これらについては、今後、専門的調査を行い、実態把握を行った上で、生涯学習審議会等で検討を進める必要がある。
 また、今後は、企業・官公庁の採用においても、ボランティア活動などの生涯学習の実績を評価することが期待される。このため、履歴書に学歴と並んで各種の生涯学習歴の記載を奨励することも重要であろう。
 さらに、これからの社会にあっては、地域の活性化や家庭教育の充実のために、社会教育の指導者、ボランティアなどの養成・確保がますます必要となるであろう。このため、生涯学習の成果を活用してこれらの指導者などを養成する試みを一層拡充することが必要である。また、学習成果を公開の場で発表したり地域のために役立てることは、学習者にとっても生きがいや励みとなるので、そのような活用の機会を積極的に開拓することも重要である。
 なお、生涯学習の成果を活用するに当たっては、生涯学習の成果の評価やその活用方法などに関する情報を提供する体制や生涯学習施設相互間の生涯学習情報ネットワークを整備することが重要となる。このような生涯学習に関する情報提供に関しては、本審議会が平成2年1月の答申で提言した生涯学習推進センターなどが、適切な役割を果たすことが期待される。

4 第四は、学習成果の評価について調査研究を行うとともに、学習成果の評価や活用に関する啓発を行うことである。
 広く生涯学習の成果を評価し、評価体系の発展を図るためには、まず評価を多元的に実施し、その活用の途を広げていくことが必要であるが、今後は、学習成果に関する各種の評価を互換したり、さらには、これらを累積加算する要請がでてくることが予想される。このため、さまざまな学習機会の提供者の行う評価の実態を見守りながら、このような要請に対応する方途について検討していくことが必要であろう。
 また、生涯学習に関する評価は、従来の学校教育における評価とは異なり、極めて多元的なものであり、わが国の学歴偏重の弊害を是正するためには、このような評価に対する国民の理解が大切である。このため、さまざまな機会を利用して、生涯学習の成果の評価や活用に関する啓発活動に努めることも重要である。

改革の実現のために

 以上のような改革を真に効果のあるものとするためには、教育行政に責任を有する文部省はもとより各都道府県の教育委員会が、現在の教育が抱えるさまざまな問題を厳しく受け止め、本答申で示した諸施策を速やかに実行に移すことがまず何よりも重要である。しかしながら、これらの問題を解決するためには、行政当局の努力とともに、企業・官公庁をはじめとする関係者の協力が不可欠である。そこで、最後に、関係者に対する要望をとりまとめ、今後の改革に対する協力をお願いすることとしたい。

企業・官公庁へ
 本答申の基本的な考え方の一つは、若い人の進路の上部構造を変えて、下部の高校生以下の心的抑圧を取り除こうとすることであるが、これは企業や官公庁の採用の仕方に適用されて初めて本来の効果を発揮すると考えられる。
 幸いなことに近年企業の考え方は大変に柔軟になってきている。ある種の学歴を持っていればエスカレーターに乗ったと同じだということは、現代の企業ではもう有り得ない。実力主義人事をしなければ企業は生き残れない。採用に際し、人物、能力、意欲を面接などで総合的に判断し、特に柔軟な思考、発想を重視する傾向も、近年増えてきていると言われている。それに同じタイプの人間の集団では時代の変化を乗り越えられず、意図的に異質な人材集団を形成しようという試みさえなされている。大量に採用する企業では特定校出身者に偏るのを避け、意識的に学校の分散を図っているとも聞く。加えて人手不足時代への対応の意味合いもあって、中途採用や職種別採用など、今までの雇用形態を思い切って変える人事管理もどしどし導入されている。
 企業社会のこうした柔軟なダイナミズムの兆しには十分な敬意を払うが、しかしなお、幾つかの点について経済界に一層の協力を求めたい。
 まず、大学卒業者の採用に関してであるが、第一は、経済界は実力主義に転じたと言うが、果たして実際にそうであろうかという素朴な疑問は、人々の間になお根強いものがある。
 各企業が上述したような採用に変わっているかというといまだ疑問もあり、現在はいわば過渡期の段階であると考えられる。また、指定校制度はほとんどなくなっていると言われているが、必ずしも全部の大学に公平に開放しているわけではない。さらに、現在の人手不足が解消すれば、また元へ戻るのではないかとの危惧(ぐ)もある。
 これまで、企業の採用においては、学校の名称や序列に安易に依存する傾向が強く、学生の4年間の学習内容ではなく、どの大学に入学して無事卒業したか否かを主たる評価の尺度としていたと言われていた。そして、このことが受験競争の過熱化を招いている一因でもあったのである。
 日本の経営が個性と創造性を必要としているのなら、採用の仕組みを抜本的に改革し、目を見張らせる独自の評価方式を開発していただきたい。企業が大学の既成の序列を動かし、新しい人間の評価方法を開発するのだというくらいの気概で当たっていただきたい。さらに、変わりつつある企業の採用の仕組みや新しい評価方法を可能な範囲で人々に明らかにしていただきたい。
 この点は、原則的には官公庁の採用についても同様と考えられる。むしろ官公庁が一般企業に先立って、大学の序列にとらわれない多元的な評価尺度の開発に取り組んでもらいたい。
 第二は、採用における年齢制限の撤廃、若しくは緩和を、企業にお願いしたい。できるだけ若いうちに採用して、社風に合うかたちに訓練し、養成したいという日本企業に特有の人材観や、会社内部の昇進システム等を反映して、大学卒は24~25歳くらいを採用年齢の上限にしている企業がまだ多い。このため、日本の青年は、学校卒業後1~2年の極めて限られた時期に人生の方向を定め、選抜を受けなければならず、しかも途中で余り寄り道することも許されていない。年齢に対する企業のこの条件が学校教育をこれまで息苦しくしてきた要因の一つでもある。しかし、これからの時代には、研究上の都合で留年したり、学士入学で二つの大学や学部を卒業したり、外国に2、3年遊学したり、高等学校を出て社会で数年働いた後で大学に入り直したり、そうした人生のコースの多岐的選択がもっと認められるべきであろう。企業は、通常のコース以外で行われた活動を、むしろ評価していくことが求められているのである。
 企業を取り巻く社会環境は、国際的環境をも含め、一大変化を遂げつつあり、これからは多様な人材からなる異質な人材集団を形成していくことが必要となっている。「年齢制限」は、今や日本企業の経営戦略にも次第に合わなくなってきたのである。どうか、これまでの人材観を見直し、昇進システムをも修正して、多元的に生き始めている現代の若者のニーズに合う新しい採用方式を確立すべく心掛けていただくよう、企業にお願いしたい。
 次に、高校卒業者の採用に関しては、まず、選考期日の早期化の傾向を是非とも改め、高校教育に悪影響のないようにしてもらいたい。このため、高等学校側と企業側との何らかの協議の場を常設することを提案する。また、一部の企業では、採用において総合職と技能職・専門職とを区別し、初めから高卒者に対しては総合職になる機会を排除しているケースが見受けられる。よしんば採用時点ではこうしたかたちになるのもまたやむを得ないとしても、採用後においては、総合職への移行を可能にする機会を企業が常にオープンにしておくことをお願いする。
 さらに、今後の生涯学習社会においては、学歴にこだわらず意欲と能力のある者が働きながら学習を続けた場合には、その成果を十分に評価していただきたい。人間評価が形式的な学歴に偏っている状況を改め、いつ、どこで学んでも、それぞれの学習の成果を適切に評価し、人間の持っている能力の可能性をそれ自体において判定することが、企業の未来戦略にもかなっていると考えられる。これとともに、勤労者の生涯学習を容易にするため、労働時間の短縮や有給教育・訓練休暇の拡充などにも配慮するよう望みたい。
 また、男女の真の意味での平等が、就職機会はもとよりのこと、昇進その他の社内の処遇においても一日も早く確立されることを希望する。
 最後に、仕事が多忙で父親が子どもの教育のことを顧みるゆとりがないのも大きな問題であり、父親をもっと多くの時間家庭に返してくださるように企業・官公庁にお願いする。

大学へ
 本答申は、大学入試の問題を中心テーマの一つとして取り上げている。大学入試は、今日では高等学校、中学校、小学校に甚大な影響を及ぼしている緊急の国民的課題とさえも言える。本答申の大学に関連する部分は、直接、大学へのアピールであり、呼び掛けでもある。特に、大学入試の改善については、大学自らの取組みに待つところが極めて大きい。子どもの心の抑圧を軽減するために各大学の積極的な検討と協力をお願いする。

高等学校へ
 本答申は、高等学校の諸問題とその制度改革や運用の改善にも焦点を当てている。
 しかし、教育改革は外側の制度だけを変えてどうなるものでもない。それを支える人間が重要な鍵(かぎ)を握っている。教育改革の成否は制度が半分、精神が半分である。
 高校生の選択のチャンスを広げる、学校・学科間の移動をしやすくする、さらには、学校が生涯学習を推進するために積極的な役割を果たすなどの提言を実現していくためには、高校教育の在り方についての従来の認識が大きく転換されなければならない。なかんずく、教師の意識の変革が決定的に重要な意味を持っている。
 例えば、生徒の能力・適性、進路などの多様な実態や学校を取り巻く社会的・文化的状況の大きな変化に先生方は積極的に対応しているだろうか。学校という内部の価値観と現実社会という外側の価値観との間の整合性を常に求めているだろうか。また、生徒の指導に当たっては、自分の考え方にとらわれた既成の価値観を押し付けているようなことはないであろうか。あるいは、生徒が自発的に意欲的に学習に取り組もうとしているときに、昔ながらの知識伝達型の授業を繰り返してはいないだろうか--等々。教育改革を進める上で、こうした点を教師自身が謙虚に振り返ってみることも大切と思われる。
 改革を推進していくためには、このような教師の意識改革とともに、さらにもう一つ、教師一人一人が学校を経営するという気持ちで、責任感を持って、主体的に取り組んでいかなくてはならない。その際、校長のリーダーシップの重要性は言うまでもない。各学校での十分な共通理解を踏まえた内部からの自主的な取組みなしには、高校教育の改革実現は期し得ない。
 さらに、改革を進めるに当たっては、学校を社会に開かれたものとしていくことが必要である。各学校においては、その教育方針や教育活動について、親、地域住民などに理解と協力を求めるとともに、親、地域住民などの意見を適切に把握し、その期待にこたえる形で学校運営の改善を図っていくべきであろう。

家庭へ
 今日の学校教育が抱える諸問題は、家庭の在り方とも深く関連している。
 近年、女性の社会進出、親の単身赴任や離婚の増加などにより、共働き家庭や単親家庭等も増え、わが国の家庭の在り方は多様化している。両親がそろっている場合でも、父親の多くは現代社会の要請から大変に多忙で、育児や教育は母親に任せ切りになりがちである。両親が平生において子どもの教育について話し合う機会すら少ない家庭もある。子どもに強くかかわる父親でも、関心の第一は学業成績や進路選択で、子どもの日頃の考えや友達や生活について、ほとんど関心を持たない。母親にだけ子育ての負担が掛かる状況である。
 今日は昔と違って子どもの数が少なく、長寿時代に入っている。それゆえ女性のライフサイクルは家事や育児だけではなく、自分の生涯の仕事をも念頭に置いて形成される場合が多くなってきた。しかし、育児と教育には昔より手が掛かると言われる。母親が子どもにかかわり過ぎるのだとの指摘もあるが、進学問題などに加え、子どもの日々のしつけや家事などもいまだ女性の役割と見なされていることが負担となり、女性の社会的諸活動の継続をしばしば困難にしている。
 こうした家庭の諸条件の変化は時代の必然ではあるが、次のように各家庭に呼び掛けたい。育児や教育は母親の役割という考え方を改め、今後は、両親が家庭教育について常によく話し合い、協力していくことが大切である。父親も子どもの成長の基礎である家庭づくりに積極的な役割を果たす必要がある。
 また、子どもの進路選択に当たっては、親は子どもの個性と適性をよく理解し、その希望を尊重して選択を決めるようにすべきで、親の希望や理想を子どもに押し付け、子どもを追い詰めるようなことだけはくれぐれもしないように希望する。
 日本の教育が良くなるためには、各家庭で、親自身が多様な価値観の存在を認め、子どもを学力偏差値などの単一の尺度で見る目を改めていくことが必要である。そして、多様な選択が認められる社会となった時代の動きを正しく認識し、子どもの個性や適性を多面的に理解し、その教育や進路決定に当たっていくよう切望する。
 そのためには、親が何かを決めるのではなく、まずは子どもの自主的判断を尊重して、親は静かに見守り、時機をとらえて適切な助言を行うという態度でなくてはならないであろう。現代の子どもは、自分の未来を自分で考えるという意欲に乏しい。概して手厚く親に保護されているからであろう。子どもが何か判断する前に、親の意向が先に働くというケースが多い。塾通いや稽古事などで、毎日のスケジュールが決められ、受け身の姿勢の生活に、さして不満を感じない子どもが多く、いざというとき自分で選択し、決断することができない。親が子どもの能力を決め付けたり、逆に期待し過ぎたりすることなく、子どもの夢を大切にして、はぐくんで欲しい。そして、学校の選択、職業の選択などさまざまな場面で、選ぶことの難しさを教え、最後の選択は結局は自分でしなくてはならないのだということを、日々の生活の中で子どもに気付かせるようであって欲しい。
 最近の学校では、本来家庭が受け持つべき基本的生活習慣の指導から着手しなければならない場合も多くなっている。つまり、学校教育が抱える諸問題のうちには、学校や教師が対応できる範囲を超えている問題もあるのである。家庭がこれらの問題を改めて考え直し、その役割と責任を果たしていくことが不可欠であると考える。そのためには、まず、家庭が、基本的生活習慣の形成や体力づくりなど、子どもが社会の一員として生きていく上での基礎をしっかり身に付けさせること--これがあらゆる問題を解決していくための出発点であることを改めて強調したい。

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生涯学習政策局政策課

-- 登録:平成21年以前 --